熱海で文学的お散歩。街を読む。
きのうは、急いで書いたので、唐突だったかも知れないが、「高度俗物文化財保護」と「肥満擁護」は、「美醜観」においてつながっていると考えている。つまり肥満を「醜い」と思うようになった観念あるいは思想のたぐいは、また熱海に見られる「高度俗物文化財」といってよいような町並みを「醜い」と思うのではないか、ということなのだ。
このばあいの「高度俗物文化財」とは、猥雑さ雑多さが高度である、美しくいえば多様性と複雑性が、高度にからみあって組んず解れつ乱交状態にあるをいう。
で、その美醜観が大きく変った時期を考えてみると、1980年前後の10年間ぐらいのあいだではないかと思われる。ほかのことでも、この10年間の変化に、おれは注目しているわけだけど、70年代前半と80年代後半のあいだには、かなり激しい変化がある。
日本肥満学会は、その沿革をWebで見ると、「本学会は1977年に開始された文部省(現.文部科学省)の総合研究班会議を拡大し、肥満に関する問題の究明及び解決のための研究発表、情報交換、啓発を目的として、1980年、肥満研究会として発足し、第1回学術集会を開催しました。」とある。日本肥満学会は、日本の肥満を決める総元締めだが、ここはオカシイことに、厚生労働省ではなく文部科学省の系譜であり、かつそれなのに肥満を文化としてとらえることをしてない。
ま、そのことはとりあえず置いといて、肥満を「悪」「醜い」とする観念は、それ単独であるはずはなく、世の中のことはモロモロが関係するわけだから、その美醜観は、いろいろなところに関係している。都市や、その景観、あるいは建造物に対する、美醜観。
美醜観というのは、人間の、けっこうコアな大事な部分を占めていると思う。自分の美学のために、自分を殺したり、ひとを傷つけたりする人間だ。
ようするに、健康不健康、肥満痩身が生理を越えて美醜観に置き換えられ、そして個人固有のものであるはずの肉体と美醜観が、国だか政府の管理下におかれた。それは日本肥満学会の誕生と重なるのではないか。
コンニチ「美しい町」「健康な町」というのは、「上」から見て、管理しやすい町のことであり、「醜い町」「不健康な町」というのは、「上」が管理しにくい町のことにすぎない。
肥満は管理しにくいという「上」の都合が、美醜観に置き換えられ、ほんらい個人固有のことが「脅迫的」に管理下におかれた。と考えてみてもよいのではないか。じつに巧みな「統制」といえるだろう。
あ、何を書こうとしていたかわからなくなった。画像、いちばん上は、きのう掲載のソープランドを撮影した位置から右手の湯河原方面。ようするに、無理矢理の管理下に置こうとしなければ、このようにソープランドが健康的な観光の目抜きに存在しうる。しかも、このソープランドの建物は、風俗街のそれと比べると、周囲の環境に配慮した外観といえる。
もちろん、だからといって、それが理想だといっているのではない。これが、町が生まれ変わり生きてゆく自然の姿なのではないかと思ったのだ。「上」が管理しやすい「美しい」「健康な」町を、巨額を投入した再開発だのゾーンニングだのとやって、つくりあげるのは、すでにニュータウンというかつての「理想的郊外都市」の例を見るまでもなく、現実的じゃないのだ。
ま、それで、もう書くのがめんどうになったので、画像の説明。熱海駅から海岸線に下る、かつての最も繁華な温泉街だ。このあたりの変転衰亡の姿は、けっこう激しく、巨大なドラマを見ているようだ。廃墟と化した元旅館や、まだ真新しいまま入居者がいなく封印され丸ごと「売り物件」の建物。木造の昭和、そのあとの鉄筋の昭和、そのあいだに平成以後の管理的な美観の建物が生まれつつある。とある商店の店頭では、年寄りたちが、タマネギとニンクニの皮をむいては、ビニールの袋につめていた。熱海はベタな観光都市というイメージだが、けっこう生活臭のただよう町なのだ。
そうそうタイトルね。とかく「文学的お散歩」というと、なにかの文学屋の作品を読んで町や風景にあてはめることをする。ようするに頭の中に、図書館や書斎や本を詰めて散歩しているようなアンバイだ。そうではなく、見えたものを言葉で拾ったり、「なぜ」や「とは」などを考えながら街を読む散歩、それが本来の「文学的お散歩」なのではないかと思う。そして、それが、もしかすると、管理しやすい町を「美しい」とする美醜観にまみれた都市計画の横暴をやめさせ、自分たちの美醜観で町をつくる道なのかもしれない。と、熱海でボンヤリ、酒を飲んだ。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント