好事家的タワゴトからの脱出あるいは逃走。
8日の池袋で飲み会の前に、「古書 往来座」に寄った。そこで見つけたのが『文藝春秋デラックス』1976年2月号だ。全特集は「美味探求 世界の味 日本の味」。これには、知らなかったが、江原恵さんが「日本料理の雑種性」という一文を寄稿していた。あまり上手とは言えず、おもしろくない。彼は、このころ『庖丁文化論』でデビューしたばかりで、注目を浴び、あちこちに『庖丁文化論』の焼き直しダイジェスト版のような文章を書いていた。これも、そのひとつのようだ。
ときどき、当ブログで書いているが(たとえば、2007/10/17「普通」の一瞬の輝き。1977年キャンディーズ「普通の女の子に戻りたい」。)、食文化史的に見たばあい、1980年前後の10年間に、エポックメーキングな何かありそうでサムシングがヒクヒクするのだけど、そのへんの勘に引っかかるものが、この雑誌にてんこ盛りで、もう興奮している。
でも、今日は忙しいから簡単にしておこう。「一億総グルメ」なるものが「流行」するのは、この本から10年後ぐらい、1980年代なかごろから。グルメだけではない、簡単に言ってしまえば、こんにちまで支配的な、好事家的タワゴトが、あらゆる分野で台頭する。その特徴は、というと、ようするに好きなこと、好きなものしか見ない。かつ蒐集的で数を誇り(何軒くいたおしただの、何冊読んだだの)、仔細に詳しいことを好む。それを称して、世間では「マニアック」「マニア」「オタク」とか言うようになったが。
ニンゲンただでさえ、好きなこと、好きなものしか見ない。自分に都合よく考えるのがフツウだろう。そのビョーキがひどくなった。かつて赤塚行雄さんが1980年代を象徴する表現として「ワルノリ」という言葉をつかったのだが、それも関係しそうだし、それでチト思い出したことがあるから、忘れないようにメモしておきたい。以前、2005/11/27「東京に働く人々」に書いていたこと。………………………………
東京神田神保町の書肆アクセスで、「東京者(とうきょうもん)」というブックフェアを12月3日までやっている。これは、青柳隆雄さん、南陀楼綾繁さん、堀切直人さんの3人が選んだ「東京本」をそろえて販売するというものだ。そのカタログを先日、書肆アクセスの店長畠中さんにいただいた。
これは、トウゼン、その3人の好みの選択であるから、それはそれでよいのだが、「東京本」「東京人」という言葉が踊るとき、そのワクからいつも抜け落ちている東京をかんじる。今回も、また、なのだが、ま、文学的虚構の東京も、コンニチの東京の一面なのかも知れない。
今回のカテゴリーは、「浅草」「まち」「ひと」「時代」という分類であるが、リストアップされている本を見ると、やはり、たとえば東京南部に関わる本や作家は、ほとんどない。蒲田生まれ育ちの、だが浅草イメージの小沢昭一さんが、関係あるといえばあるぐらいだろうか。
かつての浅草の繁栄から現在の東京の繁栄を支えた「東京に働く人々」が、どうやら「庶民文化」という観念を通してはみえるようだが、かなり希薄な存在になっているのではないかと思われるのだ。あるいは、「南部労働者」や「葛飾労働者」を、「アカ」とみる偏見の伝統が、まだ根深くあるのだろうか。
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このとき、南陀楼さんほどのひとでも、こうなのだなあと思って、いったいナゼなのか気になっていた(たしか、南陀楼さんは、このブログを読んで、ご自分の日記に、小関智弘さんの本を一冊追加していたように記憶するが。それにしても、ナゼなのかという疑問は残った)。そして気がついた、南陀楼さんにかぎらず、近年「東京」を語るとき、じつに好事家的傾向が強い。ま、べつの言い方をすれば、「文学趣味的」ともいえるだろうか。
きっちり、というのは好きなこと好きなものだけではなく、歴史的社会的に、もとのデータを押さえることをしてない。いつのまにか圧倒的多数のはずの労働者の生活は消えてしまう。食にいたっては、その傾向が最も激しいようで、根拠のない好事家的タワゴトが大手を振っている。こういう時代へ傾斜したのは、1980年の前後10年ぐらいからの変化であり、おれたちはその歴史的流れに、少なからず影響されてコンニチ生きている。ある意味、好事家的ワルノリ人になっている。そのことについて無関心すぎやしないか。では、どんな影響だったのか。……とかとか考える。
きっちり、もとのデータを押さえてないエッセイだの、批評だの、文学などは、甘くも辛くもなる。かくて、お互いの傷をなめあうような甘口と、傷に砂をすりこむような辛口が横行することになった。どちらかへのワルノリであり、食べ歩き系のブログなどにもよく見られる。それは表裏の関係であり、甘いからよいとか辛いからよいということではない。とかく、辛口がエラソウにしているが、本質は甘い連中と同じ。
ところで、この『文藝春秋デラックス』には、「世界と日本の味を知る名著10冊」というコーナーがある。百目鬼恭三郎(どうめき きょうさぶろう)さんが書いている。10冊のなかには江原恵さんの『庖丁文化論』もある。そして邱永漢さんの『食は広州に在り』で、こんなことを書いている。
「美食に関するエッセイ集はたくさん出ているけど、中に盛られている情報に信頼の置けるのと同時に、文章に力があることと、著者に批評の目があるということ、つまり、広い意味の文学になり得ていることが必要なのである。」「そういう条件を満たしている第一の本として」、『食は広州に在り』が評価されている。
ふーん。
ま、とりあえず、思いついたことを忘れないうちにズラズラ書いて、トツジョ、本日はおわり。
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