ぎょうざ騒動の、感情的状況、政治的状況、実態的状況。
今回のぎょうざ騒動についてだ。財界指導者にも、マットウなことをいうひとがいると思った。しかし、たったこれだけの短い記事にしかならない。そこにも大新聞の腹がみえるようだ。
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asahi.com
http://www.asahi.com/business/update/0205/TKY200802050381.html
「まず企業が責任を」 経済同友会・桜井代表幹事が苦言
2008年02月05日20時18分
経済同友会の桜井正光代表幹事は5日の記者会見で、中国製冷凍ギョーザによる中毒事件について「日中両国政府や行政の課題として扱われているようだが、生産者、輸入者、販売者は、政府や行政に対応を投げるのでなく、直接的な責任をもって、原因究明と再発防止に当たるべきだ」と述べ、日中の関係企業の対応に苦言を呈した。
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まったく、今回のジケンの対応のおかしさは、この点につきる。被害者の出てない、「不正表示」「うそつき食品」問題などで、あれほど大騒ぎして企業を追い詰めたマスコミも、今回は、ずいぶん手ぬるい。ほら、赤福やなんかで、マスコミが企業に押しかけて騒いだ、イチオウ、企業の責任を追及するようなバカ騒ぎをしたのと比べたら、今回は、これほど大きなジケンなのに、企業は割りと「楽」をしている。
そもそも、食品に生産者や販売者や輸入代理店などの「表示」があるのは、なんのためか、わかっているのだろうか。これは、食品に関する直接的な全責任の表示にほかならない。
今回のジケンに関するマスコミの報道は、最初から、このセンを踏み外していた。きわめて「高度」なとしか思えない「政治的配慮」が、「親中国」だろうと「反中国」だろうとなされ、また、ただ不安を煽るだけで「自給率問題」や「国産愛好奨励」にすりかえられた。そこにあらわれた、マスコミの態度は、最初から対中国モンダイだったのであり、であるから、これは簡単に企業レベルをこえて、政府や行政のモンダイになった。
2月1日付・読売社説は、「中国からの輸入食品に対する不安が広がっている。産地や賞味期限を偽った話とは、次元の違う出来事だ。」と、すでに方向をずらしている。
「産地や賞味期限」の偽りは、表示責任の問題であり、今回のジケンも、全責任の所在を表示している企業の責任問題であることは、トウゼンであるはずだ。なのに、最初から、このようにエラそうに「次元」を持ち出し、つまり「政治的」次元、「国家的」次元のことにしたかった。
ばかをいっちゃいけない。食料や食品の輸出入は、企業責任で行われてきたのではないのか。あの小泉首相の「反中国」政策の最中だって、その交易は拡大してきた。そもそも、政治的には「反中国」のフリで、経済関係の拡大に目をつぶっていたのが小泉政権だったといってよいぐらいで、であるからズサンな「日中」関係が築かれてきた。ま、それは、このさい問題にしないとしよう。
この読売新聞の社説のみっともなさは、
「問題の工場に発注した輸入元企業も、原因調査にあたるべきだろう。日本の消費者に対して、納得できる説明と再発防止策を示す責任がある。被害の発生から公表まで、時間がかかりすぎている点も不安だ。」といいながら、
「中国では、国内の各地でも、残留農薬などによる大規模な食品中毒が頻発している。中国全体が「食の安全」をあまりにも軽視しているのではないか。その姿勢が改まらない限り、根本的な解決にはならない。/ 昨年末に開かれた日中ハイレベル経済対話で両国は、「食品安全での協力」で合意した。中国に対しては、厳しく事態の改善を求めると同時に、食品管理の向上を支援する取り組みも必要だ。」といっていることだ。
この時点では、包装の穴は見つかっていない。それが見つかったのは、たしか、この翌日だったと思う。ここまで、一気に問題を責任企業からずらした。そのネライは、よくわかる。読売は、そういう新聞である。責任企業は大助かりだったであろう。最近の赤福や船場をめぐる騒ぎ方とくらべてみるがよい。
朝日新聞の社説にいたっては、脳みそは大丈夫かと言いたい。2008年02月05日(火曜日)のタイトルが、こうだ。「ギョーザ事件―解決は日中の試金石だ」って。
「真相がわからないのでは、的確な対策をとれない。それだけでなく、日本では中国食品に対する不信感がさらに深まり、中国では一方的に非難されたという反発も出てくるだろう。日中関係への影響も心配だ。」そんなに日中関係がシンパイなのか、さすが読売の「親米反中国」に対して「反米親中国」といわれる朝日だと言いたい。
「今回の事件は、長い間の停滞から再出発したばかりの日中両国にとって、大きな試金石といえる。冷静に協力し合って解決に導けば、中毒事件の打撃を減らし、成熟した関係への一歩ともなる。」だってさ。おれは、今回の事件については、べつに、そんなことは望んじゃいないよ。
「反中国」「親中国」といった枠組みを適用するのはやめてほしい。これは、国家や新聞などなくても生きていかなくてはならない、ましてや大国のことなどどうでもよい、日々の生活のことなのだ。
かつて、森永事件があった。窒素水銀事件もいくつかあった。PCB汚染。カネミ油事件にいたっては、まだ解決してない。雪印は、近年のジケンよりはるか以前、森永事件とおなじころに、やはりジケンを起こしている。で、これはよく言われることだが、森永は企業努力によって、その教訓をいかし、いまのところは二度とジケンを起こさないでいる。一方の雪印は、またもやだった。これは、ほんの例にすぎないが、それぐらい企業責任の取り方がちがうものである。
食品というのは日々のことであり、政府や政府間より需給の実態に合わせ、それこそヤミだろうとなんだろう取り引きされる。そこでは、つねに、直接の当事者の責任が、いちばん大きな問題なのだ。
今回の報道の、もう一つのおかしさは、なんだか日本は絶対安全ということになってしまう点だ。昨年の日本の生産者による農薬過剰農産物の廃棄処分ジケンなど忘れたらしい。日本では製造販売が禁止されているはずの農薬をつかっていたのは、どこの誰でしたでしょうかねえ。そいう意味じゃ、なんどやっても懲りないのが、国営のようなノキョーなのだろうか。日本は、安全ではない中国があることで安全幻想を生きる国なのだろうか。おれは「一国農業主義立国」なんて、ごめんだ。
とにかく、食品の生産から販売に直接関与する企業責任をはっきりさせないかぎり、安全は確立されない。政府や行政は、細かいところまで目は届かないし、その任でもない。しかし、そういう意味じゃ、日本は治安がよいということもあって、深夜から朝方に行われる食品配送の舞台では、どこで毒を入れられてもおかしくない状態が、けっこうある。それは今回のジケンとは関係ないが、いつ何か起きてもおかしくない状況は街中にある。
知り合いの料理研究家は、入り口周辺など外に食材を置いている飲食店には入らない。それが自己責任の取り方だと思っている。それぐらいの注意は必要かもしれない。おれは、そこまで気にしないが。
店のひとが出勤前に配送されるものが、無人の人通りのない店の前に積んであるのは日常だ。けっこう有名な飲食店でも、見かけるが、これからはそういうことも考え直さなくてはいけないのかなと思っている。
ひとりひとりの惰性の安全神話こそ問題視し、企業も個人も、もっと安全をめぐる直接責任を考えるよい機会だと思う。
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コメント
こういうジケンのときは、どこの国の政府や役人でも、まず自分の保身を考える。火の粉が自分にふりかからないようにするには、ジケンを自分の手中に握ること。そのうえで、できたら自分の手で解決したようなカタチにして、うやむやにしたいところはもみ消し、さらに利権支配を強固にすることをねらう。今回の日本と中国の政府や役人が考えているのは、そんなところだろう。
政府レベルのことになったら、平和ニッポンの清らかな水で育ったエリート役人なんか、みな内弁慶。どこの国相手でもおよびごし。武器持って戦うボウエイショウの高官ですら、たかりの接待ゴルフに熱心なぐらいなのだから。そういえば、あのジケンも、モリヤだけ叩いて終わりだ。万事その調子。
投稿: エンテツ | 2008/02/08 15:23
狂牛病騒ぎによく似てますな。
アメリカ産牛が危ないと騒ぎ立てたことで、いつの間にやら国産牛は安心という神話が成り立ってしまって、国内で狂牛病が発覚した時の騒ぎはどこへやら。
今回もあれだけ叩いてたのに「ミートホープの方がマシ」なんて声も聞こえてきたりしてね。
しかし、今回はハナっから政治決着しようってのが見え見えで、日本側は後手に回ってあたふたして、中国側は開き直りと、いつもの日中間の交渉事と何ら変わりませんな。
投稿: 吸う | 2008/02/08 12:02