なにかが「街的」にチカチカしているのだが。
先日、古書現世のもくろく「逍遥」が送られてきた。その表4は、向井透史さんの「店番日記」だ。「わめぞ」の「古書往来座外市」のことが書いてあって、外市は「遊びじゃなくてビジネスとしてやっています、もちろん。逆にそうじゃないと続かないでしょう」と言っている。
「逆にそうじゃないと続かないでしょう」というのは、断定しすぎという感じがするけど、「遊びじゃなくてビジネスとしてやっています」に心強く思ったね。
きのう書いたように、おとといの夜、池袋で、向井さんや「わめぞ」一味と顔を合わせた。2007/02/17「24日の「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」」に書いたが、「わめぞ」にはピンとくるものがあって、特別な思い入れがある。
それは、おれが1980年代中ごろ、いろいろ「まちづくり」だの「地域活性化」だのということにからんで、その結果、おおいに疑問をもった。そのことについては、2006/01/04「初仕事できず、「新・国際社会学」などを読んだりして」に、すこし書いている。こんな、ぐあいに。
「ま、ついでにいえば、1980年代中ごろか後半、そういう「活性化」「街づくり」「地域おこし」ってのは、おかしいじゃないかと疑問をもった、暴走するプランナーおれとフクチャンは、新しいスタイルのイベントを開発しようと取り組んだのだが、やはりうまくいかなかったね。そのフクチャンは、もう40歳半ばか?毎年年賀状が来るが、今年は「ビジネスでがんばっています」とあった。そう、見た目のよい口先きれいごとの文化イベントなんかより、誠実で真摯なビジネスの方が、ずっと大事なのだと、おれたちはそのとき悟ったのだった。」
こういうイベントは、「地域の発展に貢献」の名目で、まだまだ続いているのだけど、べつの動きも活発になってきた。「わめぞ」などもそうだろう。かつておれがうまくやれなかったことを「わめぞ」がやってくれそうな感じがする。だから、おれは「わめぞ」に肩入れしたくなるのだな。ま、おれが肩入れなんかすると、かえって邪魔になるかもしれないが。
けっきょく、街の生業者・自営業者がどう生きていくかということに、仕組みとしてリンクしてないイベントは、「地域の発展に貢献する」といっていても、街づくり、つまりは生業者・自営業者が生きいくことにつながらない。イベントが成功した、イメージはよくなったとメディアが広告屋的な評価をしても、ビジネスをしっかり考えるひとが中心でないと、見た目のにぎわいはハデでも、そのかげで地域の生業者・自営業者の経営はジリ貧になるという例は、これまでもたくさんあったわけだ。それじゃあ、街づくりにならんのだな。
ひどいのにいたっては、ゲージュツ家だのを、税金優遇して田舎町に住んでもらって、ゲージュツ文化なイベントをやる。町中あげて、ゲージュツ家を奉り便宜をはかってやる。んで、たしかにイベントには、これまで町に来なかったような人たちが来る。そうして話題になり、そのゲージュツ家は知られるようになり、作品も売れるようになると、田舎町を出て都会へ行ってしまうし、そのイベントに来ていたひとたちも、そのゲージュツ家についた客だから、そちらへ行ってしまう。そもそも、ゲージュツ家は、町のひとに作品を売って食べていたわけではなく、メディアや都会の文化っぽいひとが客なのだから、トーゼンなのだ。そういう町の幹部にあったとき、「もうゲージュツ家は懲りた」といっていた。こういう例は、あのバブルのころにたくさんあって、「仕掛け人」なんて連中が活躍し、得したのは、その人たちとその周辺のゲージュツ文化人だけなのだ。町によっては、無理やり「芸術文化会館」のようなものをつくったり、疲弊を深めたところもある。いまでも、その残骸はアチコチにみられる。
その街その場所で収入を得ているひとが中心に、ビジネスをしっかり考えて積み上げていかないとな。きのうも、「街づくりの観光」の原稿を仕上げながらそう思った。
と、書いたあたりで、こうしちゃいられない。ちょうど時間と、なりました~。
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