酔態的状況と現実的状況。「下流の天才」は悲しい、か?
あわただしい。おもへば、年末から年度末というのが連続してあるのがいけないな。とくに予算年度ってのは、おかしな仕組みだ。3月決算の年度内予算で消化の仕事は、実質2月中にメドをつけなくてはならない。ところが、新年度の予算が決まって、継続以外の新規、とくに補助金関係は、そこに利権外郭団体がからんだりして、配分が決まって執行に移せる状態になるのが6月。実質10ヵ月で12ヵ月分の予算を消化する仕組みだ。そのためいろいろな不具合不都合がおきる。それを、毎年くりかえし、トウゼンのごとくやっている。
「上」で決まった予算が100万円だとすると、それがもろもろの団体やら企業を経由して、現場に20万~30万ぐらい。現場は、その少ないカネから利益を出さなくてはならないから、14ヵ月分の仕事を10ヵ月でやるような仕組みで肉体を酷使して利益を出す。あわただしさは、何倍にもなる。これで、マットウな仕事ができたら天才だ。でも、天才が、けっこういるのだなあ。その成果は「上」の連中が自分の手柄のような顔をしているから、表層にあらわれないが、「下流」は天才だらけだ。もともと、日本の高度経済成長も含め、日本の産業は、そういう「地上の星」にもなれない「下流の天才」が支えてきた。
とにかく、あわただしい。「下流の天才」にならなくては、やっていけない。
そりゃそうと、武藤良子さんのブログ「m.r.factory」の2月4日「気になる言葉」に、「先日、エンタツさんこと遠藤哲夫さんと飲んだ時に「人が死ぬとかそうゆうことじゃなくて、日常の中で悲しいことってあるだろう?ないのか?」と聞かれて何も答えられなかった。それから数日、頭の中をこの言葉が何度も往復する。でも何も思いつかない。苦しいとか、シンドイとか、寂しいとか、腹減ったとかでなく、日常の中で「悲しい」ってどういうことだろう。酔っ払ったエンテツさんにこの質問を何度かされた。そんなに人に聞くくらいだから、エンテツさんの中には日々生きていて「悲しい」ことがあるんだろう。でもそれが何かは聞くのを忘れた。」とあって、
えっ、おれ、そんなことを話していたのかと思ったが、そういわれてみると、確かに、そのようなことを話していたような気がする。
これ、2008/01/31「大車輪呑み、わめぞ激励。「雲のうえ」6号発行、えっ5号はもう「在庫切れ」涙。」に書いた、このとき初めて武藤さんと会って飲んだわけだが、酔っ払いのおれの言葉を、まだ気にされていたとは、酔っ払いの話もムダじゃねえな。いやあ、ははははは。日々生きていて「悲しい」ことあります。あるでしょう。
しかし、なんだね、退屈男さんのブログを見ると、この夜のことは、「武藤さんがエンテツさんを質問ぜめしていておもしろかったなぁ。」と書いている。いったい、どっちがどっちを質問攻めにしていたのだろうか。おれは、武藤さんに何を質問され、どう答えたのだろうか。ま、おれはウソと隠し事の天才だから、どんなに酔っても自分に都合の悪いことはいわないで、本当のことを話す。普段どおりだ。
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