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2008/04/29

バカだけどバカに群れたくないバカな男もいる。

こんなにもそんなにも愛しているのに、じゃねえや、そんなにもこんなにもやっているのに、片づかない。手順の悪いやつがいるのだなあ。一生懸命やってます愛していますだけじゃダメなんだよな、シゴトというのは。なーんてね。なんだかなぜだか「もくようにきて」という言葉を思い出した。

「もくようにきて」、年号を語呂あわせで覚えるとなかなか忘れないように(それでも、ほとんど忘れたが)、この語呂を覚えていた。70年代の前半、「システム工学」的手法がハヤリはじめたころだ。「木曜に来て」、そしたら、あなたとラブします、じゃねえんだよ。「もく」は目的、「よう」は要素、「き」は機能、「て」は手順や手段。プランは、これで決まるというわけ。じつは、料理もおなじようなものだ。なかでも手順、優先順位も関係する、これをまちがうと台無し。料理の分野には、「さしすせそ」なんていう調味料をつかう手順の語呂あわせがあるが、とにかく、手順が悪かったりまちがったりすると、とんでもないことになる。

ま、そういうわけで、そういうやつがいると、こいつバカだなあ、一生懸命やってます愛していますだけじゃダメなんだよといいたくなることもある。

しかし、おれだってバカなのだ。しかも「バカに群れたくないバカ」なのだ。じつは、バカに群れたほうが、おれのばあい、まちがいなく、儲けられる。なんせ、いまハヤリの「B級」「下町」「昭和」「大衆」「庶民」…たいがいからんでいる。でも、近頃そこに群がるバカたちをみると、おれもバカだけど、そういうバカに群れたくはないなあとおもうのだ。そして稼げるチャンスを失う、これほどのバカはない。しかも、手順の悪いバカとつきあわなくてはならない。

おおマイがっ、泣きがはいりそうだ。こんなにもそんなにも愛しているのに、あの女は、追っかけ、どこへ行ってしまった。

近年は「大衆食堂」だ「大衆酒場」だ「立ち呑み」だ「下町」だ「昭和」だとかいっていれば、それだけで正しい「庶民文化」を生きているような風潮がある。しかし、それは、バカをさらしているだけということが、少なくない。「文化」だ「研究」だといいながら、ハヤリに群がるバカをさらしている連中もいる。こういう風潮は、いまや「モツ」だの「ホッピー」だのという下世話にまでおよんでいる。

80年代、それもバブルのころの「大衆食堂」「大衆酒場」「立ち呑み」「下町」「モツ」「ホッピー」などは、どうだったか。そこだけが、はしゃぐ消費のバカに取り残されていた。まさに、1995年の拙著『大衆食堂の研究』に書いたように、「ジャンク」な佇まいだった。ハヤリを追うオシャレなバカどもは寄りつかなかったし、そして、バカをやりながらもバカの仲間になりたくないものたちが、静かに「自分の生」を、めしをくったり酒を呑んだりしながらかみしめていた。

そのバカの仲間になりたくないバカの居場所が荒され、失われている。かつてのはしゃぐ消費のバカは「hanako」さんといった若い女、オヤジギャルが中心だったが、いまやいいトシこいたオヤジ、団塊世代までが、かつての「hanako」さん以上に、バカ恥さらしに懸命なのだ。しかも、コリコウそうに「庶民文化」をウンチクする。

きょうはバカのおかげで、ごたくをならべているヒマはない。こういうときは、ひとさまのブログにリンクだ。

そういうバカと酒場で出会ったひとがいる。笑ってしまった。こういうサイテーの連中が、「下町」や「下町風」のアチコチに出没し荒野に変えている。たぶん、この中原さんも、「バカに群れたくないバカな男」のようだ。あの暴走族とおなじようなバカどもにむかって、「街的に自らを律せよ!」なんていっている。

「吹ク風ト、流ルル水ト」の4月29日「黄金週間?」…クリック地獄

いったい、ほんとうのバカは、誰だ。もちろん、おれだ。


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↑これには「消費主義者」を名のるひとから「「大人でもなければ誠意も節度もない」客って、同じ店に貴方の目線からして気分が悪い客がいると、そう思うだけなんでしょう?」などと、自分さえ快感できればよい暴走族も顔負けのコメントがつき、それに対しては、下記に書いた。
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