消費主義の特徴。
おととい20日の「10年前の『町雑誌 千住』のオコトバ。」に「消費主義者」を名のる方がコメントを残している。まさに消費主義の特徴を凝縮した文章なので、ここに掲載し教材とさせていただくとしよう。
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自らが本媒体やネット上で情報発信していながら、「消費主義者」などという古くさい言葉で、いったい誰を攻撃しているのですか? 「大人でもなければ誠意も節度もない」客って、同じ店に貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?
失礼ですが正直、大衆食堂を「金稼ぎのネタ」にしている人間に偉そうなことをいわれたくないですね。あなたよりは、たとえミーハーであれ「消費主義者」のほうがマシだと私には思えます。「思わぬ「悪事」に利用される」ことを望まないなら、まずは書かないことです。自明でしょう。
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文章を見ても何かを見ても、「情報」としてしかみない、「情報」しか拾わない。文章や、何かにある、上っ面だけみて、「奥行き」を読めない。
「「消費主義者」などという古くさい言葉で」といったふうに、「古いか」「新しいか」でみて、新しいことにしか価値を認めない。古い食堂や酒場をめぐるのも、それが新しいトレンドだからだ。
対象をシッカリ把握することをしない。事実や実態より、自分に都合のよい情報だけを大事にするから、「大衆食堂を「金稼ぎのネタ」にしている」といったことをいう。モノゴトを「気分」や「気持」に還元してしまう。
「「思わぬ「悪事」に利用される」ことを望まないなら、まずは書かないことです。自明でしょう。」。これは、カギのかかっていない家に入って盗みを働き、カギをかけてないのが悪いという論理の典型。多数派の開き直りともいえるか。「貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?」なんて、たちの悪い悪ガキの開き直り。ちかごろ、こういう論理が目立つが、消費主義がもたらす短絡のようだ。
情報は、ハサミのようなもので、その使い方が悪ければ、批判されるのは当然なのだ。ほんらい、むかしながらの「大衆食堂」でめしくう行為などは、消費主義に対する批評でもある。だけど、消費主義は、そのことを自覚できない。
「消費主義者」を名のりながら、「消費主義」と「生活のなかの消費」の区別もつかないようだ。たぶん、すべての言葉は情報にすぎないのだろう。「ミーハー」が「消費主義者」と一緒にされたら、「ミーハー」は可愛そうだ。
ついでに、最近のトラックバックにある、「消費者には〈情報〉が必要やけど、生活者に必要なのは〈情報〉でなく〈哲学〉や、ということです」という、「140B劇場-浅草・岸和田往復書簡」の「「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん。」もごらんあれ。
これは、2006/07/19「「地下鉄のザジ」の街的飛躍そしてパーソナルヒストリー」にいただいた、トラックバック。
さらに、2007/04/27「消費主義と、どうつきあうか」をごらんいただくとよいとおもう。
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コメント
なんだか、いそがしそうだねえ。タップリ稼いで呑ませてちょうだい。
そっちのブログには、たしかに、あんたのオヤジぐらいのトシの、いい年こいたオッサンがウンコを落としていっているけど、いい年こいたオッサンというのは、みな、誰かにかまってもらいたいサミシイ存在なのです。よろしく可愛がってやってください。
ネットで可愛がっているぶんには、店の外へひきずりだして拳で可愛がるようなことはしないですむから、アンシン。
投稿: エンテツ | 2008/03/27 06:50
あ〜やっと書き込むヒマが出来た...
おいらのブログのコメント欄にも、これと全く同じ論調の批判がいくつか書かれたことがありまして、この消費主義者って奴らの反論(主張?)ってのは簡単に論破できてしまうんだが、こういう馬鹿な反論見るとボクはとってもワクワクしちゃうんだよね。うふっ!
んで、連中のこの幼さ(頭の悪さ)が結構可愛く感じたりして...うふふ。
でも連中の正体はいい年こいたオッサン達なんだから始末に負えねぇんだよな...
投稿: 吸う | 2008/03/26 16:50