旅する舌のつぶやき。
これは、管啓次郎(すが・けいじろう)さんの連載のタイトルだ。市販されてなかった、そして休刊のままのある食の専門誌の2001年12月号。その6回目、「移住者が舌を学ぶとき」。
いつどう変わったか、「ぼくには本当にはわからない」、70年代80年代の「朝鮮漬け」から「キムチ」への変化をふりかえりながら、菅さんは、こう書く……
「人の味覚は一世代で完全にとりかえることができる、それどころかときにはほんの数日で大きく変わる」とぼくはずっと思ってきたが、10年ごとの区切りで見たときの日本消費社会の食の嗜好の変化は、実際、あきれるほど大きなものではないだろか。
だが変化を強調するだけでは足りないところが、舌をめぐる文化のおもしろいところだ。言葉がそうだった。人は一世代で完全に新しい言葉へ乗り換えることができる。けれども一つの生涯において言葉を乗り換えた場合、以前の言葉の痕跡や、それに対する複合感情が、残らないことは珍しいだろう。おなじことが、食文化についてもいえる。両親なり祖父母の親しんだ味は、それから一見すっかり離れてしまったように見える子や孫の代にすら、突然浮上することがある。生活のあらゆる局面において、人は冒険主義と保守主義の気まぐれな併用を続けて生きてゆくものだ。日ごろは新しいものとの出会いをくりかえしていても、あるときふとわき起こる疑問「自分は何者なのか」という確認作業が、ときとして自分の両親や祖父母は何を食べていたのかという興味へつながってゆくことは自然な流れだろう。
……引用おわり。
そこで、拙著『汁かけめし快食學』だが、こうある。「食べ物の本はたくさんあって、いろいろな知識が得られる。しかし、イザ身近なところで、自分の親は何をどう食べていたのか、本を読んでも考えてみても、わからないことがたくさんある。祖父母にいたっては霧のかなたの景色を見るようなものだ。」
菅さんはロンドンで出会った、「日本人には何か対極的なまでに異質なものと感じられる」「正統的インド料理」を回想しながら、東京で各国料理を食べることについて、「それは「私」の舌の冒険主義と「かれら」の舌の伝統主義が、世界都市で一致点を見出している、ということだろう」という。
続いて引用……
それが商業的交換によって枠づけられていることは、仕方ない。人類の経済史において、食品はいつももっとも基本的な商品だった。食品とは徹底して現実的なモノであると同時に、味覚の体験を通してその来歴をうかがわせ、人を誘惑しつつ想像界を大きく育ててくれる。感覚の楽しみと認識のよろこびが、食にはつねに関わってくるのだ。現代の世界において、われわれは誰もが移住者として、移住者である他の人々と出会っているようだ。それぞれに異なった背景、知識、味つけを持ち寄り、少しずつ歩み寄り、発見を分かち合い、互いに少しずつ作り替えてゆく。
……引用おわり。
これは各国料理を食べるときだけはなく、生まれも育ちもちがう土地や人の料理を食べるときに体験することだし、食の楽しさのひとつは、このへんにあるのだと思う。おおっ、「想像界」ってこと。
こういうことを考えながら食べ歩くなら、バカっぽい食べ歩きグルメからの脱出あるいは逃走が可能なのではないかと思う。
おれたちの舌は、旅を続けている。
とりあえず、渋谷のリーさんの店へ行きたいな。
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