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2008/03/31

美しき厚顔無恥な脅し広告。

Maff02いやはや、これはもう、まさにコメディだね。「兵庫のおじさん」のネタにできそうだ。ほんうとに日本は大丈夫かとおもちゃうな。こんな広告にカネをかける農水省。

2008/03/05「『BRUTUS』が食堂特集とな。」と2008/03/07「小山薫堂さんのオコトバで、さらに輝いた北九州の食堂。」で話題にした『BRUTUS』3月15日号には、こんな、特別冊子の貼り込み広告があった。B5版フルカラー8ページ。そのなかの6ページを使用して、「福田利之さんの絵で綴る、小さな日本の大きな問題。」「考えてみませんか。わたしたちの、食べもののこと。」ってことだ。

いや、ま、それは考えるのはやぶさかではない。このブログでもさんざん考えてきた。しかし、この、ほとんど「脅し」にちかい、農水省の態度は、どうだろうか。それに、経済オンチじゃないかとおもうほど、「経済」が欠けている。農業は経済活動やってないの?経済に関係なく生きていくつもりなの?それとも国民に、経済に関係なく生きろといいたいの? たしかに、国が、そのように国民に「精神主義」を強制した時代があったことはあったが。

それはともかく、これからしばらく、この広告をネタにゆっくり遊ばせてもらうことにしよう。

「田んぼや畑にする土地が少ないので、みながいま食べているものを国内だけでは作ることができません。」といいながら、減反その他の政策で、休耕地を増やしてきたのはだれだ。豊かな耕地を、石ころとぺんぺん草の荒地や道路にしたのは、農水省の農政だろうが。全国一律の米作優遇の補助金政策で、変化する食生活のニーズに対応できない、経営能力のない農業を育て、需給バランスの悪い農業にしてしまった。結果、展望のない農業に失望し離農者は増えるわ、耕作放棄地は増えるわで、自給率まで下がったのではないか。そしていま「世界の食糧事情」を大上段にふりかざして、国民の食生活の変化、「豊かさ」を求める国民を脅し「悪者」にする。こんな手前勝手な、ご都合主義のリクツで、これからやっていけるとおもっているのだろうか。

もし、このまま世界中で
食べものが足りなくなってくれば、
どこの国も自分たちが食べるぶんを
大切にするでしょう。

食べものの価格が上がって、
取り合いの競争がはじまるかもしれません。

Maff03……こんなことを、国際会議の席上で、農水省の官僚は、クソマジメな顔で演説できるのかい。笑いものになるだろう。そもそもだよ、いま農水省がすすめている大規模経営農業の育成は、ほとんど輸入に頼るエネルギーがなくては成り立たないものではないか。そのエネルギーの争奪のほうが深刻だろうよ。

ま、とにかく、言いたいことはたくさんあるが、きょうはこの脅し広告を掲載しておくだけにする。この広告、表4を見ると、「マガジンハウス×MAFF」とあって(「MAFF」って農水省のことね)、『アンアン』『クロワッサン』『ハナコ』『ブルータス』『ターザン』(「クロワッサン」をのぞいて、みな英横文字表記)と誌名が並んでいる。いったい、この読者たちは、このていどの「ムード」にだまされやすいのだろうか。少なくとも農水省は、こういう広告で効果がでる相手だとみているのだろうな。ま、そうなのかもしれない。

考えろ、意識を変えろというのなら、こんな美しき脅し文句ではなく、キチンとした根拠のあるデータを出すべきだ。こんなガラクタのよせ集めのような文句をならべおって。


日本は山がちな国です。
わずかな平地にたくさんの人が住んでいます。

田んぼや畑にする土地が少ないので、
みながいま食べているものを
国内だけでは作ることができません。

もっと豊かな土地がある国では、
それぞれが得意な食べものを作り、
余ったぶんを輸出しています。

わたしたちが食べるもののなかで、
国内で作られているものは
4割です。
6割は、遠いよその国で
よその国の資源を使って作られ、
それをわざわざ運んでいます。

日本に住むみんなの食べものを
国内で作ろうとしたらどうなるでしょう?
……ほとんどが米と芋になってしまいます。
しかもギリギリの量しかできません。

もちろん、
よその国とちゃんと仲よくしていれば、
食べもののことを心配しなくてもよい、
という人もいます。

でも、世界の人口は
爆発的に増えていて、
このままでは
食べものの生産が追いつきません。

人々の生活が豊かになって、
肉や卵を食べる量が増えると、
そのエサとなる穀物は
もっともっと必要になります。

穀物をエネルギーの原料として利用する動きも、
これからどんどん盛んになっていくでしょう。

地球温暖化の影響で、砂漠化が進んだり、
気候も不安定になってきています。

食べものを作るためには、
たくさんの水が必要ですが、
それも足りなくなってきています。

もし、このまま世界中で
食べものが足りなくなってくれば、
どこの国も自分たちが食べるぶんを
大切にするでしょう。

食べものの価格が上がって、
取り合いの競争がはじまるかもしれません。

そうなると、食べものの多くを
よその国からの輸入に頼っている日本は、
困ってしまいます。

日本は山がちな国です。
たとえ国内の平地をすべて使っても、
いま食べているものを作るのに
必要な広さのやっと半分。
ぜんぜん足りません。

だからこそ、大切にしていきましょう。
食べものを生み出してくれる田んぼや畑を!

限られた田んぼや畑を荒さないように。
ちゃんと作物を植え、育ててもらうように。

わたしたちの食べものを、
わたしたちの手で守る。

これは、この国で生まれたわたしたちが、
この国で暮らしていくなかで
きちんと考えなければならない問題です。

みんながこの国で作られたものを
もっと手に取るようになれば、
問題は、一歩、解決に近づきます。

わたしたちの健康のために。
わたしたちのふるさとのために。
わたしたちの未来の子どものために。
そして、地球のみんなの環境のためにも。

あっ、ほかほかの
白いごはんが食べたいな。
Maff01


けっきょく、ゆきつくところは、コメのめしさえあればよいという、卵や肉をくうゼイタクは敵という、貧しい「エサの思想」なのだ。そこから一歩も出てない。あまりにも食生活の現実からかけはなれてしまった「エサ管理」思想。それこそが自給率低下の根底にあるものだ。

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2008/03/30

ツライ一日だった。

朝おきたら、二日酔いというかんじだった。ならばと、発泡酒とポン酒を呑んだ。肉体にガツンときて、調子が悪化。こんなことは、めったにない。どうやら、きのうは寒いなか外で呑んだから、風邪をひいたようなアンバイらしい。ひさしぶりに、絶不調のまま夜になった。が、しかし、よく寝たので、ほぼ回復。

とにかく、10時半からのラジオ文化放送をテープ録音しながら、ふとんのなかで聴く。うまく編集するものだ。汁かけめしのところは、ねこまんまの話から入ろうとおもっていたのに、そのときになって気が変わり、チト話が抽象的になってしまった。

そのきのうだが、ウチを出るのが遅くなってしまい、飛鳥山の花見はチョイと顔を出して、ご挨拶ていどにイッパイ呑んで、浅草へ。上野駅も浅草駅も大混雑。2,3分遅れたので、会場の呑み屋の前で、タノさんを待たしてしまった。混んでいることを見こして、大きな呑み屋にしたのだが、客が外に並ぶ混雑だった。ここで並ぶ景色を見たのは初めて。すでにシノさんが先に席を確保している3階で、3人で呑みはじめる。ほかの花見とのバッティングで、参加者は、これまでの最少、遅れて愛人7号が加わり、4人だけ。ビールのあと、焼酎のボトルを一本とる。

いつものようなガンガンワイワイではなく、しっかりオシャベリしながら呑む。こういうのも、いいものだ。8時過ぎ、ボトルがあいたところで、目白の公園でやっている「わめぞ」の花見に合流することにする。

目白駅で降り、キムラさんの携帯に電話して場所を確認。われわれ4人には縁がなさそうな学習院の前やら、そこはかとなく高貴な空気がただよう通りを歩く。そんなまちにも、酒の安売りスーパーは、ちゃあんとあるのだな。浦霞の普通の一升瓶を買う。

ポン女の近くで、もう一度場所を確認、すぐそばだった。名はあるのだろうけど名もなき小さな公園。こんなところで?誰もいなくて、奥まったところにいる唯一の集団が「わめぞ」だった。イチーロくん妻、往来座のセトさんなど、初めてのひとも少なくない。ひさしぶりのハタナカさん。先日一緒に呑んだばかりのキムラさん。ほか、いつものわめぞの主力たち。

さすが、地元民が選んだ場所だけあって、よい景色のところ。高台である。公園の奥の両側に大きな桜の木。両側から張り出した花をつけた枝が、額縁のようなアンバイで、そのむこうは低地にむかって下り、そのむこうに新宿の高層ビル街が見える。よい眺めに、常温だけど、やや冷たい浦霞のうまかったこと。

しかし、寒かった。とくべつに着込むことはしてなかったから、かなり冷えた。きれいなパンツをはいていったけど、とても裸踊りなんかできない。

何時ごろか、たぶん11時過ぎだろう、地元民ではないわれわれ4人は、お先に。駅まで歩くあいだに、完全に酔いがまわり、いつものように泥酔記憶喪失帰宅。

やはり、まだ本調子じゃないな。文章が湧かないから、このぐらいで、やめよう。

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2008/03/29

明日30日午前10時半から11時、ラジオ文化放送。

←左サイドバー「最近の記事」、2008/03/25「3月30日(日)午前10時半から文化放送」を参照ください。よろしく~。

関連
2008/03/19「文化放送「浜さん家のリビングルーム」。」

はて、きょうは、いくつかの花見と呑みが重なっている。ちかごろの花見は、どうも消費主義的体制順応的というか、心意気に欠けるようなかんじがする。70年代ぐらいまでの、花見は、そうじゃなかった。そもそも花見は、いまのようにメジャーではなかった。が、ようするにおれは呑めればよいのだな。でも、きょうは、一つ、いや二つか、心意気があるのがあるぞ。モンダイは、その前があるから、そこへ無事にたどりつけるかどうかだ。

「桜咲く放課後に~」って、銀杏BOYZ風パンクに、裸踊りでもやってくるか。いやいや、トシだから、おだやかにおだやかに、「ああ、日本人に生まれてよかった」と、うへへへへ、とほほほほほ。でも、イチオウ、きれいなパンツをはいてゆこう。ぐふふふ。

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春爛漫というけれど。

 四月、甘美なるせせらぎとして彼女はやってきて、五月には萌え出ずる丘のごときかぐわしさがあり、六月、彼らは固く抱き合い、二人の間には互いの瞳のまばたきの他、何ひとつ存在しなかった。


……っての。これ、どうかね。おれは、けっこう、うまいなあと思っている。季節の移り変わりを、日本人は花鳥風月のモノに頼りがちで、それはまあひとつの「美徳」なのだろうけど、そのかわり、なかなかこういう表現を創造しにくいように思う。それはまた、料理や味覚でも、旬や素材に頼りすぎたりする傾向と関係あるような気がする。

ま、それはそれとして、おれのばあい、このように四月の「甘美なるせせらぎとして」の女の記憶がない。秋から冬の枯葉舞う燗酒のなかに彼女はやってきて、春の花が咲く前に、花見酒をやることもなく、トラブルが発生するか、どうにかなっていた。不運な春よ。

ああ、四月の女って、どんなに「甘美なせせらぎ」なのだろうか、逢いたい逢ってみたい、おれはあんたの春を知らないのだ。すぐ春なんか終わってしまうじゃないか。と、モンモンとしていると、なぜか、「甘美なせせらぎ」で、新酒を思い出してしまうのだな。うーむ、あれは、まさしく「甘美なせせらぎ」だ。おお、そうだ、いよいよ新酒の季節だ、四月には蔵開きもあるぞ。なんて、これもまた、季節の移り変わりをモノに頼るカナシイ日本人のサガなのだろうか。ああっ。どのみち人生の春は、もうないのだ。新酒、呑むぞ。

じつは、引用の文は、その前後をつなげると、哀しい。失われた春の話だ。だからまた一層、この一節が、ピカッとひかる。のだが、略。

村上春樹 翻訳ライブラリー『マイ・ロスト・シティー』(スコット・フィッツジェラルド、村上春樹訳)の「哀しみの孔雀」から。

午前1時半すぎ、ロマンチックセンチメンタルな深夜の酔いどれ便でした。

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2008/03/28

「いのち」のこと読者からのメール。

だいぶ日にちが過ぎたが、読者からのメール。2008/03/02「劇場社会…過剰な自意識と自己陶酔による「いのち」とグルメ。メモ。」に対し、翌日の3月3日に、下記のような内容をいただいた。

> エンテツさま
>
> たまに寄らせていただいていますはじめは気持ち悪いと思っていたのですが(たぶん犬のイラストが気持ち悪かったんだと思います)一年前くらいから結構スキになってしまいました
> お子様を亡くされたというのを読んでなにか腑におちたのでメールをすることにしましたそのことだけではもちろんないのですが諦念とカナシミとパンクな精神がひしひし感じられ、でもちゃんと俗というかこっち側にいらっしゃるその姿勢に多いに好感をもっております
>
> さて、2008/03/02の記事についてわたしの認知ですが、『余生』という言葉がポイントなのかもと思いました大きな転換を経験した、前までの自分とは違ってしまったという意味で捉えていてその表現が楽でしっくり来るから『余生』を使うのではないかと
>
> お体を大切にどうぞたくさん飲んでたくさん書いて下さい
> (世田谷区在住(…すいません)●歳女子)


年齢は書いてあるのだが、ここでは●にする。ま、若い方だ。で、おれの返信は、遅れて9日になってしまい、その「2008/03/02の記事について」は、このように書いた。

> さて、2008/03/02の記事についてわたしの認知ですが、『余生』という言葉がポイントなのかもと思いました大きな転換を経験した、前までの自分とは違ってしまったという意味で捉えていてその表現が楽でしっくり来るから『余生』を使うのではないかと

この文章の感じからすると、もしかすると大病かなにかの体験がおありのような印象ですが、この話しは、まだとっかかりで、まだまだ続きますので、どうか、ゆっくりお考えいただければと思います。消費社会では、便利な道具を使うように便利な言葉をつかうと、思わぬことになる、オウムなどは、そういことも関係している。と、私は見ているのですが、一度にそれを書くと、長い長い「日記」になってしまうので、ただでさえ文章が長すぎると文句をいわれていますから、これでもばらばらのろのろ細かくゆっくり書いているツモリなのであります。


……と書いたまま、その後、直接には、このことにふれてない。でも、ここにも書いたように、これは1980年代以後の消費主義に関わっていることで、その意味じゃ、ちかごろ書いていることは、ほとんどが関係する。

そういうことは、たとえば、2008/02/29「「いのち=身体」の記号化とグルメの誕生。」にも書いた。

それで、きょうは、この読者のメールをここに紹介したついでに、もう一つ書いておく。このことだ。

ちかごろ話題の映画に、「いのちの食べかた」がある。この原題は「OUR DAILY BREAD」だから、言葉としては、「いのち」は関係ない。だけど、なぜ「いのち」という言葉がつかわれたのだろうか。そういうことも、関係しそうなのだ。

「いのちをいただく」というふうに使われる「いのち」、あるいは近頃の「余生感覚」は、おれ自身がプランニングで「いのちの産業」という言葉をつかった、1980年代後半ごろからの消費主義と深い関係がありそうだと、おれは考えているのだな。そして、これは、けっこうヤバイことであるとも思っている。ま、オウムは他人事ではない。そもそも、オウムとは、なんだったのか、なんなのかということが解明されてない。あれは、単なる宗教や信仰のことなのか。

ちかごろ、ある種の評判のよい「いのちの食べかた」「いのちをいただく」風のオシャレな雑誌、なんとなくエコ風とかスローフード風とかロハス風や、それを継承したような、そういうのをみると、ブキミなものを感じる。

で、まあ、そういう傾向の担い手というのを考えてみると、たいがい山の手風インテリ中間層が思い浮かび、ってえことになると中流意識の象徴でもあった「世田谷」が象徴的かな、ってことで、この読者の方に「(世田谷区在住(…すいません)」なんて書かせることになっている。

あの1980年代後半、世田谷区在住の、おれの知り合い夫妻は、おれより年上だったが、あるときから「いのち」だのなんだのについて妙なことを言い出したと思ったら、そのうち家丸ごと売り払って、どうやらそのカネを持って、オウムさんへ行ってしまった。実際そんなこともあったのだが、いまごろ、どうしているのか。

そのころ、東京・新宿区の信濃町駅近くのマンションで、中沢新一さんを囲むような会が、ときどき催されていたらしいのだが、一度おれは誘われてミーハー根性で参加したことがある。すごくたくさん集まって、すごい熱気だった。そのときも、妙なものを感じて、それに、なにしろおれはインテリは嫌いで、インテリよりヤクザ、紳士より野人が好きだから、それ1回しか行かなかったが。ブキミだった。

そういうことなど、いろいろ「いのち」に関しては思い出されるので、ま、ぼちぼち、思いついたときに書いておきたい。

とにかく、食や生活は、いつも現実的に考えるべきで、観念的になるとアブナイと思う。「栄養」という観念や、「いのち」という観念で、食や生活をみる、これは同根のアブナイことだと思う。であるから、「快食」であり、「気どるな、力強くめしをくえ」なのだ。

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2008/03/27

いいねえ「「自分探し」という不毛を超えて」だって。

←左サイドバーのリンクにある「雑誌『談』編集長によるBlog」を見たら、25日に「『談』最新号 特集「〈共に在る〉哲学」3月28日発行!!」の告知があった。なかに「◆河野哲也 「こころ」は環境と共にある……「自分探し」という不毛を超えて」と。…クリック地獄

「「自分探し」という不毛を超えて」って魅力的な見出しだ。「自分探し」だの「自己実現」だのという不毛は、もう「超える」べきだ。

「共に在る」って、もしかして、「個を超える」ということだろうか。それだと、なおオモシロイ。「共に在る」を考えない「個」なんて、それこそ1980年代以後の消費主義の「自己愛」がはまった隘路だもんな。

「共に在る」…「街的」な感じもある。気になる。

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萎えそうだけど萎えちゃいられない。

食堂で、フライ盛り合わせ定食を頼んだら、イカ、エビ、アジ。イカもエビも、ひとまわり小さくなっていた。そのうえ、アジフライは、半身、半分だよ! 尾がついているだけマシかと思いながら食べた。でも、もう片方は、だれが食べるか知らないけど、尾がないんだよなと思った。

好物といっていい、いわしの丸干し、いつもの大羽いわしが、おなじ値段ぐらいで中羽になっている。ま、味は問題ないが、気分がなあ。フランスパンを買ってくれば、値段はおなじでも、ひとまわり小さく、手に持ったかんじも軽くなっている。万事、その調子。

2008/02/15「小麦値上げのジレンマ。」にも書いたが、どのメーカーも飲食店そして家庭も「新値ごろ感」づくりが急ピッチだ。だけど、それ以上に、コストの上昇が急だ。来月は、さらに。

でも、「反中国愛国」で国産の高いもの買ってしのいじゃうもんね、日本人。そうやっているうちに、中国人は日本人が買わなくなった「毒」を食べてドンドン死んでくれるでしょう。なにしろ人口が多くたって日本人が「毒」だといって買わなくなったものを食べているんだろうから、それに、中国は土壌も海も川も「毒」まみれだというし、日本の森永ヒソ、カネミ油症、水俣、アスベスト…etc.なんてものじゃないはずだぜ、ドンドン死ぬはずだ。かくて憎っくき中国は死に絶えて、日本人は生き残れる。バンザーイ。報道などによれば、そういうことなのかなあ。

でも日本人は、「毒」は食べなくても、高いもの食べて「生活苦」で死にます。学校出ても展望はなく、日々の生活のために長時間労働サービス残業、朝から夜まで「自己実現」のためにコキ使われ、医者にも満足にかかれず。そして、みなが健診をしなくてはならないほどメタボで、ありがたい健康増進法やら自殺対策基本法なんてものがあるほど不健康自殺願望ヤケクソ殺人で、高いもの食べさせられながら死んでいくのです。南無アーメアラーまー。

はて、安い「毒」でも食べたい気分。とりあえず、アメリカ産牛肉を食べるか。

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2008/03/26

頭のほうがパンクしそう。

陽気は、ぽよよ~んとした春のフンイキなのに、でれでれあれこれパンクにやっていたら、なんだか、頭のほうがパンクしそうだ。

須田泰成さんからメールがあって、遅れていた、おれが登場する「マイコメ」の番組は、再来週から公開だそうだ。↑上の「お知らせ」にも告知した。それから、「兵庫のおじさん」は、DVDになるのだそうだ。その出版記念呑みをやるという。調べたら、4月2日発売予定で、ただいま予約受付中。アマゾン…クリック地獄

2008/02/26「酒が抜けきらない頭で兵庫のおじさんキャバクラ立国がはは。」に書いたことだが。「キャバクラ立国、エンテツさんと信濃路で話していた内容です。今後、膨らませていきますが、(C)にお名前を入れなければいけませんね。また、その辺りのテーマで飲めればと思っております」って。そうそう、あの話は、まだまだいくらでも膨らませることができる。こいつは、おもしろくなりますぜ。いやまあ、イッパイのませてもらえれば、名前なんぞ入れてもらわなくても。

須田さん監修の『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』(イースト・プレス)のうしろにある、須田さんのインタビュー集。KERAさんとのインタビューを読んでいたら、宮沢章夫さんの名前が出てきて、そういえば『茫然とする技術』(ちくま文庫)を買ったまま読んでないことを思い出し、読んでいる。

現実は本のなかより奇なり。茫然とする技術などなくても、ボーゼンとすることばかり。うぎゃぎゃぎゃぎゃ。

なんですかねえ、あいかわらずのライフスタイル論と世代論と細分化された趣味や市場の差異化にはまって、にっちもさっちもいかないこの状態は、コメディ以外のなにものでもなく、そこにパンクをしかけパンクさせるおもしろさがあるわけだな。キモめし、キモ酒、パンクにやる。

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2008/03/25

供給も消費も「強迫観念」だらけ。

2008/03/10「農家数の減少だけで農業や食料の不安を語るのはマチガイ。」で、農水省のデータをあげて、「現在、農水省が進めているのは、「効率的かつ安定的な農業経営」(食料・農業・農村基本法)をめざしての大規模経営の育成で、小規模経営の切捨てだから農家数が減るのはトウゼンだし、農家数の減少ほどは、経営耕地面積は減ってない。」と書いた。

ところが、さきほど知人から聞いて知ったのだが、おなじ農水省のデータでも、農家数より耕地面積が、ものすごーく著しく減少しているデータがある。

というのは、見かけのウソで、グラフだけみると、そのように見えるのだ。つまりグラフの作り方で、印象が変わってしまうのだな。

このデータ。「農水省/食料自給率とは」の「4、農業構造の変化」…クリック地獄

グラフのスケールのとりかたで、耕地面積だけが、ものスゴーク著しく減少しているように見える。だけど、統計数字が少しずれるが、農業就業者数が、昭和30年代の1487万人から268万人への減、耕地面積は601.2万ヘクタールから469.2万ヘクタールの減。前者は8割以上の減少に対して、後者は2割のぐらいの減。それがまあ、グラフでは、まったく逆にみえる。

わざとそのように見えるようにつくったのかどうかは知らないが、これは、いくらなんでもヒドイ。大きな誤解をあたえかねない。

ついでに。いま「食料自給率」をとりあげ、食料自給がひっぱくしている、だから高くても国産を買って日本の農業を買い支えなくては、まるで日本の将来がないかのような「煽り」が盛んだ。後日、これも農水省がやっている、そのスゴイ例をあげたいと思うが、そこでは、その脅威だけを煽り(脅威が、まったくないわけじゃないが)、食育基本法の制定のときにはあれほど大騒ぎ問題になったはずの、「廃棄率」のことは、まったく鳴りをひそめている。現実に対して、まったくバランスを欠いている。

そもそも「食料自給率」は、現実に食べられているものの自給割合ではない。それがあたかも、現実に食べているものの自給割合であるかのような「誤解」を招くような表現をしている。先のグラフのように。そこにまず、からくりがある。

この自給率というのは、国内生産と輸入の総数から出しているのだから、輸入を減らす政策が遂行されないかぎり、国産を買えば買うほど廃棄率は高まるハズという関係もある。足りないから足りないぶんを輸入しているのか?そんなことは経済活動においてはありえない。では、そこんとこは、どうなっているのか、どう政策的に解決されるのか。農水省は、なにを考えているのか。

ギョーザの一件以来、日本の食と農業についての関心は高まっているが、ただ不安を煽られるのではなく、シッカリ見て考えなくてはな。自分の「生活」だ。

しかし、供給も消費も「強迫観念」だらけ。そんなことで、よりよい選択ができるのだろうか。おれのような酔っ払いのグウタラが、こんなことをクソマジメに書かなくてはならないなんて。天下の高学歴高偏差値連中は、なにをやっているのだ。

このブログ、15時ごろから21時間のメンテナンスに入るようです。

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3月30日(日)午前10時半から文化放送。

2008/03/19「文化放送「浜さん家のリビングルーム」」に書いた収録の放送は、つぎの日曜日3月30日の午前10時半~11時です。大衆食堂、汁かけめし、昼酒、日本の農業と食生活などについて、浜美枝さんと話しています。30分番組で、収録も30分ぐらいだったけど、コマーシャルなどもあるから、実際放送されるのは20分ぐらいに編集されたものです。はて、どのようなアンバイか、おれも聴くまでワカラナイ。よろしく~。スポンサーはJAです。いいのです、JAでも。政治や消費主義にふりまわされない、生活のための農と食の、未来のために、燃えろよ燃えろ、燃え尽きるまで。ドピュッ。

あなたは、どうしていますか。

そうそう、おれは、けっこうロマンチストなのさ。

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2008/03/23

泥酔の記憶の底から発掘。

おとといの呑みで話題になったことを記憶の底から拾ってみた。忘れないようにメモ。6人で呑んでいると、3人ずつ向かい合ってすわり、おれは片方の端だったから、もう片方の端では何を話しているかわからないし加われないことが多い。いろいろな話がとびかっていたけど、たいがい酔って覚えてない。でもまあ、これだけ思い出した。「女ひとりで呑みに入れない酒場、あんど、入って失敗したこと」「八重洲ブックセンターにおける、大竹聡×太田和彦トークショーの景色」「いのちをいただく、について」「わめぞ絶賛、あんど、花見と呑み会のバッティング」「谷根千の終刊」「吉原、花街、馬肉系、東京の味その真相?」「商店街」「京成立石駅周辺は大阪の私鉄沿線駅周辺の雰囲気を感じられる」「赤羽や王子と千住の共通性とちがい」「やっぱり『「おたく」の精神史』は読みにくい、おなじ著者でも、小説の書き方についてはよいのに」「キモめし、キモ酒」

あと、山本謙治さんの『日本の「食」は安すぎる』(講談社+α新書)と、わめぞの武藤良子さんの大阪における個展の案内(「日曜おんな 武藤良子展、4月9日から20日、itohen/06-6292-2812)をいただいた。

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『汁かけめし快食學』が3000円?そして「ごはんにドレッシング」。

午前1時過ぎの、酔いどれ深夜便だ。愛してるよ~。二日酔いでヨレヨレしていた身体が、酒呑むと元気になるというのは、アル中化が進行しているからだろうか。

ようするに「食生活」なんかより「情報」なんですよ、ってことで、消費的には売れないで絶版にされた『汁かけめし快食學』だが、このあいだ、アマゾンに一冊だけ古本が売りに出ていて、3000円の値段がついていた。おどろいたが、それがその値段で売れたのか、なくなっている。ランキングがあがっているから、売れたにはちがいないのだろうが、3000円で売れたのだろうか。

ちかごろ話題の商品に、キューピーの「ごはんにドレッシング」ある。ああ、ついに、か。という感じだ。『汁かけめし快食學』も書いたが、時代が動くとき「汁かけめし」なのだ。ワンプレートクッキングは、だいぶ前から、フランス料理でも、一つの潮流だった。丼物とは器が皿か丼かのちがいだが、この「ごはんにドレッシング」は、「サラダごはん」というコンセプトを提起しているのだけど、ワンプレートクッキングを意識した感じもある。つまりは、「コメのめし=主食」と「おかず=副食」という関係の境目をまぎらわす方向がみられる。

それはともかく、このていどのドレッシングなら、自分でいろいろ混ぜてつくれる。すでに、ザ大衆食では、「断固オススメ ゲロめし」や「タマネギとトマトのレモン汁辛子漬け」において、汁かけめしがサラダになる可能性にも触れている。時代が動く、これから、ますます汁かけめしはおもしろくなるだろう。『汁かけめし快食學』は、3000円の価値があるのかもしれない。おれは儲からないが。

おれにとっては、大衆食も大衆食堂も金儲けになっていない。消費主義的なアプローチではなく、生活的なアプローチだから、消費情報的魅力に欠けるのだ。したがって市場性は低い。ま、それぐらいは、わかってやっていることだ。なにせ、テーマは「生活のなかの料理」だからな。大衆食や大衆食堂を「金稼ぎのネタ」にしやがってと、妬まれたり憎まれるほど儲けたいものだなあ。ぐふふふふ。

「キューピー ごはんにドレッシング」…クリック地獄

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2008/03/22

千住と上野の女難?の日。

きのう。北千住17時待ち合わせ。大阪の本社から東京に転勤してきた神戸女、その本社同僚で来京中の京女、京都で7年暮らしていまは東京に住む女、大阪生まれ育ちで結婚して千住に住む女、あんど、メールが届かなくて遅れて参加の東京っ子女。

なんと、おれ以外は、みな女だった。しかも、そろって仕事も酒量も強者という、こわさ。呑み横の呑み屋で、がんがん呑みながら、あれこれソレコレ話す。話はつきず。ビールのち焼酎だったかな。19時半ごろ、千住に住む女は中座。のち、上野へ出て、いつもの常磐線風客の多い呑み屋。燗酒を呑む。酔う。

とつぜん、後ろから頭をなでるように叩かれる。通路をはさんで後ろで呑んでいた、男2人女2人のうちの一人の女。おれの後ろ姿しか見てないはずなのに、なんで、おれに一目惚れしたのか。おれの横に座って、ぐいぐい身体を寄せてせまってくる、たすけて~、おれには好きな女がいるのだから、愛人1号のために男の貞操を守るのに必死なおれ。しかし、あの女、なんだったのだろう。一気に酔いがまわり、駅でみなと別れるとき、バンザイをしてたような記憶はあるが、あとはおぼろ。

きわどい話、おもしろい話が、たくさんあって、企画になりそうな話もあったような気がするけど、ほとんど記憶に残ってない。いま12時をすぎたところだけど、すこし頭痛が残っている。

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消費主義の特徴。

おととい20日の「10年前の『町雑誌 千住』のオコトバ。」に「消費主義者」を名のる方がコメントを残している。まさに消費主義の特徴を凝縮した文章なので、ここに掲載し教材とさせていただくとしよう。

………………………………………

自らが本媒体やネット上で情報発信していながら、「消費主義者」などという古くさい言葉で、いったい誰を攻撃しているのですか? 「大人でもなければ誠意も節度もない」客って、同じ店に貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?
失礼ですが正直、大衆食堂を「金稼ぎのネタ」にしている人間に偉そうなことをいわれたくないですね。あなたよりは、たとえミーハーであれ「消費主義者」のほうがマシだと私には思えます。「思わぬ「悪事」に利用される」ことを望まないなら、まずは書かないことです。自明でしょう。

………………………………………

文章を見ても何かを見ても、「情報」としてしかみない、「情報」しか拾わない。文章や、何かにある、上っ面だけみて、「奥行き」を読めない。

「「消費主義者」などという古くさい言葉で」といったふうに、「古いか」「新しいか」でみて、新しいことにしか価値を認めない。古い食堂や酒場をめぐるのも、それが新しいトレンドだからだ。

対象をシッカリ把握することをしない。事実や実態より、自分に都合のよい情報だけを大事にするから、「大衆食堂を「金稼ぎのネタ」にしている」といったことをいう。モノゴトを「気分」や「気持」に還元してしまう。

「「思わぬ「悪事」に利用される」ことを望まないなら、まずは書かないことです。自明でしょう。」。これは、カギのかかっていない家に入って盗みを働き、カギをかけてないのが悪いという論理の典型。多数派の開き直りともいえるか。「貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?」なんて、たちの悪い悪ガキの開き直り。ちかごろ、こういう論理が目立つが、消費主義がもたらす短絡のようだ。

情報は、ハサミのようなもので、その使い方が悪ければ、批判されるのは当然なのだ。ほんらい、むかしながらの「大衆食堂」でめしくう行為などは、消費主義に対する批評でもある。だけど、消費主義は、そのことを自覚できない。

「消費主義者」を名のりながら、「消費主義」と「生活のなかの消費」の区別もつかないようだ。たぶん、すべての言葉は情報にすぎないのだろう。「ミーハー」が「消費主義者」と一緒にされたら、「ミーハー」は可愛そうだ。

ついでに、最近のトラックバックにある、「消費者には〈情報〉が必要やけど、生活者に必要なのは〈情報〉でなく〈哲学〉や、ということです」という、「140B劇場-浅草・岸和田往復書簡」の「「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん。」もごらんあれ。

これは、2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」にいただいた、トラックバック。

さらに、2007/04/27「消費主義と、どうつきあうか」をごらんいただくとよいとおもう。

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2008/03/20

10年前の『町雑誌 千住』のオコトバ。

この本を見て、お店に出かけられる皆さんにお願いがあります。この号に、町雑誌千住編集部は総力で取り組み、私たちが本当にいいと思い、皆さんに知っていただきたいと感じたお店に取材をお願いしました。宣伝などは一切ありません。なかには夫婦だけでやっておられたりして、お客様が増えても困る、誠意のないお客に物見遊山で来てもらっても困ると取材を断られたお店も多く、そこを押してお願いし協力いただいたお店も少なくありません。千住には良いお店が本当に多いのですが、良いお店は良いお客との二人三脚でできるのだと今回多くのお店から教えていただきました。もうすでに二人三脚ができているお店も多いわけですので、あらためて出掛けられる皆さんは大人として誠意と節度をもってのれんをくぐっていただきたいのです。千住のお店の多くは人にやさしく、職人気質ではあっても、初めてのお客様も暖かく迎えてくれることと思います。その暖かさに甘えることなく、私たち客の側も誠意ある客になろうではありませんか。どうぞ私たちの趣旨をご理解いただいた上、本誌をご利用いただきますようお願いいたします。

……これは、『町雑誌 千住』3号の本文1ページめの扉にある。

1997年4月15日発行。特集が「千住名物 食べ処飲み処 part1」だったから、どうしても、こういうことを書いておきたくなったのだろう。おれが、当時、『町雑誌 千住』の編集発行のために一生懸命だったサトコさんと初めてあったのは、この号が出たあとぐらいだったのではないかと思う。

いまや下町酒場巡りの「古典」「バイブル」ともいうべき大川渉さんたちの『下町酒場巡礼』が四谷ラウンドから発行になったのは、翌年1998年10月。

思い返せば、まだ1997年4月ごろは、コンニチほど「下町」や「大衆酒場」は注目をあびていたわけではないが、それでも、このようなことを書かなくてはならない状態はあった。

その後、『町雑誌 千住』の編集制作に関わるみなさんとは、一緒に仕事をする機会もあったが、ようするにワレワレという言い方をするが、ワレワレは店と客が二人三脚でつくるような店と、そういう店がある町の魅力を伝え続けたいという願いがあった。こういう生き方、こういう在り方を、伝えていこう。そのためには、町や店を紹介し広く知っていただかなくてはならない。いま見ても、その記事には、「レトロ」のニオイすらない。町に生きる姿があるだけなのだ。そういうことだった。

しかし、事態は、ここに書かれた懸念が拡大する方向へ転がった。「下町」や「昭和」をキーワードに、「大衆酒場」「立ち飲み」といった細分化されたカテゴライズがすすみ、たえず新しいコトやモノを求め集める消費主義そのままが、この分野にもおよんだ。大人でもなければ誠意もない節度もない、ただの消費主義のカタマリが、カテゴリーごとに、まだ知らない入ったことのない店を「開拓」し、それをインターネット上に開陳し、誇らしげにしている。そこには、すでに、二人三脚でつくる店の姿も、そういう店がつくる町の姿もない。えらそうな、あるいは通ぶった、あるいは人情家ぶった、単なる情報の蒐集が、手軽なデジタルな写真と文章で並んでいるだけではないか。

で、店や町は、彼らのように「腐敗」するだろうか。おれは、そうは思わない。

さきほど用があって、ひさしぶりにサトコさんの元気がはじけるような声を電話で聴きながら、そう思った。そして、この雑誌を引っ張りだして見ているのだ。

現在の「町雑誌 千住」のホームページ…クリック地獄

しかし、近頃は、自分が「大衆食堂」だ「大衆酒場」だといっているのが嫌になるぐらい、大人でもなければ誠意も節度もない客が増えた。でも、いつか、彼らは去る。ブームというのは、そういうものだ。

いま気がついた、あれから10年たったのか。

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「恫喝的管理」と「芸術的管理」。

「芸術的管理」ってのが話題になってね。と、酒を呑みながら、男がいった。

おれ=なんだいそれは。
男=「よろこんでいうことをきく」管理を、そう呼んだらどうかという話です。研修で話題になったのです。
おれ=カネさえはらえば、たいがいよろこんでいうこときくだろう。
男=いや、それは、カネでつっているわけだし、カネがなくなったときの恐怖をおぼえさせるアメとムチのわけで、ある種の恫喝でもあるでしょ。これをやらなかったら、このカネは手に入らないぞという。
おれ=じゃ、カネがからまなければいいのかい。
男=いや、カネだけのことじゃないですね。無形の損得というのがありますよね。ようするに、いうことをきかないと嫌なおもいをするぞということを感じさせるのは、芸術的管理にならないのです。
おれ=そりゃまた、ずいぶん、美しい美談のような話じゃないか。
男=ね、だから、芸術的管理というのですよ。文化活動や芸術活動の分野では、よくあるでしょ。一銭の得にもならないことを、よろこんで献身的にやる。
おれ=そりゃ、宗教じゃないの。「宗教的管理」といったほうがいいんじゃないの。イベントなんかでは、よくあるだろ、カリスマみたいなのをつくりあげて、そのまわりに取り巻きを組織して。宗教ならカリスマのために働きカネまで貢じゃないか。いま、そういうセールスプロモーションだらけじゃないか、それみんな「芸術的管理」というのかい。
男=ひとつの究極の管理法ですね。
おれ=ある種の集団操作だな。でも、それは片方に恫喝的な管理があるから成り立つのだろ。恫喝的管理になれた身体か精神が、その芸術的管理とやらを同時にもとめる構図のような気がするなあ。
男=それはそうなんですよ。どのみち唯一最善の管理法なんてのはないから、いろいろ組み合わせなくてはならないし。
おれ=そりゃまあそうだけど、恫喝的管理と芸術的管理の組み合わせなんて、気持ち悪いなあ。どのみち、ロボットじゃないか。むかし「科学的管理法」ってのがあったけど、あれはどうなったの。
男=日本人にとっては、科学なんか方便ですから、あれはアイデンティティとか自律があってこそなんですよ。科学的管理法は、計数による管理ってことに矮小化され、恫喝的管理に立派にいきています。
おれ=ということは、芸術的管理というのは、非計数的管理ということだな。
男=そうでもないんですがね。というのも、管理する側には計数がありますから。管理される側に計数を意識させない、気分や精神や、ま、のりとか創造性とか、そういう満足ですよ。
おれ=なんか、それって、むかしの精神主義みたいで、ずいぶん古臭いものじゃないか。
男=いや、やはり、いまふうにオシャレなんですよ。むかしは集団がモノサシだったでしょ、いまは個人ですから。
おれ=個人というより自意識だろ。やさしい「わたくし」や美しい「わたくし」かわいそうな「わたくし」あとなんだ、ようするに「わたくし」という自意識。
男=でも、日本人のばあい、外へ出ればべつですが、国内にいるかぎりは、それなんですよ。「わたくし」が気分よいかどうか。それを拾いあげるのが「芸術的管理」だろうという。これは、こんどの研修で、そういうことが話題になったというだけですが。ひとつの「感動」の組織法というか管理法というか、そういうものとして。
おれ=それで、それが、なんかいい未来へつながるの。
男=いや、そういうことじゃなくて……

と、ぐたぐた昼酒を呑んで話しているうちに時間が過ぎたのだった。わかったようなわからんような、わからんようなわかったような話だった。だいたい「芸術」なんて言葉は、じつにあやしいものだ。

芸術って最低だな。芸術クソクラエ、感動クソクラエ。

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2008/03/19

文化放送「浜さん家のリビングルーム」。

きのう。14時から浜松町の文化放送で、ラジオ番組の収録。浜美枝さんがあるじの「浜さん家のリビングルーム」。

担当の放送作家は、松本尚久さん。99年11月23日の文化放送「吉田照美のやる気まんまん」の興味津々のコーナーで、『ぶっかけめしの悦楽』を語ったとき、お世話になった。浅草育ちで落語に詳しく、その後、落語会で何度か会っているし、亡き吉村平吉さんを紹介していただいた。

ラジオ番組の出演は、5回目ぐらいかな? だいたい要領はわかっている。つもりだった。スタジオに入って、浜さんと、担当のアナウンサー寺島尚正さんを紹介される。すこし雑談をして本番に入る。始まってスグ気がついたのだが、これまでと、かなり勝手がちがう。そもそも番組は、日曜日の午前10時半からの放送で、「やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客様を、我が家へお招きいたします。」と始まる。優雅な日曜日の朝、優雅な奥様との語らいのひとときという感じである。

スタジオに入る前に、松本さんには、「生放送のようにバタバタしませんから、のんびりした気分でやれます」といわれたのだが、たしかにそうなのだ。たしかにそうなのだが、これまでの番組のように(考えたら全部、生出演だった)、ハイテンションで勢いにまかせてしゃべることができない。とにかく優雅に、浜さんも美しく優雅な方だ。がさつで育ちの悪い男が土方姿のまま、座敷にすわらされたような感じ。

思っていたよりゆったりしたリズムですすむ。人間というのは短い時間に、いろいろ考えることに気がついた。たとえば、浜さんが「ごはん」という言い方をする、おれは「めし」という。勢いでしゃべっているときは気にならない、そのままなのだが、それが、「アレッ、おれも、ここは「ごはん」といったほうがよいかな」とか考えたりする。また、これまでは始まってしまえば、司会者は台本を見ながら進行するけど、おれはほとんど台本なんか見ない。ところが、ゆっくり見れちゃうのだ。すると、アレッここはこうじゃない、こういったほうがよいなと迷って、ちがうことを言ってしまう。そういうことが、瞬間的ではあるけど、考えてしまう「ゆとり」がある。なんとなく手持ち無沙汰でもあり、途中で、ボールペンをカチカチやって、すると音が出るから、寺島さんが指差して注意してくれる。アッいけねえと思って、やめるのだが、またやってしまって、こんどは浜さんに指差される。というぐあいで、ようやっと、会話の呼吸になれたころには、終了。だった。

浜さんの食の本は、以前に読んだことがあって、これまで会ったことがあるおばかさんなタレント女優さんとはちがうなという印象があったが、そのとおりだった。流行の借り物のことばではなく、よいものはよいとする、自分なりの考えを持っている。農政農業の分野でも活躍されているが、おれの「これまでの農業は政治にふりまわされすぎ」という話もきちんと上手に受け止めてもらえた。なんにせよ、会話の呼吸になれず、迷走するおれの話をうまくすくっていただき、たすかった。

この番組、JAがスポンサーで、JA全中の広報の方も立ち会っていた。

番組の中で、昼酒の話もしたのが、14時40分ごろ終わって、すぐ近くの秋田屋でイッパイやろうと勢い込んで行ったら、まだ開店してない。15時半からと書いてある。どうしようかなあと、ボンヤリしていると、「師匠!」と肩を叩かれた。なんと、商社マンのガブリ。「あれっ、大阪じゃないの」「きのうから出張できてましてね、終わったんで、羽田へ行く前にここでイッパイと思って」という。なんという偶然、2年前に大阪へ転勤になったのだから、3年ぶりぐらいだ。んじゃ、ひさしぶりだし、落ち着いたところで飲むかと、貿易センタービルに移動。生ビール、うめえっ。で、しこたま呑みながらオシャベリ。わかれて新橋で呑みながら仕事の打ち合わせ、わかれて一人で赤羽で呑んで尊敬するひとのことを考え、ヨレヨレ帰宅。帰ったら、その尊敬するひとからメールが入っていて返事をする。

この番組の放送は、台本には、3月30日(日曜日)とある。確認して、後日、ここに書きます。

浜美枝さんの浜美枝ダイアリー『あなたに逢いたくて』…クリック地獄
文化放送…クリック地獄
松本尚久のページ…クリック地獄

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2008/03/16

おれは「現代日本の賢人」ぞ。

きのうのエントリー「人生は不条理を生きるもの。」に書いた明日発売?の『dankaiパンチ』4月号が届いた。パラパラ見る。「大特集・サクセスフル・エイジング考」に、例のアンケートがのっている。タイトルは「サクセスフル・エイジング・アンケート」。ちゃんとした文化芸術学術な肩書のすごい人たちが28名、ずらり並ぶ。太田和彦さんや小泉武夫さんといった、飲食系有名人もいる。その中で、おれだけ「フリーライター」という存在の軽さ怪しさ臭さをプンプンただよわせている。

担当編集さんが、「プロフィール、以下のようでいいですか?」とメールで確認してきて、「いいよ~」と返事したプロフィールも、とても怪しい。「大衆食を愛し、安くてまずい店で気の合う仲間と過ごすのが好き。最近、自信作『汁かけめし快食学』が絶版となった。」である。なんと気がきく上手な編集さんだろう。

そして、大特集の最後のページは、「dankaiパンチ選 サクセスフル・エイジング語録」のタイトル。「特集の最後に、今特集に登場いただいた現代日本の賢人たちが、それぞれいつもそば置いていたり、自ら実践しているサクセスフル・エイジングのための言葉を拾いました」とある。数々あるオコトバから、赤田祐一編集人、森山裕之副編集長、美濃修、清田麻衣子ほか、などの優秀な編集部が選び抜いたものだ。

いいですか、「現代日本の賢人たち」ですぞ。

そこに、「成功に興味なく、貧乏を恐れず、欲望を超克することなく、欲望に身を任せつつ、ひとはひとおれはおれ。(遠藤哲夫)」と、あるではないか。

いやあ、だからって持ち上げるわけじゃないが、この『dankaiパンチ』、4月号で、ようやっと雑誌らしいスタートラインに立ったといえそうな出来になった。

かつての『平凡パンチ』といえば、クルマ・オンナ・ファッションで、若い男たちを消費好きの骨抜きにして、大衆消費社会をリードした。その主な読者層が「団塊の世代」だった。そのタマシイを継承しようとするかのような『dankaiパンチ』の「現代日本の賢人たち」のなかに、おれがいる。

ああ、日本の未来は明るい。みなさん、希望を持って生きましょう。現代日本の賢人おれと生きよう。死んでは、いけませんよ。酒、呑みすぎるなよ、ぐあいが悪くなるほど呑むんじゃねえぞ(無理か)。

ところで、「サクセスフル」って、うまい酒なの? どこの酒?

明後日の、ラジオ番組収録のための放送原稿がメールで送られてきて、まちがいの訂正やら、調べやら。

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三鷹で落語馬花コロッケそば主婦といのちとエトセトラ。

きのうのこと。19時から三鷹の武蔵野芸術劇場、落語馬花。アレコレ片付けることが多く、ぎりぎりの感じでうちを出る。15分前ごろ着。劇場入り口にハッピ姿で、すっかりスタッフになったコンマさん。受付に佐々木さんと青木ダンナ。なかに入ったら、すでに瀬尾さんが姉上あんど知人といた。その並びに座る。150席ほどの会場は、予約だけで満員御礼の盛況。この落語会は二つ目の3人の会なのだが、その動員力には、いつもおどろく。

初花、馬吉、ゲストの真打、喬太郎、トリが女流のこみち。初花は、喬太郎の新作「ハワイの雪」。初めて聴く。この作風をなんていうのか知らないが、「現代人情噺」とでもいうのか、好きあいながら結婚できなかった老男女、老女は嫁ぎ先のハワイで死の床にあって、好きだったひとの名をよぶ。その知らせを受けた日本の老爺が訪ねる、故郷の高田の雪を土産に持って。とうぜん雪は融けてなくなっている。老女は老爺の手の中で死ぬ。そのとき、ちょうど雪が降る。ハワイにはスキー場もあって雪が降るのだが。しんみり終わる。噺は、ハワイを訪ねる新潟県は高田の「とめきち」と「めぐみ」という祖父と孫娘の会話から始まる。そういえば、この落語馬花に初めて行ったのは、一昨年、めぐみさんに声をかけられて参加した呑み会で佐々木さんと会ったのがきっかけだったと思い出しながら聴く。初花は、ネタの選び方で、かなり芸の感じが変わる印象がある。そのへんの自分の芸のつくりかたが課題かもな、と思う。

馬吉は、一昨年の最初から器用で達者な印象があった。喬太郎は、ひさしぶりだった。そもそも最近は、あまり落語に行ってない。上手に枕で会場をわかせる。会場がわくから、さらに枕を続ける。いつ本題にはいるかと思っていたら、枕でやっていた立ち食いのコロッケそばの話を、ちゃんとつなげて「時そば」。このへんはもうベテランだ。トリのこみちは、一昨年の最初のときは、ちょうど前座から二つ目に昇進したばかりで、硬さがあったが、すっかり落ち着いた。ある種の貫禄が出て、男の口調にも違和感がなくなった。ただ、ストーリーを追うのにいそがしい感じがあって、表情の演技力などが課題かなという感想が残った。

21時すぎに終わって、瀬尾さん瀬尾姉さんと打上げに参加して呑もうということになり、会場へ。北口のだんまや水産。呑んでいるうちに、あとから初花、馬吉、こみちと佐々木さんコンマさんら関係者も到着。コンマさんは、おれのブログの読者で呑み人の会なのだが、なんと青木ダンナと大学時代からの友人なのだそうで、どこでつながっているかわからない。

佐々木、瀬尾、瀬尾姉とおれ、かたまって呑む。しばし、コロッケそばのこと。まったく、コロッケそばというのはおもしろいシロモノだ。そのことは、後日書くとしよう。瀬尾さんの主張「主婦のモンダイ」。なぜ、かくも「主婦」という言葉すら消えてゆくのか、瀬尾さんはオカシイという。そういえば「主婦の友」「主婦と生活」どうなった。「主婦」は、どうなった。そのことも後日書くとしよう。そりゃそうと商店街だ、その企画については、また別途呑みながらということに。「いのちをいただく」の正しさのおかしさ。話しは錯綜しつつ、佐々木さんが話す「緑にこだわる教授」のこと。エッそれって筑波常治さんのことじゃないのかい。そうそう筑波先生ですよ。おおっ健在なのか。なんと、筑波さんは、落語馬花に顔を出しているのだそうだ、あいかわらず緑のファッションで。懐かしく、筑波さんと会ったころ、江原生活料理研究所のころまで思い出す。

三鷹と北浦和は遠い。6百何十円かかる。チト寝不足で肉体がしんどかったし、清酒を呑むと帰りがつらそうだから、ビールでとおす。でも、だいぶ呑んだ。帰り、23時すぎになったのに気づき、あわててお先に失礼する。けっこう酔っていたのか、北浦和に着いたら、6百何十円かの切符が見つからない。財布を見たら百円玉三個しか残っていない。必死で切符をさがすが見つからず、冷静に判断し、赤羽から乗車したことにして、210円払って改札を出る。午前1時過ぎ帰宅。

ついでに、筑波常治さんのことを少し書いた記憶があるので検索してみた。今年になってからも書いていた。
2008/01/08
現実的な鍋料理。そして、あまりにも情緒的=文学的な「めし」。

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2008/03/15

北区の『街よ! 元気になれ』。

Kitaku_kankou2きょねんの10月末ごろに話があって関わってきた、東京都の北区まちづくり公社が発行する『街よ! 元気になれ』2008年春号が完成した。B5、本文34ページ。当ブログでも、ときどきそのことは書き、「観光」特集と呼んできたが、正しくは「「新北区紀行」~観光のススメ~」だ。『街よ! 元気になれ』は、年に2回発行され、一本は「地域版」、もう一本は「全区版」で、今回は後者になる。

全員がボランティアの企画編集委員会が、編集業務をやっている。そのほとんど、おれが編集会議であったひとたちだが、編集や印刷の知識のあるひとは一人もいない。デザインやレイアウトもイラストも素人で、みな自分たちでやる。予算も印刷代しかなく、まさに「手づくり」だ。そういうことでは、『雲のうえ』と対極にある。

企画編集委員の一人の方が、おれが『散歩の達人』に北区のことを書いたのをご覧になったのがきっかけで、当ブログやサイトを見るようになった。そして、おれに「会ってみたい」と思ったのが、そもそもの始まりらしい。その後、彼女と会議で同席したとき、彼女は、どうせボランティアでやっているのだから、自分がふだん会えない人、知らない人にあってみたい、そういう楽しみがなくては、ボランティアはやっていられないといった。ナルホド。

彼女からの最初のメールは、10月24日だった。

正直なところ北区で「観光」と言いましても、
私自身どう考えたらいいのか分からず困惑している状態ですので、
何をどう書いていただいたらいいのかすら頭に浮かびません。
そのような状態にもかかわらず、
遠藤様にこのような依頼文を送るとは失礼なことと思っております。
誠に申し訳ありません。

と、あった。そのテーマと、彼女の率直と積極にこころが動いた。それに、北区は、よく散歩というより呑みに行く好きなところだ。彼女は、そのメールをくれたあと、遠方に出かけ不在だったため、とりあえず、北区まちづくり公社がどんなところか知りたかったし、事務局の方にあって話を聞いた。できたら、月に1回の企画編集会議にも出てほしいとのことだった。

おれが書かなくてはならないのは、リード文に相当するものだった。ま、特集巻頭文だ。しかし、全体が、どのようになるか、わからない。おれが書くのは、4ページ。企画編集委員のダレソレさんが書くのは、○ページといったぐあいに、各自にページが割り当てられ、そこをそれぞれの興味や関心で埋める。というような作り方なのだ。

企画編集会議に出なくては、全体がどうなるかわからないから、書けない。ということもあって、いったい、こういう冊子は、どのようにつくられるのか、そもそも北区まちづくり公社は、なにをするところかという野次馬根性もあって、11月、12月、今年の1月は都合が悪く、2月というぐあいに参加した。原稿は1月末の締切りに間に合わせ、おととい13日の会議で完成品を受け取った。

簡単にいえば、編集の専門家から見たら、まったくダメな冊子だろう。だけど、これが、なかなかオモシロイのだ。それぞれが興味や関心のあることに向かっているから、なるほど表現はまずく、全体的なまとまりに欠けているが、それぞれの記事は、それぞれがキッチリ「対象」に向かっている。その素朴というか粗雑というか、荒っぽい熱意と姿勢が、ときには読みにくい見にくい表現をこえてしまう。

ま、ほかにも、いろいろ感じることがあり、大いに勉強になった。自分では、「プロ意識」などはもたずに、フツウの目線でやっているつもりだが、いつのまにか「専門家」らしき「高い」ところからの目線や、狭い教条にとらわれているものだ。とくに商業出版物は、読者対象を絞り込むのがフツウであり、嫌いなやつも好きなやつも、とにかく区民の全てを相手にしなくてはならないこういうものと、かなりちがう。

それは、『雲のうえ』のときも思ったことだが。知らず知らずに、みなマーケティングをやって、対象を絞ったりしている。経済活動を効率よくするためであり、それによって失われるものがある。ところが、それに慣れてしまう。作るほうも、読者も、そういうものに慣れてしまっている。メディア擦れしてるのだ。あちこちに批評を書いてカネをもらっている「評論家」が、ときどき「一読者」としてだの、「一愛好家」として、なんていいながら批評するが、おかしなことだ。だけど、そういうことにも気づかなくなる。

Kitaku_kankou1世間でメディアを通して評価される「成功」なんてのは、たいがいそういうものだ。ちかごろは「対費用効果」が政府や自治体でも幅を利かせているが、公共の「対費用効果」と企業の「対費用効果」のちがいが、明確であるかどうか、かなり疑問だ。ま、「上手、下手」の前に、やはり「愚直に」対象にせまっているかどうかだろう。この冊子のばあい、「作る」ことそのものが、ボランティアを媒介とするまちづくりになるという考え、そうあろうとしている。

と、また話が転がりそうだから、これぐらいにして。おれの原稿のタイトルは、「ごく私的な手づくり観光への誘い」。レイアウトはテキトウにやっていただいた。

北区に在住かお勤めの方、北区まちづくり公社では、ボランティアの企画編集委員を募集しています。また入手ご希望の方は、北区まちづくり公社まで。…クリック地獄

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人生は不条理を生きるもの。

深夜2時過ぎ。「dankaiパンチ blog」を見たら、03月14日に「dankaiパンチ4月号も3月17日(月)発売です」と森山さんが書いている。

今号は「サクセスフル・エイジング」特集です。
年齢というものを肯定的にとらえ、あくまで前進していくスピリットに
溢れるコンテンツが満載です。

……とも書いてある。
それで思い出した。だいぶ前に、その特集のアンケートの依頼があって、安い酒代ぐらいはもらえるので答えた。いま、メールで返信した内容が気になって、保存してあったそれを調べてみた。

すると、「質問 1 いま一番夢中になっていることは?」に、「とくにいまということではなく、むかしから夢中だが、酒と女とめし。注釈すれば、安く酔える酒、金のかからない女、安く満足できるめし、である。人生、これに勝るものはない。」なーんて答えている。

それがそのまま載るのだ。いやあ、ははははは。ほかの質問は、「 2 あなたの手本や理想になる老人一人と、その理由を教えてください。(老人といっても晩年を迎えた人、という意味です。例・伊丹十三、深沢七郎なども対象となります)」と、「3 どのような死に方が望ましいですか?」にも、ろくでもない答え方をしている。

これ、前号の特集「ミニマリズム入門」が、あまりにもばかばかしい内容だったので、それへの「批評」「からかい」みたいな気分で書いたのだが、それがそのまま載る。ぐふふふふふ、ま、おれらしいかもしれないが、また生きる世間を狭くするか。

しかし、「老いる」というのは、ある意味じゃ、人生の不条理を消化することであり、そのために、こういう特集があるのだろうが、ま、ノー天気なものだといえる。若い愛する人が、いのちをすり減らしながら働き、あと半年後に死ぬかもしれない、といったことに比べたら、どうでもよいことだ。労災死は、もちろんそうだが、家族のための、自分が生きていくための、戦死にも似た死が、この平和日本の日常にある。

まず、自分が「生きる」ことを考えろ「希望を持て」というのは簡単だが、はて、自分のいのちと直接向き合っているのは、当人だ。

おれは、上の3番目の質問「どのような死に方が望ましいですか?」に、「あまり考えたことないが、自殺はしたくない。とくに切腹は嫌だ。」と書き出している。「自殺」と、「生きる」ための治療や手術などを拒否することは違うかもしれないが、やはり自殺行為のような気がしないでもない。

ガンで手術や治療を拒否して死んだおれの友人2人のことは、ちょうど一年前ぐらいに書いた。2007/03/22「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」

彼らは、60歳そこそこだったから、あえて自殺的行為、早死にを選んだことになる。そして2歳で死のうが、80歳で死のうが、人生一生は同じという「哲学」を持ったおれも、そうしたかもしれないと思わなくはない。だから、かりに若い愛する人が、あと半年で死ぬかもしれないとわかったとしても、「生きる」ことを考えろ「希望を持て」とは、ますますいいにくい。でも、「生きる」ことを考え希望を持たなくてはならない、投げてはならない。そのように、人生は、とにかく不条理なのだ。

たくさんの親しい人たちが若くして死んでいった。当人が死ぬ覚悟なら、死の回避が不可能なら、それと付き合うしかない。それもまた、ひとつの不条理な人生だ。

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2008/03/14

F1あんどエコロジーあんど循環型社会のナゾ。

2008年のF1グランプリのニュースがにぎやかになってきた。以前に少し書いたような気もするが、1980年代に日本のあるF1チームのスポンサー探しを知人に頼まれて手伝ったことがある。その前に、「ルマン」誌の日本語版発行の企画にからんだことがキッカケだった。で、一時、カーレースのおもしろさにはまった。

そのとき知ったのだが、日本ではF1チームのスポンサー獲得が、非常に難しい。すくなくとも当時は、そうだった。開催地のフランスのイメージから比較的かっこいいと思われていたルマンにしても、カーレースには、なぜか「ダーティ」なイメージがつきまとっていて、企業が敬遠する。とくにレース中のクラッシュは、企業イメージを汚すとして嫌われていた。

というわけで、タバコ、その後、サラ金が、メインスポンサーだったと思う。一時、バブルのころか、リクルートがF3あたりに参入したことがあったような記憶もあるが。

1984年に、フリッチョフ・カプラ著吉福伸逸訳『ターニング・ポイント 科学と経済・社会、心と身体、フェミニズムの将来』(工作舎)が刊行された。この書は、おれもかなり刺激を受けたが、当時の「知的」な環境を、かなり動かした。この書あたりから、いわゆる「還元主義」が批判にさらされ「生態学的かつホリスティックなアプローチ」がニギヤカになり、コンニチの「循環型社会」を理想とする言説が盛んになる。「いのちをいただく」といったことにつながる、「身体=生命」への関心が、おかしな高まりをみせる。

で、なんでも体験のワタクシは、本を読むだけでは物足りなくて、「生態学的かつホリスティックなアプローチ」な人たちと、いろいろやりましたね。すると、その奥の院あたりに、トヨタさんがいたのです。あの、クルマのトヨタさんですよ。

クルマなんてのは、反エコロジー、還元主義のカタマリのようなものですよ。そのクルマ文化の最高峰レースとして、F1やルマンがある。なのに、トヨタさんが、「生態学的かつホリスティックなアプローチ」な奥の院にいる。これは、どうしたことか、なぜなのだ、まだ未熟だったワタクシは考えました。

ま、そのことは、今日はこれ以上ふれると、また話がとんでもないところへ転がるから、これぐらいにしておこう。とにかく、F1グランプリは、ダーティなイメージを持たれながらも、あまり叩かれることなく続いている。ばかばかしいほどの嫌煙「権」騒動や捕鯨激怒反対騒動と比べたら、祝着至極といえる。(捕鯨については、おれは、それほど「日本文化」を大上段にこだわるわけじゃないが)。これほど、エコロジーだ環境だといわれながら、F1グランプリに興奮できる余地があることは、まだ世の中、すこしは「健全」なのかなと思う。そもそも、タバコは吸わない人が急増していても、クルマは、大都会に暮らす「自然派天然派」はもちろん、熱狂的なエコロジストでも自家用車を持っているひとは多いだろうしね。そういう人たちは、そのうちトヨタさんがエコロジー車を開発してくれたら、大歓迎でしょうからね。

クルマもテレビもないタバコも吸わない、優良エコロジーな生活のおれだが、F1グランプリはテレビで見たいと思う。興奮のない人生は、ツマラナイ。そして、カネも賭けずに興奮するレースといったら、F1が最高だ。

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2008/03/13

ぜいたくな生活を送り悩ましい質問に答える。

おととい、昼近くに、故郷のクボシュンさんから電話があって、「いま、テレビで野田のやよい食堂をやっているよ」と知らせてくれる。「ありがとう、でも、うちテレビがないんだよね」というと、クボシュンさんは「えっ」と一瞬沈黙、のち「それは、たいへんけっこうなぜいたくをしていますなあ」という。

うちには、テレビも新聞も、クルマも自転車も電子レンジもない、おれは携帯電話も持ってない。べつに文明的な何かに抵抗する意志はないのだが、とくに欲しないうちに、そうなっているだけだ。しかし、考えてみると、これは、なかなかぜいたくな生活なのかもしれない。このなかで、携帯電話を持っていないと、ときどき誰かに不便をかけることがあるが、ほかは特に誰かに不便になることはない。ほんとうは、誰かに不便な思いをさせながら、自分だけは悠々とやってこそ、よいぜいたくだと思うが、そこまでにはなってない。

知り合いのフリーの編集者は、純粋な電話だけで、留守録もファクスもない。本人からは、用があると、ハガキや封書が届く。こちらからも、校正など、ほんとうはファックスですむことも、いちいち封書にしなくてはならない。本人は、「優雅」を楽しんでいるようだが、それに付き合わされるこっちは、忙しいときにはイライラする。これこそ、ぜいたくというものだろう。

それはともかく、そのおとといの夜、以前お世話になり亡くなった吉村平吉さんを紹介してくれた放送作家の方から、メールでラジオ番組出演の依頼があった。たまたま司会の女優さんの本は読んでいて好い印象があった。出てもよいかなと思ったが、スポンサーが悩ましいので、そのことをメールで返事しておいた。

きのう午前に電話があって、その件について話し合い、出演することにする。生ではなく、収録が来週とのことで、急にあわただしくなり午後に、放送原稿をつくるための質問が、メールで届く。以前なら、電話で一時間ばかりインタビューされて、できあがった放送原稿がファックスで送られてくるという段取りだったが、いまやメールだ。

この質問に答えるのは、電話だと相手のニュアンスを確かめながら思いつくままシャベリ、あとは放送作家さんのほうで、うまくまとめてくれるから面倒ないが、メールの文章で答えるとなると、原稿を書くのとおなじ気分になって、けっこう悩ましい。とくに「大衆食堂の定義」だの「名店」だのという苦手のことになると悩ましい。さらに今回は日本の食や農業の現状に対する質問もあるから、激しく悩ましい。8項目ばかりの質問に答えて返信するのに、思わぬ時間がかかってしまった。

その間に、呑みの相談がつぎつぎという感じでメールで届く。今月中に呑まないと、しばらく会えなくなってしまう転勤者や新入社の人との呑みも、まだ全部おわってないし、あれこれ呑みのスケジューリングで楽し悩まし。

今日は、あれこれあって忙しい。出かけなくてはならない。その前に書類をつくらなくてはならない。確定申告の準備もできてない。あなたは、どうしてますか。

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ザ大衆食「やよい食堂」…クリック地獄

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2008/03/12

「手前みそ」にエンテツ登場。味噌のおもしろさ深さは、その多様性にある。

Temaemisoもうすっかり忘れていた「手前みそ」が届いた。たしか取材を受けたのが、一年以上前じゃないのかな。たしか去年の3月に発行の予定だったような気がする。ま、でも、無事に発行になってよかった。なにしろ、おれが登場すると、版元はつぶれれたり騒動がおきたり、でなければ早々に絶版あるいは品切れ状態という、おれの人生のように「波乱万丈」なのだ。考えてみると、いま、おれはライターを名乗るが、発売中の本は一冊もない。ま、フリーライターは、それがフツウだけどね。ぎゃははは、「無冠の帝王」という感じだ。いや、「無官の低脳」か。

でも、おれは、食べ歩き飲み歩きバカ騒ぎごっこの、ばかどものために書いているわけじゃないし、ばかどもに本が売れても、うれしいことはないからな。このブログも、そうだが、おれが書くのは、ザ大衆食のトップにあるとおり、「あたふた流行の言説にふりまわされることなく、ゆうゆうと食文化を楽しみたい」のであり、生活に根付いたほんとうのグルメは成長してほしいと願っている。そのための「未来への掲示板」なのだ。知っている飲食店や飲食物をあげつらね集めてよろこんでいる知ったかぶりの、消費主義にすぎない、えせグルメ、えせ庶民文化、えせ大衆文化などには、くたばってほしいと思っている。

「未来への掲示板」である、おれの本やサイトやブログの愛読者のみなさんは、ほんと、ばかではない、よい食文化の未来をつくるリッパなひとたちですね。もっと、こういう人たちが増えたら、日本も日本の食文化も、よくなるでしょう。

そのように強がりを思いながら、毎夜シクシクシク寝床の中で泣いています。そうそう、このあいだ大宮のジュンク堂に寄ったら、『談別冊 shikohin world 酒』があって、おどろいた。これは共著だけど、おれは、酒蔵ルポ「風土と市場そして宿命と技術……高千代酒造を訪ねて」と、エッセイ「浴びるほど飲む人はどこにでもいる……酔いたい、酔うために飲む飲兵衛の存在」の2本を書いている。おれの原稿は、なかなか評判がよいらしい。ほかは、豪華メンバー。詳しい案内は、ザ大衆食のサイトに。…クリック地獄

大宮ジュンク堂には、「酒とつまみ」の単行本『酔客万来』も、面出しで並んでいた。もしかすると店員に酒好きがいるのだろうか。

いきなり話が大きくそれた。この『手前みそ』は、「みそ健康づくり委員会」というところがプレス用に発行しているものだから、市販はされない。「みそ健康づくり委員会」は全国味噌工業協同組合連合会(全味工連)の広報活動をしているところ。

本文A4、21ページ。「みそピープル」のコーナーに、おれは、「汁かけめし探索の第一人者」の見出しがついて登場している。インタビューをまとめていただいたのだが、アアいまは絶版になった『汁かけめし快食學』の要約でもある。4ページにわたって、シッカリ書かれている。

ほかの記事は、「大豆・原油などの高騰で窮地に立つみそ業界の厳しい現状 シカゴの大豆相場が史上最高値で経営を圧迫!」といった生々しいもの。「みそ料理 名店ガイド」のコーナーもあって、渋谷区の、みそと黒糖焼酎の店「がらり」が紹介されている。

味噌のおもしろさについて書こうと思ったが、めんどうになったのでやめた。そのうちに。

みそ健康つくり委員会のサイト…クリック地獄

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義理人情とイイカゲンがよいのに、仔細になる契約。

きのうは、ある契約に立ち合った。そのときも話題になったが、なにごとにつけても契約書をとりかわすようになり、しかも、その書類が年々ふえている。

この日本のように、「コンプライアンス」なんていうマヤカシの言葉が流行るほど、遵法精神に欠け、なんていうホテルだったか、西武系の、自分の会社の判断を裁判所の判断より上に置いても、それがまかり通るほど、法治国家の姿からは、ほど遠いというのに、こと「契約書」となると、やたら細かくなっていく。このままじゃ、なんの契約にしても、アメリカのように「弁護士」という、細かい法律を知って相手の細かいミスをみつけては取り引き駆け引きは得意の、口先だけのペテン師に頼らなくてはなりそうだ。

「訴訟大国」のアメリカは、けっしてビジネスモデルになるような、姿ではない。そもそも、よい弁護士を雇って、訴訟で争えるのは金持ちだけなのだ。

しかし、わが日本の、まやかしもヒドイ。「コンプライアンス」なんて、本来は「順法精神」とでも表記すべきところを、それでは、いかにも自分たちが法律に従っていないのがあからさまになるので、こんなカタカタ英語をつかい、しかも、それを国語的には「遵法」という、さもさも威厳ありそうな言葉で、とりつくろう。これは、自分たちに「アマイ」なんていう「甘えの構造」レベルのことではない。もっと、骨の髄からの、腐敗レベルのことなのだ。

そのくせ、細かい契約書をとりかわす。その契約書たるや、だから、カンジンのところになると、当事者の「誠意」ある話し合いで解決、ということになる。みんな自分の都合だけで、約束は守らない、誠意などないから、契約書をとりかわすのではないのか。

そして、そんな契約書があることで、「義理人情」は廃れる。ま、「義理人情」というのも、そんなによいものではないし、とかく近頃は、義理は欠き、人情だけを求める風があって、ますます「義理人情」が廃っている。日本は、半端で、難しいことになっている。ようするに、契約だろうが、義理人情だろうが、自律が基本だと思うが、そこんところが、ねえ。底が抜けている。

かくいうおれは、ただの酔いどれ、です。あなたは、どうしてますか。またもや、二日酔い?

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2008/03/11

なんでもない景色に、何かを見つけたいね。

ま、それで、午前2時をまわって、ひさしぶりに酔うほどに冴えわたる、酔っ払い深夜便というかんじでやりたいのだが。はたして。

去る8日の「街的に百姓的に、春の声を聴け。」に書いた江弘毅さんは、それをご覧になったらしく、9日に「エンテツさんの「街的」」を書いている。そこに、こんな文章が見られる。

………………………………………

「生活」などというと汗と涙の匂いがしてきそうだが、「生活」が楽しくないところに文化は芸術はない。「生活」は「遊び」でもあるし、それにほかならない人もいっぱいいる。

酒場にいることしか能がない人のことを「酒場馬鹿」とバッキー井上は呼んだが、それは消費者ではなく生活者を指している。 だから生活者は人生の芸術家であり金メダリストである。

エンテツさんは「これは、パンクだね。」と書いているのだがまさにそう。

しかしながら消費をやめてほかに楽しいことなどあるの、という問いが聞こえてきそうだ。

………………………………………

そうなのだ、そうなのだ。ついでにいえば、「生活」は、けっしてぬかみそくさいものではない。そして「文化」や「芸術」は、高尚なものでもなく、高邁なものでもなく、なんでもない日常の生活の景色の中にある。ようは、そこに何かみつけられるかどうかではないか。「生活」は、喜怒哀楽に富んでいて、必ずしも「楽しい」とは限らないと思うし、楽しくなければいけないというものではないと思うが、でも、おもしろくなければ続けていけない。そのおもしろさは、そこに何か見つけられるかどうかだろう。

たとえば、なんでもない景色の中に、こんなうたを見つけられたら、失恋も苦しいかもしれないが、「生きる」ことは、なんてのかな、いいことだと思えるようになるだろう、おもしろくなると思う。だから、みんな「うた」をつくり、「うた」をうたってきた。そうじゃないのかな。これが、「生活」のなかにある、「文化」だし「芸術」じゃないのかな。おれは、そう思うね。「食べる」「呑む」ことも、そうありたい。

銀杏BOYZ「東京」から
http://jp.youtube.com/watch?v=QhpzJw95Jno

君が泣いていた夏の日の午後も
雨にぬれて走ったコンビニの帰り道も
二人を通り過ぎたなんでもない景色が
ぼくにとってはそれこそが映画のようだよ

じつは、おれは、ここに「コンビニ」が登場していたことで、この歌詞を覚えていたのだった。うーむ、おれが若いころには、ありえない。たしかに、コンビニそれ自体は、消費の場であり、市場以外のなにものでもない。そういうふうにシステムができている。だけど、しょせん街の景色の一部に過ぎないし、人間は、それを呑み込んでこえる可能性も持っている。もちろん、消費やシステムの奴隷になる可能性も持っているのだけど。こえる可能性こそ、「文化」とか「芸術」とかいうもので、こういう「なんでもない景色」に発揮されない、とりすました会場や本のなかだけの「文化」とか「芸術」とかいうものは、なんてのかな、単なるゴミなんですよ。文学もね。

だからさ、もっと、ふだんの食事に、「生きる」輝きを見つけよう、ってことなのさ。

関連
2007/11/29
いい連中だ、いい歌だ。
2007/10/18
コンビニと、どう向き合うか、どう付き合うか

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2008/03/10

農家数の減少だけで農業や食料の不安を語るのはマチガイ。

ちと、これだけ、書いておく。農家数の減少だけをあげて、将来の食料不安や食料自給の不安、さらに「食育」=「地産地消」=「国産翼賛」を煽っているひとたちがいるが、オカシイ。

現在、農水省が進めているのは、「効率的かつ安定的な農業経営」(食料・農業・農村基本法)をめざしての大規模経営の育成で、小規模経営の切捨てだから農家数が減るのはトウゼンだし、農家数の減少ほどは、経営耕地面積は減ってない。

昨年の農水省の統計でも、「経営耕地面積規模別農家数は、都府県では5.0ha以上の階層で1.9%増加し、引き続き規模拡大が進んでいる」とある(こちら)。5.0ha以上の階層だけ増加し、それ以下の他の階層は軒並み減少している。多数の小規模経営が、少数の大規模経営に呑まれているのだ。

大雑把な数字で捉えると、農家の減少は前年比3.6%ぐらいだが、経営耕作農地は前年比0.4%ぐらいの減だ。生産量の比較は、作付け面積によって変動があって難しいが、大規模化は「効率的かつ安定的」をめざしているわけだから、減少ということはないだろう。

農水省が、やりたいのは、「効率的かつ安定的な農業経営」をめざしての大規模化なのだ。そのためには、ほかは犠牲になってもよいということだろう。ということを、よく記憶しておくべきだと思う。

農業問題や食料問題を語るなら、農水省の統計ぐらいは調べておけよな。

それでは、新規就農の促進は、なんのためか?  この矛盾は、なにか。いやはや、官僚の腹黒さに負けないためには、彼ら以上に腹黒くならなくてはいけませぬ。

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2008/03/09

「グルメ」と80年代を読む。

Hon_otaku近頃アレコレ書いていることは、80年代の消費主義の台頭というか台風にかかわる。こんにち、「グルメ」ではないものがグルメといわれ、消費にすぎないことが生活のように語られ、マーケティングや市場や商圏にすぎないことが社会や町や街として語られる。そういうユガミあるいは錯覚は、その時代あたりから濃厚になってきた。

で、このブログを読んでいる知人から、それならこの本を読んでみたらというオススメがあった。『「おたく」の精神史 1980年代論』大塚英志、講談社現代新書だ。さっそく買って、読んでいる。

読むのが大変な本だ。というのも、これ著者の「個人史」のようなもので、それはよいのだが、わが日本的私小説の悪いところをかき集めたような書き方で、そういうのがダイキライなおれには、とても読みにくい。でも、「おたく」(のちの「オタク」とはちがう)としての著者の80年代の体験が語られていて、大変おもしろい。

まだ読み終わらないうちに、関連する本を探し出して、めくっているから、余計すすまない。おかげで忘れていた本を思い出して探し出した。こんな本は、もう捨てようかと思っていたのに、捨てなくてよかった。ほんとは、あと2冊か3冊あるはずだが、見つからない。

博報堂生活総合研究所著・発行の生活予報
'88-'89『ほのじかけ 時代は艶へ』(88年1月)、
'89-'90『感動ホルモン 飽和社会の新活力』(89年1月)、
'90年代生活予報1『社会性消費 ひろがる社会 かかわる社会』(90年1月)。

当時、仕事のクライアントの関係で、日本マーケティング協会で毎年開催される、博報堂生活総合研究所の生活予報発表会のようなものに、3年連続で参加した。本は1冊5千円だし、会員企業でも高い参加費をとられる。正確にいえば、あまりにばかばかしい内容なので、最後の年は部下のマーケティングなんか関心のないアニメキャラ風ブリッコの女のコを行かせて資料だけ手に入れた。

その協会もそうだし、その発表会に集まるメンバーも、メジャーな新聞や雑誌、広告代理店、そして大企業の広告宣伝担当で、ようするに主要な「仕掛け」側の、高学歴高偏差値のひとたちだ。

生活に消費的意味づけを与え、社会や町や街にマーケティング的市場的商圏的意味づけを与えながら、人びとのあらゆる営みを産業と消費にとりこもうという「頭脳」の集まりなのだ。

これらの資料を見ると、当時それがどう行われたか、どう行われようとしていたかを思い出す。この発表会で、いちばんおもしろかったのは、最初の『ほのじかけ 時代は艶へ』のときだった。

その序は、つぎのように始まる。

いま、時代は、艶へと向かっている。
色気。味わい。品。魅力。粋。ときめき。
社会が熟していくとき、つねに浮上するのが、艶だ。
九十年代を間近にして、日本は、その段階に到達した。

…と、このときは、まだバブルまっさかりの87年の末だったはずだが、企業側の担当者と博報堂側と、かなり激しい議論になった。ま、議論というか、なんといっても企業は広告代理店のスポンサー様であるから、企業側担当者から、かなりクレームがついたのだな。ちょっと現実の把握が足りないのではないか、なにを浮ついたことをいっているんだ、こんなアマイことをいってビジネスになると思っているのか、といったような意見が続出したのだった。メディアあんど広告代理店と、企業側の「ギャップ」がクッキリ出た。

ま、それら、詳しいことは、のちのちぼちぼちふれることにして、きょうのネットに、「尚子すべての人に勇気与える走りを」という見出しのニュースがあった。記事を見ると、マラソンの高橋尚子が、「私の走りを見て、生活の中で“頑張るぞ”って思いを持ってもらえるようなレースをしたい」と言ったことが、このように表現されたらしい。

3月9日7時8分配信 スポーツニッポン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080309-00000042-spn-spo

マラソンが、競技をこえてドラマチックに脚色され、なにか生きる生活に意味ありげに位置づいていく。それは、マラソン自体の変質でもあるし、生活の変質でもある。「いま、時代は、艶へと向かっている。/色気。味わい。品。魅力。粋。ときめき。」、マラソンですら、そうなっているではないか。博報堂、ばかではなかったのだなあ。

「生きる勇気を与える」「生きる勇気をいただく」といった関係は、この80年代につくられた。何軒食べ歩いても飲み歩いても、そのこと自体には意味はないのに、さもさも意味があるかのように意味が与えられたのも、「一億総グルメ」が流行語になる、おなじ時代だ。それは、実体験ではなく、メディア体験によって与えられた。このマラソンのように。

そして人びとは、誰かに、何かをいただきながら(「いのち」まで!もちろんカネを払って!)、生きる動物になったのだな。テレビも新聞も見なければ、マラソンはマラソンであり、そんなものから勇気を与えてもらうことはない。ほんとうは、生活そのものに、生きる源、勇気の源がある。

そんなことを考えながら、安ワインなんぞを呑みながら、読みにくい『「おたく」の精神史 1980年代論』を読んでいます。あなたは、どうしてますか。

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2008/03/08

街的に百姓的に、春の声を聴け。

しかし、この春は、知り合いに異動が多い年だ。幸いかどうか、みなさん「ご栄転」のようだ。めでたいことではあるが、おれとしては懸案中の企画のほうは、どうなるかに関心がある。ま、リーマンに異動がつきものであるように、企画に頓挫はつきものではあるから、べつに悩ましいことではないが。

とにかく、なにかと、あわただしい日は、人さまのブログを読んでいただくにかぎる。

まずは、「編集集団140Bブログ」の「「本の雑誌」とエンテツさん。結局自慢 2008-03-07 (金) 」…クリック地獄

当ブログの2008/02/12「食と、暮らしのリアリティ、街のリアリティ。」で江弘毅さんの文章を引用をしている。それを、江さんが検索で発見されたらしい。「街的」ということ、やや未熟なところもある概念のように思うけど、だからこそ可能性もあるのであり、あのバブルのころからコンニチまで続く消費主義がもたらした閉塞を突き破る息づかいを感じる。

おれは「街的」という言葉を、なんとなく使っていた。江さんが使うような意味では、当ブログの2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」に引用している、「おのぞみドットコム バカと呼ばれるとさみしい! 街と店と情報誌」の「堀埜浩二さんが考えたこと ■6月の問い 街的ってなんですか? いい店ってなんですか?」で、ナルホドと思ったのだった。

江弘毅さんも堀埜浩二さんも、「編集集団140B」。もとはといえば「ミーツ・リージョナル」の関係者でもある。「編集集団140B」、もしかすると、このあいだ、キムラ嬢あんど肉姫嬢と呑んだときに話題になったグループのことだろうか。いま売れっ子の内田樹さんも発起人に名を連ねている。そういえば、キムラ嬢あんど肉姫嬢との次の呑み、やらねば。

ま、なんにせよ「街的」には可能性を感じる。

そして、もう一つの可能性といえば、「百姓的」にの、藤田さんだ。藤田さんのブログ、これはもう多くのひとに読んで欲しい。

けっきょく、この両者に共通するのは、「生きる」ということなのだな。街に生きようが、田畑に生きようが(田畑に生きても、衣食住の完全自給自足などありえず、暮らしは「都会的消費」がついてまわるし)、「生きる」主体のことなのだ。いまや消費主義がもたらした閉塞のなかで(その閉塞は「生きる」可能性を消費主義に吸いとられた結果だと思うのだが)、「いのちをいただく」なんて、「いのち」まで「いただく」ものになり、「生きる」力強さを失いつつある。

おれたちは消費の奴隷じゃねえぞ。で、一方で、こうした動きもあるのだな。「生きる」「生活」の息づかいを感じる。これは、パンクだね。ここに未来の可能性があると思う。そのように、春の声を聴きながら、酒くさい息を吐く心地よさよ。

藤田さんのブログ。これを読むと、まだぜんぶ読んでないが、藤田さんと一緒に百姓になって「生きる」時間を歩める。とかくありがちな、過度な思い入れや、観念的な理想論もなく、きわめてリアルな実態として、百姓的なのだ。これ、本にして欲しい。


藤田 敏 1967年生まれ。東京・神奈川での15年間のサラリーマン生活の後、相原農場(神奈川県藤沢市)での研修を経て06年春に故郷・愛媛県西条市で就農。

38歳からの百姓志願~実践編。…クリック地獄

これは、藤田さんが会社を辞めて神奈川県で百姓になる研修をしたのち、いよいよ百姓の土地へむかうところから始まる。藤田さん、小さなお子さんが、2人?3人?、いるのに。

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高速バスは一路、西へ。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2006年02月09日

19:30発の高速バスが品川を出る。
春の作付や夏の果菜類の苗づくりのため、まず単身で就農の地、愛媛県西条市に向かう。このバスに乗るのも何度目か。

思った通り、感傷はない。
長く東京で仕事をしてきたが、退職してこの1年は都心に出ることも少なく、煌めくビルの灯りももはや過去の風景。

車中、明日の段取りが頭を巡る。
闇を裂き、バスは走る。

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夏の果菜類を播く。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2006年02月18日

朝一番で、市内の斎場へ。
小中高校時代の同級生のお父さんが亡くなったという知らせを昨夜受け、喪服もなく、また所用で午前中は動けないことから、失礼は承知で告別式の前にうかがい、黒の腕章のみで喪主である友人にお悔やみを述べる。2年ほど前に、高校同窓会組織の首都圏での会合に初めて出させてもらった際にほぼ20年ぶりに会った彼。その独立独歩の生き方に、自分もそのとききっと刺戟を受けたのだと、あらためて思い返す。

午後から、就農後初の種播き。
ハウス設営と温床作りに日数がかかるため、夏の果菜類の育苗が、2月半ばからの就農では厳しいのはわかっていた。それでも、中途半端でもなんとか種から育てたいので、とりあえず第一段は市販の育苗土を使う。

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海を渡り、姫路へ。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2006年02月28日

予報通り、終日快晴。
昨日も降っておらず、畑作業には願ってもない一日、なのだが、今日は農から離れて別の重要な用事があり、朝から姫路へ。久しぶりの瀬戸大橋の眺めも美しい。

道中、気がつけば畑ばかり見ている。
会社員時代のいつ頃からだろうか、出張の車窓も農の風景に目が留まるようになっていた。いま、「見る」から「する」立場に。自分の預かる土地の中にも、電車から見えるところがある。レールに揺られる知らない誰かの目が、そこに留まることがあるだろうか。

明日から三月。
予報はうって変わって終日の雨。

………………………………

大根、初めて不耕起で。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2007年12月21日

今週収穫を始めた畑の大根。
藤田家族初の“不耕起”大根である。夏のトマトを片付けた畝(この写真の右端)を崩さず、そこに種を播いたもの。これまでのところ、まずまずの成育である。葉つきで1.5~1.8kgくらい。ただ、耕起した畝と明らかに違うのは、株ごとの成育のばらつきが出ていること。味の違いはよくわからない(トマトの味はしないようだ)。

藤田家族の畑は基本的に耕起する。
収穫が終わった畑(または畝ごとの単位)はトラクタで耕し、畝を立て直してから次の作付けをする。でも、いわゆる「自然農」のやり方とは違うけれど、一部の畝はそのまま崩さないで次の種を播いたり苗を植えたりすることがある。ほとんどは「場所がない」から「しょうがない、ここに播いて(植えて)おこう」という感じで。これまでに、玉葱や小松菜の後にレタス、レタスの後にキャベツや胡瓜、胡瓜のあとにエンドウ豆など。

不耕起の大根は、素直に感動。
茄子やトマトなど地上で“成る”ものならともかく、収穫する野菜そのものが地中に伸びる直播きのものは、やっぱり”サラサラにしてある”(と確信が持てる)畝に播かないと不安……というのが正直なところ。「人が耕さなくても、枯れた根や小動物たちが地中をふかふかにしてくれる」とかいうのを聞いても、見えないわけなので……。そこに、根菜の中でもとくに「裂根になるので、よく耕して、小石などは取り除いて……」と園芸の手引き書などには書いてある大根を播いたので、本当にひと安心、そして感動なのである。すべてを不耕起でされている方々には笑われると思いますが。

………………………………

不耕起とは、耕さない農法のことだ。当ブログでも、2006/03/17「誤解 自然農法と有機栽培」で、ふれている。

そして。今年。

………………………………
就農3年目に入り……。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2008年02月11日

昨日で就農まる2年が過ぎました。
3年目、まあ、かなりこの一年で今後のことが決まるように思う。

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幼い子供たちが、まびきの手伝いをしている画像がある。

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土曜の畑に、子どもたち。

[ 農と暮らしの日記 ] / 2007年10月20日

人参のまびきに精出す土曜日の子どもたち。
8月末に播いたものが、おかげでようやくひと通りのまびきを終えた。

………………………………

さらに、左サイドバー bookmark の「38歳からの百姓志願。(研修編)」をクリック地獄してみよう。それは、このように始まる。

Apr 01, 2005
会社を辞めた翌日。
大学を卒業して15年勤めた会社を、きのう退職した。
そして、今日から百姓に向けて本腰を入れての準備が始まった。

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2008/03/07

小山薫堂さんのオコトバで、さらに輝いた北九州の食堂。

Kitakyusyu_tankaハイブラウでスタイリッシュな消費カタログ誌の「みんなの食堂」。

先日書いた『BRUTUS』の食堂特集を買って読んだ。この雑誌、テレビのエンタメ番組のようで、「読んだ」というべきか、「見た」というべきか。久しぶりに『BRUTUS』を手にしたが、おれから見れば、ハイブラウでスタイリッシュな消費カタログということでは、むかしからかわってない。

表紙には「各界80人が愛する食堂は、個性と進化で真剣勝負していた!」とある。「みんなの食堂」ではあるが、この「みんな」はメディア周辺の「各界」有名人、芸能人やタレントなど、大手広告代理店が関心を持つような、むかしの言葉をつかえば「トレンド」な「みんな」である。べつの言い方をすれば、コンニチの消費主義をリードする「オピニオン」たちである。だから、満員電車に乗ったり営業車で仕事をしているような大衆様など縁がない食堂も登場する。

「21世紀の食堂の条件」という堂々たる囲みがあって、こうだ。
1、店自体に主張があって、個性が際立っていること。
2、早い、安いもありがたいが、うまいことが最優先。
3、ワインや日本酒など、夜はアルコールが楽しめる。
4、何事にもこだわりを持つが、決して凝りすぎない。
5、腹の虫の機嫌に添い、皿数などカスタマイズ可能。

これが、この食堂特集の編集方針というか視点というか『BRUTUS』的食堂消費カタログの方法のようだ。

その全体的な感想は、ともかく、北九州の食堂である。「食堂のパラダイス、北九州へ!毎日のごはんが、輝いていました。」の見出しで4ページ。リード文には、「例えば小山薫堂さんだったら、どんな食堂に行きたい?と尋ねたら、即答で返ってきたのが「実はいろいろあるんだけど、全部、北九州の食堂」。ようし、出かけますか!」

本文には「そもそも、北九州市が発行する『雲のうえ』の食堂特集を見て、薫堂さんはときめく心を抑えられなかったのである」と。

ああ、まだ一年たっていないのに、なんと懐かしい。やけに懐かしい食堂たち、懐かしい人たち。うーん入ってみたいなあと思いながら、時間と腹の関係であきらめたところも載っている。

で、小山薫堂さん、食べ歩いたあとに、ライター氏に「北九州の食堂、駆け足ながら、たっぷり感、ありましたね」といわれ、こう答える。

「お店が人々の生活の中にあるからでしょうね。僕らは"あのレストランの予約をとった"なんて、余暇としての食に走りがちだけど、生活のリズムの中で完結している食もある。よりおいしく、ということも大事だけど、暮らしの中で使いやすいことも必要で、そうやって食堂を日常として使いつづけることは豊かなことだなあ。新しい店や味を探しつづけるのは、ある意味、不幸なことですね。お店の人がひたすら毎日同じことをやりつづける、我が道を行く感じもよかったな」

さすがだねえ、いいことを言うねえ。この小山さんの言葉は、「21世紀の食堂の条件」や他の記事など全体の消費主義的トーンとちがって、「生活」「暮らし」をキチンと捉えている。また、こういう方だから、『雲のうえ』の食堂特集に、心をときめかせたのだろう。

ほかに、大阪の大衆食堂、たとえば超有名店の「げこ亭」や、神戸の「皆様食堂」、東京・墨田区の「いこい食堂」など、おれも行ったことがあり、当ブログやサイトに掲載の店が登場しているけど、なんといっても、北九州の食堂は小山さんの言葉によって、さらに大衆食堂らしい輝きを与えられたように感じた。

最初のページの右下に、本文に登場する北九州空港、小倉、戸畑、若松、折尾の地名と、移動順を矢印で示す北九州市の簡単な図版がある。そして最後のページの左下には、「次回はココへ?」と、「24時間営業の<エビス屋食堂>で恨めしくも「昼夜食堂」の看板を見上げる。何しろ駆け足で満腹。必ず戻ってまいります」と写真が載っている。ほほえましい心遣い、というか、北九州の食堂への思いが伝わる、北九州にとってはうれしいまとめ方になっている。それは、小山さんが訪ねた食堂が、初めて訪ねた人にも愛着を感じさせる魅力を持っているからではないか。と、思った。北九州に限らず、たいがいの大衆食堂は、そうなのだけど、訪ねる側の感じ方もあるな。

ああ、北九州へ行きたくなった。画像は、旦過(たんが)市場で。ここも、まだ歩き足りない、食べたりない、呑み足りない。

とりあえず、いじょ。

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まむし焼酎

Mamusi今朝は、7時ごろから焼酎の湯割りなんぞを呑んでいますです。なぜ、そんなものを朝から呑むかについては、さして理由はない。朝だから、呑むのだ。

それで、なにかのはずみで、棚の後ろにモノを落としてしまった。そのモノを拾うため、棚を動かした。すると、ほかにもイロイロ落ちていて、その中に、こんなものがあった。

もうすっかり忘れていた。これは、5年ぐらい前に山奥の売店で買った「まむし焼酎」だ。どこで買ったかを書くと、お上に正義忠義顔するひとが、保健所あたりにタレこむかもしれないから書かない。

スーパーニッカのミニチュア瓶に、焼酎とまむしが入っている。500円だったか。たしか、ほかにも4号瓶入りのものもあった。周辺の集落のひとたちが、このようにして売っていた。もちろん瓶に封印はない。そのあたりでは、むかしから家庭に常備のものだったのだろう。

まむしはガキのころから親しんでいた。小学校高学年になると、つかまえて尻尾を持ってふりまわして遊んでいた。しかし、まむし焼酎については、話としては聞いていたが、わが家や周辺にはなく、実際にそれを初めて見て利用したのは、高校1年のときだったと思う。1959年のことか。

山岳部の山行で、巻機山へ登ったときだ。同年のノザワが手を、鉈で傷つけた。応急の措置をして下山。登山口の清水の集落で、山岳部の定宿というか基地のようになっていた民宿「雲天」に寄った。そのとき、雲天のばあさん(いまのご主人の母上)が、まむし焼酎を、「すぐ傷口がついて治るから」といって、塗ってくれた。ついでに、おれは足のかかと、靴ずれでボロボロに皮がむけたところに塗ってもらった。それは、一升瓶に3匹ぐらいのまむしが入っていた。「呑んでみろ」といわれたが、呑む気はしなかった。傷の治りは、たしかに早かった。

そのあと、いつだったか、その清水の集落にあった分校に寄ったとき、一人の教師が囲炉裏で、皮をむいたまむしを串にさして焼いていた。それを食べさせてもらったのが、まむしを食べた初めてだった。食べると、身体がカッとなった。しかし、まだ高校生だった。ほんとうは、いまこそ食べたいものだ。

はて、このまむし焼酎だが、どうしようか。5年すぎていても、モンダイはないと思うし、呑めば、インポが治るかもしれないが、イマイチ呑む気がしない。ふたをあけてニオイをかいでみたが、とくに悪臭はない。はて、どうしようか。と、焼酎の湯割りを呑みながら思案している朝なのだ。

画像で、まむし独特の模様と頭部のカタチがわかるだろう。色は、かなり脱色している。このまむしは赤色がうすい、比較的たくさんいる種で、安いほうのものだ。

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2008/03/06

実感も実態もない過剰な消費主義がもたらす偽装。

asahi.com 「南部地鶏」偽装7年 せんべい汁の具材 青森の業者
2008年03月06日12時32分
http://www.asahi.com/national/update/0306/TKY200803060197.html

青森県八戸市を中心とする南部地方の名物「せんべい汁」のセット商品が具材にブロイラーの「種鶏」を使いながらパッケージには「南部地鶏」と表示、7年以上販売されていたことがわかった。……以下略。

という報道。

イチオウ、法律に違反することは、イケナイ。だけど、ここ数年の、「被害者」はいないのに、法律があるために「マスコミ」がモンダイにする、こういう事件は、何を意味しているのか。法律が生活の現実とズレていることもあるが、つまり、「南部地鶏」かどうかなど、判断つかないし、もしかすると、そんなことはどうでもよいのであり、値段と品質が折り合えばよいという人が大勢いる、ということではないか。たいがいは実感や実態にもとづいて判断している。だけど、「偽装」と騒がれると、やはり不安になる人たちだ。

ところが、そうした実態や実感にもとづいていては、食っていけない人たちがいる。たいがいメディアの周辺にいるのだけど、不安を煽り、地域ブランドや生産者ブランドの過剰な競争を煽り、あるいは「手づくり」だの「環境にやさしい」だの「いのちをいただく」を煽ることで、何者かになったつもりか儲けているひとたち。もしかすると、いらないのは、そういう過剰な人たちで、彼らがいなくなれば、「偽装」問題は解決するかも知れない。

いまや忘れられるのを待つばかりのギョーザ問題の商品のパッケージには、なんとあったか。「本場中国肉餃子」「手作り餃子」だ。でも、その「本場」「手作り」の表現は問題になってない。いわばキャッチコピーのようなものだ。そのように、そもそも、「南部地鶏」なんてのは、広告のキャッチコピー、雑誌の見出しのようなものなのだ。

広告のキャッチコピーは、商品表示のように、さまざま制約を受けるが、新聞や雑誌の見出しときたら野放し。ブログでもそうだ。規制しろ、と言っているのではない。「南部地鶏」の偽装を問題にするなら、メディアの過剰な表現も問題にしなければオカシイ。

大部分の人たちがよく知らないハズの「南部地鶏」、あるいはそれに類するブランドが意味を持ったのは、メディアの過剰な表現によって、意味を与えられたからだろう。「本物」「本場」「正統」「元祖」「聖地」「珠玉」……「手づくり」「やさしい」なども、あげれば切りがない。読者も、こういう実感や実態のアイマイな紋切り型の表現を多用するメディアを警戒すべきだと思う。

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2008/03/05

『BRUTUS』が食堂特集とな。

先日、オオタニさんからメールで、現在発売されている『BRUTUS』が「みんなの食堂」という特集をしている、と教えてもらった。

こんなぐあい……

その中に、放送作家の小山薫堂さんが「食堂のパラダイス(そう書いてあります)
北九州を訪ねる」という記事(4ページ)が掲載されていましたので
お知らせします。

登場する食堂は、えだや食堂、まんなおし食堂、赤ちゃん食堂、
折尾の橋本食堂、学生食堂C&D、エビス屋昼夜食堂……
おお、目に耳に懐かしいこのラインナップ、と思ったところ、本文に
「北九州市発行の『雲のうえ』を見てどうしても行きたくなって」という
記載がありました。

……ということだ。

もう10年以上も『BRUTUS』を立ち読みすらしたことないので、どんな雑誌になっているか知らないのだが、むかしのイメージからすれば、違和感がある。これは、どういうことなのかな。よいほうに考えれば、すこしは生活くさいところに足をつけようということなのか。それとも、不況で『BRUTUS』の読者も変わったのか。

ま、「一読もまた一興(一驚?)かと」思うので、出かけたついでに本屋に立ち寄ってみよう。

ブログ検索したら「吹ク風ト、流ルル水ト」の3月5日に、「食堂」のタイトルで、このように書いてある。……

 『BRUTUS』(08・03/15号)は「みんなの食堂」という特集だ。
 あきらかに『雲のうえ』(07・10/25号)の影響下にあるが、総体的印象は「食堂にしては高いっ!」という
 ことである。
 夜の定食でも千円を越えると、おれのなかの警戒アラームが鳴る。
「これだけの材料で、これだけの技術を投入しているのだから高くなるのは仕方がない」という料亭やレストランの考え方が透けて見え始めるからだ。
 食堂はハレの場所ではない。普通に過ぎてゆく日々の「一服どころ」である。

……かっか笑いながら、御意。であるが、ま、やはり『BRUTUS』らしいというか。

オオタニさんも、

しかし、私たちも制作時には議論になりましたが、
どこからどこまでを「大衆食堂」とするか、というのは難しいものですね。
読んでいて、それを感じました。

と言っている。おれは「「大衆食堂」というのは呼称だから、線引きは難しいですね。本や雑誌の編集方針で、ときどきのくくりをすればよいと思います。」と返事した。

なんにせよ、大衆食堂が話題になるって、よいことだ。「食堂はハレの場所ではない。普通に過ぎてゆく日々の「一服どころ」である。」といったぐあいに、いまや消費に解消されてしまったかのような生活を、生活として語る機会がふえるだろうから。

近頃の雑誌などを読んでいると(ブログもそうだけど)、消費を生活とカンチガイし、市場と社会や街を混乱することが目立つ。大丈夫か、認識力。

とにかく、「北九州ほど、大衆食堂の必然性を持った街というのも、これまた稀有」であり、北九州市が「食堂のパラダイス」であることは、確かだ。角打ちも含め「大衆食のパラダイス」でもある。

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松永伍一さん逝く。

いましがた、午前1時半すぎ、西郷輝彦さんのブログを見たら、

昨夜10時過ぎ”松永伍一先生危篤”との知らせを受け、練馬の病院へ駆けつけたが
12時06分、静かに息を引き取られた。77年の生涯だった。

とあった。
松永伍一さんとは、1960年代、たしか66年ごろだったと思うが、一度だけ、ゆっくり話し会う機会があった。
詩人として注目を浴びていた時代と記憶するが、「土」の匂いがするひと、という印象が残った。
西郷さんは、

詩人、作家、評論家、画家とたくさんの顔をもたれていたが、
あえて派手な通りを避けて歩くような先生らしい活動だったと思う。

と書かれている。まさにその通りだったと思う。

黙祷。


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2008/03/04

果てしなき議論?自慢?のあと……は。

男A=ぼくのばあいはね、日本中1万軒ぐらい食い倒したけど、やっぱり素材なんだよね。それによっていいものもあればわるいものもある。

男B=ぼくのばあいはね、ちょっとちがうんだなあ、日本中のブタさんやウシさんやトリさんを食べたけど、やっぱりいのちをいただいているんだよ。いのちのいただきかたで、いいものもあればわるいものもある。

男C=そうですか、ぼくはインスタントラーメンを食べ……

男A=いや、ちょっとちがうんだなあ、ぼくのばあいはね、3星のシェフが5人も知り合いでね、世界中の200カ国1500カ所からうまいものを取り寄せて食べたけど、やっぱり素材なんだよね。うーん、それによっていいものもあればわるいものもある。

男B=いや、いや、ちょっとちがうんだな、ぼくのばあいはね、ガンの手術を5回、インポの手術も3回やって、包丁を持って日本中の魚屋で修業しました。有名な魚屋のオヤジとは「ちゃん」で呼び合う仲だし、50万尾ぐらいのアジさんのたたきをつくったけど、それで悟ったのは、いのちのいただきかたで、いいものもあればわるいものもある、ということなんですよ。

男C=あの、ぼくはインスタントラーメン……

男A=いや、いや、いや、そんなのくだらないですよ、手術の回数なんて意味ないと思うんですよ。ぼくのばあいは、ノーベル賞作家を案内して10回、雪山で遭難しました。死にそうになって、グルメに関する本を1000冊読みました。でね、日本全国の手づくりの店を知っている、手づくりじゃなきゃだめなんだよ、きみは知らないだろう、まだインターネットにものっていない、北浦和の横丁の便所の2階の店だって行ったけど、こんどぼくが初めてブログに載せます。そういうことをしているとね、やっぱり、素材なんだよ、それによって、いいものもあればわるいものもある。

男B=いや、いや、いや、雪山なんてそんな、大地の上じゃないですか。ぼくのばあいは、海ですよ、水の中ですよ、そこで酒呑んで泳いで力尽きて死にかけたことが30回ですよ。だからいのちの大切さを身にしみて知っています。だからね、それでね、料理の仕方に関する本を海外からも取り寄せて5万冊は読んでますよ。イノシシさんやシカさんも自分で殺して、きみはやったことないだろ、鉄砲で撃っていのちをいただくんだよ、自分の手にナイフを持っていのちをさばくんだよ。芥直賞作家のムラカミさんともやりました、将来首相まちがいなしといわれている芸術家、いいですか首相になるかもしれない、しかも芸術家ですよ、彼とは「きみ、ぼく」のあいだなんだけど、そのフクダさんともやりました。そういうことを何百回、数え切れないほどやったけど、やっぱり、いのちのいただきかたで、いいものあればわるいものもある。

男C=えと、ぼくのインスタントラーメンですが……

男AとB=いやいやいやいや、……

こうして、三人の話は、はてしなく続くのでした。

もとネタは、かつて流行った、「スネークマンショウ」の「いいものもある!わるいものもある!」から。
こちらhttp://jp.youtube.com/watch?v=zvuC7D_IBuY

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2008/03/03

アジフライに関する無限的研究 その6

Aihurai_nakazatoひさしぶりに、アジフライです。

女将……このアジフライはね、いまナマのアジをひらいて揚げたの。ひらきたてのアジだから、おいしいよ。

いのちをいただく派の客……なんですか、「アジ」なんて呼び捨てはイケマセン。「アジさん」「アジさま」と呼びなさい。人間と同じいのちを持っているんですよ。ほんとうに近頃の日本人は、「食べ物」が「いのち」であるということを忘れている。ああ、日本の社会は狂っている、私だけが正しい、なんて嘆かわしいのでしょう。ああ、わたしはほかのバカな日本人とちがって「いのちの大切さ」を知っているオリコウな神様のような人間なのです。そんな私にウットリしちゃうわ。ほら、こんなこという私って尊敬されるでしょ。「食べ物」は「食品」ではなくて、「いのち」であるということを、ちゃんと見つめなさい。

女将……へっ、酔っているのかい。えらそうに、なにいってんだい、この唐変木。そんなこといっているから、いつまでたっても食品の見分け方も覚えないし、上手な食べ方も覚えないんだよ。「いのち」であるということをちゃんと見つめれば、おいしい料理がつくれるのかい。おいしくなかったら、子供や客は正直だから残すよ。ちゃんと料理しておいしくいただくことを考えたらどうなんだい。あんた、たかがアジフライを、こんなぐあいにおいしく作れるのかい。あんた、いつも料理がヘタで残されるから、「いのちをいただく」なんていう御託で食べさせようとしているんだろ。アジはアジ、サバはサバ、みなちがうんだ。そのちがいが、わかって料理しているかい。死んだら、どんどん鮮度も変わる、いのちのない食品だからね、そのちがいがわかってんのかい。あんた、だいたい、海で、そのアジさんとやらと一緒に生活できる「いのち」なのかい。あんたみたいなのがいるから、「地球に優しい商品を買おう」なんてエコマークをつけた偽者が出まわるんだよ。あんた、「いのちをいただく」だの「地球に優しい」なんていいながら、おかしなものを売っているんじゃないのかい、あの生協のように。

別の客……ああ、女将、そのアジフライはこっちによこして、その客は「いのちをいただく」のが好きなようだから、そこでウロウロしているゴキブリさんを生きているまま出してあげな。


というような不謹慎な会話はありませんでしたが、画像は、大衆酒場の有名店「中ざと」のもの。注文してからアジをひらいて揚げたもので、身から衣まで、ふわっサクサク、旨みジュワ。みなは「うまいっ」と興奮気味の声をあげ、あっというまに平らげてしまった。

みごとに正三角形に近い形をしていた。

2007/11/30
アジフライに関する無限的研究 その5

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2008/03/02

劇場社会…過剰な自意識と自己陶酔による「いのち」とグルメ。メモ。

散漫に、備忘のためのメモ。

まだ「いのち」にこだわっている。ザ大衆食のサイトのところどころに、このようなコトバを掲げている。たとえば、ここ…クリック地獄。ここでも、やはり「いのち」という言葉をつかっている。

…………………………………………

あらゆる食事の場に掲げてくだせえ
食事の前に、ご唱和くだせえ

生活は「生命をつなぐ活動」
料理は「生命をつなぐ技術」
食事は「生命をつなぐ祭事」

「生命」は「いのち」とお読みくだせえ
あははは、笑う食卓じゃあ

…………………………………………

これはサイトを開設した2001年の当初には、なかった。しかし、生活とは、料理とは、食事とは、をうまくまとめて表現できないかを考えていた。たしか最初は「生命をつなぐ」ではなくて、「生命のための」という表現を思いついたが、それがしっくりこなくて寝かせておいたのだ。

ま、「いのち」なんてのは大層なものじゃないが、つなげることをしないと絶える。そういうニュアンスがほしかったのだな。「生命のための」だと、なんとも大層な感じがして、日常茶飯の感覚に欠ける。

ふりかえってみると、80年がすぐそこにみえる70年代後半だったのではないか、情報社会が具体的な輪郭をもってきたとき、すでに消費主義は台頭していた。そして記号論と劇場社会論のようなものが流行り、やがて広がった。

「劇場社会」という言葉は、当初、アメリカかどこかの国から、脱工業社会での生き方やビジネススタイルあるいはライフスタイルのトレーニングマニュアルと一緒に持ち込まれたと記憶する。少なくともおれの知人に、大会社の社員をやめ、それを新しいビジネスにしようとしていたひとがいた。

その「劇場社会」と、たとえば「小泉劇場」というときの「劇場」は、かなり違うような気がする。そこには、なにか「よりよい人生」への希望あるいは幻想のようなものが、まだ感じられた。去る22日のエントリーのタイトルにある「1980年は、未来に幻想を持てた最後の時代なんですよね。」だったのだ。そのころ、自分のまわりで「いのち」という言葉が、どのようにあつかわれていたか、すぐには思い出せない。

おれは32歳の75年の秋に、2歳の子供を失ったのだけど、そのとき、「いのちの大切さ」を思わせるような環境はなかったと思う。少なくとも、おれは、そのことで「いのちの大切さ」を考えることはなかった。考えたのは、「いったい2歳で死んだ子供は不幸なのか」ということだった。平均寿命をこえて長生きするほど幸福で、早死には不幸という、通念のようなものを感じ、ほんとうにそうだろうかと考えた。つまり「早死には不幸だ」という環境は、感じられた。それらについて、おれは考え続け、1995年の「大衆食堂の研究」のころには、自分なりの結論を持っていた。それが、上に掲げたコトバに関係する。

80年代後半、おれは「家庭医学」の分野の先生方を中心とする、ある種の医学的な「運動」に関わっていた。シゴトであるけど、興味深く付き合っていた。そこでは「いのち」が中心的なテーマだった。食事と料理と身体(いのち)の関係が、従来の栄養学とはちがう観点から話題になった。

そのころ「いのち」と「身体」については、ほぼ「記号化」されていたと思う。それは、ある種の神秘主義と結びつき、そのなかのある種の傾向は、オウム的なものに非常に近かったと思う。けっこうアブナイ感じがあった。

「九死に一生」を得たひとたちが、よく会合の場で「いのち」について語った。「いのちの大切さ」について語り、その人たちは必ず最後に、「九死に一生を得たワタクシのいのちは、余生を生きているようなものです」ということをいった。判で押したように。

そのなかの一人、比較的親しくなったフリーのジャーナリストに、あるとき酒を呑みながら、無遠慮に質問した。彼は戦場取材中に、砲弾だか爆弾で、死なずにすんだのが「奇跡」と思われる大怪我をした。まさに九死に一生を得たひとだった。そういうひとに対して、おれは「九死に一生を得ながら、あとは余生を生きているようなものだという、そのいのちの認識の仕方はオカシイのではないか」と言った。

おれの理屈っぽい疑問だったが、彼はしばらく考えてから「おもいがけないことを言われたが、そうかもしれない」と言った。いや、ま、実際かれは「余生」どころではない大車輪の活躍をしていたのだが。

そのとき、おれは、それ以上いわなかったが、「いのち」について、彼は自分の理解ではない、なにか「記号」的な解釈を与えられていると感じていた。彼だけではなく同じような体験をしたひとたちが、最後に同じようなことをいう不気味を感じていた。

「いのち」は、自分自身であり、もっと自分自身の肉体から出たコトバがあってよいはずではないかというのが、そのころおれが考えていたことだったと思う。

ああ、グルメの話までするのは、めんどうになった。もう、そのころには食べ歩き飲み歩きグルメは、ある種の「記号」を消費していたのであり、オウムにならないだけ、よかったね、ということを書きたかったのだが、また、そのうち。

しかし、めずらしいことではないが、タイトルから、かなりはずれてしまったな。

とにかく「つなぐ」ことだ。「いのち」を投げ出したり、悟ったりするために、めしをくっているのではない。

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2008/03/01

まいどのことだけど、楽しく呑み泥酔。

きのう。場末の酒場で19時開始の呑み。おれは早めの18時半に行くといっておいたら、シノさん、タカスさん、コンド(-ム)さんが揃う。ビールから呑み始める。あとから順番わすれたが、タノさん、クマさん、コンさん。

タカスさんとコンドさんとは、ひさしぶりに会うし、この呑み会では初めて。タカスさん、昨年末から入院手術だったそうだ。前回会ったのはいつだったか2年前ぐらいだと思うが、それから10キロやせたとのこと。ま、それでちょうどよい感じになったのだが、とにかく、酒が呑めるまで回復したのだからメデタシ。まだ若いことでもあるし、悪いところをとってしまえば元気になるのだな。

いつもの野暮ったい独身男ばかりなのだが、今回は平日だから、ほとんど職場から直接来ている。なかでもコンさんクマさんのばあい、濃紺スーツにシャツとネクタイのビシッとした、なかなかデキル男風ビジネススタイルで、いやあオドロキ。野暮ったいなんていえない。しかし、それで、なんで女にもてないのかと、やはりいってみたくなる。

この夜も、女は一人もいない。ああ、やっぱり逃げられるのか、今夜もまた女は一人も来ないのか、みなこいつらが悪いからだと思っていたら、21時半ごろ、選び抜かれた日本一のバカドモが集まる職場の仕事を終えた、女オッタチトウフさんがあらわれる。なんてったって、彼女はおれの愛人8号だから。

そのころまでに、もう焼酎のボトルを5本も、あけていたらしい。すごい呑み方だ。とにかく、ここは長居したから、ちがう酒場へ行こうと移動。二軒目はココと決めていた飲み屋は、閉まっていた。見たかんじ閉店のようだ。その近くにチムニー系の居酒屋ができていて、これにやられたのかもしれない。仕方ない、そのチムニー系居酒屋に入る。こちらは大混雑。気がつくと、コンドさんとクマさんはいなかった。そういえば、クマさんは、早朝一番のフライトで、「雲のうえ」の1号と5号を持って、北九州の角打ち&食堂めぐりのち福岡の実家に帰って来ると言っていた。

はて、2軒目は、ほとんど記憶がない。24時ごろまで呑んだのだろうか。終電ではなかったが、帰宅は25時をすぎていたのは確かだ。

1軒目は、いわゆる下町大衆酒場としては有名店。いつも混雑していたのだが、なんと、われわれグループのほかに、おなじ人数ぐらいの近くの職場のグループがいるだけで、100席近い店内はガラガラなのだ。はやい時間にはご常連さんがチラチラいたが、なんということだろう。金曜の夜だというのに。

メディアによる流行は、メディアによって波がひくように別の場所へ客は運ばれていく。この「有名店」にして、そういうことなのだろうか。下町大衆酒場に人情を「見物」にくる連中にかぎって人情がない。

今回は、けっこうクマさんと「おたく」の話ができて、よかった。いまちょうど、きのうのエントリーにも関係するが80年代以後の「おたく」が気になっていた。クマさんは、30チョイの歳で、まさに「おたく」なのだ。でも、おれが知っている、彼より一回りぐらい上の「おたく」たちと、かなりタイプがちがう。話していて、そのワケが少しわかったような気がした。

クマさんは大宮オークラで山崎邦紀監督作品も観ている。彼にいわせると山崎監督の作品、とくにあのフェチっぽいタッチは「おたく」がゼッタイよろこぶ、もっと「おたく」に見せるべきだと言っていた。

そうそう、このクマさん、コンマさん、タノさんは、その大宮オークラでも一緒で、打ち上げでも呑んだのだった。タノさんは、すっかりはまって、その一週間後の浜野監督の日も、さらに一週間後の浜野監督山崎脚本コンビの「百合祭」自主上映会まで付き合ったそうだ。しばし、その話にもなった。山崎監督も浜野監督も、35ミリフィルムでキチンと撮るひとだから、その映像は、なかなか見ごたえあるのだな。ピンクだろうが、どんな仕事のステージだろうが、やるべきことをキチンとやるということが、大切なんだよな。「百合祭」は、いわば「老人のセックスを笑うな」というものであるから、ぜひ観たいと思っている。

しかし、まいどのことながら、なかなか話題も豊富な楽しい呑みだった。この呑みは、ますますいい感じになっている。うまい「関係性」が育っている。

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