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2008/01/23

農水省がなくなればよくなる。

おいおい、どーなってんだよ、といいたくなる。

尊敬する営業マンのオコトバを思い出しちゃったよ。かれは、文部省や学校など教育畑を対象にした営業を、長年つづけている。飲みながら「教育再生」の話をしていたとき、彼はキッパリと「文部省をなくせば、すくなくともいまよりよくなりますよ」と言った。なるほどと思ったのだが、下記の記事を読んで、そのことを思い出した。「農水省をなくせば、すくなくともいまよりよくなる」のではないか。


コメ、「学校給食の全部に」 意見相次ぐ 農水省会議で
2008年01月22日10時13分
http://www.asahi.com/politics/update/0122/TKY200801210499.html

 「コメ製のめんをもっと普及させよう」「学校給食を全部コメに」――。食料自給率が40%を割り、世界的に食料事情が逼迫(ひっぱく)する中で対策を探っている「食料の未来を描く戦略会議」(座長=生源寺真一・東大大学院教授)の4回目の会合がこのほどあり、主要穀物で唯一自給できていながら、需要減と価格下落が目立つコメの消費をどう増やすかの案が出席委員から相次いだ。

 「東南アジアで食べられているきしめんのようなコメのめんがある。これを、もっと日本で食べられるようにしてはどうか」。ベトナムの「フォー」を念頭に、こう発言したのは米倉弘昌・住友化学社長。コメ自体の消費量は年9%ずつ減っており、新たな需要を開拓していくべきだとの意見だ。

 野菜生産を手がける沢浦彰治・グリンリーフ社長と川勝平太・静岡文化芸術大学学長は「給食の影響は大きい。(小中学校の)給食すべてをコメにすべきだ」と主張した。文部科学省によると、国公私立の小中学校などで、給食で米飯が出る回数は06年度で週2.9回。3回に増やす目標を掲げるが、都市部などではなかなか増えないという。食文化をはぐくむにはパンなどを食べることも大切、との意見もある。

 コメを、ビーフンなどのめんやパンにして消費を増やそうという動きは出始めているが、コメの価格が輸入小麦の4、5倍もすることがネックになっているという。

 コラムニストのももせいづみさんは「食べ物を強制的に押しつけるようなメッセージはよくない」と述べた。

 昨年スタートした同会議は、3月に具体的な提言をまとめる方針だ。


なんとまあ幼稚な「戦略会議」の議論だこと。こんなこと、こんな連中に税金をつかっているのか。

このあいだ「くず米」のことを書いたが、「生産者」サイドには、「くず米」をそのまま市場に流すからコメ全体の価格が下がる、だからコメの粉食を開発し、高価格が維持できるコメだけを流通させようという考えがある。ま、よろしいんですけど、なんてのかな、まったく自分たちのご都合主義で、マーケティングの思想も方法もない。これじゃあ現代を生きていけないだろうな、と思う。

ま、粉食開発もけっこうだけど、そういう商品開発をやればやるほど、消費者の立場に立つことが求められる。そのことがわかっているのだろうか。

そもそもコンニチのような事態になったのは、食料を「国民」という動物のエサぐらいにしか考えていなかった農業行政があり、その下で、まるで国営事業のように成り立ってきた農業がある。そこをどうするかの「戦略」について議論がなくては、未来などとても描けない。

こういう調子だから、やはり「改革派学者」のダレソレさんのカムバックを期待したくなっちゃうんだよな。ほんと、こんな議論しているより、農水省をなくし、各県経済連を株式会社組織にし、自由にやらせたほうがよっぽどよいと思ってしまう。

生産者が消費者の立場に立つマーケティングをしないかぎり、どんな産業だって未来は描けないのだ。

もっと消費者の主体としてコメが選択され好まれるような「マイコメ」が必要なのさ。
いつまでも、日本人だからコメを食べるのがトーゼンといった「精神論」の押し付けじゃだめなのさ。

そういや、きのうのグリッツの話。あれは、挽き割りトウモロコシのお粥だが、「くず米」は、そのまま炊くからマズイといわれるのであって、お粥かなんかにしてトッピングに工夫して食べれば、またちがうはずだ。炊いてくうことを前提に品質を決めてしまうのは、「素材主義」の悪いところだろう。もっとも、くず米をおいしく食べられては、ますます米価の下落につながるか。国民が安くうまく食べられることをよろこべなくなった主食は、どういう存在価値があるのだろう。

アルコール米汁=清酒も、もっと安くなってほしい。もっと安くうまい清酒を飲みたいよ~。

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コメント

どうもありがとうございます。こういうことは、おおいに、「怒りに付和雷同」していただいたほうがうれしいですね。しかも、盛大にトコトン爆発していただき、大いに気をよくしています。

とにかく「国民飼育思想」は根強くて、「食文化」なんか口にするもうすら寒い状況です。

とくにこういう議論を知ると、いったい学校給食や子供の教育のことをどう考えているのかと思ってしまいます。そのくせ「食育」なんですから。いやはや。

投稿: エンテツ | 2008/01/24 08:51

怒りに付和雷同するつもりは無いのですが、「給食の影響は大きい」、「食文化をはぐくむには」とか聞いてやはり黙っていられないのです。自他共に認める雑食性で食さないものは無い人間ですが、それでも戦後は遠くなりにけりの「給食」は「経験の無い軍隊経験」並みに未だに否定的な印象しかありません。友人はこの制度によっても結局彼の好き嫌いを克服できなかったのものです。

給食に出た鯨などは今後とも食する気持ちを失っております。それにあのどうしようもないザウワークラウトなどを食したことは一生の不覚であります。私の世代で出た豆類も嫌悪の対象でしかないのです。

上の会議出席者には手弁当と言わず全く同じように拵え賄いされた給食を毎回強制的に食べさせて欲しいですね。それとも最近は給食センター民営化でケータリング業界のように質が上がっているのか?

しかし、上の議論からみるとどうも根本理念は農政の破綻を飼料によって解消する飼育でしかないように映りますね。まるでBSE飼料のようで気持ちが悪い。

ベトナム麺を提案しにお忙しい米倉を持ったような方にご足労願わなければいけない会議によって、「需要の落ちる物品の価格」が維持されようとしているのは異常な状態です。

ビーフンやベトナム乾麺など各々安く世界中に流通していますから、生で売れれば良いかもしれません。日本製のくず米と偽装して。

投稿: pfaelzerwein | 2008/01/23 17:14

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