世間を狭くしつつ弧底に生きる。
しかし、考えてみると、食育基本法に反対したり、カレーライス伝来説に異論を唱えたり、食べ歩き飲み歩きグルメをからかったりすることは、じつに損なことだ。
そもそも、おれはよかれと思ってやっていることだが、相手にとってや世間の常識からするとそうではない。おれは、そのようにして「孤立」を深めてきたのだなあ。よかれと思ってやるほど、嫌われるのだ。ま、やりかたが不器用で、上手とはいえないこともあるが。
これが「孤高に生きる」ということなら、それなりにカッコイイのだが、おれのばあい世俗にまみれた下品な男で、ヘドロの湖底で孤立するようなアンバイの泥まみれなのだ。
そうわが身をふりかえりながら、朝酒をすることのうまさよ。不器用な男でござんす。なんてね。でれでれでれでれ。
そうすると、チャイムが鳴って、ドアをあけると、ばあさんが2人。彼女たちは、必ず2人で来る。男のばあいは1人でというのが多いから、2人というのは、ばあさんでも女だから、なにかを警戒してのことだろうか。
なんとかというキリスト教系の人たちだ。おれは貧相なうえ寝巻き姿の無精ひげで、朝から酒臭い息で出るものだから、彼女たちは哀れな貧乏な孤独な1人暮らしの老人と思って、とことんターゲットにしている様子なのだ。そう思われても無理もないか。
おれはどこかの「島宇宙」に属するより、ひとりの湖底で酒を飲んでいるのが好きなのさ。くそくらえ。
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