いいねえ「「自分探し」という不毛を超えて」だって。
←左サイドバーのリンクにある「雑誌『談』編集長によるBlog」を見たら、25日に「『談』最新号 特集「〈共に在る〉哲学」3月28日発行!!」の告知があった。なかに「◆河野哲也 「こころ」は環境と共にある……「自分探し」という不毛を超えて」と。…クリック地獄
「「自分探し」という不毛を超えて」って魅力的な見出しだ。「自分探し」だの「自己実現」だのという不毛は、もう「超える」べきだ。
「共に在る」って、もしかして、「個を超える」ということだろうか。それだと、なおオモシロイ。「共に在る」を考えない「個」なんて、それこそ1980年代以後の消費主義の「自己愛」がはまった隘路だもんな。
「共に在る」…「街的」な感じもある。気になる。
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