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2007/12/26

大宮いづみや本店のルサンチマンの味はウニュムニュだった。

Nikomi_idumiya_oomiya071225ああ、もう、きのうになったか。シッカリ酔っているぞ。クソクラエ、だ。21日に書いた、女に「キモイ」といわれふられた新宿下層労働者が、ほんとに大宮いづみや本店のルサンチマンの味の煮込みを食べにきた。午前中にトツゼンの電話。午後、夕方までのあいだという。やつは夜のオシゴトなのだ。今日は、やることたくさんあったが、いいのだ。おれは男と女のためなら、仕事なんぞあとまわし。ついでに早めに出て、大宮ジュンク堂とロフトに寄ってから、いづみや本店へ。

男と前回会ったのは、このブログの2月19日に書いてあった。その前日に、新宿南口の長野屋食堂だった。どうも、長野屋食堂もいづみやも、ふられた男にはお似合いだな。もっとも、長野屋のときには、やつはまだ女と仲良くやっていたのだが。

ま、詳しく書いてもしょーがない。切ない話だ。けっきょく、なんだね、ま、そういうことなのだ。うすっぺらで派手で軽く楽しい方へ流れてゆくということだ。要領の悪い真面目な男は、鬱陶しいだけなのだ。

こいつとの出会いは、ホントおかしい。会えば、そのときの話になる。1992年ごろだったと思う。おれは、この男に新宿でユスリというかタカリというかにあった。それが最初だった。3丁目の末広亭の近く、「おれ、ム所から出たばかりで、一銭もないんだ、千円貸してくんないか、必ず働いて返すから」と、ヘタな言い草で、おれより上背はあって、両手をズボンに突っ込み肩をいからせてはいたが、人のよさそうな童顔がまだ残って、ほんとに返してくれそうな顔をしていた。

おれは、ちょうどそのとき財布の中に千円札一枚しかなかった。財布を開けてみせて、貸してもいいがおれもこれしかないから無くなると言ったら、ゲラゲラ笑って「ほんとに、ねーんだな、たいがい千円を出せるぐらいは持っているのに、あーあついてねえ」って、真剣にユスリもタカリもしない、へんなやつだった。

「どうだ、カネなんか銀行にあるから飲みに行くか」と言ったら、じつは彼女を伊勢丹のところに待たせてあるという。カネもないのに彼女を誘って新宿に遊びに来たのだった。おれは銀行でカネをおろして、開店早々の池林房へ連れて行った。そのころおれは新宿から歩いて帰れる新宿御苑の千駄ヶ谷門の近くに住んでいた。泥酔のあげく、2人だから2千円と言って渡して別れた。その彼女と、いつどうして別れたかは知らない。そういうことは相手が話せば聞くが、おれはあまり関心がない。とにかく、教えておいた電話番号に電話がかかってきた。また会った。そのときには、おれの二回目の離婚は決まっていたような気がする。やつは、高校2年とき、両親をトツゼンの交通事故で失っている。兄弟はいない。それからチトおかしくなった。ま、そんなことは、いいだろう。

とにかく、2人でルサンチマンの味を食べながら、いったいルサンチマンはいけないのかよいのか、そういう問題ではないのか、その味は、煮込みじゃないとだせないのか、いやこれは160円の煮込みだというところがルサンチマン的味覚のキモなのではないか、などを話のツマにしながら、女との切ないイキサツを聞いたのだった。「キモイ」といわれたからといって、それが二度と会わないサヨナラとはかぎらないだろうが、やつの場合は完璧にサヨナラだ。別れ方がザツという気がしないでもないが、いまさら別れの美学を語ったところで仕方あるまい。今年は、男と女に関しては、おかしな釈然としないことが多いなり。

ルサンチマンの味を撮影してきた。わかるか、これが、ルサンチマンの味だ。160円。

関連
2007/11/18大宮いづみやで「ルサンチマンの味」を知る

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