アジフライに関する無限的研究 その6
女将……このアジフライはね、いまナマのアジをひらいて揚げたの。ひらきたてのアジだから、おいしいよ。
いのちをいただく派の客……なんですか、「アジ」なんて呼び捨てはイケマセン。「アジさん」「アジさま」と呼びなさい。人間と同じいのちを持っているんですよ。ほんとうに近頃の日本人は、「食べ物」が「いのち」であるということを忘れている。ああ、日本の社会は狂っている、私だけが正しい、なんて嘆かわしいのでしょう。ああ、わたしはほかのバカな日本人とちがって「いのちの大切さ」を知っているオリコウな神様のような人間なのです。そんな私にウットリしちゃうわ。ほら、こんなこという私って尊敬されるでしょ。「食べ物」は「食品」ではなくて、「いのち」であるということを、ちゃんと見つめなさい。
女将……へっ、酔っているのかい。えらそうに、なにいってんだい、この唐変木。そんなこといっているから、いつまでたっても食品の見分け方も覚えないし、上手な食べ方も覚えないんだよ。「いのち」であるということをちゃんと見つめれば、おいしい料理がつくれるのかい。おいしくなかったら、子供や客は正直だから残すよ。ちゃんと料理しておいしくいただくことを考えたらどうなんだい。あんた、たかがアジフライを、こんなぐあいにおいしく作れるのかい。あんた、いつも料理がヘタで残されるから、「いのちをいただく」なんていう御託で食べさせようとしているんだろ。アジはアジ、サバはサバ、みなちがうんだ。そのちがいが、わかって料理しているかい。死んだら、どんどん鮮度も変わる、いのちのない食品だからね、そのちがいがわかってんのかい。あんた、だいたい、海で、そのアジさんとやらと一緒に生活できる「いのち」なのかい。あんたみたいなのがいるから、「地球に優しい商品を買おう」なんてエコマークをつけた偽者が出まわるんだよ。あんた、「いのちをいただく」だの「地球に優しい」なんていいながら、おかしなものを売っているんじゃないのかい、あの生協のように。
別の客……ああ、女将、そのアジフライはこっちによこして、その客は「いのちをいただく」のが好きなようだから、そこでウロウロしているゴキブリさんを生きているまま出してあげな。
というような不謹慎な会話はありませんでしたが、画像は、大衆酒場の有名店「中ざと」のもの。注文してからアジをひらいて揚げたもので、身から衣まで、ふわっサクサク、旨みジュワ。みなは「うまいっ」と興奮気味の声をあげ、あっというまに平らげてしまった。
みごとに正三角形に近い形をしていた。
2007/11/30
アジフライに関する無限的研究 その5
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コメント
おお、おけいさん、おめでとう。
そうか、あそこ、なくなったか。残念。
投稿: エンテツ | 2008/03/03 10:39
みなは「うまいっ」と興奮気味の声をあげ、あっというまに平らげてしまった
>それこそが大切なことであり、それ以上の「俺生きてる!感覚」なんてないと思います、理屈じゃない、「感覚」です。そしてそれは素晴らしいことだと思います。
ところで、豊島成果市場近辺は区画整理のため、過去あった大衆食堂はもう残っていませんでした(唯一田舎家という居酒屋が一軒残っていました)。残念ですがこれも仕方ないこと、ノスタルジーより前を向け!ですかね。
投稿: おけい | 2008/03/03 10:36