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2008/04/29

バカだけどバカに群れたくないバカな男もいる。

こんなにもそんなにも愛しているのに、じゃねえや、そんなにもこんなにもやっているのに、片づかない。手順の悪いやつがいるのだなあ。一生懸命やってます愛していますだけじゃダメなんだよな、シゴトというのは。なーんてね。なんだかなぜだか「もくようにきて」という言葉を思い出した。

「もくようにきて」、年号を語呂あわせで覚えるとなかなか忘れないように(それでも、ほとんど忘れたが)、この語呂を覚えていた。70年代の前半、「システム工学」的手法がハヤリはじめたころだ。「木曜に来て」、そしたら、あなたとラブします、じゃねえんだよ。「もく」は目的、「よう」は要素、「き」は機能、「て」は手順や手段。プランは、これで決まるというわけ。じつは、料理もおなじようなものだ。なかでも手順、優先順位も関係する、これをまちがうと台無し。料理の分野には、「さしすせそ」なんていう調味料をつかう手順の語呂あわせがあるが、とにかく、手順が悪かったりまちがったりすると、とんでもないことになる。

ま、そういうわけで、そういうやつがいると、こいつバカだなあ、一生懸命やってます愛していますだけじゃダメなんだよといいたくなることもある。

しかし、おれだってバカなのだ。しかも「バカに群れたくないバカ」なのだ。じつは、バカに群れたほうが、おれのばあい、まちがいなく、儲けられる。なんせ、いまハヤリの「B級」「下町」「昭和」「大衆」「庶民」…たいがいからんでいる。でも、近頃そこに群がるバカたちをみると、おれもバカだけど、そういうバカに群れたくはないなあとおもうのだ。そして稼げるチャンスを失う、これほどのバカはない。しかも、手順の悪いバカとつきあわなくてはならない。

おおマイがっ、泣きがはいりそうだ。こんなにもそんなにも愛しているのに、あの女は、追っかけ、どこへ行ってしまった。

近年は「大衆食堂」だ「大衆酒場」だ「立ち呑み」だ「下町」だ「昭和」だとかいっていれば、それだけで正しい「庶民文化」を生きているような風潮がある。しかし、それは、バカをさらしているだけということが、少なくない。「文化」だ「研究」だといいながら、ハヤリに群がるバカをさらしている連中もいる。こういう風潮は、いまや「モツ」だの「ホッピー」だのという下世話にまでおよんでいる。

80年代、それもバブルのころの「大衆食堂」「大衆酒場」「立ち呑み」「下町」「モツ」「ホッピー」などは、どうだったか。そこだけが、はしゃぐ消費のバカに取り残されていた。まさに、1995年の拙著『大衆食堂の研究』に書いたように、「ジャンク」な佇まいだった。ハヤリを追うオシャレなバカどもは寄りつかなかったし、そして、バカをやりながらもバカの仲間になりたくないものたちが、静かに「自分の生」を、めしをくったり酒を呑んだりしながらかみしめていた。

そのバカの仲間になりたくないバカの居場所が荒され、失われている。かつてのはしゃぐ消費のバカは「hanako」さんといった若い女、オヤジギャルが中心だったが、いまやいいトシこいたオヤジ、団塊世代までが、かつての「hanako」さん以上に、バカ恥さらしに懸命なのだ。しかも、コリコウそうに「庶民文化」をウンチクする。

きょうはバカのおかげで、ごたくをならべているヒマはない。こういうときは、ひとさまのブログにリンクだ。

そういうバカと酒場で出会ったひとがいる。笑ってしまった。こういうサイテーの連中が、「下町」や「下町風」のアチコチに出没し荒野に変えている。たぶん、この中原さんも、「バカに群れたくないバカな男」のようだ。あの暴走族とおなじようなバカどもにむかって、「街的に自らを律せよ!」なんていっている。

「吹ク風ト、流ルル水ト」の4月29日「黄金週間?」…クリック地獄

いったい、ほんとうのバカは、誰だ。もちろん、おれだ。


当ブログ関連
2006/11/30
「男」という場合の「男」は、男なのか?
2008/03/20
10年前の『町雑誌 千住』のオコトバ。
↑これには「消費主義者」を名のるひとから「「大人でもなければ誠意も節度もない」客って、同じ店に貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?」などと、自分さえ快感できればよい暴走族も顔負けのコメントがつき、それに対しては、下記に書いた。
2008/03/22
消費主義の特徴。

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2008/04/28

優雅なエンテツのおしゃべりを掲載。

去る3月30日の文化放送、「浜美枝のいつかあなたと「浜さん家のリビングルーム」」に出演した放送を、呑み人の会のタノさんが録音し、それをオッタチトウフさんが書き起こすという、めんどうをしてくれた。なので、その一部を略してまとめ、ザ大衆食のサイトに掲載した。うーむ、なかなかよい内容ではないか。…クリック地獄

Umineko01画像は12日午前8時ごろ撮影、八戸のウミネコ名所の蕪島。なんとまあ、すごいウミネコで、おどろいた。空にゴミがちらかっているようで、とても優雅な風景とはおもえない。画像の右端、島の上には神社があって、そこへ昇る階段の下には、安傘が置いてある。うみねこのフンを避けるために、それをさすのだ。あたりにはそよそよフンの薫りもただよっていた。そして、これだけのネコが一斉に鳴いたとおもってほしい。

優雅なおれは、12日の朝と13日の朝、二日も続けて行ったにもかかわらず、クルマの中から一歩も外には出なかった。13日に一緒だった木村衣有子さんは、「エンテツさんはウミネコにはそんなに興味はなさそうだった。「妙なやつらだよなあ」と、少し引いて評していた。」とブログに書いている。もともと、鳥も猫も犬も、それほど親愛の情を感じない。親愛の情は、すべて人間とくに酒と女にむけられるので、そんなに余裕はないのだ。木村嬢は、以前から蕪島のウミネコはかわいいニャアニャアいっていたが、この日も嬉々として、傘をさして階段を昇り、おれに参拝記念の手ぬぐいを買ってきてくれた。手ぬぐいは、うれしかった。ウミネコは、くえるのだろうか、うまいのだろうか。うまそうには見えなかった。うまそうに見えたら、興味を持ったかもしれない。とにかく固体は群れると別の生き物になるようだ。ニンゲンもおなじなのだろうなあ。

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2008/04/27

春の夜なのに野暮たちと呑んで泥酔記憶喪失。

春の夜の酒は華やかなほうがよい。なのに、またもや野暮しか芸のない男たち、タノさんヤマさんシノさんクマさんコンさんと、大宮いづみや第二支店。ほんと、この顔ぶれだと、女たちの後姿が遠ざかる。ついに愛人8号にまで、デイトだと逃げられてしまった。ああ、春の夜の、もてない男たちのタメイキ。いや、タメイキをつくぐらいなら、まだ見込みがあるが、まったく平気で楽しんでいる。

昨夜の大宮いづみや第二支店は混んでいた。雨も降っていたのに、17時半の集合時間には、一階は一杯で席が確保できなかった。二階へ。ようするに、呑んだ、食べた、しゃべった。つぎ、いつものように、北浦和の志げる。なんと、ここも、一階は一杯。この10年間のうち、初めて二階へあがる。一階では想像できない、明るさきれいさ。とにかく、呑む、食べる、しゃべる。そして、22時すぎ、もう呑めない、疲れた、帰ろう。ここで、ややトシの差が出たか。いちばん若手の30そこそこのクマさんとコンさんは席を立とうとしない。二人を置いて先に帰る。もちろん泥酔記憶喪失。

昼12時すぎても、やや胃が焼けるかんじの二日酔いが残る。野暮な男たちと呑んだから悪酔いがヒドイのか。

ほんとうは、きのうは山崎監督も招いて呑みたいとおもっていたのだが、監督は親御さんの看病で大変そうだし、グズグズ連絡とらないうちに時間がすぎ不発におわった。また機会をあらためてやりたい。で、しばらく更新がなかった山崎さんの「影への隠遁ブログ」が、きのう更新されていて、「OP映画祭りで拙作ピンク上映+会津若松の朝火事」のタイトル。

「5月のGWに上野オークラ劇場で「OP映画祭り2008」というイベントが行われ、3日(土)にわたしのピンク映画の上映と舞台挨拶が行われる。」とのことだ。おわったあとに打ち上げ呑み会もあるという。うーむ、残念だなあ、この日は先約があって、昼から夜まで呑んで、必ずや泥酔になるから、行けない。残念。

みなさん、先日、聚楽台が閉店したばかりの上野のオークラ劇場にゼヒ足をおはこびください。山崎監督とは佐々木基子さんが舞台挨拶に立つそうです。ただし、今回は女性専用席はありません。詳しくは山崎さんのブログ……クリック地獄

しかし、おれのブログは、泥酔日記になりそうだなあ。

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2008/04/26

なぜ、バカは風邪をひかないのか。八戸五番街ブルース。

Hatinohe_5bangaiここのところ調子がイマイチだった。なんだか、もうおれは、やはりトシだなあ、決定的にトシをとって、肉体が衰えているのだなあ。これじゃあ、若い愛人に逃げられるのも無理ないなあ、シクシクシク、と、日々、ブルーな気分で悲観していた。なにしろ酔いどれ深夜便も書けない状態だったのだ。

しかーし、きのうあたりから調子が上向きなのだ。今夜は、ホラ、いま午前1時すぎ、ほぼもとのにように、酔って書いています。

ふりかえってみると、風邪だったのだ。鼻水が、しまりの悪い水道の蛇口から絶え間なくしたたり落ちるように流れ出て。その状態は、ちょうど東北へ行くころに始まった。ここ10数年は症状が出なかった、ダストアレルギーが関係しているのかなあとも思っていた。岩手の一ノ関に着いた日も翌日も、冷たい雨と風だったから、それで鼻水が出るのだろうとも思ってみたりした。

今週になってからは、ふとんに入って横になっても、鼻水が流れ落ち続けるので、鼻の穴に鼻紙を突っ込み、口をあけて寝たりした。そのとき風邪だと気づくべきだったが、まさか風邪だとは思っていない。そもそも、毎晩のように遅くまで酒を呑んでいるから、頭が重く身体がだるくても、疲れなのか二日酔いのなのか、わけがわからんのだな。とにかく、ああ、おれもヤキがまわったと思いつつ、また呑む。そういう日々でした。

なんのことはない、風邪だったのだ。もっと早く気がついて、クスリでものんでチョイと寝れば、もっと早く治ったのだ。でも、まあ、不調とはいえ、一つだけ仕事がからまない約束をキャンセルしたが、酒は休むことなく、無事に回復した。ズーンと重かった頭も、スッキリ。

というわけで、きょうのタイトル「なぜ、バカは風邪をひかないのか。」なのですね。わかったのですよ。ようするに、バカは風邪をひいても風邪をひいたことに気づかないのです。そのうちに直るからです。

さあ、それでは、元気になったから、呑み屋の横丁だ。おとといの三軒茶屋で、横丁の呑み屋街がよかった。酔っていて覚えてないけど、画像を見て、しみじみそう思った。やっぱり、横丁、路地裏だよ。って、ことで、八戸の横丁だ。

Hatinohe_girlここは、先日も書いたが、入り口の角に「ガールハント」なる60年代風サロンがある五番街。スナックだらけの狭い路地。このあたりは、なんとなく元ハイカラ風のニオイがただよう。八戸は遠洋の漁港の街だから、そういうことが関係しているのだろうか。

Hatinohe_kanban_bonkura五番街の入り口、「ガールハント」と反対側の建物。「わたし、ついに京都に来ちゃいました」というかんじの女が立っている後ろの建物は、木造の洋風がちで、細部の飾りのつくりまで、凝ったものだ。それから、薄暗い路地の看板も。元ハイカラの心意気をかんじる。ほかの看板も、オッと思わせるものがけっこうあった。「景気がよかったころ」は、このあたり、にぎやかだったにちがいない。ああ、札びらが舞ったかげに、沈むものと浮かぼうとするものが交差するところ、男と女の欲望がムレムレ漂っては一夜の幻をむすぶ、八戸五番街ブルースなかんじでした。

先日掲載したように、酔って、またここを通って帰ったのだが、「ガールハント」は、ちゃんと営業していた。50年配の、普段着のジャンパーをひっかけた、人のよさそうなオヤジが客引きをしていた。一瞬、もしかして経営者? まさかね、と思った。

トウトツですが、はたして、せんべい汁は、請う御期待。

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2008/04/24

記憶喪失中の諸行無常。追記。

さきほど中原さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見たら、下記の記事を読んでのエントリーがあった。「路地の諸行無常」のタイトルで、「すぐにデジカメを確かめると、あった。写真を撮ったことなど忘却の彼方 というか全く覚えていない。」と、その画像が掲載してある。やはり中原さんも覚えていなかったのだ。路地の名前は「ふくべ小路」というのだそうだ。呑んで記憶を失った男が写真を撮るにふさわさしい名前と光景だ、といえる。愉快なり。(26日追記)

おどろいた。ちかごろ、こういうことはめずらしくないのだが、デジカメのなかを見たら、撮影した記憶がない、昨夜の三軒茶屋の横丁の画像が4枚あった。これは、「味とめ」から出て、つぎへ行く途中なのか、それとも、すでに二軒目を出て、駅へむかう途中なのか、それすらも思い出せない。かなり酔っていたはずの中原さんも、しっかりカメラをかまえて撮影している。なにかやらかしたい、なにかやらかさずにはいられない、そんな人生を歩んできた、まもなく60になろうという男と60半ばの男が二人、欲望の大都会の谷間で、酔ってなにをやらかしているのか、なにをやらかそうというのか。とりあえず、掲載。いちばん下の画像の正面の店は「だし汁屋」とある。うーむ、気になる。

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三軒茶屋で早々に泥酔。

きのうは16時に、三軒茶屋の「味とめ」でプロデューサーの中原蒼二さんと会い、呑み始める。最初は生ビール。あたたかい陽気のうえ明るいうちからのイッパイはうまい。そのあとキンミヤ一升瓶をデンとおいて、炭酸割りで、グイグイグイ。

中原さんとおれが話していると、「味とめ」のおばさんが、「大竹聡さんて有名なひとなの」と大きな声できいてくる。話を中断して「そりゃもう、たいへんな有名人ですよ」と口々にいうと、またしばらくして、おなじことをきかれる。3度ばかり、それを繰り返したかな。

中原さんは『雲のうえ』をプロデュースした方だ。『雲のうえ』だけじゃなく、黒い飛行機やらいろいろ。昨年の北九州取材のときも含め、なんどかあって酒も一緒に呑んでいるが、ゆっくり2人だけで呑むのは初めて。あまり酔ってない最初のうちは、そもそもの『雲のうえ』の始まりあたりから、現在までをアレコレ。

しだいに話しはとっちらかる。酔いがまわるうちに、ユーピーユーの話になる。ユーピーユー華やかなりしころ、というと、1980年ごろか、中原さんはそこにいたのだそうだ。なんとなんと、おれは、そのころユーピーユーの某氏らと、あれこれ画策をしていた。もっともおれは、そのころから出版系活字編集系とか苦手で、ユーピーユーのなかでも中心のそれ系ではなく、ベンチャー的な付随ゼニ儲け事業系の人たちとの付き合いだったから、中原さんとはあう機会がなかったようだ。でも、ユーピーユーのことなどスッカリ忘れていたが、いろいろ思い出した。中原さんの口から、GSのオギハラさんの名前が出て、ビックリ。彼とは、ついこのあいだ呑んだような気がしていたが、数えてみたら、90年ごろ井の頭公園で花見をやって、彼の自宅マンションで呑んだあと、会ってはないのだ。江原恵さんやその周囲の詩人たちのことも話題になったな。最近のひとでは、江さんのことも。しかし、めしくって、クソして、呑んで寝て、仕事して、たまにセックスなどしているうちに、怒涛のように、月日は流れていくのだなあ。そして、きょうまで生きてみました。

そんな思いをしつつ、酔いは深まり。「もう一軒」と中原さんに案内され、三茶の路地をクネクネたどりついた呑み屋、名前も場所もわからん。かなり酔っていた、もう呑めないほど酔っていた。

なのに、22時前にはヨロヨロ帰り着いた。早くから泥酔だったのだな。ここのところ忙しいこともあり体調は万全といえなかったし、明るいうちから呑むと気分よく、酔いも早いようだ。

バッグのなかに、大根の煮物などが入っていた。二軒目で食べられなかったから、もらってきたのだろうか。

うっすら覚えているキーワードなんぞを忘れないようにメモ。「食知性学」でしたっけね。それとも「食地政学」? あと「倫理論理のひと」っての、バツグン。

いやはや、楽しかった。もっと話したいことがあったような気がするが、早々に酔ってしまい、グチャグチャ。また、そのうち、呑む機会がありますように。

吹ク風ト、流ルル水ト。……クリック地獄

バッグのなかに水族館劇場編集局発行の『fishbone』が入っていた。編集に中原さんの名前がある。08年3月19日の「古書ほうろう」における、内澤旬子さんと水族館劇場代表・桃山邑さんの対談が収録されている。うーむ、中原さん、水族館劇場の舞台制作も手がけているのか。

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2008/04/22

八戸の片町朝市は、小粒だけど、素晴らしかった。追記。

Hatinohe_katamati_dengakuoyajiああ、まもなく午前1時半か。近頃は酔いどれると眠くなって、酔いどれ深夜便にならない。酩酊メールも出せない。あなたは、どうしてますか。

眠い。文は書けないから、あとで。とりあえず、画像だけ。

そうそう、さきほど、数時間前、テレ朝の「やじうまワイド」というところから、『スーパーJチャンネル』のニュース番組で撮影した映像をつかわせてほしいという電話があった。おれは見てないから、どんなアンバイなのかわからないが、どうせニュース番組だから、ちょっとだけの登場だろう、OKした。しかし、明日というより、あと数時間後の、5時半ごろの放映だそうだ。そんなに朝早くからテレビを見ているひとがいるんだなあ。おれは寝ているよ。

片町朝市は、ここにある「てんぽせんべい」を訪ねるついでもあって行った。30分ぐらいで見て回れる、小粒な市だが、なにやら古くから続いている人気の市らしい。冬季をのぞいて毎朝やっているのだそうだ。魚系も野菜系も、卵も米も古着も「喫茶」もあって、なかなか充実している。弁当やおでんなど、あるいはすでに紹介したが、せんべいで赤飯をサンドしたやつなど、その場でスグ食べられるものも豊富。なかでも気に入ったのが、これだ。

片町朝市のオヤジ~。ニンニク味噌をぬった豆腐田楽、うまかったぞ~。オヤジがいうとおり、酒があったらいうことなかったんだが、なにしろこれでも仕事だったからね。6時すぎの撮影。しかし、なんとも、ジャンクでアナーキーでソウルフルなうまい食べ物がそろっていた。また行きてえ、こんどは酒を持って。

下の画像の豆腐田楽のクシを、よくご覧いただきたい、田楽の下に小さな板があてがってある。この板を押し上げることで田楽を押上げ、食べるのだ。だから、その場で食べ、このクシはオヤジに返さなくてはならない。

田楽の右のお顔は、B-1グランプリ事務局長の今野晴夫さん。この方に会うために八戸へ行ったのです。今野さんとB-1グランプリのことも近日中に書きます。タブン。
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2008/04/21

きょう上野「聚楽台」閉店。テレビ朝日『スーパーJチャンネル』のニュース番組に出演。

Ueno_jyurakudai01いま15時半すぎなのだが、さきほど、テレビ朝日から連絡があって、2008/04/19「雨のなか底を打ったか不調のテレビ収録、見よ八戸せんべい生活。」に書いた、上野「聚楽台」での収録は、きょう放映になるとのこと。17時15分から17時半ぐらいのあいだ。ハテ、うちにはテレビはないのだが、どうしませうか。

とにかく、きょうが閉店日なので、その収録のときに撮影した画像を載せておく。飲食店の主な流れは、経済合理主義のマーケティングそれと一対の消費主義によって、年齢や嗜好などでばらばらにセグメントされ、「街的」な空間を失ってしまった。それがオシャレといわれハヤリだが、こういう誰でも受け入れられる大らかな空間となんでもありの大らかなメニューは、大衆の憩いの場として、ふさわしいあるべき姿だと思っている。

いつもこういうときには、「むかしはよかった」と、ありきたりの感傷的なセリフをはいて、「古きよき時代」とやらを懐かしんでおわる。そうではなく、かりに、このようなカタチが地価の高騰などで難しくなっていくにせよ、老若男女が入り混じりなんでもありの「街的」な空間の生活は、自らの意思でつないでいけるのだから、そこのところを「イマ」を生きる人間として考えたい。

ザ大衆食「上野駅前 上野百貨店の聚楽台と西郷丼」…クリック地獄

店内の画像。かなり鮮やかというか派手というかの色合いだが、実際は、もっとくすんでいる。

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2008/04/20

八戸の酔い方。

Hatinohe_ore_roji昼すぎ。ふう、はあ、ほっと一息、一杯の酒、といきたいところだ。

やっと、なんとか来週から今月末までの目安や段取りがついた。連休を前にしてか、みなあせりまくっているからなあ。しわよせは、おれのような下積みフリーに。そりゃまあ、長年こういう生活をしているからなれてはいるが、近頃は、なんてのかな、「仁義」なきやりかたというのか、そういうものがまかりとおって、ふむべき手順もふまないで先を急ぐ。若いアタマのよい連中が、それが要領のよいやり方だとおもっているらしい。きっと、上司が、そういうふうにやっているのだろう。もっと、愚直にやることを覚えやがれ。各駅停車でいかなくてはならないところもある。仕事なんてのは、宇宙戦艦ヤマトなワープで結果だけ得るなんてことはありえないんだよ。ああ、今日の高千代酒造の蔵開き、ついに行けなかった。と、まずはグチだが、でも、けっこう片付いて、かなりよい気分だ。今週からは、けっこうユトリだな。おれって、ようするに、口は悪いかもしれないが、優しいんだよ、親切なんだよな。

そのあいだに、盛岡のサキさんから、メールで画像が届いたり、宅急便で紙焼きの写真ほか、うまいケチャップなどが届いたりした。木村衣有子さんのブログ「パール日記」を見たら、八戸旅行のことが書いてあった。楽しかった旅の気分が持続する。…クリック地獄

先日、旅行に着ていったものを洗濯したら、シャツの胸ポケットからクチャクチャになった紙が出てきた。ソッと復元したら、ハシ袋だった。その裏に、「エンテツさん、日曜日、7時にホテルのロビーで」というようなことが書かれてあるのが、やっと読めた。あれっ、最近は愛人と会ってないのにオカシイなとおもったら、これは、どうやら、12日土曜日の夜、4軒入ったうちの、たぶん最後の呑み屋かその前あたりでだろう、翌13日の早朝に八戸漁港の朝市へ行こうということになって、だけどおれはかなり酔っていたから忘れないようにと、木村嬢が書いてくれたものとおもわれる。

だけど、おれはすでにかなり酔っていたのだから、そんなこと覚えていないわけだ。そのシャツを着たままベッドに入り込んで寝て、翌朝は寝坊して木村嬢に電話で起こされ、着替える間もなく、簡単にツラを洗って出た。そのままアチコチまわり盛岡まで行って呑んで、最終の新幹線で帰ってきた。ハシ袋は、ずっとシャツの胸ポケットに入ったまま一緒に旅をしたのち、洗濯機にほうりこまれたのだな。

ま、そういうわけで、サキさんから送られてきた、いちばん上の画像。これはたぶん12日の17時開店早々に入った一軒目、昭和通りという、どうってことない横丁のどうってことない居酒屋「弁慶」で呑んだあと、二軒目のローれんさ街の「おかげさん」へ行く途中とおもわれる。

五番街という、昭和通り側の入り口には「ガールハント」なるサロンがあって、スナックなどがならぶ、昼でも薄暗いヒジョーに狭くいかがわしい魅力的な路地をぬけ、続くたぬき小路に入ったあたりだ。19時ごろ。すでにおれは酔っている。うーむ、しかし、おれには、こういう景色があっているなあ。一人だったら、このへんでフラフラ入ってしまうところだ。

で、つぎに行った「おかげさん」のことは、後日、ここのせんべい料理を紹介しながら書くから、とばして、3軒目。2008/04/14「一ノ関、八戸、盛岡、朝市から夜中泥酔まで。」に書いた、バー「花」だ。ここがモンダイなのだ。記憶が、ところどころある、それぐらい印象的だったのだな。

まず、たしか、どこかはずれのほうだった。どこか通りからはずれて、住宅街のような横丁を入ったところ。ほかに商店はなく暗いなかに2、3軒、ドアー周辺にだけ灯りがついている酒場があった。その一軒。この入口が、なんてのかなあ、たしか銀色のような造りで、なかにスパンコールだらけのロングドレスを着た女装の男がいそう。と、おれはビビビとかんじた、そういう風俗営業店な佇まいだったとおもう。

Hatinohe_ore_hanaしかし、なかに入ってみると、きわめてオーソドックスなバーなのだ。シェーカーをいくつも大事そうに並べたカウンターの向こう側の、きちんとチョッキを着たバーテンダーは18歳のときからこの道で40年とか45年とか。ほかに客はいなかった。おれたちは、それぞれ気に入りのカクテルや、バーテンダーおすすめのカクテルを頼んだ。

おれは、ドライマティーニ。キーンと冷えたグラスにステンの楊枝をさしたオリーブが入っていた。おれは、よろよろする頭で山口瞳さんの『酒呑みの自己弁護』にある「ドライ・マルチニ論争」をおもいだしながら、山口瞳が呑むように呑んだ。つまり先にオリーブをたべ、その楊枝をカウンターのうえに置き、一気に呑みほす。うまいっ。

ここで、おれは、おれだけがカウンターのなかに入ってバーテンダーと一緒に写真を撮ってもらったと思い込んでいたが、サキさんから送られてきた紙焼きを見たら、そうではない。おれがバーテンダーと肩を組んで写っているほかに、ワレワレ3人が、カウンターのなかで写っているものがあるのだ。ということは、ワレワレがなかに入って、バーテンダーを外に出して、写真を撮らせたということになる。いやはや、バーテンダーの聖域であるカウンターのなかに入るなんてことも、できることではないのに。たぶん、こんなことは二度とないだろう。おもてからはうかがい知れない意外なバーで、よい楽しい記念になった。画像は、おれのデジカメで撮ってもらった。撮影時間22時22分。ご満悦。

Hatinohe_mirokuそのあと、おれが泊まっていたホテルにもどる途中にある、みろく横丁を、そのまま通りぬけられるわけがない。ここで入った店の名前は覚えていない。すでに書いたように、韓国人のビジネスマンがいて、おれはこのひとが持っていた札を撮っている。この札、サキさんたちの話だと、おれにくれると言ったらしいが、彼はちゃんと取り上げて、おれたちより早く店を出たということだ。この札の撮影時間が0時1分。おれは、まったく記憶がない。ほかの写真に写っている木村嬢も、酩酊の表情。おれは取材で朝6時にホテルを出て、途中すこしだけホテルにもどって横になったが、もうヨレヨレだった。

さきほど、故郷のクボシュンさんから、電話があった。高千代酒造の蔵開きは、行けない。残念。来月の五月祭りのときには行きたいという話をする。

そうそう、木村さんのブログには、「『天然生活』6月号(地球丸)の「私の街歩き お気に入りの場所へ」で、「早稲田の好きな場所×3、『ボワ・ド・ヴァンセンヌ』『古書現世』「早稲田松竹」の紹介をしました。52,53ページに掲載されています。」とある。あのエコシャレな雑誌に、中央線文化人気取りカルチャー系古本屋ならともかく、どんな意味でもコシャレ系とはいえない古書現世が! 木村さんのワザも含めて、見なくては。

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2008/04/19

雨のなか底を打ったか不調のテレビ収録、見よ八戸せんべい生活。

Hatinohe_senbei_sekihanすでに新聞などで話題になっているが、来週月曜日21日に、ザ大衆食のサイトにも掲載の、上野の「聚楽台」がビル改築のため閉店になる。ってことで、「古きよき」昭和ブームらしき状況もあって、マスコミにとってはニュースネタなのだ。ってことで、成り行きで、テレビ朝日の『スーパーJチャンネル』のニュース番組に付き合うことになった。

今日(18日)は、その収録で、夕方から「聚楽台」へ。約2時間近く。テレビ番組の出演は何度かあるが、ニュース番組は、初めて。まったくつくりかたがちがうというか、ま、ようするにニュースをつくるのである。「ニュース」は、あるものなのかもしれないが、「ニュース番組」は、つくるものなのだ。それを見て、人びとは、「ニュース」は、あるとおもう。

おれはこんな調子だった。「あのう、ビール呑んでいいですか」「だめです」しばらくして「あのう、もうビール頼んでいいかな」「もう少し、まってください、あとで注文して呑んでいただきますから」「呑みたいなあ」「これはニュース番組ですからね、呑むと顔が赤くなるでしょ、それではマズイのです、注文をとりにくるところから写しますから、そのときビールを注文して出たら自由に呑んでけっこうです」…てな、かんじで、若い女性のディレクターは毅然としている。おれはチョイとアルコホルが入ったほうが、頭も口もなめらかになるハズなのだが、それではアル中だな、と思いながら、ガマン。

また、例によって、「古きよき時代」だの「懐かしい味」だのについて話をむけられると、大人気なく抵抗するようなもの言いをしつつ、とにかく、無事かどうか、終了。

ここのところ、体調というか気力がイマイチで、おれとしては精彩を欠くできだったと思っている。21日の閉店日も、もしかすると撮影があるかもしれないとキープされていたのだが、それはナシですむようだ。

放送日は、まだわからないし、収録しても、大事件があるとなくなってしまうことがあるから、とにかく、先のことはわからない。

ザ大衆食「上野駅前上野百貨店の聚楽台と西郷丼」…クリック地獄

「4月21日閉店、1959年開業以来50年に渡るご愛顧有難うございました。★★★2010年秋、聚楽台は生まれ変わります。★★★」と閉店を告げるページ…クリック地獄

ま、そんなこんなで、今夜も午前1時すぎ。ここのところ、当ブログの更新がとだえることが、かつてなく多いためか、「生存確認」のメールや電話をいただいている。まだ、おれが生きているかどうかを気にしている方が、おられるのですね。どうも、ありがとうございます。気になるなら、おカネか酒を、生きているうちにちょうだい。小娘からは「もろもろ乗り越えてくださいませ」なんて、滂沱の激励。このトシで、乗り越えたところで、先にあるのは棺おけだ。しかし、ああ、こんなにも、ボクは愛されているのだろうか、いや、バカにされているのだろうか、トシはとりたくないものだ。でも、おれがいなくなったら、どんなサミシイことか、わかったか、クソヤロウども。おれがいなくなると、さみしがるやつもいれば、よろこぶやつもいる。

そりゃそうと、このへんで、書こうとおもっていて、書いてない、一ノ関のつぎの八戸。ここの「せんべい生活」の奥の深さを感じた一品の画像を掲載しておく。話には聞いていたが、赤飯をせんべいではさんだやつ、いや、せんべいで赤飯をサンドしたというべきか。せんべいは、もちろん、小麦粉の「南部せんべい」だが。片町朝市で売っていた。おばさんが、「野良仕事へ行くときは、こうやって持って行ったんだよ」といった。おれは、「なぜニギリメシにしないで、せんべいにはさんだのだ、どういうことなんだ」と問い詰めることも忘れ、「はあ~」とおどろいていた。

赤飯の水分で、パリパリのせんべいは、よい加減にフニャフニャやわらかくなり、せんべいの塩加減が全体の味付けとなって、なかなかよろしいのだなあ。

しかし、これでおどろいてはいけない、まだまだ、「八戸せんべい生活」は、奥が深く広い。

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2008/04/17

あれこれ、また岩手県一ノ関。

Itinoseki_syokudou_ekimae2きのうは、なんだか問い合わせというか依頼というか、多い日だった。ある食堂の閉店が関係していることもあるのだな。とりあえず、まだ急いで片付けなくてはならないことがある。忙しいときは、ひとさまのブログにリンクをはる。

画像は、またもや一ノ関。上は、駅前の「いわぶち屋旅館」が経営する駅前食堂「いわぶち屋」。一昨日のエントリー「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか。」に書いたように、今回は食堂には入ってない。

下の画像は、一ノ関といえば名高いジャズ喫茶「ベイシー」。喫茶というから昼頃には開いているかとおもって行ったが、まだであった。どうやら15時ごろの、テキトウな時間の開店らしい。というわけで、残念ながら、ここも入れなかった。この11日と12日の夜は、ナベサダのコンサートの貼紙があった。当日券1万円。ナベサダのナマなんか、もう20年ぐらい聴いてない。

で、リンクだが、こちら「らっつぁねブログ」さん。その「新鮮館 おおまち」だ。すでに書いた店内の様子などが、画像でわかる。…クリック地獄

素っ気ない、まさに「実用一点張り」の店内だが、よくこれだけ多様な手づくりや新鮮なものが揃うものだと感心した。それは、一つは、この地方は、比較的温暖で物産が豊かであり、かつ宮城県気仙沼の産品もならぶように、海にも近いことが関係しているようだ。そして、なにより、新鮮なものが豊富に揃えられる、「仕組み」が特徴だ。その仕組みは、既存のスーパーでは、まねできない。社長の千葉さんは、大手ナショナルチェーンのスーパーで腕をふるっていたひとであり、その欠点や、大型店やセルフサービスの運営のノウハウもわかっている。そのへんが、うまくかみあわさっているようにみえた。それに土地の人の気質が、ノリがよいようにおもえた。「ノリ」といってはなんだが、開放的な印象をうけた。

「らっつぁねブログ」さんの「新鮮館 おおまち」の次のエントリーは、上の画像の「いわぶち屋食堂」であり、その前のエントリーは、今回の取材先で、すでに紹介した「せきのいち」も含む、一ノ関の「蔵造りの店」の様子がわかる。また、左サイドバーの「最新記事一覧」の「さよなら一関」をクリックすると「せきのいち」が登場する。「らっつぁねブログ」の管理人MERUMOさんは、ここで一ノ関とのわかれを惜しみ「転勤は何度も経験していますが、ここ一関はとても気に入っていたので、突然離れることになって複雑な気分です。」と書く。

Itinoseki_jazz_basieでは、とりあえず、こんなところで。

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2008/04/15

そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか。

Sekinoiti_kura2大衆食堂を特集した北九州市発行の『雲のうえ』は、まちづくりの一環ではあるが、誌面で「食とまちづくり」の関係そのものを探求するものではない。もちろん、食とまちの関係は、キチンとおさえなくてはならないのだが。

今回の一ノ関と八戸の取材は、「美味しいまちづくり」がテーマで、「「食」をキーワードとしたまちづくりを実現させつつある「元気な町」の活動を紹介する」ためのものだ。

というわけで、カバーしなくてはならない範囲が広い。目を通さなくてはならない資料の範囲も広い。なにより、ドカドカ取材して、呑んで、そのときはよいのだが、帰ってきて忘れないうちに整理しなくてはならないことが多く、とにかく、近頃はボケがひどいから、忘れないうちにと録音と画像をつきあわせて思い出してはメモをする。こんなときは、カメラマンは楽でいいなあ、ライターになんかなるんじゃなかった、と思う。とにかく、せっせとやる。すると、いろいろ、おもしろいことに気づく。それはそれで楽しい。

これはアルシーヴ社が制作する『city&life』no.88(都市研究誌 季刊――第一住宅建設協会)という雑誌の取材だ。なので、まだここに詳しく報告できない。この雑誌は、「「都市と暮らしを考える」をテーマに、都市の諸相に迫る。都市計画から社会政策まで、都市に関わる問題、課題を独自の視点から掘り下げる。」というもので、企画委員に、田端康雄さん、陣内秀信さん、林泰彦さん、小谷部育子さん、太田仁さん(第一住宅建設協会理事長)、佐藤真さん(アルシーヴ社)の面々。おれは、数年前の路地横丁関係の特集のときに手伝わせてもらったことがある。前号no.87の特集は、「「美味し国」の景観論―フランス、都市景観の新たな創造」ということで、フランス取材を行っている。毎号、ケーススタディが豊富で、今回のおれの取材も、ルポのようなインタビューのような、ケーススタディのようなアンバイになる予定。

きのうに続いて、最初に行った一ノ関の画像を掲載しよう。上の画像は、きのう掲載の建物と向かい合っている。このように広い敷地に、古い蔵が数棟あるのだ。

一ノ関では「世嬉の一酒造」での取材が主だったが、まちづくりとしては、ほかにも動きがあり、それを象徴するのが、ダイエーが撤退したあとの、その名も「一関まちづくり株式会社」が経営する「新鮮館」だ。

「世嬉の一酒造」のばあい、大正年間に立てられた自社の蔵の再利用が関係しているし、「新鮮館」もダイエー撤退後の建物の再利用がきっかけだ。そして、どちらも地場の産業や食材を活かそうという意図は共通している。だけど、そのコンセプトや対象や方法は、かなりちがう。ま、そこがまたおもしろいし、そのことによって可能性が広がりそうなのだが。

Itinoseki_syokudouというわけで、画像を見てもらえばわかるとおり、一ノ関の画像とくに料理は、当ブログにはめったに登場することのない、おおハイグレード紳士淑女風な。おしゃれ系、上品系、様式美系、といったかんじのものなのだ。

一ノ関では、野人大衆たちが好んで入るような飲食店には、一軒も入らなかった。大衆食堂なんか、写真撮るだけで、フン、てなもんで素通り。おれは、ほら「ザ大衆食」のサイトに「趣味・貧乏生活」と書いてあるように貧乏は趣味でやっているだけ、ほんとうは、けっこうアッパーミドルなイメージの飲食店や料理も得意としているわけですよ。

Sekinoitiで、酒蔵を利用したレストランせきのいちでは、アイネクライねナハトムジークなアイスバインなんぞを注文しましてね、アイネアカルイねナハトムジークな地ビールを呑んだ。それはワケがあるのであって、アイスバインもビールも、立派な地場ものだからなのであります。そのことは、これから原稿に書くので、本誌が出てからのおたのしみ。とにかく、うまかった。アイスバインは、これまで食べたなかでは、かなりいけるほうだった。地元産麦芽をつかった地ビールは種類があるから、好みだろうし、好みで選べるだけ種類があるのがうれしい。

「新鮮館おおまち」は、すばらしかった。きのう書いたように、ウロウロしながら店内にいるひとを勝手につかまえて話をしているうちに、たまたま社長が通りかかり、開店したてで忙しいなか、とてもていねいに話していただいた。アポなし、なのに。やはり、そういう社長さんがいるところは、よいのですね。現場主義。社長の話をメモしながら聞くのに忙しく写真は撮影できなかった。もちろんカメラマンは撮っているけど。

Itinoseki_sinsenkanこちらは見るからに、おしゃれ系、上品系、様式美系、とはちがう志向をしているのだけど、そのことも、本誌が出てからのおたのしみ。まちづくりには、いろいろな志向があって、連携も大事だが、お互いを認めていれば、競い合うようにやるってのもいいと思った。

しかし、考えてみると、ダイエーというのは中心市街地出店を積極的にやって偉そうにしていたから、撤退すると、八戸もそうだけど一ノ関も、銀座のようなところに大きな空ビルがトツジョ生まれるわけで、そのあと利用は、どこも頭のいたいことなのですね。とんでもないことです。

ところで、明日か近日中に、八戸の紹介もするが、こちらは「せんべい汁」ですよ。赤飯をせんべいでサンドしたやつですよ。せんべいをピザの台にしちゃうのですよ。そこにイカの塩辛までのせちゃうのですよ。とてもジャンクなイメージ。そんなものへんなもので、まちが盛り上がっている。それが、コンニチのまちづくりの主役なのであります。こんなにおもしろいことは初めて。味覚的にも、なかなかあなどれない。

そういうところをまわって、おれは、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」を取材し考えるわけであります。「高い、安い」「上品、下品」「おしゃれ、やぼ」といった、誰かがつくりだした観念なんか関係ないのですね。

しかし、食とまちづくりの関係は、とてもおもしろい。

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2008/04/14

一ノ関、八戸、盛岡、朝市から夜中泥酔まで。

Sekinoiti_kura「食とまちづくり」の取材。10日9時42分、大宮発東北新幹線に乗車。車内で東京から乗車の編集の斉藤嬢と落ち合う。仕事では、05年12月の高千代酒造取材以来の同行。11時半ごろ一ノ関着。ホテルにチェックイン荷物をあずけ、まずは昼食、取材のテーマにも関係する「三彩館ふじせい」でもち膳を食べる。一列車遅れて、カメラマンの新井青年が合流、初対面。

13時「世嬉の一酒造」着、佐藤社長、蔵レストランで取材。再開発で潰されそうになった古い酒蔵の建物を、地ビール工場やレストラン、地域のイベントや博物館に開放して、まちづくりを模索してきた。17時頃一段落。食べ呑みはじめる。地ビール各種のち清酒「世嬉の一」。地元の食材と料理が中心のレストランの責任者である、社長夫人の常務もいらして、話を聞きながら、いろいろごちそうになる。昨年夏、釜石で食べて忘れられない、「麦いか」も。あとで、このレストランでこんなに呑んだ人たちは初めて、といわしめるほど呑んだ。斉藤嬢が清酒好きの酒豪であることは知っていたが、新井青年もそうなのだった。じゅうぶん食べ呑み、たぶん21時ごろホテルにもどる。

11日、9時半ホテルを出る。天気は雨と風で荒れ模様だが、街中を撮影しながら歩く。前夜話題になっていたダイエーあとの新鮮館で、弁当の納品に来ていたひとをつかまえて話をしていたら、ちょうど、新鮮館を経営する「一関まちづくり」の千葉社長が通りかかり紹介され、そのままよい話を聞けた。昼頃、「世嬉の一酒造」で毎日やっているもちつきや、前夜食べて呑むだけだった、料理や酒などを撮影。

15時過ぎの新幹線で、八戸へ。昨年夏来て、しばらくは来れないかもと思っていた八戸に。ホテルにチェックイン。

19時、B-1グランプリ事務局の今野さん、八戸せんべい汁研究所の木村さんと会い、案内されてローれんさ横丁の「おかげさん」へ。各種せんべい料理ほかを食べながら、呑み、そして取材。23時過ぎまで。23時半ごろホテルにもどる。そのままベッドのうえに寝てしまい、夜中に寒くて目がさめ、着がえて寝る。

Hatinohe_senbei12日、5時半にセットしておいた目覚ましで起床、6時に今野さんのクルマで片町朝市へ。木村さんも合流。初めての食べ物が、いろいろある、あれこれ買っては食べながら、手焼きの焼きたて南部せんべいを食べさせる「てんぽせんべい」へ。ある種の「せんべい喫茶」?とでもいうか。単に、せんべいを焼いている土間に古物のイスを置いたていどのジャンクな空間で、みな焼きたてせんべいを食べながらコーヒーを飲んで、おしゃべりしている。「八戸せんべい文化」の、ただならぬ深さと熱気。せんべいは朝のうちに売り切れ閉店。

朝市は8時ごろには終わる。取材ほぼ終わり、八戸漁港や蕪島や八戸食品センターなどを案内してもらい、八戸駅。斉藤嬢は弘前へ、新井カメラマンは帰京。おれは今野さんにホテルまで送ってもらい、わかれる。盛岡のサキさんに電話。東京から来る木村嬢を乗せてクルマで八戸に来るサキさんと、16時にホテルで会うことに。市内を歩きまわり、テキトウにひとをつかまえては話を聞き、天ぷらそばを食べビールを呑み、14時ごろホテルにもどり、16時までひと眠り。

Hatinohe_roji16時、サキさん木村嬢と会い、さっそく呑み屋が開くまで横丁路地めぐり。八戸は横丁路地が多い。17時、開店早々の八戸昭和通りの「弁慶」で呑み始める。いきなりトップギア。二軒目、昨夜の「おかげさん」に、気になるせんべい料理があったので、確認のためもあって行く。地元の清酒をぐびぐび。三軒目、どうやって、そこにたどりついたのか、どこだかわからない中心部からはずれのほう、とにかくバーテンダーをやって40年だったか45年のバー「花」で、カクテル。盛り上がり、ついにはバーテンの聖域、カウンターの内側に入れてもらって、グレーのチョッキ姿のかっこいい渋いバーテンダーと記念撮影という始末。このとき22時28分。

四軒目、「みろく横丁」でテキトウに入った店、10人も入れば一杯のカウンターだけ。ほとんど記憶がない。3人とも酔って、まわり中の客を相手にしていたらしい。おれの左隣の客はなじみのようだったが、奄美大島のひとで、一年に何度か家に帰るだけの全国を渡り歩く、大島紬?のセールスマンだった。右側のサキさんと木村さんのむこうには、地元の青年たち。そのむこうには韓国のビジネスマン。話をした記憶はないのだが、デジカメの画像のなかに、韓国の紙幣がある。その韓国人のものを撮影したらしい。もうグチャグチャ。

なのに、だから、翌朝7時、なにやらスゴイらしい八戸漁港の朝市へ行こうということなった。だけどホテルにもどったときは泥酔状態で、服も着がえないまま、ベッドにもぐりこんでいた。

13日、電話の呼び出し音で目が覚める。出ると木村さんの声で「エンテツさん、寝てたでしょ」。時計を見たら7時20分、そういえば、7時の約束だったと思い出す。10分ぐらいでしたくをしホテルをチェックアウト、サキさんが運転するクルマで八戸漁港へ。たしかに、この朝市は、すごかった。大規模な飲食系フリマというかんじ。無理しても行ってよかった。

またもや蕪島のうみねこを見てから、サキさんと木村さんホテルをチェックアウト。一般道で、盛岡へ向かう。「炭の里 軽米町」という物産センターのようなところに寄る。雑穀ミックスやニンニクが安いので、おもわず買ってしまう。昼頃、二戸の人気店そば屋「金地屋」でラーメンを食べる。さらに南下していると「御所野縄文公園」という看板が。えっ、こんなところに、サキさんも知らなかったらしい。では寄ってみるかと、とつぜん「古墳部」活動で縄文遺跡見物。そのあと、なんとかスキー場の近くの眺望のよい「いわて子どもの森」の飲食コーナーで、景色をみながら休憩。

10日と11日の午前中は雨と風の荒れ模様だったが、この日は、風は冷たかったが晴れて、中腹まで雪が残っている岩手山がきれいに見えた。滝沢村の「土日ジャンボ市」に寄る。八戸の朝市とは違って商業的で趣がちがうが、出店数も多く大にぎわい。そして、盛岡に着きました。

盛岡で泊まるかどうか決めてなかったが、もう疲れすぎてあまり呑めそうにない。翌日がつらくなりそうなので、東北新幹線の最終で帰ることに。盛岡駅で木村さんと降り、サキさんはクルマを置きに自宅へ。コインロッカーに荷物をあずけ、20時41分発の指定券を買い、まずは立ち呑みへ。サキさんがもどってきたところで、おしゃれ系パブ、のちおしゃれ系居酒屋と、おしゃれ系できめ、サキさん木村さんに駅まで送ってもらいわかれる。

大宮22時42分着。ウチに帰り着いたら、23時半ちかくだった。仕事も遊びも楽しかったが、疲れた。
たくさんの方に会い、お世話になりました。ありがとうございました。

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2008/04/09

「手づくり観光」と「B級グルメ」とまちづくり。

きのうのエントリーで「美味しいまちづくり」という言葉をつかった。この動き、チョイとおもしろい。というのも、そこで活躍するのは、従来の「北海道の毛がに」といったような「土地」の高額な「名産品」ではなく、地元のひとたちの生活のなかの日常食だからだ。

2007/11/19「泥舟泥縄「観光ニッポン」は、もしかするとオモシロイか?」にも書いた「ご当地グルメ」とよばれるそれは、いわゆる「B級グルメ」といわれるが、「B級グルメ」からみても、従来の「B級グルメ本」風のひとたちが展開してきたA級的な視点と東京=中央的な視点から、ダウンサイズしたようなものともちがう。

それをどうみるかは、これから取材したりして考えたいが、2008/03/15「北区の『街よ! 元気になれ』。」に紹介した、おれの寄稿「ごく私的な手づくり観光への誘い」と、かなり関係しそうだ。

上記2007/11/19に登場する『週刊ダイヤモンド』の観光特集などから引用しながら、「観光する人びとが変わり観光が変わった」と指摘し、こんなことを書いた。

「「観光」とは、文字のとおりに解釈すれば、「光を観る」ことになる。しかし、これでは不十分のような気がする。/単なる「光」ではなく「輝き」を観たいのだ。」「よりオリジナルな輝き、生(なま)の輝きを求める「手づくり感覚」の観光の広がりだ。「街歩き」や「ちい散歩」は、そのものであろう。」

「自分の手を動かしてモノづくりを楽しむように、自分の足で歩いて輝くものを見つける。そこで必要なのは、なにかを感じる自分、なにかを見ようとする自分、なにかを好きな自分、なにかを面白がる自分、なにかにこだわる自分、あるいはボーっと歩いているだけが好きな自分だったり……。」

「そんな自分を圧倒してしまうような大きな建造物や有名ブランドや重々しい歴史などは必需でない。また画一的機械的な自由が奪われそうな過剰なサービスもいらない。生身の自分が、気軽に等身大で向き合えることなのだ。」

「観るほうだけではなく、観られるほうも、おなじだ。誰かに観光名所をつくってもらったり、なにかを頼るのではなく、まずは自らの手でなにができるか、どうありたいかなのだ。」

そういう「手づくり観光をあいだに、観るほうと観られるほうのふれあいが深まり、また再び会ってみたい関係が生まれる。こうした人びとが街にあふれる。これこそ、貴重な無形な観光資源なのだ。私は、そう思う。」

てな、こと。

そんなわけで、どういわけか、とにかく2、3日睡眠不足になるほど、アレコレあった。きょうの朝方、心配のたねだった、あと半年で死ぬハズのやつが死んでしまったメールがあって、トツゼン心配が消える。明日つかう名刺がないから印刷しようとしたら、マゼンダのインクが切れている。浦和のさくらやへ行ったら閉店になっていた。大宮のビックカメラへ。買い物すめば足は勝手に「いづみや」へ。ああ、これだよな「手づくり観光」。ポテトサラダを持ってきた、婆さん、「しょうゆがいいの、ソースがいいの」おれ「きょうは、しょうゆ」。「それじゃ、なかよくつかってね」と、となりの客の前にあった、それを、その客とおれのあいだにおく。ああ、これだよな「手づくり観光」。

景山民夫さんの『普通の生活』(角川文庫)には、「滑走路の片隅で出会ったグーニーバード」という掌編がある。ダグラスDC-3型機と、それを心から愛しているパイロットたちのことを書いている。この掌編を読むと、とくに大衆酒場や大衆食堂と、それを心から愛してきた男たちのことが重なる。

たとえば、こんなふうに書かれたところを読むと。


 そこには、一流とかメジャーとか呼ばれる世間で絶対的な価値を得ているものとは違う、別な男の価値観がある。一つの時代を制し時代的にはその職務を果たし終わりながら、今まだ空に駆け上がろうとする姿には、間違いなく価値を認めさせる権利があるだろう。
 エリートは、ボーイング747やファントムを操って、我がもの顔に空を駆けめぐっているけど、世の中にはそうじゃない飛び方もあるんだよと、教えてくれるものが、DC-3にはあるのだ。


そして、トラック運転手とかわらない労働者の一人であるようなDC-3のパイロットたちについて、こう書く。


 彼らはみな、世界の一流航空会社とは、はるかに縁遠いローカル・フライトやカーゴ・フライトの会社で働いているのだけど、この老朽機を心から愛しているのだし、その栄光(キャリア)に尊敬を払っているにちがいない。


どうせ、大衆酒場や大衆食堂へ行くのなら、そういうところを、DC-3の機体にふれるように想像したいものだ。一晩の享楽のために、ただ安いうまいツマミと酒と、「下町」だの「昭和」だの「人情」だのを、上っ面だけなでまわして、はしゃいでおわるのではなく。

そこにある、大衆酒場や大衆食堂を、DC-3の寿命以上に長いあいだ支えてきた「男の価値観」の奥行き、厚み。それは「男らしさ、女らしさ」の「男」とはちがうものだ。

「手づくり観光」にも、関わることだとおもう。そんなことを、いづみやで考えながら、呑んだ。「街的」の言葉を借りれば、大衆酒場や大衆食堂は「男の価値観」の学校だ。それは、DC-3のように、女も考えてみる価値があるものだとおもう。

ちかごろ、その学校にも、女を連れて「通」ぶるだけで、「男の価値観」には想像がおよばない、もと「ハナコサン」のようなバカ女のあつかいだけは上手そうな、ムッツリスケベな「紳士」がふえたが。

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2008/04/08

マイコメ=コメディ+コメそして「美味しいまちづくり」。

難しい判断をしなくてはならないことがある。花への未練を洗い流すように風が吹き雨が降るが、そうは潔く結論が出ないこともある。ま、でも、おれは、いつも判断がはやすぎるといわれるほど、はやいらしいのだが。それは、いつまでもおなじことを考えているのがメンドウなだけなので、とりあえずというかんじで、さっさとあきらめたり、はやく結論を出す。すると電車が動き出して景色がかわるように、いろいろかわっていくものだ。もちろん去ってゆく景色は二度ともどらないのだけど、そのことに思い煩うより、たいがい新しい景色をみるほうが忙しくなる。そして、わたしは今日まで生きてみました。

「わたしは今日まで生きてみました」というのは、吉田拓郎の「今日までそして明日から」にあるセリフ。

わたしは今日まで生きてみました

時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて

時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて

時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって

てなセリフのなかに、おれが不満なのは、こんなセリフがないことだ。やはり「よいひと」のうたなのかな。おれなら、こんなセリフをいれたい。

時にはだれかをうらぎって
時にはだれかの手をふりはらい

うむ。難しい判断をしなくてはならないときは、これだ。ビジネスは、みんなが得をするというのは、タテマエだからね。うぐぐぐぐぐ。先日も、おれより20歳も若いがおれより経験豊富ベテランのライターさんと、ちかごろの若いライター志望とかは、ビジネス稼業がしんどくてやりたくなくて、ビジネスからの逃避としてライターをやりたいとおもう、文章の世界にロマンを描くやつが多い、困ったカンチガイだ、という話をしていた。そんなことじゃ、ビジネスだらけの現実や対象を把握したり理解したりできないだろう。文章も写真もビジネスだし、およそプランが関係することでビジネスでないものはない。

そして、ビジネスは、だましのテクニック。惚れたふりが上手な、酒場オンナのテクニックのようなものですね。ようするに、虚虚実実のかけひきのビジネスこそおもしろいのであり、人生なのだと。そんなふうに、わたしは今日まで生きてみました。「時にはだれかをうらぎって、時にはだれかの手をふりはらい」。

うらぎった分だけが儲けになるのがビジネスだとしたら、おれはうらぎりかたが足りないようだ。なぜなら、あまり儲けていないから。それでも、ハテ、誰をうらぎってやるか、悩ましい。ぐふふふふ、あんたをうらぎるぞ。そういうことがお互いにわかっていて、なおかつ、誠実に付き合うのが「大人」というものなのだな。

これは「馴れ合い」とは、おおいにちがう。しかし、とかく、誠実を欠きやすい。「馴れ合い」を誠実や優しさとカンチガイしやすい。そうなったら退廃というものだろう。ほんのちょっとでもあればよい、フェアプレイの精神も良心のかけらもない、うらぎりの「馴れ合い」。そういう退廃で成り立っているビジネスは、メディア関係にもみられるし、すくなからずある。そんなことならば、誰をうらぎってもよいではないか。なーんてね。ますます退廃は拡散する。

いやはや、タイトルは「マイコメ=コメディ+コメそして「美味しいまちづくり」」だったが、最初からズレた。なにしろ、いろいろなコトが同時進行しているもので。

「マイコメ」は、サイトに「米」のキャラクターがつかわれているように、「コメディ」の「コメ」の部分を「米」とかけている。んで、「コメのめし」「コメの汁(酒)」の「エンテツの大衆食道」がつながってくるのだな。これは、以前にも書いた、まだいろいろ展開するプランがあるのだが、予定よりかなり遅れてしまった。ほとんど手つかず状態だが、そろそろボチボチやろうとおもっている。

「美味しいまちづくり」は、これはいまおもしろいことになっているし、うまいもの食べながらで楽しみなのだが、もう書くのがいやになったから、後日に。きっと、読みごたえのあるルポができる。わたしは、あなたを、うらぎりません。…はてね。

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「安すぎた」「もっと高くてもよい」の違和感。

ちかごろ、例の農薬入りギョーザ騒動以来とくに目立つのが、「国産=安全」であり、さらに輪をかけて、それは高くてトーゼン、いままでは安すぎたという声がうるさくなった。値上げトーゼン論だ。いまや、国産品の続々の値上げと、値上げ大歓迎ムードがつくられようとしているような、ブキミをかんじる。

ま、「国産=安全」は、かなりゆずってヨシとしよう。だけど食品について、高くてトーゼン、安全・安心にはカネを払うものだということになると、とても違和感をおぼえる。それは、逆にいえば、ビンボー人は安全・安心を買えないのは仕方ない、という主張でもある。「市場原理主義」の考えでもある。いったいそういうところに、健全な食文化が成長するのだろうか。ブキミだ。なんだか、出発点というか、基本が狂っているかんじがする。

おれは、「市場原理主義」については、そんなに抵抗はない。お互いに経営力をつけるべきだとおもう。だけど、そうではなく、それが国産礼賛と翼賛的につながるとなると、チト話しはちがってくる。そもそも日本の農業は、社会主義のようにやってきたのだから、ま、中国のようなアンバイだ。そのなかで、これまで「市場原理主義」を非難してきたひとたちが、今回は、こういう主張をしている。ま、ようするに、ひとの不安や恐怖感につけこんで、目先の自分の得になるリクツを選んでいるのであって、自分の欲と計算だけだ。そんなところに、よりよい未来はない。だいたいね、中国産で儲けていたブローカーのような連中が、こんどは国産で儲けようとたくらんでいるような動きもあるじゃないか。ま、ショーバイ人は、当然そういうことなんだろうけど。それをおかしなリクツで糊塗する。

それに、こんな「危機感」のある状態は、いつまでも続かない。ホラ、吉野家だってね、元通りではないけど。そういうものなのだ。右往左往しないこと。安いやつを選ぼう。だから、寝ましょ。おお、午前2時半すぎた。

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2008/04/07

「食料自給率わずか40%」にひそむ虚虚実実。

続きを忘れちゃいそうだから、忘れないうちにメモしておく。2008/03/31「美しき厚顔無恥な脅し広告。」の続きだ。いまやガキでも口にしそうな「食料自給率わずか40%」の脅威と不安だが、これを煽っているのは農水省だ。しかし、その数字はカロリーベースの統計で、ほかにも重要な生産額ベースの統計がある。だけど、この数字自体も、それとカロリーベースとの関係も、ほとんど話題にならない。生産額ベースは、国際比較がやりにくいとはいえ、国内の食料に関わる経済の大事なところを反映している。

しかも、すでに書いたように、カロリーベースは、実際に食べられているものではなく、国内生産量と輸入量の総和を置き換えたものにすぎない。ある種「仮想」のものだ。そのように経済を無視した「食料自給率わずか40%」は、じつにおかしなことになる。

たとえば、いま食料自給率を上げましょうということで「地産地消」の取り組みが活発だ。スーパーの店頭にも、そうしたコーナーがある。それはまあ、よいことだとして、ところが、そこに陳列され手に入りやすいものは、ほとんどは野菜類で、これらはカロリーの低いものばかりなのだ。というわけで、実態としては、カロリーベースの自給率改善には、ほとんど貢献しない。しかし、生産額ベースでみれば、当然ちがう。

生産額ベースだと、日本の食糧自給率は70%だ。これでは脅威にも危機感にもならない。ということなのかどうか、さっぱり話題にならないが、経済をぬきに食料問題を語ることのばかばかしさは、いまの例でもわかる。そして、そのことにふれない、農水省の広告は、「美しき厚顔無恥な脅し広告。」なのだ。そんなわけで、ますます実態からかけ離れた農水行政が、万歳万歳で横行する。

で、農水省のほうは、そのことを少しは認識しているのかどうか、2008年03月18日「キャリア組10数人を地方配属へ 40代中心に 農水省」の記事が、アサヒ・コムにのった。
http://www.asahi.com/politics/update/0318/TKY200803180330.html

 農林水産省は、4月の人事異動で国家公務員試験1種採用の「キャリア組」職員十数人を地方で勤務させる。40代が中心で、県庁所在地にある地方農政事務所に配属する予定。「現場を知らずに政策をつくっている」などと批判されてきたためで、キャリアをこれだけまとめて地方に置くのは同省では初めてという。

 同省は昨春、大規模農家に補助金を集中させる新制度を導入したが、農家から「努力が(補助金の金額に)反映されない」などと苦情が続出。与党からも「現場をわかっていない」と批判されていた。

 同省では、入省2年目の若手職員が農家に1カ月間ホームステイする研修をしたり、キャリアが地方の自治体に出向したりしてきたが、必ずしも「現場感覚」を磨くことにつながっていなかったという。今回の新たな試みを続けるかどうかは未定という。

……ということだ。「キャリア」というエリートは、じつに困った、手のかかるカネのかかる役に立たない動物なのだな。

それはそれとして、その現場を知らない「キャリア」がリードしたにちがいない「美しき厚顔無恥な脅し広告。」のようなものに、目隠しされ脅され、信じ込んでいる人たちはどうなるのだろうか。あまりにも簡単に煽られすぎというかんじがしないでもないが、それが日本のとりわけ東京の風潮なのかもしれない。

カロリーベースで40%、生産額ベースで70%という、この数字のひらきは、なんなのか。そして、東京都だけを見れば、カロリーベースでは、わずか1%。生産額ベースでも、わずか5%。東京都民は、「食料自給率わずか40%」より、この数字、そこにあるゆがんだ構造と精神を記憶したほうがよいように思う。あるいは、「食料自給率わずか40%」は、その実態を隠蔽する効果もあるのか。いずれにしても、「中央=東京」からの視線は、ますます「偏向」しているようにみえる。ほんと、中央紙誌で話題の、食に関する「日本自己愛」というべきものになりかねない「東京自己愛」というべきものは、あまりにも実態からかけ離れていて、ブキミだ。いったい、なにがモンダイなのだろう。

今日は、こんなところで。

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「マイコメ」の「エンテツの大衆食道」と公式サイト、本日公開。

ドコモ公式サイト「毎日コメディ・マイコメ」がいよいよスタート。!!

「マイコメ」とは?
脱力系おバカ動画で疲れた脳をリフレッシュ!!
マイコメは、シュールな時事ネタやユーザー参加型コーナーなど、動画がTV感覚で楽しめるケータイ初!コメディ専門チャネル。

……と、公式サイトが始まった。「マイコメPC版、マイコメに関する様々な情報をお届けします」…「兵庫のおじさん」「モンティ・パイソン」の須田泰成プロデューサー指揮のもと、盛りだくさんのコメディコンテンツがそろう、マイコメは、こちら公式サイトから。……クリック地獄

エイキサイト・ニュースから………………
http://www.excite.co.jp/News/release/NRR200829927.html

『毎日コメディ・マイコメ』は、愛と平和のコメディ・クリエーティブ・ファクトリー 有限会社大日本生ゲノム(本社:東京都世田谷区 代表:須田泰成)が制作・監修する珠玉の動画を毎日配信します。
 タイムリーな時事ネタやユーザー投稿で作るギャグ番組など、“笑いで脳をリフレッシュ!”をコンセプトとしたオリジナル動画満載のサイト。社会風刺CGアニメ、笑いあり涙ありの実写ドラマ、クスッと笑ってしまうショートムービーなど、ココでしか見られない笑いがTV感覚で楽しめます。また、今の気分に合った動画が探せる「脳活性化検索」や、コメディを見た後のあなたの脳の状態を知る「脳予想図」など、コメディサイトならではの仕掛けも満載です。
 ※無料動画大放出やモンティ・パイソンDVD BOXプレゼントなどのオープニングキャンペーンも実施中です。

■サイト名称:毎日コメディ・マイコメ
■情報料:105円、315円、525円(全て税込)/無料コーナーもあり
■アクセス方法:iMenu⇒メニューリスト⇒動画/ビデオクリップ⇒お笑い⇒「毎日コメディ・マイコメ」
■対応機種: NTT DoCoMo FOMA® 900シリーズ、700シリーズなど)

………………………………………………………………………

コメディ専用チャネルで、なぜか「エンテツの大衆食道」。第1回は押上の「いこい食堂」。2回目と3回目は鶯谷の「信濃路」を予定。撮影は去年の12月だった、新企画の立ち上げは時間がかかる。ようやくスタート。新機軸、チョイとお店ガイド情報番組とはちがうおもしろさがある。おもしろければ、おなじ店を2回でも3回でも続ける。いやあ、コメディだ。この番組を長く続けるためにも、申し込みのほうをよろしくお願いします。エンテツの番組以外のコメディもたっぷり楽しめます。それから、ご自分のブログなどで、宣伝のほうも、よろしくお願いします。

YouTubeでマイコメ検索…クリック地獄
YouTubeで「エンテツの大衆食道」予告編 米太の小ネタ43…クリック地獄

今年は、エンテツから目が離せませんよ。もう目も心も離れているって? いやあはははおれって、バカでキモイからな。でも、こういう役柄には、ぴったりのようだ。

なんとおどろいた、あの『汁かけめし快食學』が、またもやアマゾンで3000円の値段がついている。捨てる神いれば拾う神もいる、といわれるが、3000円で拾うひといるか、はたして。そして、花は散り今年の春は、オシマイ。来年の春は、あるか?去年の春は、シャッターだったなあ。恵みのない春もある。酒に裏切られることもある。とかくこの世はままならないものならば、さみしい者たちよ、ぶっかけめしをくえ! マイコメを見よう。

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はてさて、わが実像と虚像、いやただの酔態。

ブログに書かれた、わめぞ月の湯の様子から、あまりもおぼろな自分の姿を想像する。

「モンガ堂の日記  月の湯は、遠かった?」には、「遠藤哲夫さんの酒・人生についてのレベルが、もう有頂界にいる人なのか、なんて勝手思ってしまう。」と感想が。酒は、おれのような俗っぽいニンゲンが、酔って神に近づく手段でもあるのだな。

「ナンダロウアヤシゲな日々 げんげ忌から月の湯へ」では、「酔ったエンテツも乱入して盛り上がる。」と。池袋の鳥定では、人数が多かったので、テーブルは2つの島にわかれた。おれは酔って、その2つの島をウロウロしながらはしゃいでいたのだな。

scotcheggさんは、「新譜購入記 ジャンクショー わめぞ月の湯イベント」に詳しく書いてくださっている。おれと大竹さんが湯船に入っている画像つきで。「それほどハイテンションなわが隊長!」などと。おれは、世俗な酔いどれ隊長。おれが立ち上げた「呑み人の会」は、いまや勝手にエンテツをリスペクトする会に「変質」されつつあり、この日も、そのおれの「熱狂的ファン」が、おれのすぐ前をかため、愛人8号はレコーダーまで用意していたし、きゃあああエンテツさ~んと嬌声をあげていたというのはウソだけど、そういうことに関係なく、ようするにおれは赤羽で呑んだ大生2杯で心地よく酔い、そのまま泥酔に突入しただけなのだった。

わめぞの古書現世の向井透史さんからは、「遠藤さんの酔いっぷりが評判になっています(笑)」とメールが。

こんな酔っ払いのおれと遊んでくださった方、どうもありがとうございました。あらためてお礼を申し上げます。これからも、どーか、こんな酔っ払いのおれを捨てないで、お付き合いください。「真実は闇のなか」とはいえ、だからこそ、虚虚実実を呑み込んで、酒と愛と仁義を。

まもなく午前1時、もちろん、酔ってます。まぼろしのひとり夜中に呑む酒は。

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2008/04/06

ことばにした部分のすぐ横を「人生」というさびしい風が吹き抜けているのが見えるような気がする

ぼんやりふわふわ状態のまま夕方になる。先ほど書いたエントリーに書き足す。

2008/04/04「「さびしい風」も「愉快な風」も。」に紹介した、

 えっ、なぜエンテツのブログを見にいくのかって?
 つまり、ことばにした部分のすぐ横を「人生」というさびしい風が吹き抜けているの
 が見えるような気がする、からですよ。

のタイトルにあげた部分が、肉体にしみいる。祭りのあとのせいなのか、酒のせいなのか、散った想いのせいなのか。

だけど、腹はすき、夕めしのことを考える。

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「わめぞ」酔ってくだんのごとし。

きのうは朝から、ドタキャンでもなければめったに会っていただけない大悪魔朝帰りメールがあったりして(だからといって会えるわけじゃないし、ウフフフおれなんぞは朝まで付き合っていただけないのだが、メールをいただけるだけでもアリガタイ感謝感激の落ちこぼれナミダに花散る)快調の出だしだった。やらなくてはならないことおおく、ウチを出るのが遅くなる。14時ごろ。いい空気だ。電車に乗っていたら、生ビールが呑みたくなる。乗り換えの赤羽で改札を出てしまう。駅前の「まるよし」。大生、うめえええ、たまらん。15時になる。トークショーは16時からだから、もう一杯。ごきげん、トークショーなんか行きたくなくなる、このまま呑んでいたい。でも、そうはいかない、腰を上げる。

池袋から地下鉄で護国寺。歩いたら酔いがまわる。呑みながらのトークショーだから、ちょうどよい。会場の銭湯・月の湯が見える。おっ、木村衣有子さんがいる。えっ、そのとなりに見えるは、盛岡にいるはずのサキさんじゃないか。なんと、なんと。前田チンくんと、ひさしぶり。

なかに入ると、先にトークショーをおえた、岡崎武志さん。これまた、ひさしぶり。岡崎さんに「サンデー毎日」で評をいただいた『汁かけめし快食學』は涙の絶版です。たくさんのひさしぶりのひと、たくさんのこのあいだ呑んだばかりのひと。呑み人メンバー。肉姫さん、おなじ職場の方を紹介される。「エンテツの大衆食道」を制作する逆井さんも来ていて撮影体制。トークショーの相手、大竹聡さんとは、数日前に呑んだばかり。その続きというかんじで、始まる。2人で湯船にはいって。洗い場の「観客」と向き合う。裸じゃないよ。司会がいないから、テキトウにしゃべる。なにをしゃべればよいのかわからんが、口は動くから、おもいついたまま。すでに大生二杯呑んで来て、ごきげんちゃんのうえ、さらに菊水の缶をふたつあけ、酔う。1時間、おわる、17時。古書ほうろうのチキンライス、ようするにチキン煮込みのぶっかけめしを試食させていただく。底のほうに残っていたもので、煮詰まって味が濃くなっていたが、うまい。ビールのつまみになりそうだった。

さあ、呑みに行こう。イザ池袋。もちろん大竹さんも一緒、なんだか20人以上いたな。みんな、好きだねえ。鳥定。ガンガン呑む。「酒とつまみ」のナベさん、斉藤さん、ひさしぶりにゆっくりというか。しだいになにがなんやらわからんぐあいになる。トツジョ、瀬尾幸子さんと佐々木嬢があらわれる。そして、南陀楼綾繁さんも。もうぐちゃぐちゃ。

んで、そのあと、清龍へ行ったような気がするんだけど、確信がない。泥酔記憶喪失帰宅。

みなさん、ありがとうございました。また呑みましょう。
木村さん、サキさんとは来週、東北で会う約束をしたことは覚えているけど、ほかのことは覚えていない。なにか約束をしたひと、確認のメールをください。

追記、考えたら、古本市のほうを、まったく見ないでしまった。東京新聞、朝日新聞に事前の記事がのったし、取材も多く、大盛況のようだった。

こちら「古書往来座 ちょっとご報告」に、画像つき報告があります。…クリック地獄

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2008/04/05

きょうは「わめぞ」。

あの、めったにひとを褒めない、罵詈雑言芸の塩山芳明さんをして「苦み走った2枚目、『酒とつまみ』の大竹編集長」と言わしめた大竹聡さんとトークショー。おれは二枚目の引き立て役で、四枚目以下のバカで要領が悪い田舎者野糞でコンニチワのいじめられ役ふられ役。そのほか、盛りだくさん。トークショーが5時におわったあとは、トウゼン呑む。だろう。来ないものは追わず、来るものとは呑む。

よろしく~。

詳しくは「わめぞ」ブログ…クリック地獄

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2008/04/04

「さびしい風」も「愉快な風」も。

2008/03/05「『BRUTUS』が食堂特集とな。」で引用させてもらった、「吹ク風ト、流ルル水ト。」というブログある。そのときは、どなたがやっているかわからなかったから、たいへんお世話になっている方のブログだとは知らなかった。そのあと、ちょっとしたことで気がついたのだが。

その4月3日のエントリーが「『ザ大衆食つまみぐい』──あれこれ」

「エンテツこと「遠藤哲夫さん」のブログ『ザ大衆食つまみぐい』に「オコトバ」という欄がある。」と、当ブログの←左サイドバーのいちばん上にある、江原恵さんの「オコトバ」から始めている。

そして、江原さん著作からいくつか引用されたのち、その江原さんのオコトバから「30数年の月日が流れ、ブログは通人の食通談議が満載である。」と、つぎのように書いて終わる。

 わたしは、これらの「食通談議ブログ」も「大切な命をありがたく頂きますブログ」
 も見ることはない。

 えっ、なぜエンテツのブログを見にいくのかって?
 つまり、ことばにした部分のすぐ横を「人生」というさびしい風が吹き抜けているの
 が見えるような気がする、からですよ。


おどろいた。それだけではない、これを見て、ある人からメールがあった、と、おれにメールがあったのだ。その「ある人」というのが、おれはまだ直接会ったことはないが、つながりがある。はてさて、どこでどうつながっているのか、なんだか「さびしい風」も「愉快な風」も一緒に吹き抜けているようで。おもしろい。こういうことがあると、酒もめしもうまくなる。

それはともかく、きょう4日のエントリー「花の季節に背中が寒くなることについて」でも江原さんの著書からの引用がある。こんなに江原さんが書いたことを上手に引用される方がいると、ほんと、うれしい。

で、おれは、おどろいたり、よろこんだりで、さっそく返事をした。しかし、このキッパリとした台詞には、しびれるなあ。ねえ。

 わたしは、これらの「食通談議ブログ」も「大切な命をありがたく頂きますブログ」
 も見ることはない。

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「兵庫のおじさん」DVD発売祝呑み。そして一関、八戸。

2008/03/26「頭のほうがパンクしそう。」に書いた、「兵庫のおじさん」DVDが4月2日発売祝い呑みが、須田泰成さんのお声がかかりで、昨夜あった。場所は、いつもの駒澤大学前のバー「closed」。

ここのところ一日おきの激しい呑みと、昨年末からノロノロ進行していた企画が新年度開始と同時にアレコレ動き出し、まさに「頭のほうがパンクしそう」状態が続いている。トシを考えないで手をひろげすぎ安請け合いしすぎというかんじがしないでもないが、どうせひとりひとり星になる、わかっているよ知らねえよと突っ走るのみ。と、おもしろいことしたいし、呑みたいし、暴飲暴走やまず。「甘酸辛苦」が一語であるように「喜怒哀楽」も一語、入り乱れ境はなし。

いろいろ考え事をしながら電車を乗り継ぎ、渋谷で東急田園都市線で駒沢大学前駅へむかう。しかし、考えごとをしながら、一つ目の池尻で降りてしまう。大丈夫か、おれ。降りてしまった自分にボーゼンとし、ま、夜風にあたりながら歩くのもよいかと、246沿いに駒澤大学前をめざす。途中に古本屋があり、100円棚をのぞくうちに、なんとなく中に入ってしまい、気がついたら文庫本を6冊も買っていてボーゼンとする。気をとりなおして歩き、会場に着く。

「兵庫のおじさん」DVDの出演者は、松尾貴史、春風亭昇太、佐藤真弓、市川しんぺー、池田鉄洋という顔ぶれだが、おれが着いたとき、すでに松尾貴史さんと池田鉄洋さんがいた。続々と、いろんなひとがあらわれ、初対面のひとも少なくない。ほとんどは、映像、舞台関係のひとたち。

おれが座ったテーブルの周辺には、関西出身の女性たち3人、「下北」のアクセントで盛り上がる。「下北」のアクセントがチトちがうひとがいる、で、「下ネタ」「下ネタ」といって「ネタ」を「北」にすれば、正しいアクセントになるのだとか。「下ネタ」「下キタ」をくりかえす。新発見。

須田さんもそうだが、イギリス生活の経験ありの人たちがいて、なぜ、どう、イギリス料理はマズイのかで盛り上がる。この話、おもしろかったので、忘れなかったら、このブログのネタにしたい。

「エンテツの大衆食道」の撮影から編集まで制作を担当している逆井智紀さんがあらわれ、現在の進行状況とこれからの大展望と予定など。ますますおもしろくなりそうだ。

そのうちウニュウニュなんだか千駄ヶ谷関係者が集まり、おれも以前に住んでいた千駄ヶ谷ローカルの話題に。あのへんは、むかしは「逆さクラゲ」ネオンがちらつく連れ込み街だった話で盛り上がる。村上春樹がやっていたバーのことも聞く。

などなどアメーバのごとく人と話題の入り乱れ変態しているうちに、埼玉の空の下まで帰らなくてはならない時間。行きはよいが帰りはめんどう。23時ぐらい、挨拶して出ると、信号待ちのところで、須田泰成さん監修の『空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ』の翻訳者、高野由美さんと一緒になる。彼女もさいたま市民なので、同じ電車でアレコレ話す。

帰り着き、メールを見ると、進行中のアレコレある。酔いと眠いのとで、もうろうとしながら急ぎのものだけ返事。のち、バタン。でも、寝る前に、発泡酒ロング缶を呑んだ。

岩手の一関と青森の八戸へ取材で行くことになった。なかなかおもしろい取材。しかも、なんと、以前に、『雲のうえ』5号の食堂特集をごらんになってメールをくださった八戸の方と会えることに。いろいろな偶然があるものだ。ってえことで、昨年夏行った八戸まで行くから、また帰りに盛岡に寄れそうだ。

明日の「わめぞ」、よろしく~。
たしか明日、誕生日のひとがいたな。どうしているのだろうか。


「兵庫のおじさん 愛のブランデー日記」…クリック地獄

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2008/04/03

埼玉の蕨なんぞが、なかなかよいのだな。

Saketuma_huruhonもう3日になったから、おとといのことだ。『酒とつまみ』に南陀楼綾繁さんが連載の「古本屋発、居酒屋行き」の取材があった。おれは、古本も古本屋もたいした興味はないが、タダで酒が呑めるからとついてゆくだけの永世ゲスト。そして、今回のゲストは、この道はいつか来た道じゃない、この道ン十年のエロ漫画屋、売れないと嘆いていた近著『東京の暴れん坊 俺が踏みつけた映画・古本・エロ漫画』(右文書院・定価2100円)の著者、塩山芳明さん。

京浜東北線の埼玉県蕨市、この市は、平成の大合併でも合併しないで、なおかつ読めない書けない人がいるからひらがなにしたほうがよいという声もあるという、「蕨(わらび)」の蕨駅で、17時の待ち合わせ。すでに書いたように、おれが16時半チョイすぎに着いたら、大竹聡編集発行人がいた。すでに書いたように、2人でやる5日の「わめぞ」のトークショーをどうするか不真面目不謹慎に語り合い、ちかごろの出版業界や雑誌、その編集者やライターなどについて、これまた不真面目不謹慎に悪態をついたりしているうちに、塩山さんがあらわれる。なんと、大竹さんと塩山さんは、初対面なのだった。

南陀楼さんは、少し遅れてあらわれ、イザ古本屋へ。最初に行ったところが、「古書 なごみ堂」。この店は、京浜東北線沿いの蕨と西川口のあいだにあって、いつも電車から見えるから気になっていた。いやあ、古本屋らしい古本屋、おやじが、まず古本屋のおやじらしい。つぎに行った古本屋も、そうなのだ。なんか蕨って、時流に媚びず「蕨」を通すだけあって、なんかマイペースサムシングエトセトラな愛なのだった。

と、書いたところで、眠いからねよ。もうまもなく、午前2時だもんね。もちろん酒は呑んでいるし。眠い。

そして古本屋二軒のあとには、改装して新しいが、しっかりなんでもあり古い大衆食堂のメニューの店で、ビールで乾杯のち、焼酎ボトル2本呑んで、おもしろさ満載のおしゃべりだった。まったく、どうしようもねえ、男たちだ。ああ、眠い。

それにしても、画像、見てくれ。南陀楼さんと塩山さんのスタイル、もう少しなんとかならねえかとおもうが、その野暮ったさが特徴なんだから、それがなんとかなってしまったら、おもしろくでもなんでもない存在になるのだな。やれやれ、この世は、なにからなにまで不条理だ。寝よ。

愛してるよ~。もちろん、この男たちのことではない、あんたのこと。

南陀楼綾繁さんの「ナンダロウアヤシゲの日々」
塩山芳明さんの「漫画屋」サイト
いつ発行になるかわからない「酒とつまみ」

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2008/04/02

「マイコメ」の「エンテツの大衆食道」、来週から公開。

なんだか忙しいのに風邪と二日酔いで頭の中がグチャグチャ状態であります。そんな中、いよいよコメディ専門携帯動画サイト「マイコメ」の公開が来週7日に決まり、「エンテツの大衆食道」も始まる連絡がありました。

いまYouTubeの下記アドレスで、新しい予告編が見られます。

「米太の小ネタ43【MycomeDog Mr.KOMETA Vol.43】」
http://jp.youtube.com/watch?v=XHvBEyFfer8

「兵庫のおじさん」「モンティ・パイソン」の須田泰成プロデューサー指揮のもと、ほかにも盛りだくさんのコメディコンテンツがそろう、マイコメ携帯サイトへの申し込みは、こちら。…クリック地獄

チョイとお店ガイド情報番組とはちがうおもしろさがある、この番組を長く続けるためにも、申し込みのほうをよろしくお願いします。それから、ご自分のブログなどで、宣伝のほうも、よろしくお願いします。

すでに、3回分は撮影がおわり、1回目は完成、2回3回は最後の編集中。あとの撮影も準備が始まっています。

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YouTubeデビューのおれは、いったいどこへ転がるのか。
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エンテツの大衆食道とモンティ・パイソン。

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大まちがい、訂正。

ああ、数時間前。たぶん22時過ぎだろうか、23時ちかくだろうか、大竹聡さんとJR京浜東北線南浦和駅で、わかれて帰ってきました。

「酒とつまみ」編集発行人であらせられる大竹さんは、えーと、東京都下三鷹あたりだったかな、そっちのほうで生まれ育ちだけど、うるわしいダサイ玉キンタマの南浦和までお付き合いいただいたわけですが、そんなことはどーでもよいのです。

大竹さんとは、JR京浜東北線の蕨(わらび)駅、ここは埼玉県になりますが、そこで17時にまちあわせなのに、きょうは強風でダイヤが乱れていることもあって、おれは早めにとおもい、16時半過ぎに着きました。すると、なんと、すでに大竹さんはいました。詳しくは明日書きますが、ほかに野暮ったい男が二人くることになっていましたから、オシャベリしながら待ちました。

で、なんとなく、今週末の「わめぞ」における二人のトークショウの話になりました。おれが、「アレって、司会者はいるの」というと、大竹さんは「そんなものはいないでしょ、それよりエンテツさんのブログに書いている日にち、まちがっていますよ」

「ええっ、つぎの日曜日、6日でしょ」「ちがいますよ、5日ですよ、土曜日。エンテツさんのブログでは6日になっているけど、わめぞの告知は5日ですよ」「ぎゃあああああああ」

で、訂正です。ほかに書いたのも訂正しました。正しくは、5日、土曜日、だけです。6日に会場の銭湯へ行かれても、銭湯あるけど、おれも「わめぞ」もいません。

しかし、おれは6日のつもりだったので、6日は、あいています。

とり急ぎ、ただいま午前1時半すぎ、訂正です。すみません、すみません、まちがって、すみません。

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2008/04/01

今週末は「わめぞ」。

Wamezoああ、おどろいた。デジカメに、こんな画像があった。まったく記憶になかった。2008/03/30「ツライ一日だった。」に書いた、29日夜の「わめぞ」の花見の現場だ。22時40分すぎの撮影だから、たぶんおれが帰る直前のものだろう。なんでこんなアンバイに写ったのだろう。寒かったから、レンズが冷え切っていたのだろうか。ピンボケ、手振れというより、全体がニジニジニジとにじんだようなかんじ。こんなの撮るより、このむこうに見える新宿の夜景を撮るべきだった。

もっとほかにもいたのだが、なんだかアヤシイ指名手配陰謀団に見える一味の画像は、どうせ人相はわからないだろう。みな完全防寒だ。なのに、おれは、シャツの上からジージャンをひっかけただけだったから、風邪をひいたのもトウゼンか。彼らは、このあと、池袋のカラオケで朝をむかえたらしい。若いって、いいなあ。

そのかれら、なにかやらかす「わめぞ」街団の「第1回 月の湯古本まつり ~銭湯で古本浴~」は、今週末の土曜日、5日。

「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんとおれの酒呑みトークショーは、おかげさまで満員御礼。だけど、もしかすると、トークショーは5時ごろに終わるから、そのあと場所をかえて本当の呑みトークになるかもしれないし、そんなことより、この銭湯は見るだけでも価値あるし、なにより「わめぞ」の心意気がいいし、来てくださいよ~。応援よろしく頼みますよ。周囲は、よい散歩コースもあるし。

おれはこのブログでも「わめぞ」に勝手に肩入れ応援している。あちこちで呑んでは「わめぞ」を絶賛している。おれが褒めると、引くひともいるから、モンダイかもしれないが。でも、そんなことは「わめぞ」がのりこえちゃうだろう。それぐらいのパワーがある。なにしろ、銭湯を古本イベントの会場に巻き込むぐらいだ。これぞ、「街的」パワーなり。

2007/02/17
24日の「わめぞ」古書往来座の外市「勝手に協賛飲み会」

2007/09/02
池袋往来座、わめぞ外市。久しぶりに都心を歩く。

2008/01/31
大車輪呑み、わめぞ激励。「雲のうえ」6号発行、えっ5号はもう「在庫切れ」涙。

「第1回 月の湯古本まつり ~銭湯で古本浴~」については、こちら。
2008/02/16
「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんと呑みながらトークショー。


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