鈴が落ちパソコン壊れアリャサッサ。
元旦の朝、パソコンが壊れる夢を見た。そして、パソコンは2日に壊れた。
12月28日に「パソコンが壊れそうな音を立てている」と書いた。なのに酒でただれた肉体は、めんどうくさがり、バックアップをとることはしなかった。だけど万が一壊れたら大事なデータを失うことになる。そのことは知っていた、気になっていた。だから大晦日の夜、正体を失うほど飲んで寝たのに、夢を見たのだ。やはりヤバイな、と思った。
仰ぐと、集落の人たちが、お天狗様とよぶ社の杉が見える。ひときわ高く、しかも上へ行くほど幹が二つに分かれているから、すぐわかる。その根元に、わずか20戸ほどの集落の守り神が、鎮座しているのだ。
かつて古老の一人が、「土地の神様がいるのに、それを大事にしない拝まないで、わざわざ遠くの神道の神社までお参りにいくなんてなあおかしいでねえか、万事がその調子だ」と言った。「地産地消」の主張と似ているなあと思いながら、もっともだと思った。神様まで、大都会が勢力を張っているのは、たしかにおかしい。
古老は「神道の神社」という言い方をする。自分とこの神様は、ずっとずっとむかしの大昔から自分たちの神様であったのに、いつのまにか「下(しも)」の都会や町の神社が神道ということで勢力をのばし、そちらが「上(うえ)」ということになった。そのことについて、古老は承服してない。自分とこの神様は、そういう神道とは関係ない、自分たちで祭り守ってきたものなのだ、これが自分たちの神様なのだ。
パソコンの壊れる夢を見たのは元旦の朝といっても、8時ごろ一度便所に起きて、また寝たあとだった。二度寝から覚めた床で、パソコンが壊れるかも知れない大事なデータを失うことになると思いながら、そうだ初詣はお天狗様へ行こうと決心した。
お天狗様へ登るには、30分も歩けばよいのだが、なにしろ急な険しい登りで、息が切れる。それを考えるとイヤだなと思う。だから、決心がいる。二年ぶりぐらいだろうか。アルコールが毛穴からしみだしそうな肉体を動かした。登り始めたら、意外に快調だった。これはこれは、どうしたことだ、おれは若返ったのか。文字どおり森閑とした林の中を行く。聞こえるのは自分の息と足の音だけ。
社というより祠だ。背後の大きな岩が、お天狗様の最も古い「御神体」らしい。自然崇拝の昔のカタチがしのばれる。祠は古いものを二つ並べて、ふっつけてしまった。このへんも神道など関係なく自分たちの流儀なのだな。鈴だって、錆びた古いのも捨てない、4つも並べてぶらさげている。
両手におさまるぐらいの賽銭箱に銭を入れ、右の鈴から勢いよく振って鳴らしていく。小さな鈴の音がガラガラと、元旦の静かな森に響いた。いい気分だ。ほら、神様、出てきやがれ、おれがお参りに来たぞ。
右から3番目、左から2番目の鈴を振ったときだ、鈴がひもからはずれ、ガラガラガラと山中に聞こえそうな大きな音を響かせ、祠の前の石の上に首が転がるように転がった。鈴をぶらさげている、布を編んだひもが腐っていて切れたのだ。
やれやれ、バチ当たりの鈴だ、おれがせっかくお参りに来たというのに。と、おれは思ったが、鈴や祠のほうにいわせたら、バチ当たりはおれかもしれない。とにかく、修繕の方法がないから、そのままにしてくだった。
翌2日、古老に、ひもが切れて鈴が落ちてしまった話をすると、「ああ、おれが行ってなおしておく」と機嫌よさげに笑い、また「土地の神様がいるのに、それを大事にしない拝まないで、わざわざ遠くの神道の神社までお参りにいくなんてなあおかしいでねえか、万事がその調子だ」と言った。どうやら、おれがお天狗様まで行って来たことで仲間を得たと思ったのか。
この古老が死んだら、お天狗様もどうなるかわからない。お天狗様から、さらに登った尾根筋には、お参りする人もいない、朽ちて草生すままの祠がいくつかあるのを見たことがある。
20戸ばかりの集落も、やがて、それらの祠と同じ運命をたどるかも知れない。そこにあったお天狗様の記憶と共に、消えるのだろう。
そして、2日、ついにパソコンは壊れ、大事なデータは失われた。昨年末に掲載したメールなどの文章は、ここに姿を残すことができたが、みなキレイに消えた。そして今日、やっと、ブログにアクセスできた。これが、おれの祠だろうか。
え~、新年早々、すみませんが、みなさまのメールアドレスなど、すっかりわからなくなりましたんで、「このバカヤロウ」とか書いてメールをいただけたら幸いです。おれのニフティのアドレスをご存知の方は、なるべくそちらのほうへ。
ことしも、どうか、よろしくお願い申し上げます。
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