知識は豊富だが知性は貧しい。
ということが、カトさんと飲んだあとの結論だった。考えたら、けっこうメンドウな問題をヨツパライやりながら話していたな。
「改革」「改革」といわれて10年以上たつけど、カトさんの見解でもあるし、おれもそれぐらいだろうとは思うが、東京=中央が歴史的に不当に握りしめてきて、地方自治にもどすべきこと(そのカネと権力)の1割も解決してない。カトさんの「試算」では5パーセントぐらいじゃないかということだったな。その極端な中央集権=東京一極集中が、日本の農業の衰退に大いに関係している。しかし、そのハッキリ行き詰まりをみせている体制が、なぜこのように保たれているのか。あら不思議な。
中央の政治家と官僚と中央紙(「全国紙」ではなく「中央紙」とよぶべき)を頂点とするマスコミ、そこにむらがる「知識人」ってな連中のユルイうんこな退廃。その退廃ぶりも、近頃は、じつに堂々としていて、完全に判断力を失っているとしか思えない。この人たち、みな高学歴なのだ。いまや大学院卒なんてのは、めずらしくない。だけど、その醜態。
宮崎県の東国原知事は、大学院卒ではなくて、お笑い系?「宮崎に高速道路は不可欠。道路特定財源・暫定税率は維持せよ」といったらしい。カトさんは、あまり納得していないようだったが、おれはあるていど理解できるといった。東京の世田谷あたりで環境だのエコだの「いのちをいただく」とかいっているひとたちにとっては、高速道路など、これ以上いらないということになるだろう。もうじゅうぶん発達した交通網の恩恵をこうむっているからだ。
たとえば、世田谷の中流意識家庭のテーブルの自然の彩りを演出する花は、宮崎の奥地で生産され、航空機で東京に運ばれているかもしれない。その産地では、東京に出荷する以外、生きていく市場がない。九州の大消費地である福岡へ出荷するより、東京へ出荷するほうがうまくいく交通運輸市場体系になっている。たかがカーネーション一本でも、そうなのだ。そして世田谷の児童の医療費はタダになるらしいが、宮崎じゃどうだろうか。
宮崎だけではなく九州全域の交通網の整備は、九州の広域経済のためには必要のように思う。東京市場に頼らない、それこそ足腰の強い「地産地消」の農業のためにも、必要のように思う。
モンダイは、そのために国の道路特定財源に頼らざるを得ないということなのだ。考えてみれば、宮崎県一地方のために道路特定財源あるのではない。あれはね、中央=東京のためにあるのです。そして、東京=中央の世田谷あたりに住んでいれば、そんなものはいらない、もう十分だ、エコの流れに逆行するということになる。だけど、東京一極集中を改めないかぎり、地方と地方に抱えられた自然は荒廃を深めるだけなのだ。
ま、東国原知事も土建会社のめんどうをみて支持基盤を固めるためにも、高速道が必要だと、それが本音かもしれないが。極端な東京一極集中を改めることを先延ばしにしてきたツケは、どうなるのだろうか。中央の官僚と政治家と中央紙を頂点とするマスコミのユルイうんこは、いつまで続くのだろうか。
そうそう、アノ防衛のモリヤの事件。たしか高級官僚の家族の親睦会みたいなのが問題になって、モリヤの妻も、どうなったか、とにかくああいうのね、知っているひとは知っているだろうけど、ようするにダンナの名刺をですよ、持って歩いている妻たちがいるのだな。ダンナの肩書を家族が利用する。有力者や有名人の妻や夫であるだけで利得にありつける構造は、どこの国にでもあるのだけど、中央集権一極集中が強いほど中央では、それはやりやすい。大きい利得だろうが小さい利得だろうが、やっている本人も、それはアタリマエの感覚だ。むかしは、たしか、もしかすると間違っているかも知れないが、経済一流、政治は二流、文化は三流といわれた日本だが、いまじゃ、経済も政治も文化も仲良く三流。
おれが新聞をとらなくなったのは、1980年代の後半からだったと思う。そのころから新聞は大変つまらなくなった。いまクソマジメに読んでいる人たちを不思議に思う。最近の環境だの食だの騒動は、まんま、コメディだよ。でも、きっと、みなさまがたは、おもしろいツマラナイではなく、もっと高度なお考えがあってのことなのでしょうね。テレビもあまり見なかったが、10年前ぐらいに壊れてからは、ない。どれもいらないと言うつもりはないが、それらはもう三流のユルイうんこの存在証明でしかない。
かくいうおれは五流なので、三流なんか用はないのだ。そこで「まけへんで」なんですわ。
いやあ、しかし、この「まけへんで」には負けました。ニオイ、アジ、もうウグググググッと大変きたえられる。もう怖いものなしだ。
この甲類焼酎、前から近所の、おれがD級スーパーというところのボックスストアで、3リットル入りぐらいのペットボトルがどかんと並んでいて、どんなもんだろうかと気になっていた。んで、べつのスーパーに、このワンカップがあるのを見つけた。思わず買って、わくわくキャップをあけ、鼻を近づけた。ウグッ。
原材料の表示を見ると、「糖蜜」「タピオカ」だ。この「糖蜜」には、まいったね。砂糖の製造工程では「廃糖蜜」といわれているのに、工業製品の原料表示のばあいは「糖蜜」に変わってしまう。そりゃまあ、いかにも「廃糖蜜」では、売りにくい。しかし、これ、ユルイうんこたちにのませてやりたい。そういうニオイとアジなのだ。肉体が、どかん、ブルブルびしっとしますです。
なにを書いているか、わかりません。おおっ、24時半だ。早く寝て明日に備えなくては。
ぼくはもうつかれきってしまってね~
歩いて飲んで「まけへんで」
ひらきなおってカモメをかいた
ひらきなおっても、なかなか飲めない「まけへんで」
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コメント
どーもありがとうございます。
九州の各県の知事が集まるには、どこがお互いに行きやすく便利でよいか、ということになると東京である。という話が、よく笑い話のように用いられるのですが、ほんとにそんな状態なのです。
よその国のことは知らないのですが、日本の場合やはり東京一極集中が極端かつ強固で、すでに行き詰まっているのに、なかなか変わることができない。
地方レベルでも、県都一極集中が、中央レベルの入れ子構造のようにあって、なんともおかしなことになっています。
道路行政も実際に動き出すと、政治家と官僚は利権のことだけで、カネがどう動くかにしか関心がないし。
いったいどうなるか考えても、いつも、これはもう行き着くところまでいって崩壊するしかないのだろう、という感じなのであります。「秀才」といわれた高学歴者が、よってたかってこのアリサマですから、アタシは酒でも呑んでいるより仕方ない。
投稿: エンテツ | 2008/02/28 23:55
お疲れのところをお邪魔します。
交通網を頭に描くとその社会経済や文化などが分かりますね。日本の場合東京を中心に如何に中央集権を強固に効果的に運用出来るかが最上の目標です。そのために全ての税金が費やさされます。例えば、名古屋・富山、大阪・鳥取等々など文化経済圏としてもっと旨く機能しても良いものがこうした中央集権システムでは働かない。
しかし、歴史的に経験が薄いので「地産地消」もどこか江戸時代の名産育成のようにしか聞こえない。本当は、地元は良いものを地場消費だけでなく交易しないと経済的な面白味はないのですから、近くに市場や職場があれば最も効率が良いのでしょう。すると道路も欲しい。そして、需要があれば、全てはローマに繋がる必要もないのですね。
例えばドイツの場合、道路網も態々遠回りすることが避けられるように整備されて行くのでますます効率が良くなる。するとますます地元の経済が強化される。また連邦制といっても機能的に分都されているので、その州首都に集中することはない。つまり、交通渋滞が避けられる。これは、フランス(既に議論がある)や英国が未だに中央集権であるのに対して今後とも優位な点です。
投稿: pfaelzerwein | 2008/02/28 15:04