三峰神社で、都心と山林の深いつながりの跡を見つけ興奮する。
きのうの最後の画像は、三峰神社の山門のそばにある狛犬の囲いだ。続きを書こう。
おれと大将は、三峰神社の拝殿で礼拝したあと、奥の院を拝む場所へ行った。三峰神社の本殿は、標高約千百数十メートルと思われるが、そこからさらに登った妙法ガ岳(1330m)に奥の院がある。往復2時間ぐらいのコースだが、そこまで行かなくても、山頂を仰いで拝める遥拝所があるのだ。最初の画像がそれ。そこから階段をおりると山門。つぎの画像。ほんらいは、こちらから入って登って遥拝所か本殿へむかうのだろうが、おれたちは逆から来たので、ここを降りて駐車場へ行くことになった。
そして、まさに山門を出ようとする手前で、狛犬の囲いにある赤い文字をなんとなく見た。そこには、クッキリ、「神田市場青果卸売組合」「講元 一清」とあった。「あれっ、大将、これ見てよ」。
よく見れば、一対の狛犬の台にも、「神田市場講」の文字がクッキリ。いちばん下の画像。そしてそして、山門の仁王のところには、「東京 木場 竪川 講社」の文字が。大将が叫んだ、「これみんな東京の下町の講の寄進なんだよ」「ほら、これは立石だ」「おっ、これは八州だ」
山門の見事な細工の灯篭には、「深川 巽 講」の文字が、かっこいい。
おれたちは、イマイチ何か欠けているような気がして探していたものを、その大事な手がかりを、ついにみつけたのだった。またもや、大将は夢中で写真を撮りはじめた。彼は、どんな本や教科書より、自身の歴史を語る何かを発見したにちがいなかった。
大将は、八丁堀で隅田川に親しんで育ち、いまも親しんでいる。隅田川は荒川につながり、荒川をさかのぼると秩父の源流地帯にいたる。東京の水源地帯でもある。三峰神社を抱く三峰山塊は、その大きな一角を占める。
前夜、大将は宿の古老に聞いた。荒川を通して、上流と下流は交流があったと思うけど、材木や産物の売り買いだけではない、もっと何かつながりあったのじゃないか。この問いに古老は、うまく答えられなかった。どうもイマイチ胸にストンとこないもやもやが残った。
そのもやもやが晴れた。「三峰山」の扁額を掲げた山門で見つけた講社の痕跡は、東京の生活と三峰神社、三峰神社がある三峰山塊、その山林や土地の暮らしと深いつながりを物語るものだった。これだけの山門、これだけの灯篭など、その金額は相当なものだろうけど、それを東京の町々の人びとの集まりである講が寄進している。これは、何を意味するのだろうか。おれたちの、思いは、ぶっとんだ。「これだよ、これ」。森林再生への道筋が、すこし見えてきた、ような、気がした。か。絶望のなかの針の穴ていどの光明か。いや簾から差し込む光ぐらいにはなるか。
三峰山塊を登りつめると、東京都の最高峰、雲取山(2017m)にいたる。雲取山のピークは3都県境になる。北が埼玉県で荒川の源流地帯である三峰山塊、南は山梨県、そして東は東京都で多摩川の源流地帯だ。荒川と多摩川、東京の生活と深い関わりのある二つの川は同じ山に源を発している。だけど、三峰神社に見られる講社の活動があった当時ほどは、都心の人間は、この山岳や山林に関心を持っていないだろう。山林地域と都心の生活のあいだにあったつながりは、どこかで切れてしまったのだ、ろうか。秋葉原駅そばの神田市場の跡に最近再開発されて建つ大きなビルは、そこにあった三峰山とつながる生活のすべてを、都市の記憶から消してしまったのだろうか。
人間は、食物連鎖の頂点にたつという見方がある。そのイメージは、いかにも人間がピラミッドの頂点にいるようだ。しかし、べつの見方をしてみれば、人間の食は川の流れの中流域であるともイメージできる。つまり、口に入るまでが上流、口から肛門までの身体のなかの管が中流である人間、肛門からあとが下流だ。そういう一つの川筋に生きている。その最上流に位置するのが森林、もちろん水の源でもある。そして下流域は糞尿下水処理。都会の生活でも、糞尿とは毎日接している。自分の身体から出るものだしね。上流も農業ぐらいまでは、メディアの力を借りてイメージできるだろうか。だけど森林は遠い。これほどメディアが発達し本はあふれているのに、遠い距離を補う想像力は不足している。山の紅葉を見ても、他者の景色であって、そこに自分が生きること食べることを「読む」ことはない。
今日は、ここまで。
今日はメールのやりとりで、なんだか、おもしろい企画が持ち上がっている。実現すると、おもしろいそう。
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