三軒茶屋で早々に泥酔。
きのうは16時に、三軒茶屋の「味とめ」でプロデューサーの中原蒼二さんと会い、呑み始める。最初は生ビール。あたたかい陽気のうえ明るいうちからのイッパイはうまい。そのあとキンミヤ一升瓶をデンとおいて、炭酸割りで、グイグイグイ。
中原さんとおれが話していると、「味とめ」のおばさんが、「大竹聡さんて有名なひとなの」と大きな声できいてくる。話を中断して「そりゃもう、たいへんな有名人ですよ」と口々にいうと、またしばらくして、おなじことをきかれる。3度ばかり、それを繰り返したかな。
中原さんは『雲のうえ』をプロデュースした方だ。『雲のうえ』だけじゃなく、黒い飛行機やらいろいろ。昨年の北九州取材のときも含め、なんどかあって酒も一緒に呑んでいるが、ゆっくり2人だけで呑むのは初めて。あまり酔ってない最初のうちは、そもそもの『雲のうえ』の始まりあたりから、現在までをアレコレ。
しだいに話しはとっちらかる。酔いがまわるうちに、ユーピーユーの話になる。ユーピーユー華やかなりしころ、というと、1980年ごろか、中原さんはそこにいたのだそうだ。なんとなんと、おれは、そのころユーピーユーの某氏らと、あれこれ画策をしていた。もっともおれは、そのころから出版系活字編集系とか苦手で、ユーピーユーのなかでも中心のそれ系ではなく、ベンチャー的な付随ゼニ儲け事業系の人たちとの付き合いだったから、中原さんとはあう機会がなかったようだ。でも、ユーピーユーのことなどスッカリ忘れていたが、いろいろ思い出した。中原さんの口から、GSのオギハラさんの名前が出て、ビックリ。彼とは、ついこのあいだ呑んだような気がしていたが、数えてみたら、90年ごろ井の頭公園で花見をやって、彼の自宅マンションで呑んだあと、会ってはないのだ。江原恵さんやその周囲の詩人たちのことも話題になったな。最近のひとでは、江さんのことも。しかし、めしくって、クソして、呑んで寝て、仕事して、たまにセックスなどしているうちに、怒涛のように、月日は流れていくのだなあ。そして、きょうまで生きてみました。
そんな思いをしつつ、酔いは深まり。「もう一軒」と中原さんに案内され、三茶の路地をクネクネたどりついた呑み屋、名前も場所もわからん。かなり酔っていた、もう呑めないほど酔っていた。
なのに、22時前にはヨロヨロ帰り着いた。早くから泥酔だったのだな。ここのところ忙しいこともあり体調は万全といえなかったし、明るいうちから呑むと気分よく、酔いも早いようだ。
バッグのなかに、大根の煮物などが入っていた。二軒目で食べられなかったから、もらってきたのだろうか。
うっすら覚えているキーワードなんぞを忘れないようにメモ。「食知性学」でしたっけね。それとも「食地政学」? あと「倫理論理のひと」っての、バツグン。
いやはや、楽しかった。もっと話したいことがあったような気がするが、早々に酔ってしまい、グチャグチャ。また、そのうち、呑む機会がありますように。
吹ク風ト、流ルル水ト。……クリック地獄
バッグのなかに水族館劇場編集局発行の『fishbone』が入っていた。編集に中原さんの名前がある。08年3月19日の「古書ほうろう」における、内澤旬子さんと水族館劇場代表・桃山邑さんの対談が収録されている。うーむ、中原さん、水族館劇場の舞台制作も手がけているのか。
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