うたは大事。うたのオベンキョウ。
ここんとこパンクだのなんだのと書いていたが、うたのオベンキョウになった。24時をまわったから、きのうのことだ。
大悪魔作戦は、大都会の片隅で誰にも知られず花を育てるようなもので、内容を詳しく公開できるものではない。自分の備忘録として、ここに関係者だけがわかる記録をしながら、ウフフ楽しんでいる。
なんでもプランつまり先の目標や目的があって進んでいるとは限らない。ほんとうは、そういうことのほうが多いし、たいがいは偶然の産物なのだ。偶然の産物であっても、「関係性」だけは必要だ。ま、たとえれば恋愛だが、たいがいプランなしで生まれる。んで、デイトしましょう、結婚しましょう、家を建てましょうプランになったりする。でも、「関係性」が壊れたら、それはチャラになってしまう。そのようなことが、この世には、たくさんあるわけだ。だから、プランはないが関係性だけを築く「作戦」が存在しうる。人間はプランだけでは生きられない。あたりまえ。そしてプランがなくても関係性さえあれば生きられることがある。一緒に何かを食べる関係性とかね。
ま、飲み人の会もそれにちかい。それぞれが、その関係性の在り方を考えることで、基本が成り立つ。お互いの関係性をよりよく保つことを考えなくなったらおわる。そういうことは、いくらでもあるが、とかく「組織」「集団」で何かをやっていると、忘れがちだ。大事なのは「関係性」なのだ。その一部分がプラン化されるにすぎない。
関係性に紆余曲折があるのは当然だ。言ってみてやってみて、言いすぎてやりすぎて、いけないところは改め直す。なんでもそうだが、人間なんかお粗末な動物だから、失敗があるのは当然で、むしろ失敗のあとの対処で人間の価値は決まる。
なーんてことで、「関係性」は、やはりうただってことで、国には国歌、学校には校歌、部に部歌があるように、「関係歌」あるいは「作戦歌」のオベンキョウになった。プランがなくても、うたで関係しうる関係に関するうたのオベンキョウ。って、また何を書いているかわからなくなったな。
新宿下層労働者のキモ男がいる近くの焼肉屋で、しこたま焼肉を食べて飲んだ。うたのオベンキョウ。カラオケルームへ行ったわけじゃない。歌手もうたも9割は知らなかった。だからオベンキョウなのだ。よい楽しいオベンキョウになった。この成果は、これからどうあらわれるか楽しみだ。そうなのだ、何かを生みだそうと思ったら、プランよりうたが大事なこともある。戦争だって平和だって、プランじゃなく、うたなのだ。とつぜん思い出したが、CMつくる連中は、いろんなうたを知っているな。うたが大事なのだ。とくに歌詞が大事だな、そういう話だったな、たしかに。
一つ気がかりなことが。心配だ。作戦メンバーの一人が、身体のぐあいが、あまりよくない状態らしい。忙しくしていて手遅れにならないよう、まずは、はやく医者に診てもらうことだ。うたがあるのだから。うたを続けよう、うたを。
コメント欄のpfaelzerweinさんのブログ「Wein, Weib und Gesang」には、 「ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)」のオコトバが掲げられている。…クリック地獄
おれ、どれも愛しんでいます。でも馬鹿のまま。
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