「手づくり」ってなんじゃらほいホイ。
いま、日本の通俗的傾向は、大いに携帯やパソコンなどの機械製品を利用しながらの「手づくり礼賛」だ。
なぜ「手づくり礼賛」なのかというモンダイもあるが、2007/11/17「中野で淫売小屋をもらいカネに案でず泥酔」に画像を掲載したポルトガル土産のTシャツをもらってから、「手づくりとはナンジャラホイ」ということを考えてしまった。
このTシャツの胴とゴム編み?の首周りだが、その縫い付け方が、すごい。胴の首のところは、無造作に切った状態、あるいは織り上げた状態のままだ。そして、首の後ろがわのつなぎ目には、内側に、そこだけちゃんとテープで補強がなされている。いったい丁寧なのか雑なのか、ああ、文化がちがうんだねえ、の気分。
ゴム編み?の首周りは、虫が3か所ばかりくっていた。最初から虫のくっているものを使ったのか、流通店舗の過程でそうなったのか判断つかない。
とにかくすごく「手づくり感」にあふれている。ではあるが、もちろんメリヤス編みも含め布は機械製品であり、ほとんどはミシン加工であり、胸の淫売小屋の刺繍もミシン加工だ。
でも、日本の「手づくり礼賛」の感覚でいえば、これは十分「手づくり感覚」のものだろう。しかもなんだかとても「リサイクル感」もある。しかし、日本のコンニチの「手づくり礼賛」や「リサイクル礼賛」は、このように無造作に胴と首周りを縫い付けるような「貧乏くさい」ことは頭にないのではないか。実際、ほとんど見た記憶がない。
「手づくり」も歴史や文化があるのだから、時代や地域によって、その有様は異なる。しかも多分に感覚的だ。このブツは、その証明のように思えた。
だから、ますます、いまの日本の「手づくり礼賛」の「手づくり」とはナンジャラホイと考えてしまったのだ。
ねえ、自分で手づくりコロッケを作っているかどうかは知らないけど、店の手づくりコロッケとやらを買って食べて「手づくり礼賛」しているようなみなさん、その「手づくり」ってなんなのですか。そのことも考えずに、機械的に手づくりを礼賛する行為は、手づくりの思想に反する機械的な思想ではないのかな。
手づくりは自分でするもので、ひとの手づくりをほめていればよいというものではないだろう。そもそも「手づくり」だから、「よい」「うまい」なんてのは、まったく根拠がない。「手づくり」には手づくりの味わいがあるだけで、それは、作り手と受け手の関係のなかで決まるものじゃないだろうか。一般的普遍的に良い悪いどうのこうのいえるものではないと思う。それが、めんどうな言い方をすれば、「手づくりの歴史と文化」ということになるか。
そんなあたりまで考えて、まだなんとなく心さわぐザワザワ落ち着かない気分の「手づくり」なのだ。
文章にも「機械的」と「手づくり的」があると思う。文章で手づくりを礼賛したいのなら、人様の手づくりの料理をネタにつかい、機械的に「手づくり礼賛」をするのではなく、自分で作った料理をネタにするか、自分の文書を手づくりすべきじゃないのかな。機械的な紋切り型の「手づくり礼賛」なんか、インチキくさい、聞きたくねえよ。
このブログの文章なんか、まったくの手づくりだ。だから、ほら、バラつきがあって、「うまい」「よい」とはかぎらない。
しかし、おなじシャツの画像なのに、上は自然光、下はフラッシュ、こんなにちがうのだからなあ。
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コメント
なんで、ここに、そんなコメントを。
アクセスが欲しい気持はわかるけど、これじゃ「スパン」と同じでしょう。
投稿: エンテツ | 2007/12/03 00:28
はじめまして。私も最近ブログ始めました。よろしくお願いします。
投稿: ずーさん | 2007/12/02 14:19