1980年は、未来に幻想を持てた最後の時代なんですよね。
北区まちづくり公社で「街よ!元気になれ」の編集会議。19時から。東十条駅北口そばの本屋で『東京生活』の昨年12月号、赤羽根・王子特集を買う。この本屋、意外に雑誌が揃っていて、ついでに飲食店関係の専門誌を立ち読み。コップにカップ酒のカップを使っている立ち食いそばで、天ぷらそば。
編集会議は、1回出席できなかったが3回目の出席。今回の特集「観光」の9割ぐらいがカタチになった。おれは「ごく私的な手づくり観光への誘い」を書いている。
プロの編集者はいない、まったくの素人集団だから、まさに住民の手づくりの冊子。手づくりの街づくりを地でいっているようなものだ。時間的には効率がよいとはいえないが、それはまあ「プロの論理」であって、これにはこれのよさがある。
東十条駅から公社へ行く途中に、東十条病院という大きな建物があったのだが、そこが真っ暗で、1階部分が鉄板で囲まれている。閉鎖のようだ。聞くと、医師不足によるものだとか。
それより前から気になっていたのは、画像。公社の前の、夜だと黒いコンクリートのカタマリでしかない建物。まったく人気はない。これは「飯田家」という看板がついたままの元料亭なのだ。こんなところに、こんな大きな料亭があったのもオドロキだが、王子の扇屋、十条の名前忘れたナントカ、そして東十条のここは、むかしから北区の割烹料亭の三指だったそうだ。それが、バブル崩壊後、全部こけた。その廃墟というわけだ。王子の扇屋は、料亭の営業はやめたが、卵焼きだけは有名で残っている。
「カタチあるものは滅びる」といわれ、それは魂の不滅をいいたいがためのコトバだろうが、現実は、そんなものじゃない。魂だの愛だのも不在なのだ。つくろうつなげようとしなければ消えるものもあるし、そうしようとしても崩壊するものもある。「1980年は、未来に幻想を持てた最後の時代なんですよね」というコトバを実感した。これは、出かける前にパララ見ていたパイソン本で、KERAことケラリーノ・サンドロヴィッチさんがいっていたことだ。
バブル崩壊によって生まれた、この黒いカタマリ。そしてその後の不況と、マスコミが「好況」と報じるところのイマ生まれた、東十条病院の、この元料亭の何倍もある黒いカタマリが、人間のナンセンスな営みのように思えた。そこで、どれだけのクソマジメな「芝居」が行われていたかを想像すると笑わずにはいられない。いや、まだ、クソマジメな「芝居」を続けているのだ。
そして、東十条の安い居酒屋へ行って飲みましたとさ。10時までといいながら、11時過ぎまで。これが、現実なのだ。
しかし、幻想とわかっていても幻想せずにいられない、信じがたい愛だけど愛さずにはいられない、むなしく終わるのがわかっていても希望を持たずにはいられない、そんな人間という生き物だから、さまざまな悲喜劇が生まれるのだな。街は、幻想と現実がせめぎあうところ。「ラーメンのうまさ」について談義しながら、そんなことをチラチラ考えていた。ラーメン。
画像は、1月17日の撮影。まもなく午前5時半。
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