義理人情とイイカゲンがよいのに、仔細になる契約。
きのうは、ある契約に立ち合った。そのときも話題になったが、なにごとにつけても契約書をとりかわすようになり、しかも、その書類が年々ふえている。
この日本のように、「コンプライアンス」なんていうマヤカシの言葉が流行るほど、遵法精神に欠け、なんていうホテルだったか、西武系の、自分の会社の判断を裁判所の判断より上に置いても、それがまかり通るほど、法治国家の姿からは、ほど遠いというのに、こと「契約書」となると、やたら細かくなっていく。このままじゃ、なんの契約にしても、アメリカのように「弁護士」という、細かい法律を知って相手の細かいミスをみつけては取り引き駆け引きは得意の、口先だけのペテン師に頼らなくてはなりそうだ。
「訴訟大国」のアメリカは、けっしてビジネスモデルになるような、姿ではない。そもそも、よい弁護士を雇って、訴訟で争えるのは金持ちだけなのだ。
しかし、わが日本の、まやかしもヒドイ。「コンプライアンス」なんて、本来は「順法精神」とでも表記すべきところを、それでは、いかにも自分たちが法律に従っていないのがあからさまになるので、こんなカタカタ英語をつかい、しかも、それを国語的には「遵法」という、さもさも威厳ありそうな言葉で、とりつくろう。これは、自分たちに「アマイ」なんていう「甘えの構造」レベルのことではない。もっと、骨の髄からの、腐敗レベルのことなのだ。
そのくせ、細かい契約書をとりかわす。その契約書たるや、だから、カンジンのところになると、当事者の「誠意」ある話し合いで解決、ということになる。みんな自分の都合だけで、約束は守らない、誠意などないから、契約書をとりかわすのではないのか。
そして、そんな契約書があることで、「義理人情」は廃れる。ま、「義理人情」というのも、そんなによいものではないし、とかく近頃は、義理は欠き、人情だけを求める風があって、ますます「義理人情」が廃っている。日本は、半端で、難しいことになっている。ようするに、契約だろうが、義理人情だろうが、自律が基本だと思うが、そこんところが、ねえ。底が抜けている。
かくいうおれは、ただの酔いどれ、です。あなたは、どうしてますか。またもや、二日酔い?
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コメント
それは体質じゃなくて、カネがなくて、呑み方が足りないせいじゃないのか。
おれは、ケチで意地汚いから、泥酔二日酔いしても、ゼッタイ吐くことだけはない。
ただいま、朝酒中。
投稿: エンテツ | 2008/03/12 08:50
いや、おいらは二日酔いしない体質なもんで。
投稿: 吸う | 2008/03/12 08:44