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2008/05/31

食や農や食料自給率や食育とか語るなら「今日の一貫」さんを読んでおきたい。

「今日の一貫」さんが書いていることについては、おれは一貫さんの主張に全面的に賛成なわけじゃないが、大事なことだと思うので、ほんの何度か当ブログでも話題にした。

で、今日は、これだ。チト前に書かれていたのを読んではいたのだが、あわただしくて紹介というメンドウがメンドウだったので、今日になった。

「日本農業には、生産抑制策ではなく生産刺激策を講じなければならないのだが、、」
2008年05月20日

とくに食育をめぐっても顕著だが、食や農については、あまりにも情緒的というか感覚的というか、センチメンタルなロマンチックな話しが多すぎる。なんでも精神、ココロに還元されてしまう。根拠のないウソに近いものも少なくない。先日も書いた、食料自給率低下の原因が、食生活の変化=洋風化にあるという話なんぞは、そういうことをいうのなら、ちっとは調べたのかといいたい。

食や農や食料自給率や食育にかぎらず、食に関することになると、たいがいの話は、学校でいえば小学生レベルだ。小学生レベルの知性で、知識だけ肥大化した「大人」の食談義ばかり。メタボ腹よりメタボ腹のような脳みそに詰まっている、デタラメな食談義知識を、まずなんとかすべきだ。

と、悪態つくのは、これぐらいで。

当ブログに登場の「今日の一貫」さん。もっと多いと思っていたが、意外に少なかったな。でも、検索の仕方が悪かったかもしれない。ま、いいか。

2008/05/10
コメ価格モンダイ、どうなってんだ、日本の農政。
2006/09/08
「食育利権集団ができつつあるようだ」とな
2006/11/07
日本食育学会設立大会、とな


ついでにといっては失礼だが、「今日の一貫」さんからリンクのある、「余丁町散人」さんの「農業問題」も見ておくとよいかも。


以下は、当ブログ内で関連ありそうなものを拾ってみたが、たくさんあるので、テキトウ。おれは、ようするに、ふだんの生活の中の料理をよりよくということだから……。リンクはるのはメンドウなので、やめた。


2008/05/28
オシャベリな食の「船場吉兆」と台所に立つ「つまみ」。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/05/post_b2d8.html

2008/05/16
「がんづき」と「自己完結型地産地消」と頑迷固陋の危機感。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/05/post_d2a6.html

2008/05/09
神々しく演出された「こだわり」「厳選」「良質」そして厨房の密室性。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/05/post_e94f.html

2008/04/08
「安すぎた」「もっと高くてもよい」の違和感。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/04/post_2b70.html

2008/04/07
「食料自給率わずか40%」にひそむ虚虚実実。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/04/40_8338.html

2008/03/31
美しき厚顔無恥な農水省の脅し広告。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/03/post_6505.html

2008/03/25
供給も消費も「強迫観念」だらけ。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/03/post_f391.html

2008/01/23
農水省がなくなればよくなる。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2008/01/post_461c.html

2007/06/26
氾濫するコギレイな雑誌、本。コキタナイ闇の中の食。
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/06/post_aa74.html

2007/06/10
『季刊 うかたま』で、ボンヤリ「食」と「農」のゆくえを懸念
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/06/post_9ebe.html

2007/06/02
やっぱり、ないよりマシというのはマチガイの「食育」
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/06/post_a551.html

2007/01/05
食育以前、自然と食に生きるといふこと
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2007/01/post_a005.html

2006/12/22
なんだかオカシイ「食糧自給率」報道
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2006/12/post_5006.html

2006/03/17
誤解 自然農法と有機栽培
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2006/03/post_0190.html

2006/01/28
食育基本法が隠蔽する農業破壊
https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2006/01/post_8e50.html

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よい結論。新宿で呑まず池袋で酔いどれ。

きのう。午後、新宿某社で打ち合わせ。1時間を予定していたが、それほど議論することもなく、30分で結論。昨年末から検討してきた重要案件のプランが、やっと動き出す。大きな仕掛けだから、スタートまで時間をくったのは仕方ないし、むしろタイミング的には、これからのほうがよい。「ロクデナシ作戦野狐編」と命名、そのココロは…うふふふ。あまった時間30分ほど雑談、飲食業界の動向など。これから、動きが激しくなる。しっかり頼んだよ。一滴も呑まず、気分よく池袋へ。

17時、木村嬢と待ち合わせ。少し遅れる。ピンク街のど真ん中の焼酎充実の呑み屋で、ただちに呑み始める。ビールのち焼酎各種。ミーツ最新号をもらう、話題アレコレ。酔う。のち東池袋、砥ぎ師宅のわめぞ町内会へ押しかける。砥ぎ師夫妻?輪王寺そんな記憶が残っているが、ほんとうか?でもウソつくはずがないからなあ、だとしたら…。セドローくんに退屈くん。砥ぎ師の料理うまし。酔い深まる。退屈くんの鉄わらじ妻の話を聞いたような気がする。池袋駅で、セドローくん、退屈くん、木村嬢とわかれる。どうせ彼らはカラオケだ。記憶喪失帰宅。

年とってから女に去られると、女が妻だろうが愛人だろうが、身から出たさびだろうが、女の心変わりならなおのこと、男は死ぬまで傷心を引きずることになるようだ。切ない人生の終末というわけだ。逆の場合は、そうでもないらしい。そんな話をしていたが、苦しみながら死ぬも人生と思えばよい。と、他人ごとのようにいい。酔いと眠気が残る朝。

追記=古書現世セドローくんのブログ2008-05-30「エンテツ乱入~金曜夜の肥満児」を見たら、おれの行状が詳しく書いてあって、いくらか思い出した。ぐははは、そういえば。…クリック地獄

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2008/05/29

歌舞伎町60周年、今月逝ったひとを思い出す。

チトいろいろなことが重なり、激しくあわただしかった。どうして、モノゴトはバラバラちょうどよくやってこないで、重なってしまうのだろうか。そのあわただしさの中で、思い出したが書いてなかったことを、忘れないうちに書いておこう。

先週、2回も歌舞伎町へ行ったのだが、「歌舞伎町60周年」の旗が下がっていた。おれが5歳になる年、1948年に歌舞伎町は生まれたということだ。ふりかえってみると、1962年に上京してから、居所は転転としたが、転転としても変わらずよく行った盛り場が歌舞伎町で、ずいぶん付き合いが長く、いろいろなことがあった。

風林会館の近くのバーで、喧嘩にまきこまれ、某組織のヤクザに、おれの身体がぶっとぶほど殴られ、前歯がグチャグチャになった。あれは、何年のことだったか、1970年ごろか。おかげで、前歯が入れ歯になってしまったが、ぐあいの悪かったこと。

なんといっても忘れられないのが、と、ここで調べても、それこそ居所を転転としているうちに、日記とまではいかなくても、大事な出来事をメモしたノートまで失ったので、1978年の5月の10何日かだったと思う、その夜、歌舞伎町で一緒に呑んだ男が、翌日、自分の部屋で自殺死体で発見された。おれより少し年上で、37歳だったはずだ。

おかげで、おれが呑みながら何か言ったのが原因なのではないかと、ずいぶんアレコレ言われたものだ。ひごろ口が悪いと損をする。しかし、彼は、ちゃんと遺書を残してくれていた。彼は、死ぬ前に歌舞伎町で呑むために、いまはもう建物ごとなくなった、その呑み屋にあらわれて、グウゼンおれが居合わせたのだった。しかし、あまりあと味のよいものではない。でも、まあ、おれは最後に一緒に酒が呑めてよかったと思っている。ときどき一緒に仕事をした。仕事ができる男だった。

いま気がついたが、あれは、歌舞伎町が30周年の年だったのか。そして、あれから30年たつのか。そのうち、ヤツの思い出は、ゆっくり書くことにして、このブログにも書いた、5月に逝ったひとが2人いる。

2007/05/24「玉川奈々福さんの師匠、福太郎さん亡くなる」
5月23日 永眠 行年62。トツゼンの事故死だった。

2006/06/02「たつ!さんこと、坂本達哉さんが急逝」
明日が命日だ。5月30日 永眠 行年38。事故死ではないがトツゼンの死だった。タツさんのブログが、まだ残っている。なんだか不思議な気分だ。最後は5月27日、赤羽の大衆酒場「大久保」へ行った日記だが、大久保は去年だったか今年になってからだったか、閉店した。

思い出したときに、冥福を祈っておこう。思い出を胸にきざんでおこう。

チトまだ片付けなくてはならないことがあるから、とり急ぎ、ここまで。

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ツマラナイ、優越感。

ほら、ツマラナイ優越感にひたっていないで、三上寛の「夢は夜ひらく」でも、聴きな。

2008/01/12
人間の価値は、成功談義じゃねえ。

日暮れて、道遠し。枯れずに生き抜きたいものだ。
けつくらえ、くそったれ。

って、久しぶりに、酔いどれ深夜便でした。午前1時15分過ぎ。

ああ、そして、5月が終わる。
終わるのは、5月だけか?
死んだ人もいる、生きている人もいる、死んだか生きているかわからん人もいる。

3月4月5月と、私の人生…
だははははは、ヨツパライ

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2008/05/28

オシャベリな食の「船場吉兆」と台所に立つ「つまみ」。

「船場吉兆が廃業」のニュースが流れている。この際、こういう「船場吉兆」を君臨させてきたことを考えてみるのも、悪くないだろう。

いくつかあげられるが、もっとも広い裾野にあって、多くのひとが関わっているにちがいないことがあると思う。つまり、飲食店というステージでの飲食や料理についてオシャベリしていれば、あたかも飲食や料理について語っているかのごとき風潮を、この際モンダイにしてみよう。

この風潮は、日々の家庭の生活の料理は「女のこと」にして、プロや飲食店の料理に趣味や興味や関心を発揮してきた、日本の男の「伝統」が根にあると思うが、とにかく、飲食店をステージにした飲食や料理については熱心にオシャベリするひとが、では、おなじように自分や普通のウチの、日々の台所にある食や料理について、どのていど語っているか、チョイとまわりの、とくに男たちを見回してほしい。

たとえば、本や雑誌を思い起こしてみよう。なぜか、たいがい、男が多い、男の著者が多いねえ。A級B級C級D級、級外、下町系場末系下品系変態系、その分類いかんに関わらず、男は、熱心に飲食店の食や料理を語るわりには、家庭の台所の日々のそれについて、さほどの熱意を持って語らない。あるいは、本を出しているていど以上の「有名人」が語る食や料理は話題にするが、無名の人たちの日々の台所は話題にしない。

おかしい、これはナゼだろうか。いったい、それでは、食や料理の、何に関心や興味があるのだ。何度も、いろいろ表現を変えて、このブログでも書いてきたが「本末転倒」だろうと思う。

今回のジケンで、もっともやっかいなのは、「船場吉兆」は高級料亭だから、「おれたち庶民」には関係ないもんねという「庶民の味方派」「下層の味方派」の、飲食店の飲食や料理のオシャベリの存在だ。だけど、「船場吉兆」を君臨させてきたことの底辺には、なるほどカネがなくて、たまたま「船場吉兆」に出入りできない星の下にあるかも知れないが、経済的レベルのちがいだけで、おなじような趣味的というか非日常的非生活的というか、関心や興味のオシャベリをしている例は、かなりある。

飲食店の飲食や料理に偏向して、ありがたがったり、おもしろがっていることには相違はない。そのことが、「庶民の味方派」「下層の味方派」であるがゆえに、自覚されてないから、かえって始末が悪いともいえる。

おれは、そういうことを感じている。ようするに、「船場吉兆」を君臨させてきたことの根には、家庭の日常の料理、日々自分が台所に立つことを考えない、オシャベリ(能書きたれ)な飲食や料理の存在がある。それを「文化」と称して。

そんなオシャベリをしているヒマがあったら、瀬尾幸子さんのつまみ本を手に、台所に立とう。

きょう、どうやら今日発売らしい、『サンデー毎日』が届いた。2008/05/23「瀬尾幸子『おつまみ横丁』は絶好調。」に書いた内容が記事になっている。

立ち読みでも、ご覧あれ。「本誌晩酌記者が選ぶ「おつまみ本」決定戦」P30、31の見開き。瀬尾さんの『おつまみ横丁』(池田書店)が、ドーンと写真で。記事中には、『簡単! 旨いつまみ』(学研)のことも。おれの話も、2か所で出ているけど、最初が「フリーライター」なのに、あとのほうは「フリージャーナリスト」という肩書になっている。見開きページで、これは、ちょっと困った校正ミスだね。

それはともかく、『おつまみ横丁』は「昨年の9月に刊行以来、15万5000部ベストセラーなのだ」そうだ。

ま、きょうは、忙しいので、こんなところで。

あなたは、どうしてますか。

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2008/05/27

「トークショー」というオシャベリについて。

ちかごろ、自分でもトークショーに出て、またひとのトークショーを聞いて、自分のことも含めて考えた。

いまなにやら「トークショー」というオシャベリ見世物がハヤリだけど、オシャベリばかりしていて、オシャベリは上手になるだろうが、カンジンなときにカンジンなことを言えるのか。

午前2時半すぎ。

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2008/05/25

饐えたニオイの新宿の酒場で酩酊。

きのう。17時、新宿、別館三平酒寮。シノさん、おったちとうふさん、タノさん、遅れてまりりんさん。ビールのち、焼酎1本をあける。おったちさんが、買い置きの古くなった青大豆があったからと作ってきた、豆しとぎを食べる。あの、いい味だ。がんづきの話にもなり、おったちさんの郷里、日立にも「がんづき」があると。

のち、雨足強い中をひるむことなく、歌舞伎町を突っ切り大久保まで歩く。おったちさんオススメの蕎麦屋で、蕎麦と酒。麦イカのように、だけど麦イカより何倍も大きい内臓のまま干したイカ、能登のものだったかな?に釜石の麦イカを思い出す。どれぐらい呑んだか。10時過ぎ、ぐぐぐっと酔いが深まったところで、ウィスキーが呑みたくなり、バーへ行こうと。とにかく新宿へもどろう、またもや雨足強い中を歌舞伎町へ。時間がなくなってきているから、すぐ5人で座れるところを思案する。オープンして間もないアボットチョイスの新宿店へ行ってみるか。歩いているうちに区役所裏の小路に、フロイデの看板の灯が点いているのを見つけ、ドアーをあけてみると客が1人もいない。5人並んでカウンターにすわる。おれはハイボール2杯。11時半ごろ、新宿駅。おったちがカラオケへ行こうと言い出し、シノ、タノ、拉致される。きっと朝までだろう。おれは帰る。

三平酒寮もフロイデも、むかしの新宿の饐えたニオイを宿している。ゴールデン街ですら失われたしまった、この、饐えたニオイの新宿が好きだ。懐古にも郷愁にも値しない饐えたニオイが、たまらなくよい。

アソビすぎて、やることがたまり、きょうはせっせと片付ける。ちかごろ、アルコール依存が深まったような感じがしないでもない。それならそれもよかろう。想いは酒のなかに饐えさせようか。しかし、昨夜は、ひさしぶりに雨の中で、けっこう濡れた。

関連
2008/05/16
「がんづき」と「自己完結型地産地消」と頑迷固陋の危機感。
2008/05/13
どうしても、もう一度食べたい、豆しとぎ

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2008/05/24

水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。

水族館劇場の話題というと、舞台装置や大道具小道具のスゴサだ。それしか聞いたことがなかった。先日、経堂のバー太田尻家で、制作を担当するプロデューサーの中原蒼二さんと呑んだとき、その話をすると、彼はそのとおりで、その小屋、舞台装置、大道具小道具だけでも見る価値があるといった。いや、芝居の中身も……と付け加えたような気もするが。

きのうの初日は、ちょうど金曜日で、太田尻家は休業日だ。なので、一緒に行くことにした。太田尻家夫妻は、「造型屋」であり、店のガスだか水道だかの工事以外は、店という舞台装置、大道具小道具、料理も、ほとんど夫妻の手製だ。

Suizokukan_1会場は駒込大観音、ほうずき市で有名な光源寺。地下鉄南北線本駒込駅で降りて歩く。光源寺が近づくと、組み上げた足場をシートで覆った工事中のようなモノが見えた。上のほうに、なにやら舟のようなモノがぶら下がっている。周辺のたいしたことない景観をぶち壊す迫力の、奇怪な存在感。水族館劇場の小屋「黒の牙城」だ。先に着いた太田尻家夫妻が入場整理券をもらっていてくれた。

寺の境内に建てられた小屋の外、と思われるところに、まんまそこに半世紀以上も建っていたと思われる、「銀杏写眞館」という看板の文字もレトロな建物がある。よく見ると回転の舞台のようだ。そばにレールがあり、先は小屋の中に消えている。もしかすると、このレールで移動し、小屋の中に登場するのかと思いながら、とりあえず、そばでカップ酒を呑む。

Suizokukan_2_2ほかの人たちも、そのあたりにたむろしている。明るかった空が暗転するころ、芝居は、そこでトツゼン始まった。ま、プロローグという感じだ。波止場の写眞館の写真そして鏡に写る物語が、この芝居らしい。

わたされた整理券の番号の順にしたがって、10人単位で小屋に入る。三階建てぐらいの舞台の「装置」というか「大道具」は、始まる前から、これまた存在感がすごい。そこは「白骨島」と呼ばれた炭鉱の島。

そう、この芝居は、実際に存在する「白骨島」や「地獄門」という名前がつく場所が、なぜそのような名前で存在したかを物語る。つまりは当ブログ2008/04/15のタイトル、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」を語る芝居なのだった。

白骨島の混乱する戦後から始まり、舞台が回転し戦中にもどり、また戦後の、こんどは石炭から石油の時代へと舞台が変わる。そのたびに、「装置」というか「大道具」が、すごい動きを見せる。「白骨島」下には「プール」まである。プールは、人が落ちる芝居のためだけではない、ア然とするほどの仕掛けがあった。見たほうがよいから書かない。

物語は、入れ子の構造というか、鏡の裏表というか、過去と現在というか、現実と夢幻というか、入り混じりながらすすむ。これが、わかりやすい。芝居のタイトル「永遠の夜の彼方に」から想起されそうな、文芸的、あるいは演劇的、あるいは誌的な、気どりや抽象が一切ない。

そんなに芝居を見ているわけじゃないが、小屋も含め、全体を覆う「黒」「闇」のイメージは、まぎれもなく「アングラ」のイメージだけど、アングラの型にはまっていない。あらゆる型にはまっていないけど、あらゆる型をとりこんでいるようでもあり、しかし、そういうことは関係ない芝居なのだな。「白骨島」という名前の島、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」なのだ。

最後。舞台が暗転し、スポットライトを浴びた女優が、セリフを言いながら消える。じつにありきたりなセリフと終わり方……なーんだ、せっかくここまでよかったのに、終わり方がこんなんかよ、ガッカリだなあ、と思った瞬間だ、最後の破壊が始まる。破壊であり崩壊だ。猛烈な破壊だ、美しい崩壊だ。白骨島は、上から落ちる大量の水で崩れる。舞台背後の覆いは落ちて、外にぶらさがっていた舟に人が乗って、宙をすすんでくる。その背後は、夜の街の風景が、ナマで。組んだやぐらの上に役者が……。芝居のタイトル「永遠の夜の彼方に」だな。この小さな小屋からは想像つかない大仕掛けの展開。書かないほうがよい、見たほうがよい。

Suizokukan_3終わると、その場でただちに、崩れ去った「白骨島」のザンガイを見ながら「打ち上げ」が始まった。観客の8割方は残っている。劇場関係者と酒を酌み交わす。終わって気がついた、斜め前に、古書ほうろうのミカコさんがいた。中原さんもきて、呑みながら、談笑。そうそう、一度だけ幕間があるのだが、その最中に芸者姿で踊りを披露した、山谷の玉三郎さんとも初めて言葉を交わす。

ある種、おどろおどろしさや説教くささや演劇くささをカクゴして行ったのだが、そういう残滓はいっさいなく、内容の負の深刻さにもかかわらず、じつに爽快な気分で終わった。ホラホラ、声がよく出てないぞ、おっ、トチリをうまくかわしたなといった「負」まで楽しいものだった。

たぶん、この芝居は、芝居や表現の専門家風の鑑賞、つまり仔細に演技や発声などの表現の一つ一つをチェックし、その完成度を、似非グルメが料理に星をつけて採点するように鑑賞するなら、あまりよい得点は得られないのではないかと思う。だけど、ちかごろの、そうした表現者のための表現のようなものは、「究極の完成度を求めて」生活の現実から逸脱しすぎたオシャベリ、おしゃれで上手で如才ない生き方のようで、まったくつまらない。

セオリーどおりの表現は、写真だろうとイラストだろうと文章だろうと、どんなに完成度を高めても、無難に行きつくだけだろう。そういうのが、ちかごろは多すぎる。

現実をえぐったもの、場所の物語を伝えよう、考えようとするなら、表現上の技術的な完成度は、そこそこのほうがよい。高い完成度は、思考の自由やエネルギーを奪うからだ。もっとも、完成度を知ったうえで、それを一歩か数歩か数十歩か手前で抑えたり崩したりしながまとめきるのは、至難のワザだが、そういうチャレンジは必要におもう。ちかごろ、そんなことを強く思うことが多かったので、この芝居は、とてもよかった。考えてみれば、少なくともおれは、表現の完成度を求めて芝居を見に行っているのではない。

セリフにもチラッと感じたが、プルーストの『失われた時を求めて』が、そこはかとなく意識されているようでもあった。

もらった、水族館劇場が発行の『fishbone』を、北浦和に着いてから中華屋で生ビールを呑みながら見た。しかし、そんな芝居をつくる人たちが、どうも活字文章になると、こうも難しい言い回しをするのだろうかとおもった。これはもう日本のブンガクの病気と思うしかないのか。それとも、舞台は終われば消えてしまうが印刷物は残るから、かしこまるのだろうか。

でも、桃山邑さんの文章は、カネを払ってもよいぐらいおもしろい内容だ。色恋沙汰など関係なさそうなクソマジメなカタブツな印象の本居宣長だが、好きな女への未練たちがたく、妻を離縁し、その女と一緒になる。そのことに関して桃山さんは、「どうにもならない倫理と自我との相克」「だからこそ稀代の国学者は、学問の主流に与しない、もののあはれの歌論を、ほんとうに心に思ったことだけを書いて、筺底の奥深く真意を隠し続けたのではないでしょうか」と書く。うーむ、そうか、と生ビールをグビグビッと呑む。

そこから、桃山さんは、宣長は「瞬間と生涯をすりかえる手品師のひとりだったのです。芝居もまた一瞬の目眩まし。ともどもこころを盗む泥棒稼業」と話を展開する。なかなか読みごたえがあり、おもしろい芝居を見たうえに、こんなものをもらえるなんて、うれしい。

中原蒼二さんの文章もあって、「我々はどこにもいけない」のタイトル。うーむ、ムズカシイ。

7割ぐらいを村上春樹さんの作品から引用しているが、じつに巧みだ。『ダンス・ダンス・ダンス』『五月の海岸線』『羊をめぐる冒険』『風の歌を聴け』の、そこをこのようにつなげるのかと思いながら、生ビールをグビグビッ。

「「我々はどこにもいけない」。ほとんど絶望的といっていい孤独な言葉を、村上春樹は『回転木馬のデッド・ヒート』の冒頭で断定的かつ他人事のように使う。その同じ言葉を三年後に彼は『ダンス・ダンス・ダンス』でまた繰り返す」。

ようするにワレワレは、この高度資本主義から逃れられない、この世界で生きつづけなくてはならない。としたら、「高度資本主義を克服するのは、わたしたちが一度は見失った革命のパラダイムでも宗教でもない」「わたしたちにできることは、わたしたちの前にある問題を考えつくすことだ。そのうえで、わたしたちは自分の生を他の人と共に意味づけうるような文明の実現を一つずつ、たしかな現実の裏づけをもって希望することだ」と中原さんは書いている。

この芝居は、「絶望の中で希望しよう」というメッセージがこめられているのを感じることはできるが、それが押し付けがましく前面に出てこず、ほどほどに抑えられている。いうもでもなく白骨島は、戦後の「嘘」の歴史に閉ざされ十分解明がすすんでいない、いわゆる「朝鮮人強制連行」の島だ。だけど、そのことを声高に告発しているわけでもない。抑え気味に、ただ「闇に埋もれたきれぎれの声」を探し歩いているだけなのだ。だから、好感がもてるし、「闇に埋もれたきれぎれの声」は、いまもいたるところにあることに想いがはせる。のだな。

スペクタクルというと、おれの年代なら『ベン・ハー』だ。あれは映画で、シネマスコープだったかも知れないが、この小さな芝居小屋のスペクタクルは「生」であり、『ベン・ハー』より、はるかにスペクタクルだ。中原さんがいったように、その小屋、舞台装置、大道具小道具だけでも見る価値がある。できたら、もう一度みたい。

公演日
5月=24日、25日、30日、31日。
6月=1日、5日、6日、7日、8日、9日。

水族館劇場公式サイト
http://www.suizokukangekijou.com/

友よ、おれたちには春はない、明日は暗闇だ。だとしても、いいじゃないの。力強く、キモ酒呑んで、キモめし食べよう。

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2008/05/23

木村衣有子連載小説「猫になりたい」が「WEBきらら」でスタート。

忙しいきょうは、ひとのネタで勝負。

木村衣有子さんの、このあいだまで阿佐ヶ谷の「パール日記」だったが、最近「わめぞ」に引っ越した。「わめぞ日記」になるかと思ったら、「ライト日記」になったブログをみたら、連載小説スタートの告知があった。……クリック地獄

まだ読んでないが、とりあえず紹介。

「猫になりたい」と女がいえば、一般的には、男にゴロニャンするカワイイ女になりたいという感じだろうが、あっちの男にゴロニャンこっちの男にゴロニャンしながら生きたい女という感じでもある、はたして中身はどうか。

これから木村嬢と呑むときは、観察されてネタになるのをカクゴしなくてはならないのか。「となりに老人が裸で寝ていた。入れ歯がとれた口は暗黒の底なし沼のようだった。しかも、よだれの跡が。胸のうすい貧相な身体。私は恐怖の叫びをあげた。その自分の声におどろいて夢から覚めた私のとなりには、胸の厚い知らない男が裸で寝ていた。ああ、また酔いすぎて男を引っ張りこんだらしい。けれども、男の顔は、うっとりするほど美しく、すぐさま私は知らない男の胸にゴロニャンしたのでした」なーんて書かれて、じつはあの「胸のうすい貧相な身体」はエンテツから想像したのです、なんていわれたらどうしようと……。こんなばかなことを書いている、チョイと休憩タイムのワタクシです。

「WEBきらら」
http://www.quilala.jp/

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瀬尾幸子『おつまみ横丁』は絶好調。

きのうのこと。急な話がまいこんで、16時に都内某居酒屋で某週刊誌の記者と会う。いま「つまみ本」が売れているとかで、「つまみ本」あんど「つまみ」の特集をするのだとか。売れている「つまみ本」のなかでも、ダントツに売れているのが瀬尾幸子さんの『おつまみ横丁』だそうで、これからまだいろいろなメディアで取り上げるから、もっと売れるだろうとのこと。ほかのいくつかの「おつまみ本」も見せてもらいながら、「つまみ本」や「つまみ」について話す。もちろん、生ビールをグイグイ呑みながら。きのうは暑かったから、明るいうちから呑む生ビールが「うめぇ」だった。この話、もったいつけるわけじゃないが、いまの段階でどこまで書いてよいのか、判断つかないし確認してないので、これぐらいで。週刊誌が発行になってから書きます。べつの情報によれば、明日土曜朝のTBS「王様のブランチ」という番組の「おすすめ本」コーナーでも紹介されるらしい。

「美味しいまちづくり」、一関、八戸の写真とキャプションが、ドーンと送られてきた。本文とつけあわせ調整をしなくてはならない。きょうは、それを夕方までやり、駒込大観音の水族館劇場へ。

明日は明日とて、明るいうちから呑みの予定。

都内へ連続して出かけ、毎晩呑んで遅くの帰宅は、疲れるようでもあり元気が出るようでもあり。

そうそう大谷さんから久しぶりにメールあり。「2008/05/21北九州市『雲のうえ』5号特集「はたらく食堂」ロケハンの全食行程。」をご覧になって、目下進行中の『雲のうえ』の「山」の特集のこと近況など。あいかわらず元気に活躍のようだ。北九州へ行きたくなる。

と、日記風に書いてみた。

関連、このブログで、瀬尾幸子さんの料理について、初めて言及したのは。
2006/04/28「豊かな日本の中流意識」と、どう決別するか

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2008/05/22

最後は「人生はお笑い死ぬのはジョーク」。

きのうの、新宿ロフトプラスワンで「モンティ・パイソン・ナイト」は、23時ごろ映画『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』の歌「Always look on the bright side of life」で終わった。

「ポジティブ・シンキング」なんて嫌いな言い草だが、この歌は、ラストシーンの磔の状態で死を迎えながら、「人生はお笑い死ぬのはジョーク」てなかんじに、言い切るように歌う。「ポジティブ・シンキング」なんて化けの皮をはがされて真っ青だろう。最高に素敵だ。You Tubeで見られます。

堅苦しく深刻に、しかめっつらして「生」や「死」を迎えたり語ったりするのは、大げさで過剰な演出の結婚式や葬式のようで、どうも偽善的でインチキくさくて、かなわん。でも、結婚式や葬式というと、仰々しく礼服を着て参列するのか好きなワレワレ日本人は、ロマンチックあんどセンチメンタルな生や死が好きなんだなあ。そんなときだけ、一時の私小説的感動に、わが身を委ねる。おお、この共感よ、絆よ、てなことだ。

とにかく、それで、ほぼ満員の会場で、出るときになって、初めて主催者の須田泰成さんと挨拶できた。おととい書いたように、おれは出演者ということになっていたけど、ション横でチョイと一杯やって開始30分ほど前について、会場のすみのほうに『空飛ぶモンティ・パイソン 第1集』(イーストプレス)の訳者、高野由美さんを見つけ、となりに座った。そのままだった。ほんとうは出演者は楽屋に行かなくてはならなかったらしいのだが、そんなこと知らんもんね。だから須田さんは、おれが来なかったものと思っていたらしい。でも、よかった、あの壇上に並ばなくてすんで。

会場は、ほぼ満席なのに、知っているひとは、高野さんのほかに、子連れのマチコ女王様、そして、「意外」のゲストの1人、池田鉄洋さん。

とにかく楽しく、映像を見たり話を聴いたりに気をとられ、十分呑んで酔わないうちに、あっという間に終わってしまった。大宮の先まで帰る高野さんと帰る。

きょうは、なんだか予定外があって忙しくなったので、これぐらいで。

予定外の一つは、瀬尾幸子さんの『おつまみ横丁』が売れ行きがよくて話題になっているらしいのだ。どうやら「ブレイク」らしい。その件で、なぜか、おれが、出かけなくてはならなくなった。瀬尾さんのためだもの、急の話でも、行きますよ。この件は、のちほど書くことになると思います。

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2008/05/21

北九州市『雲のうえ』5号特集「はたらく食堂」ロケハンの全食行程。

ほったらかしにしていた、昨年夏から秋の仕事の資料。整理の必要があったので、ついでにまとめた。画像のあるものは、食べたものやら歩いたところなど、撮影の日時までわかるのでまとめやすいのだが、全部は網羅してない。もういまさら思い出そうとしても、思い出せないことも多く、まとめるのに時間がかかった。

食べたものは、もっとある。けれど、なにしろメモを小まめにとる習慣がないものだから、日にちが過ぎると、どんどん忘れてしまう。まだ、このほかに、ホンバンもあるし、各食堂ごとのページもつくりたいと思っているのだが、はたして? とくにホンバンの画像は、パソコンが壊れたときに一緒に無くなったので、考えただけでもやる気がおきない。

ま、自分用の記録なので、見てもツマラナイと思うが、よく動きよく食べ、よく呑んだ。ザ大衆食「北九州市『雲のうえ』5号特集「はたらく食堂」ロケハンの全食行程」…クリック地獄

ああ、姿は見えず声も聞こえず会うこともかなわず月日はすぎ、しだいに霞んでいく後姿、夢か幻か耄碌かアル中か、あのひとはどうしているのだろうか。

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2008/05/20

明日21日は、新宿ロフトプラスワンで「モンティ・パイソン・ナイト」。

きのう須田泰成さんから届いたメールの書き出しに、こうあった。…………


いつも急でスミマセン。
コメディライター&プロデューサーの須田泰成です。

5月21日(水)新宿ロフトプラスワンにて
「モンティ・パイソン・ナイト」が開催されます。
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

開場:18時半
開演:19時半~23時 くらいです。


…………たしかに、いつも急だ。おそらく、コメディという職業的テクニックだろう、いつもそう思っていた。みながセカセカ計画的にやっているとき、わざとユルク発作的にやる、みんなが悲しんでいるとき、わざと不謹慎を口にする、みんなが喜んでわいているときに、わざと冷たい言葉を放つ、ようするにズラシのテクニック。そのことでカタイ緊張感100パーセント状態を緩和する。それにちがいない。

が、しかし、おとといの夜、きのうからすれば前夜に、太田尻家で須田さんとあって21日の話になったとき、須田さんは、イヒヒヒヒヒと笑いながら、まだ出演者の交渉をやってないようなことを言っていたように思う。それならば、この「急」は、高度で複雑なズラシのテクニックなんぞではなく、単に、ドンぎわまで「なにもやってなかった」にすぎないのではないかとも考えられる。しかーし、須田さんのように仕事も生活も子育ても肉体がコメディと化しているひとは、やはり自然に、それが「なにもやってなかった」生コメディになるのだろう。か、そうだろうか、どうだろうかと考えながら読みすすめる。…………


司会は、ロフトプラスワンの多田さん。

ゲストは、出演順に(予定)

今拓海さん(ルポライター/「モンティ・パイソン大全」脚注協力)

石黒謙吾さん(著述家&編集者)

五月女ケイ子さん(イラストレーター)

細川徹さん(作家/演出家)

高橋茂美さん(瑞鷹代表取締役/「兵庫のおじさん」プロデューサー)


…………フムフムフム、なぬっ、なんだ、これは、おれは目が点になった。泥酔しているのかと思った。もしかすると、おれのことか、これは。たしかに、こうあるのだ。…………


遠藤哲夫さん(大衆食堂研究家/パイソン好き/65歳)


…………そういえば、大田尻家で、須田さんは、おれがどうせ来るなら何かしゃべらせようか、というようなことを言っていたような気もする。でも、それは「冗談」という状況であった。酔っていたおれだって冗談とわかったから、笑ってとりあわなかった。コメディプロデューサーとは、冗談をやりぬくひとなのか。それにしても「パイソン好き」とは冗談が過ぎる。いや、これはキツイ冗談が仕掛けられているのか。奥が深すぎてわからん。あと、このように書いてあった。…………


相馬称さん(webデザイナー/パイソン研究)

など、オモシロイ方々を予定しております。

意外な飛び入りゲストも来るかもしれません。


…………ようするに、とりあえず、当日会場に来ることがわかっているヒマ人を出演者にしたにちがいない。いや、ほかのひとは知らないが、少なくともおれのばあいはヒマだから行くのだ。モンダイは、「意外な飛び入りゲスト」だ。これだ。モンダイだ。ほんとうに来るのだろうか。それとも単なる釣りか。これまでの須田さんのパーティーからすると、たしかに来る可能性もある。「意外性」これもコメディの仕掛けられたワナだからな。ありうるぞ。いつも「急」で「冗談」で「意外性」、これが須田コメディのキモなのだ。しかし、単に「いい加減」の結果なのかも知れない。こんな時代だから、その「いい加減」もコメディの芸になるのかも知れない。ま、あんまりカタク考えずに楽しもうということだ。ようするに、こういうこと。…………


内容は、ゆるーく飲みながらパイソンのコントを見て楽しもうという、

笑って癒されるイベントになると思われます。

なにか質問などある方は、須田ケータイまでご連絡ください。


…………質問? 急に言われても、思いつかない。いまから昼酒(まだ朝か)呑むと、思いつくかも知れない。なんだか、なぜだか、んなわけで、明日はロフトプラスワンで楽しくやりましょう。明日のことだ、ほんと急だ。人生は冗談。

質問、思いついた。……おれだけ年齢があるのは、なぜなのだ。

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2008/05/19

酒のほかは趣味もなし、新宿「石の家」経堂「大田尻家」。

先日、三軒茶屋で諸行無常に呑んだ中原蒼二さんと16時。新宿・石の家で待ち合わせと決めたとき、チラッと競馬がある日だから混むかもと思った。

石の家は、やはり混んでいたが、座れないほどじゃない。競馬ファンは新聞とテレビとにらめっこだから静かなもんだが、クリカラモンモンが背中にありそうなオニイサン2人と、「情婦」という言葉が似合いそうな女2人がヨツパライをやっているそばのテーブルしか空いてない。そこに座る。クリカラモンモン風の1人は酔ってテーブルに突っ伏して寝ているが、女2人がにぎやかだ。

ま、しかし、呑むほどにそんなことは気にならなくなる。アレコレ話しては、お互いに「しかし、ほんと、酒以外、コレといった趣味がない」というところにもどりながら、アレコレ。この、どうってことない話をしながら呑む、いい加減さがたまらなくよい。ビール、チューハイ。

キンミヤ呑み続けて35年かそこらの中原さんに言われて気がついたが、石の家のグラスにはキンミヤマークがついている。おれは1962年5月に初めてここに入って、初めて餃子を食べて以来、何度も来ているが、焼酎がキンミヤとは知らなかった。むかしは焼酎の銘柄なんか気にしなかったこともあるのか。

気がついたら2時間たっている。牧野さんはがんばっているエライ、こんどは小田原あたり舞台になにかやりたいねえとか。楽しい時間は、すぎるのが早い。デハ、中原さんが北九州へ行く5年ほど前に住んでいた経堂へ行きますか。と、出る。まだ空は明るい。おお、なんと、都心なのに、空気がすがすがしい。いい気分。小田急線の経堂駅の改札で声をかけられる。祖師谷大蔵の阿部食堂のご夫妻。住まいは経堂なのだという。

すずらん通りを歩きながら、大田尻家。ゆっくりくつろぐ。「四月と十月」は、いまイチバンよい雑誌だ、美術系だけど文章がすばらしい、ライターの立場がないどうするの、ということなど。ビール、清酒、赤ワイン。中原さん帰り、家長が連絡してくれて、自宅にいてつかまった須田泰成さんがあらわれる。お休みのところ、すみませんねえ。一ヵ月後に講談社から刊行される「兵庫のおじさん」のゲラを見せてもらう。キング連載分に、その倍ぐらい書き足したもの、おもしろそう。21日の新宿ロフトプラスワンの「モンテイパイソンナイト」のことなど。23時、埼玉の空の下へ帰る時間。24時半ごろ帰宅。

ゆっくり時間をかけて呑んでいたからか、あるいは太田尻家の料理がうまくたくさん食べながらだったからか、泥酔記憶喪失にはいたらなかったようだ。

中原さんは、酒以外に趣味がないどころか、芝居が好きで好きだから続いている制作プロデュース。水族館劇場の公演が、今週末金曜日から始まる。都内文京区、駒込大観音境内特設蜃気楼劇場"黒の牙城"で「永遠の夜の彼方に」。その招待券をいただく。うまそうな酒もいただく。どうもありがとうございました。

「永遠の夜の彼方に」は、「いつでもないいつか。どこでもないどこか。錆びついた港のはずれ」と、炭鉱が舞台。つまりは中原さんは北九州市の仕事をやりながら、『雲のうえ』だけではなく、この芝居も生んだものらしい。すごいひとだ。

そういえば、中原さんが帰って、須田さんが来るまでのあいだ、大田尻家の家長と、「プロデューサー」という肩書のひとにはウサンクサイ人が多いけど、中原さんと須田さんはちがうねと話していたな。

よく文化を知るものは、文化を語らず文化を楽しむ。
よく芸術を知るものは、芸術を語らず芸術を楽しむ。
よく味覚を知るものは、味覚を語らず味覚を楽しむ。

よく不条理を知るものは、よく条理を知る。
よく非情を知るものは、よく情を知る。

ま、そういうものだ。

水族館劇場のサイト
http://www.suizokukangekijou.com/

中原蒼二さんのブログ、5月19日「初夏の夕方から酒をのむ…幸せ」にきのうのことが。
http://ho-bo.jugem.jp/

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2008/05/18

「町感」、いい加減、いいねえ。

きのう届いた『dankaiパンチ』6月号(飛鳥新社、本日発売)をチラッと見たら、こんな会話があった。……


森永博志 池波正太郎より田中小実昌だよなーって思った。

立川直樹 池波正太郎は嫌いじゃないけど、なんか文豪感ってあるじゃない。町の人とは、ちょっと違う。

森永博志 どっか高踏ですね。僕ら、もっと「町感」がないとダメなんだね。それも日本橋とか深川とか根津じゃなくて、もっといい加減な町が好きなのね。蒲田とかね。


……んなことで、きょうは、これまで。

とかく、グルメな話ってのは、料理のことでも、大衆食堂や大衆酒場や立ち飲みあたりのことでも、高踏でタイトで肩肘張って、「文化的」な「アート」な、リッパな能書きたれて、笑っちゃうよ。「町感」も「生活感」も「いい加減感」も欠ける。


では、きのうに続き、ゆる~い、そこはかとなく「いい加減感」がただよう、こんな画像で。コメディ・ライターあんどプロデューサーの須田泰成さんです。
Wamezo_tukinoyu_suda

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2008/05/17

わめぞ月の湯古本まつり、大竹聡さんとのトークショーを掲載。

Wamezo_tukinoyu_ootake_2とにかく、いくつかあるうちの、チト重くて硬い難物を片づけた。「美味しいまちづくり」「食のまちづくり」、今回おれが取材したのは、岩手県一関と青森県八戸だが、なかなかおもしろかった。「まちづくり」だの「地域づくり」だの「B級グルメ」だの「地産地消」だのは、好きでない言葉だが、ま、これは官製の標準用語みたいなものだから仕方ないのだ。そういう言葉を使っていても、それぞれ中味がずいぶんちがう。そんなことも考えながら、イチオウそれなりにおれなりに、よく書けたかなと。高度な編集者の満足もクリアできたようだし。発見、刺激、べんきょう、タップリだった。

そうこうのあいだに、いろいろなことがあり、いろいろ進行し、いろいろなものが届いていた。そのなかに、わめぞ月の湯古本まつりで、大竹さんとトークショーをやった様子を全部、マイコメの制作の逆井智紀さんがビデオ撮りし、編集したものがある。これは、近いうちに、マイコメ公式サイトで見られるようになる。先日お知らせしたように、いまマイコメプロデューサーの須田泰成さんとダジャリエ石黒謙吾さんが対談しているが、そこで見られるようになる予定だ。

Wamezo_tukinoyu_ore_22回か3回にわけて公開される。その2回分が送られてきたのだが、うまく編集してあって、自分のことが、ものすごく笑える。おかしい。いやはや。

それで、思い出して、ザ大衆食のサイトに、トークの要約というか抜粋を作成し掲載した。これは、愛人8号おったちとふさんが録音し書き起こしくれたものがあって、できた。どうも、ありがとう。文章より、うまく編集されたビデオのほうが、はるかにおもしろいけど、ま、雰囲気は伝わるでしょう。ようするに酔っ払いのバカ話で、なんの役にも立ちませんが。画像もあります、こちら、クリック地獄

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2008/05/16

「がんづき」と「自己完結型地産地消」と頑迷固陋の危機感。

Itinoseki_sekinoiti_ganduki4月11日、岩手県一関の「蔵元レストランいちのせき」を取材したとき、「がんづき」というものを初めて食べた。「蒸しパンのようなもの」と説明されたが、ま、そうとしかいいようのないものだった。

「のようなもの」というより、料理的には「蒸しパン」になるだろう。ただ、「蒸しパン」といってしまうと、なぜか「洋風」であり、「がんづき」はあくまでも「郷土料理」だから「和」でなければならないとするなら、大いなるあららら矛盾におちいる。なので、「蒸しパンのようなもの」が正解といえば正解になるが、食べながら「和」と「洋」の境はムズカシイと思った。

頑迷固陋な「和思想」のひとは、この味覚は、小麦粉の素材な味そのもの、毛唐どものように素材の味を殺してしまうようなことはしていない、そこがちがう、ああなんと素材の素朴な美味よ、これはまさしく「和」の料理だ。というかも知れない。

だけどね、それは、あんたが知らないだけだよ、毛唐のパンにだって、塩だけでほかは混ぜてないような、素朴な小麦の味が生きているパンがあるよ。そもそも、小麦を練った料理の原初的なものは、国のちがいにあまり関係なく、小麦と塩で始まっているのではないかね。と、いってみたくなる。

「がんづき」は、どの地域で食べられる「蒸しパンのようなもの」か詳しく知らないが、いまごろ引っ越しで燃え上がっているだろう木村嬢から先日メールがあって、こんなことが書いてあった。

このあいだ三陸へ出かけた際、盛岡でよく見かける「がんづき(雁月)」という ざっくりした蒸し菓子が、伊達の国に入ると、なにかもうちょっとだけ洗練されたものになっていることに小さく驚きました。

コレ、すごくオモシロイ。木村嬢、ありがとう。こんど、一杯、おごらせてあげる。

盛岡のがんづきは知らないが、一関は岩手県だけど、もとは伊達藩で、気仙沼や塩釜などとの交流が深い。「伊達」といえば、いろいろな言い方をされるが「あかぬけて洗練されている」意味でもある。ハイカラなのだ。

たまたま一関の商店街でフラフラ入った道の駅のような店で、中年男性に話しかけたら、彼は気仙沼の人で、毎日のように、そこに納品に来ているのだった。その彼は、気仙沼は漁師が多く、後ろは山だし、海の向こうのほうのことばかりみながら生きている、だからけっこうハイカラなんですよ、その空気がこのへんまであって、ここは岩手県だけど、私らは「岩宮県」とか「宮岩県」とか呼んでいます、といった。

おれには偏見があるらしく、彼がジャズファンで、しかも仲間と演奏をやると聞いて、おどろいて彼を見直した。とても、そのようには見えない、田舎のオヤジである。だけど、一関には全国的に有名なジャズ喫茶ベイシーがあるのは、こういうひとたちがいるからかとも思った。ナニゴトも見かけからだけではワカラン。

そうそう「がんづき」だ。そうなのだ、一関のこの「がんづき」も「洗練」つまり「ハイカラ」を感じさせるものだった。そういうことであって、「和」だの「洋」だのは、もうその段になると意味をなさない。むしろ「和」や「洋」や「岩」や「宮」や、さまざまなものが入り混じり、よいとこどりで洗練されていったものだろう。そういうことがある。ようするに小さな地域を取り上げても、そのように交流交易をぬきには考えられない。

ところが、どうしても「地域自己完結型」を主張する頑迷固陋は、いま「地産地消」あたりを根城に、あいかわらずのようだ。なんともうしましょうか、ま、しかしこの人たちはウラヤマシイぐらい楽天的だ。

なかには、玄米と塩さえあれば、なーんていっているひとがいるが、その塩、どこの塩だ。なぬっ、国産だと、国産なら地産地消だと。徳川の昔は、鎖国で、かえってよい食生活と文化が育ったと? ばかいっちゃいけない、鎖国は、徳川幕府が交易の利益を独占したいために行ったので、幕府自身つまり政府は鎖国なんかしてない、交易をしているじゃないか。ま、そういうおれの知らない歴史のことは、いいや。江戸期に各藩は名産名物を競うが、それはなんのためかといえば、地域自己完結型とは逆の、他者との交易を意識してのことではなかったのか。

こんな主張がある。「そこで穫れるものを自分たちでおいしく料理する、自己完結型の食べ物づくりがこれからの地域づくりに必要である。どこにでもある食べ物、例えばカレーライス、刺身、豚カツなどを提供してもむらづくりにはならない。」

ま、そんなふうに地域づくりをウンウンするのもサミシイ話しだが。「そこで穫れるものを自分たちでおいしく料理する」ってのは、いいだろうけど、「どこにでもある食べ物、例えばカレーライス、刺身、豚カツなどを提供してもむらづくりにはならない」というのは、まちがっている。

たとえば、ラーメンは、どうだ。あるいは豚カツも、味噌カツやソースカツ丼は、どうだ。やきそばじゃ、富士宮やきそば、横手やきそば。こういうふうに冠に地名がつくものは、それなりに、その土地の味覚になっている。それで、観光客を呼ぶ力になっている。「そこで獲れるもの」が、そこの味覚とは限らない。歴史的にみても世界的にみても、味覚は、そんなふうには決まっていない。この「がんづき」にしてもだ。

この「がんづき」だって、土地によって、味覚が異なるのだ。そのことは、交流交易を否定することには、ならないはずだ。しかも、輸入の小麦を、少なからず使っていることだろう(この画像のものは、地元の小麦のみだが)。むしろ、交流交易のなかで、自分とこ「らしさ」つまりアイデンティティをみつけ、より「らしい」「おいしい」ということで、地域によって、おなじ「がんづき」だって違いが出る。

それに、そのほうが、楽しくて明るくて、いいんじゃないかねえ。そのほうがひとが来てくれるよ。楽しく明るくないと、人なんか来てくれないよ。人が来てくれたら、経済効果もあがるよ。経済効果があがらないと、生きがいも、楽しさもあったものじゃないよ。みんな交流交易のなかで生きている。

なのに、でも、なんだか、なぜだか、自ら頑迷固陋で無理のある「地域自己完結型」に陥って、危機感だけつのらせる。なにも解決しない。

頑迷固陋な危機感といえば、いまや農水省が、世界一の見本だ。経営能力のなさにおいて無能な官僚が、いや、無能なのではなく利権のために有能な脳クソにまみれた、だからこそ頑迷固陋に陥るのか、その正体を糊塗するために、いつものように危機感を煽ることだけ有能な作文、農業白書のニュースがあったが、もう書くのがめんどうになった、やめる。ほんと、チンポが萎える。経済や交易の仕組みが、まったく考慮されてない。ま、もともと自分の利権しか頭にないんだからな。これだから、コメにしても牛乳にしても、過剰と不足のあいだを極端に振れるのかも知れない。こんな官僚たちと心中したくない。心中するなら、アンタとね。

そうそう「がんづき(雁月)」の名前は、画像で、そのココロ、わかっていただけるだろうか。丸いパンを月に見立て、上に散らばっているゴマを雁に見立てると、その名前の由来らしい。「月に雁」いかにも「和風」な名前だ。でも、木村嬢が教えてくれた、下記サイトには、丸くないものもある。いろいろなのだな。ようするに「蒸しパンのようなもの」だ。
http://www.kahoku.co.jp/weekly/trend/071101_1.html

そうそう、このこと書こうと思っていたのだ。食料自給率の報道のたびに、食料自給率は「食生活の洋風化などを背景に減少傾向にある」という文言がみられ、いたるところで繰り返されている。これおかしいよ、そういう認識では正確な実態把握はできないし、有効な策が出ないだろう、やめてくんないかな。ということで、「がんづき」は「和」か「洋」かと書き出したのだが、どこかへズレてしまい忘れてしまった。毎度のこと。

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2008/05/14

日々の生活こそ価値や信念を生み出す源泉である

場所というメディアに特有の性質は、共に在ることを可能にし、また共に在るという地点から出発するしかない、というところにある。そこで人々は、土地を共有することで、そして土地の物語を媒介とすることで、隣人とも、まだ見知らぬ他者とも、何度でも出会いなおすことができる。そこには、唯一不変の信念や、絶対的な価値観といった類のものはいっさい存在しない。土地に刻み込まれた数々の日常生活から成る物語は、翻って私たちの日々の生活こそ価値や信念を生み出す源泉であることを、絶えず想起させるのである。

『こころのたねとして』に収録されている「過程としての、場所の力」原口剛より

原口さん、すばらしい!
拙いおれの頭で考えるに。この場合の「土地」とは、坪単価いくら、というような物理的な「土地」ではなく、地理的な土地のことだろうとおもう。であるから、狭い地域におきかえることも、地球規模におきかえることも可能なのではないかとおもう。地球の表面は、川や海で物理的には分離されているようでも、地理的には川や海を含めて地続きなのだ。海や川に国境や県境などがあることで、それはわかるだろう。そして人びとの生活は、そういう境のなかに在ると同時、そういう境をこえても、在る。「地産地消」の「地」も、そのように在る想像力がはたらけばよいのだが。

2008/05/08ぜひ読んで欲しい本です『こころのたねとして』。

Hatinohe_gyokou_2
画像は4月13日8時チョイすぎ、八戸漁港の朝市で撮影。タマネギやニンジンを売っているカッコイイおやじの後ろの岸壁には、イカ漁の船が何隻も着岸していた。どれも数百トン(300トンクラスといったかな?)の、あまり大きくないほうの漁船だ(勝海舟が渡米した咸臨丸は、600トンクラスだったとおもう)。この小さな漁船が船団を組んで、赤道をこえ、南半球のオーストラリアの東沖から南米沖のあいだの太平洋を、数か月かけて操業する。その間に獲れたイカは、船団についていく輸送船で、「日本」にピストン輸送される。のだそうだ。そこまでやって、そんなにしてまで、なのに、だけど、なぜか、どうしてか、日本人の「魚ばなれ」が嘆かれ、魚を食べると頭がよくなる。のだそうだ。んじゃ、日本人が「魚ばなれ」していなかったら、どういうことになっていたのか。どこがどうなってるのやら、なにがなんやら。

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2008/05/13

どうしても、もう一度食べたい、豆しとぎ。

Hatinohe_mamesitogiきのうに続き「どうしても、もう一度たべたい、シリーズ」っていうほどのことじゃないが。

きのうから佳境に入っている仕事がある。一度モチベーションが上がるような話があって、それはなくなったのだが、いったんハイになった頭は、そのままハイをたもっている。よい傾向である。このまま一気に突っ走ろう。

けどね、やはりチョイと息抜きぐらいしたくなる。そこでまあ、YouTubeでモンティパイソンなんぞを見ていると、おもしろくて、仕事を忘れそうになる。それはマズイ。では、ブログでも書くか。というわけだ。

でも軽く息抜きていどにしたい。そこで、これだ。4月12日の6時半ごろ、八戸の片町朝市で買って食べた「豆しとぎ」。これが、もうビックリのうまさだった。気どった都会人なら、「おお、これは鄙まれな美味、上品な味でありますな。田舎者がこんなにうまいものを作って食べているとは、いや信じられん」とでも書くところだ。書いているじゃねえかって。

いやさ、おれは、一口食べた瞬間、たしかに「上品な味」という言葉が口から出そうになったが、こらえた。ほんのりやさしい甘さで、さっぱりした食感。ほとんど雑味を感じられなかった。

これを買うときがおかしかった。

おれが買ったのは画像左上に一個だけある、青豆のしとぎだ。これは、コメの粉に青大豆のすったのを混ぜたものだと、売っているおばさんが説明した。おれは、なぜか、前夜の酒のせいなのかどうか、豆をすると聞いて、大根おろしのようにするものとイメージしてしまった。

あの小さな豆を、そのようにすったら、指まですってしまうのではないか。それにどれだけ時間がかかることか。青豆を一つ一つ、すりおろすなんて、そんなことありうるのか、納得できない。

そこで、おばさんに、それを確認したくて、「どうやってするの」と聞いた。するとおばさんは、「するのよ」と答えた。それでは答えになっていないと思うおれは、また「だから、どうやってするの」と聞く。だけどおばさんは、また「そう、するのよ」というのだ。そのような問答をしていると、ナニゴトかとそばにきた、八戸せんべい汁研究所の木村さんまで、「するんですよ」というのだ。おーマイがっ、おれは、どうにも不審のまま、時間もないことだし、豆しとぎを持って、そこを離れた。

聞き方も悪かった。「どうやってするの」ではなく「なにをつかってするの」と聞けば、たぶん、「すり鉢でするの」とかなんとか答えてもらえたのだ。だけどそのときは、思いつかなかった。

作り方は、すりかたも、いろいろ微妙なちがいがあるようだが、砂糖と塩をまぜて練り上げる。その砂糖と塩加減も、これはよかったのだろう。ほとんど砂糖の甘さも塩も感じない、うまい作りだった。

13日の八戸漁港の朝市でも売っていたが、食べ比べてないから、ちがいがわからない。生ものだから、時間がたったら、あぶって食べると、それはまた香ばしくてうまいらしい。

とにかく、どうしても、もう一度食べたい。ま、これは、自分で作ろうと思えばつくれるのだが。

いじょ。

そうそう、北九州市の『雲のうえ』7号が届いているのだけど、まだ見てない。好きな特集テーマなので、近々に読んで感想でも書きたい。といいながら、前号も、けっきょくまだ書いてない。

北九州には、4大公営ギャンブル競技場のうち、三つまである。その特集だ。昨年夏、北九州の取材のとき、これはゼヒやりたいと大谷さんがいっていたが、実現したのだな。ところで、4大公営ギャンブルをいえますか。そのうち北九州にあるのは、なんでしょう。おれは昔、中央競馬会の競馬のイメージアップの仕事をして、ついでに公営ギャンブルのおべんきょうを少しやったので覚えている。あのころから、競馬は、女も競技場に来られる健全なエンターテイメントとしてのイメージが広がった。ほかのギャンブルも、おなじように。

おれは、いま競技ギャンブルはやらない。酒と女と仕事に賭けているから、馬や自転車やボートやオートに賭ける余裕はない。でも、世間には、この全部をやっているひとがいる。

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2008/05/12

どうしても、もう一度食べたい、シャムロックそば。

Hatinohe_syamuroku4月13日8時半ごろ、八戸漁港の朝市で、シャムロックそばというのを食べた。これは、どうしても、もう一度食べたい。眠気と前夜の酒でドンヨリした頭で食べたのがいけなかった。その頭が醒めるほどうまかったが、それでもキッチリ覚醒していなかった。

まず、かなり薄く切って平べったいそばが、煮込んであるのに、ツルツルなのだ。しかも、そばの味がキッチリ出ている。つなぎに何をつかっているかも気になったし、あとで考えると、盛岡冷麺のそばの食感にも似ていたような気もする。それに、画像左にかくれてしまったが、そば打っているオヤジが、なんだか漁師風の頑丈そうな身体つきで、どことなくアソビニン風の空気をただよっていたようにおもうが、全身を躍動させリズミカルに身体を動かして打っていた、その姿も顔も気になる。シャムロックのスープも、もう一度、シカと確かめたい。気になる、気になる、気になる。

そもそもそも、ボンヤリしていて、おれも自分で一杯買えばよかったものを、サキさんが買って、おれにまず渡し、おれはそのうまさにガツガツ食べる途中で、そうそうまだサキさんと木村嬢が食べるのだと気づき、途中でまわしてしまった。それが悔やまれる。もう一度食べたいよう。シャムロックそば一人前、配達してくれ、たったいま。

うーむ、こうなったら、なんとか明日中に片付けたいものだ。が。いや、八戸へ行くんじゃなくてね。

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2008/05/10

コメ価格モンダイ、どうなってんだ、日本の農政。

ほんと、じつはヒッパクしている。なにがって、仕事の進行だ、原稿の進みぐあい、予定より遅れ気味。でも、まあ大丈夫、締め切りを遅れることはないとおもう。

いやいやちがう、そのことじゃない、なにがって、コメがヒッパクしてんだよ。どうなってんだ、コメは過剰じゃなかったのか。だから、米価が下がるといわれていたのではないか。あまっているから粉にしてパンや麺に混ぜようという話じゃなかったのか。そして、食料自給率改善のため、もっとコメを食べようってことじゃなかったのか。

しかし、米価は、コメの需給関係を正しく反映しているのか。といえば、そうではない。そもそも需給関係自体が、農水省やJA全農の「計画」下管理下にあるのではないか。さっき、田舎のひとから電話があって、コメ価格モンダイを話していた。逆上した。電話のむこうとこっちで野暮ったい男が二人で逆上して、どうするんだ、どうなるんだ。どうもならんよ、おれたちは世界を変えられない。しかし、どうなってるんだ、おかしすぎるぞ、やはり1月23日に書いたように「農水省がなくなればよくなる。」のだ。

電話を切っても、逆上したアタマが冷めない。おかげで原稿を書けない。つまり、原稿が遅れるのも、農水省、JA全農のおかげだ。農水省がなくなれば、原稿は遅れることがなくなる。

ところで、このモンダイについて、気になる一貫先生は、どう言っているのだろうか。気になるからブログを見た。おおっ、ズバリ、一貫先生、さすが。これはもう一貫先生のブログをご覧いただいたほうがよい。ゼヒ、ご覧くださいよ、こういうときにこそ、農水省やJA全農の本性が見られるのだ。もちろん、その提灯持ちしかしてない連中のタワゴトの本質もあからさまになる。あっ、おれ、先日はJA全農がスポンサーのラジオ番組に出たけど。

5月10日 今日の一貫
「コメ価格高騰 だらしないコメ流通業者、政府は見て見ぬ振り、、新たなコメ流通作るチャンスなのだが、」…クリック地獄

このあいだ「美しき厚顔無恥な脅し広告」に書いたように、東京の出版社のオシャレな雑誌に載る、農水省の根拠のない脅し広告なんぞを信じちゃいけない。オシャレな雑誌を読んでる知的な消費者たち、国産の農作物は安すぎたから、アンゼンのために高値はトウゼンと、マジでおもっているのだろうか。もっとシッカリしてよ、こんなにバカにされてよいのか、オシャレな知的な「いのちをいただく」消費者たち。ふん、知的でもオシャレでもねえや、チョロイだけだ。

ま、これで少しはスッキリした、とにかく仕事にもどろう。いや、酒でも呑むか、いやいや…。いや、やっぱり呑もうか、いやいや……仕事、しごと。

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マイコメ公式サイト「Everyday Comedy!! マイコメ」が更新されています。

「エンテツの大衆食道」の第2回「信濃路 鶯谷店」や、「空飛ぶモンティ・パイソン」日本語吹替復活DVDBOXプレゼント(6月15日まで)の告知があります。

また、マイコメのプロデューサーにしてコメディー・ライター&プロデューサー、モンティ・パイソン研究家である須田泰成さんが、ダジャレ道ン十年の「ダジャリエ 石黒謙吾」さんと対談している動画が見られます。男40歳の須田さんの素顔をごらんになってください、実物より聡明そうなイイ男に見える。ま、「兵庫のおじさん」のように、シュールでブラックなコメディを書くひとってのは、けっこう聡明ではあるのだな。ふだんは、このひと大丈夫か?とおもうほど、まったくデレッと「ゆるい」かんじだけど。それはともかく、石黒さんの「ダジャレ理論」を楽しんでください。もちろん、「エンテツの大衆食道」も、よろしく~。

なお、「エンテツの大衆食道」は、このあと、3回と4回も「信濃路 鶯谷店」です。撮影したビデオが、あまりにおもしろくて捨てるのがもったいないから、あと2回続けるのだそうです。先日、編集されたものを見たけど、自分で見ても、オモシロイというかオカシイ。おれって、ほんとにバカなんだなあ。いまさらわかってどうする、というかんじだ。おれはよく「おもしろいひと」といわれるのだけど、あれは、やはり、「バカなひと」という意味だったのだな。やはり、存在自体がコメディなのだ。そいえば、このブログもバカなことばかり書いている。

そうそう、それから、先日、わめぞ「月の湯」における、「酒とつまみ」大竹聡編集長とのトークショーも編集されて、そのうち見られるそうです。これはもう100パーセント、バカ話。

ま、公式サイトを、ごらんください。…クリック地獄

須田泰成さんが監修と一部執筆の最新作、『笑論─ニッポンお笑い進化論』がバジリコから発売。「日本の《笑い》の栄枯盛衰をこの一冊に!!」という本で、おもしろーい。これ読みながら、YouTubeで映像を検索して見ていると、なるほどナルホド、で、なかなか仕事ができなくてこまる。本の内容紹介は、こちら、バジリコのサイトで…クリック地獄

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2008/05/09

神々しく演出された「こだわり」「厳選」「良質」そして厨房の密室性。

Hatinohe_gyokouasaiti2008/04/07「「食料自給率わずか40%」にひそむ虚虚実実。」に、こんなふうに書いた。

「カロリーベースで40%、生産額ベースで70%という、この数字のひらきは、なんなのか。そして、東京都だけを見れば、カロリーベースでは、わずか1%。生産額ベースでも、わずか5%。東京都民は、「食料自給率わずか40%」より、この数字、そこにあるゆがんだ構造と精神を記憶したほうがよいように思う。」

このあと、たしか20年ぶりぐらいに、東京都の人口の占める割合が1割、つまり日本の全人口の10人に1人が東京都民であるという数字が発表になったと記憶している。

この数字を、もう一度ならべてみよう。
食料自給率 カロリーベース  1%
         生産額ベース  5%
東京都民の割合 全人口の  10%

なにも、かんじない。あっ、そう。

東京の常識は日本の非常識、お笑い、ってことじゃないだろうか。対中対米関係だけじゃなくて、東京から発信されるメディアを信用していては、とんでもないことになる。非常識ニッポン、ばんざーい、だ。ま、地方にだって、東京以上に東京のようになりたいという常識がなきにしもあらずだから、簡単には線はひけないが。それに、常識ってやつもツマランから、東京の非常識をながめながら暮らすのも、タイクツしのぎになる。そもそも、ブログのネタに苦労しない。

東京の出版社から発行される、オシャレでスローでバタフライじゃないハロウインじゃないロハスか、どのみち古い言葉になってしまったが、地球にも身体にもやさしいとかいわれる天然な自然な、そうそうオーガニックな食と農の生活を満喫しているような、オシャレな雑誌がある。あれを見て、それじゃあ、いったい、どれぐらいのオーガニックな農産品が流通しているかと、たまには考えてみよう。

このデータが、なかなかない。ないけど、ある。JASに適合の有機農産物の流通量は、国内総生産量のたった0.17%だ。これは政府規格の統計に拾われた数字だけだから、実際は、もっとあるはずだが、でも、この倍はないだろう。自家消費用を加えても、たいした数字にならない。

これを、上の数字にならべてみよう。そして、なんの雑誌とはいわないが、おしゃれなオーガニックな雑誌におどる言葉を思い浮かべみよう。……あまりにもバカバカしくて思い浮かばない。いや、ボケがひどいだけだが。バカバカしい現象がおおいと、それを忘れようと、ますますボケがひどくなる。でも、この数字だからこその、東京の「近代食」批判や「自然食」崇拝であり、それは常識つまりバランスを欠いている。

ようするに、いつも「こだわり」「厳選」「良質」のオーガニックが話題だが、ほかの90%以上を占める、それは、こだわってもいなければ、厳選もされてない、質の悪い、そういうものでたいがいのひとは生活していることになるようだが、それはイッタイどうなっているのだ。中国ギョーザに悪態ついて、アメリカのジャンクフードを軽蔑して、ああニッポンって、「こだわり」「厳選」「良質」なんだわシアワセ。これが、東京の常識で、日本の常識なのか。

おれは、とにかく、そういう話は、まったく信用してない。

そもそも、ウチあたりに投げ込まれる、宅配弁当などのチェーン店のチラシだが、そこにだって、「こだわり」「厳選」「良質」って言葉が、安っぽく偉そうにしている。まるで「毒」でなければ、みなそうであるかのように。

そうそう、そういう話をしたいのじゃない。そういう安っぽい言葉が、神々しく通用するようになったのは、ナゼかということなのだ。そこには、プロの料理人の存在があるだろう。彼らを神々しく持ち上げた東京のメディアの存在があるだろう。とくに、そのメディアにむらがって、おいしい話をしていた物書きなひとたち、グルメなひとたちの存在があるだろう。

一つの神話、あるいは都市伝説…東京には、世界中のうまいものがある。ほんとうか。

ほんとうかもしれないが、それは一割も満たないことだろう。ほかは、もしかすると世界中でイチバンまずいものをくわされているかも知れない。上の数字は、その可能性を示している。

でも、アンシンしたまえ、人間は舌ではない大脳で食べているのだ。みな「こだわり」のプロの料理人がつくっているのだと思えば、使いまわしのものだって、うまいと思うはずだ。著名なグルメや料理評論家だってね。ナントカさんという有名人がオススメといえば、もうそれだけでおいしいのよ。オシャレな雑誌を見て、オシャレな店で食べれば、それだけでうまいと思う。自然崇拝な話をありがたくおもえれば、それだけでおいしい。そういう神々しさが、朝どりのホウレンソウなんか見たことも、生のままかじったこともない人が圧倒的におおい東京では、通用する。

そうなのだ、船場吉兆の使いまわしが問題になっている。

神々しく演出された厨房の密室性。船場吉兆の騒動の背景には、そういう裾野があるにちがいない、と確信する。そこに、上の東京の数字をかけあわせてみよう。神々しい。

ま、使いまわしは悪い。そのうえでのことだが、船場吉兆なんか、一生のうちに一度も行けない連中が、そんなこと騒いでどうする、どうせ船場吉兆の使いまわしのものですら口にできないのだ。東京の飲食店の心配をしたほうがよい。東京の飲食店の、何割か、やはり、おそらく全流通量の9割ぐらいになるだろうなあ、業務用卸流通のはずだ。そこでは安い輸入品が幅をきかしている。もっとも、それだって、「こだわり」「厳選」「良質」だ。これ、東京の常識ね。

ふつうは、とってから一日以上たった野菜しか手に入らないと、カクゴの料理を楽しんだほうがよい。生サラダより温サラダを楽しむとか。たいがいの野菜は、熱を加えたほうが旨みが出るんだし。オーガニック信仰より、こっちのほうが現実的だろう。

「こだわり」「厳選」「良質」あと「シュン」か、東京じゃ、そんな言葉にはツバをし、ありふれたものをおいしく食べることだ。そのことに、もっとこころをくだくことだ。安飲食店のアジフライに、ひからびたパセリなんかいらない、それがあるのがアタリマエという惰性をあらためたほうがよい。盛りの飾りにすぎないなら、刺身のツマだっていらない。でも、キャベツの千切りは、ひからびていても、あったほうがうれしいな。そういうことを考えたほうがよい。

常識と非常識がこんがらがって、迷走日本のようになったので、書くのがめんどうになった。やめる。画像は、八戸漁港の朝市で、ホウレンソウ。

原稿、書いているから、ご安心を。

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2008/05/08

ぜひ読んで欲しい本です『こころのたねとして』。

Hon_kokoronotaneこのところ当ブログによく登場する一ノ関と八戸の取材は、「美味しいまちづくり」がテーマだ。

「「都市と暮らしを考える」をテーマに、都市の諸相に迫る。都市計画から社会政策まで、都市に関わる問題、課題を独自の視点から掘り下げる」という雑誌『city & life』(発行=財団法人第一住宅建設協会、編集協力=アルシーヴ社)の特集。

いうまでもなく、食と地域の関わりは深い。んなわけで、食で地域の真相と深層を掘り起こし、地域の未来へつなぐ「たね」をみつけることは、これからの地域を考えるうえで、それなりに意味を持ってきた。

いま泥酔デレデレしていた連休もおわり、気がつけば原稿の締切りが、すぐ目の前にせまっているなか、おれの頭のなかに酒と共に宿る「食とまち」を考えるうえで、かっこうな本『こころのたねとして』が届いた。

何日か前、五十嵐泰正さんと電話で話したとき、まもなくできあがるという話をきいた。先日、大阪の原口剛さんから、できあがったので送るというメールをいただき楽しみしていた。

大阪市のNPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)発行の「ココルーム文庫」。つまり文庫サイズの本だ。本文、283ページ、本体667円+税。発行者、こたね制作委員会。編著者、岩淵拓郎(メディアピクニック)、原口剛、上田假奈代(ココルーム)。

サブタイトルに「記憶と社会をつなぐアートプロジェクト」とある。

おおっ、「アート」がっ、おれが大嫌いな言葉じゃねえか。じつは、「こころ」という言葉も好きじゃないし、「まちづくり」という言葉も、あまり好きでない。しかし、この本は、そのようにおれが嫌いになった「アート」や「こころ」や「まちづくり」とまるでちがうのだな。

ま、「アート」というのは「表現」ということだろう。「まちづくり」というが、地域や社会をどうするか、どうしたいか、ということだろう。そして、「地域や社会」というのは、自分が生きる「場所」、自分の居場所のハズだ。その「自分」つまり「こころ」なのだ。

ところが、いま、自分の居場所となると、「市場」を意識する日常が大勢である。会社という組織を通じてであれ、市場に位置づくことが、「生きる」大きなテーマになっている。学校も、そのためにある。だけど、「市場」は、ほんとうに自分の居場所になるだろうか。市場は「こころ」の居場所になるか。そういうモンダイなのだな。

「まち」は、居場所になれないのか、居場所ではないのか。いま「まちづくり」といわれている表層を探っていくと、「市場」としての「まち」ではなく、「こころ」の居場所としての「まち」がもとめられていることがわかる。それが、近年「食とまち」にふれてきた、おれの実感なのだ。

しかし、「まちづくり」の「専門家」は、じつに都市工学的であったり、マーケティング的であったり、あるいは権威主義的なアートを押しつけたり。いっぽうチマタの「アート」な人たちは、同好の趣味の仲間うちに閉塞し、そのなかに「こころ」の居場所をもとめ、「まち」というアカの他人が交わる場所に「こころ」をつなげようとしない。「まち」に出てくるときは、アートをカネにしたいときである。つまりは、やはり、アートという市場に生息しているだけなのだ。結果的に「生活志向」と「アート志向」は、ほんらい矛盾するものではないはずなのに相容れず、溝が深まる。それもまた、おれの実感だった。

おっと、そういう話をしていると長くなる、いま自分の「美味しいまちづくり」の原稿書きが佳境に入りつつあるなか、この本を読んでいる間もなければ、詳しく紹介していられない。とはいえ、手にしたら、一章「アートから社会へ アートプロジェクト「こころのたねとして」とはなにか?」で、上田假奈代さんの「こころにたねもつこと アートと社会の関わりの可能性をさぐる」をスラスラと読み、さらにまずは知っているひとの文からと、原口剛さんの「築港 労働の記憶」「過程としての、場所の力」をスラスラ読み、最後の五十嵐泰正さんの「「場所の力」とどうつきあうか」を、うーむナルホド、筑波大学の先生らしい、じつに現実をよくおさえた理論的なまとめになっている、べんきょうになること参考になること多し、と読んだ。

ある種、息をのむドキュメンタリーでもある。

五十嵐さんと原口さんとは、「カルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション 闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡」を一緒にやった。おれは、そこで「大衆食や大衆食堂から見た東京の町」という報告をした…クリック地獄

これもまた「記憶と社会をつなぐ」試みだった。「まち」は新しいか古いかではなく、どう記憶がつながっていくかなのだ。

この本は、机上のものではない。「二〇〇七年、大阪・新世界を舞台に実施されたアートプロジェクト「こころのたねとして」」の実践の記録とまとめだ。

「詩人、劇作家、ラッパーなど異なる分野の表現者たちが、この街で暮らす人々の記憶を聞き取り、そこから紡いだ物語を朗読によって再び伝達することを試みた。今、表現は社会に何ができるのか。アートNPOの現場から生まれた実験的取り組みを検証し、その可能性を探る。果たしてこころのたねは芽を出すか?」ということなのですね。

おれは、「わめぞ」をおもった。そして、「芽を出す」だろうとおもった。イベントやマーケティングやゾーニングなどにとどまらない「まちづくり」のためにも、読んでおくとよいだろとおもった。とりわけ、アートな人たち(表現を仕事にしているひとや、表現が好きなひと)には、ぜひ読んで欲しいとおもった。

この本の内容については、これからじっくり読んで、たびたびふれることになるとおもう。

著者一覧。五十嵐泰正(筑波大学・都市社会学)、岩淵拓郎(美術家、「こたね」ディレクター)、上田假奈代(詩人、NPOココルーム代表)、小暮宣雄(京都橘大学・アーツマネジメント)、櫻田和也(大阪市立大学・失業と芸術の社会学的研究)、佐相憲一(詩人)、佐々木義之(日本橋・朝日山洋服店)、SHINGO☆西成(ラッパー)、瀬名秀明(作家、東北大学・SF機械工学)、妻木進吾(花園大学非常勤講師・都市社会学)、永橋為介(立命館大学・コミュニティデザイン論)、橋本敬(北陸先端科学技術大学院大学・複雑系)、原口剛(日本学術振興会・都市社会地理学)、樋口美友喜(脚本家、俳優)、冨士本大哲(北陸先端科学技術大学院大学・複雑系)、Hex(アクティヴィスト)、松井美耶子(小説家、音楽家)、maisie、森洋久(大阪市立大学・地理情報学)


NPO法人「こえとことばとこころの部屋」COCOROOM…クリック地獄

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2008/05/07

5月7日はコナモンの日というわけで、せんべい汁、はっと、やせうま。

きょうは「コナモンの日」。コナモンなんぞは毎日のように食べているから特別のことはなく、しかも、いまやどちらかといえばコナモンのほうが「B級グルメ」や「ご当地グルメ」で話題になるから、むしろ「コメモンの日」があってもよいぐらいだ。だけど、正確には「コナモン」と「コメモン」が対抗関係のわけではなく、コメのコナモンだってある。

伝統とか歴史からすれば、白米原理主義のおかげで、コナモンは冷や飯ぐいをさせられてきた。たいがいは白米食の「代用食」といわれ、一段も二段も低くみられてきたし、いわゆるナントカ流の板前がふんぞりかえってきた伝統的な日本料理からは蔑視され相手にされず、食べるほうも「そんなもん」「へんなもん」はビンボー人が食べるものと卑下してきた。そういう意味では、「下品」とみられ、まっとうに語られることがなかった汁かけめしとおなじような境遇と運命にある。だから、「コナモンの日」は、騒ぐだけじゃなく、そういうことを考えてみるのもよいかな。

食べものは食べて「うまいかまずいか」あるいは「どううまいか」「どうまずいか」だけであり、そこに「優劣観」を持ち込むなんざ、最低のことだ。しかし、飲食のことでひとの上に立ちたい連中は、あとをたたず、グルメぶった通人ぶった権威主義は、あいかわらずだ。

「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題をとりあげてもいいのではないかと提言したい。」と江原さんが『庖丁文化論』に書いたのは1974年のことだった。

そして、「あれから30年たとうとしている。すでにカレーライスまでがラーメンまでが、「通人ごっこ」の、いまふうには「グルメごっこ」ということになるだろうがその、餌食になってしまった。「グルメ」とは、食や料理を「まじめ」に考えないひとのことだったのか?」と、おれが、いまでは当ブログの「「日本料理は敗北した」か?」に書いたのは2002年12月13日のことだった。いまや、さらに、大衆食堂、定食屋、大衆酒場、立ち飲み屋、あらゆる「ジャンル」に、そういうビョーキがはびこっている。

コナモンの日を前に、たまたま東北取材があって、いろいろなコナモンに出会った。とくに何度でも書くが、八戸のせんべい料理には、ビックリだった。さらに、つい先日4月30日には、世田谷区経堂の太田尻家で、家長考案の九州地方の「やせうま」を「刺身」で食べるというビックリなコナモンにまで出会った。

Kona_sebeisiru_hatinoheここに掲載する画像は、上から順に八戸市の居酒屋「おかげさん」の「せんべい汁」(4月11日撮影)、一ノ関市の「蔵元レストランせきのいち」の「はっと膳」についた「はっと」(4月11日撮影)、そして太田尻家の「やせうま」の「刺身」(4月30日撮影)。

せんべい汁は、きのうの画像を見てもらえばわかるが、「汁」というが「鍋」料理だ。しかし、いまではどうか知らないが、八戸で乗ったタクシーの、おれと同世代のドライバーの話では、むかしは単なる汁の具だったということだ。家庭ではせんべいを切らしたことがなく(中学生のころまで自分チの囲炉裏で焼いていた)、おやつでも食べたが、汁のなかに入れるか、器にせんべいを割って入れ、汁をかけて食べたりもしたそうだ。だんだん進化して、いまでは、たいがい「せんべい汁」といえば、鍋料理らしい。

Kona_hattosiru_sekinoiti「「はっと」は、日本海側では体験したことがないから知らないが、宮城県、岩手県、青森県、この地域で日常の料理だった。地域によって、名前は異なるところがあるようだが、小麦粉をこねてのばしたものだ。詳しく把握できていないが、小麦粉をこねて、ちぎってのばすのか、のばして切るのか、両方ありそうだ。そのものは、埼玉県北部や群馬県の「おきりこみ」と似た印象を受ける。これを、ゆでずに、そのまま汁にいれて煮込む方法が一般的らしい。となると、すいとんやほうとうにも似ている。が、うどんのように、ゆでてから汁とあわせる方法もあるらしい。ま、こういう大衆の日常の料理は、それぞれのやりようなのだな。

せんべい汁もはっとも、だしのきいた汁と小麦粉の味や食感のからみが決め手のようだ。

Kona_yaseuma_ootajiri「やせうま」は、大田尻家の家長にきいたところでは、大分の「郷土料理」といわれているけど、彼の郷里である熊本でも食べていたし、九州の広範囲で食べられているらしい。そのものは「はっと」に似ている。ふつう地元では、ゆであげて、砂糖と黄な粉をまぶして食べる。それを家長が工夫して、ゆであげたそれで薬味をくるみ、ごま油をたらした醤油や酢醤油につけて食べる「刺身」にした。このうまさには、おどろいた。

とりあえず、コナモンの日のきょうは、こんなところで。

いやあ、ほんと、生きている人たちの呼吸が伝わってきそうな、それゆえジャンクでアナーキーでソウルフルな生活のなかの料理は、奥が深くおもしろいですね。

連休あけのきょうは、メールや電話のやりとりだけでも忙しく、連休中の連続泥酔ヘタリのタタリもあって、とにかくいろいろ片づけなくてはならない。

最後の画像は、八戸の片町朝市で売っていた白せんべい(「白せんべい」は、せんべい汁につかうせんべい)と生のはっと(4月12日撮影)。
Kona_hatto_nama_hatinohe


八戸せんべい汁研究所…クリック地獄
日本コナモン協会…クリック地獄

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2008/05/06

「B級」とは、ジャンクでアナーキーでソウルフルな大衆食のこと。

Hatinohe_senbeisiru_okagesan2008/04/22「八戸の片町朝市は、小粒だけど、素晴らしかった。追記。」に、片町朝市には「なんとも、ジャンクでアナーキーでソウルフルなうまい食べ物がそろっていた」と書いた。

そこに、「B-1グランプリ事務局長の今野晴夫さん。この方に会うために八戸へ行ったのです。今野さんとB-1グランプリのことも近日中に書きます。タブン」とも書いた。

「B級ご当地グルメの祭典! B-1グランプリ」は、もとをたどると八戸の「八戸せんべい汁研究所」にいたり、そのまたもとには八戸せんべい汁研究所の事務局長の木村聡さんがいる。すべては木村さんから始まった、といっても過言ではない。

今年の「B-1グランプリ」は3回目で、11月1日2日福岡県久留米市で開催される。たった3回目なのに、1回2回と連続グランプリに輝いた静岡県富士宮市の「富士宮やきそば」と共に、全国区に知れわたることになったのだが、事務局は八戸にある。

B-1グランプリ、八戸、せんべい汁、富士宮やきそば、どれをとっても「B級」で、大都会的(東京的中央的)な神々しさ(ハッタリや大言壮語)はない。そもそも、せんべい汁だのやきそばだのといっても、これまで「B級」といわれてきたようなものと、かなりちがう。たとえば、ただ価格や経済がB級なだけで、なにやらA級並のしかめっつらして能書きをたれる職人芸やグルメのイメージではない。ご気軽お気楽お笑い気分なのだ。

そこが、このB-1グランプリを支える食文化の特徴であり可能性であり、だからこそまちづくりのエナジーになるのだと、おれは今野さんや木村さんの話をきき、さまざまなせんべい料理を食べ、さまざまなせんべいシーンをみて、そうおもった。その詳しいことは、原稿に書いて、雑誌が発行になるまで、ご覧いただけない。

Hatinohe_sennbeitenpuraとにかく、お二人に案内されて、いろいろなせんべい料理を食べたのだが、せんべいの天ぷら(小麦粉のせんべいを小麦粉の衣で揚げる!近親相姦か。これが、イケル。)で、ガーンと頭を殴られ、最後に八食センター(八戸卸売り市場、八戸食品センターの略称が正式名称になったもの)で、ヤケクソのように大量陳列されたせんべいの山を見たあたりで、おれは働く日常のなかにあった「そんなもの」「へんなもの」こそ「B級」なのであり、それはジャンクでアナーキーでソウルフルな大衆食のことだとひらめいた。

そして、たとえば「B級映画」などとくらべ、なぜか偉そうな印象だった「B級グルメ」の、「B級」のモンダイについて、自分なりの把握ができた。

とにかく、小麦粉が原料の「南部せんべい」といわれるが、盛岡とはまるでちがう、八戸のせんべいの食べ方は、ジャンクでアナーキーでソウルフルこのうえない、つまり一言でいえば激しくパンクしている。そのことについて書きたいのだが、きょうは、ここまで。

そういう「B級」が、まだ各地にいろいろあるはずだ。

Hatinohe_senbei_hassyoku第3回の久留米は、いまや「やきとり」で有名だ。おれはまだ久留米へ行ったことがないが、今野さんに話を聞いて、エッ、久留米のやきとりって、そんなにふだんの生活なのかとおどろいた。やきとりでパンクしているのだ。しばらくB-1グランプリから目が離せない。

画像上 八戸市鷹匠小路、ロー丁れんさ街「おかげさん」のせんべい汁。「おかげさん」と各種せんべい料理は、あらためて紹介したい。ほかの料理もなかなかよい。
画像中 八戸漁港の朝市で売っていたせんべいの天ぷら。むかしから、このように天ぷらでも食べていたのだという。
画像下 八食センターのせんべい売場。

当ブログ関連
せんべいで赤飯をサンドした画像がのっている2008/04/19「雨のなか底を打ったか不調のテレビ収録、見よ八戸せんべい生活。」

関連サイト
第3回B-1グランプリ久留米 公式サイト…クリック地獄
『ウィキペディア(Wikipedia)』B-1グランプリ…クリック地獄

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2008/05/05

「伝統料理」とは。日本料理のおべんきょう。

おれは、ふつう「グルメ情報」というたぐいでくくられる原稿を頼まれるとき、「おべんきょうはいいですからね、おべんきょうのことは書かないようにしてください」というようなことを編集者に念を押されることがあった。

わかってる、わかってる、エンターテイメントに書けばいいんだろ、食べ歩き飲み歩きの「グルメ」なんていう連中は、イチバンべんきょうぎらいのバカだものな、とおれはニンマリうなずき、相手もキザに片目などをチカチカさせてうなずく。それがプロの編集者でありプロのライターの正しい姿というものです。

このブログにしても、ザ大衆食のサイトにしても、おべんきょうが少なくないらしい。それを見た、エンターテイメントな編集者は、とても警戒するのだな。もっともオリコウな編集者は、こんなおれには原稿を頼まない。

いっぽう、毎日のように、このブログを見るひとは、おべんきょうが好きなのではなく、これこそエンターテイメントとおもっているにちがいない。のではないかとおもう。おべんきょうは、エンターテイメントなのだ。バカは、お笑い芸人になれないように、エンターテイメントこそ、おべんきょうなのだ。おべんきょうをしてこそ、エンターテイメントをきわめることができる。上手な芸人は、一生懸命べんきょうしているよなあ。そしてそのまわりには、よくべんきょうしている、よいファンがいる。

そこで、またもやおべんきょうする。

2008/05/02
江原恵さんの「煎り酒」そして「醤油とのあいだ」。

このエントリーでは、「Art de Faire」さんからの引用をしている。それをご覧になった、中原蒼二さんが、「吹ク風ト、流ルル水ト。」で、「「Art de Faire」さんの書かれていることを読んで、フト、思いついたのは網野善彦さんの存在です。」と二日にわたって、「伝統的料理」というタイトルで書かれている。

5月3日伝統的料理-1
http://ho-bo.jugem.jp/?eid=580
5月4日伝統的料理-2
http://ho-bo.jugem.jp/?eid=581

そして、きょう5月5日の「Art de Faire」さんのエントリーは、「煎り酒雑感」。
http://www.okonomi-pasania.com/blog/?p=1306

遠藤さんのブログをいつものように見に行ったらなんか覚えのある文章があって、
ン?と思ってよく読んでみると・・・。

2008/05/02 江原恵さんの「煎り酒」そして「醤油とのあいだ」
(ザ大衆食つまみぐい)

僕の書いた雑文がご本人の目に留まったようで、
一つの記事にまでしていただき、お恥ずかしい限りなんですが、
先日書いた、煎り酒を久しぶりにつくってみました。

……と、煎り酒をつくっているのだ。ヨダレ。

なんだか、オモシロイ展開だ。

そこでおれは、思い出した。ザ大衆食のサイトに「日本料理のおべんきょう」というページをつくって、このブログから関係しそうなエントリーを選んだリンク集をつくったまま、ほったらかしにしていた。きょうは、その更新をしリンクを充実させた。…クリック地獄

おれは、べんきょうはきらいだ。「それゆけ30~50点人生」だもんね。
「日本料理のおべんきょう」というタイトルだが、このていどは「おべんきょう」のうちに入らない。30点ぐらいのことだ。

いじょ。

そうそう、山崎監督が、2008/04/27「春の夜なのに野暮たちと呑んで泥酔記憶喪失。」のコメントに、「江原さんの話題、いつ読んでもイイですね。読み継いでいる方々があることに感銘を受けます」と書かれている。ほんと、感銘だ。

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2008/05/04

太田尻家運動会泥酔。

Ootajiri_kinutaきのう毎年恒例になった、世田谷区は経堂のバー大田尻家の運動会。昼になっても雨があがらないから家長に電話をすると、すでに砧緑地にいて、雨はやんでいる、ひとがいないからとてもよいという。体調は万全ではないが、とにかく呑みながら回復するため、出かける。途中で本屋によったり、ただでさえ2時間ぐらいかかるのに、ついたら17時ちかく。みなは、いまや佳境という状態。食べものと酒はたんまりある。とびぬけ最年長のおれは呑みながら眺めるだけ。なるほどひとが少ないうえ、雨上がりの緑が気持よい。日が沈んで暗闇がせまるころ、蹴鞠10回をクリアしたところで、運動会はおわる。

さあ呑み会だ。今回は太田尻家でやるという。ほとんどのひとは自転車だが、おれは歩き。ほかに、わめぞ月の湯の大竹さんとのトークにいたというO嬢が一緒に歩くという。彼女がいうには、月の湯でおれに声をかけようとしたが、とりまきが囲んでいてできなかったという。しかも、とりまきがみんな若くておどろいたという。うふふふ、おれには若い熱烈なおっかけファンがたくさんいるのだ。

O嬢は『酒とつまみ』の大ファン、オモシロイかなり呑兵衛。『酒とつまみ』のナベさんが、太田尻家で若い女につかまり一緒に写真を撮られたといっていたが、この女らしい。おれは歩いて千歳船橋に出て、小田急線に一駅のって経堂へ出るつもりだったが、彼女は、太田尻家へは経堂駅からまた歩かなくてはならないから、電車はつかわないでぜんぶ歩きのほうが、ゼッタイはやい、自分は千歳船橋に住んでいるから道は知っていると、自信満々にいう。おとなしく従う。が、小田急線をこえ右斜めに入るかとおもったら、そうしないで、ひたすら環八を北上する、このままいったら京王線に出ちゃうぞ大丈夫かといっても、大丈夫だという。しばらくして、やっと右へまがる。身体が汗ばむ。赤堤通りの商店街に出て、とにかく、かなり歩いて、太田尻家の近所のロバロバの前。のぞくと太田尻さんがなかにいる。古本市をやっているというので、チラと見てから太田尻家。この徒歩コースで最短だったかどうかはわからないが、運動会の日にふさわしい、よい運動になった。

あとはひたすら呑むだけ。「病み上がり」状態だから用心していたが、そんなことは長続きしない。運動会は20名弱ぐらいだったとおもうが、帰ったひともいるし、呑み会にだけ来たひともいて、にぎやかに呑む。いつもはあまり酔わない家長も、運動のあとの酒のせいか、ごきげんのようだった。N夫妻にひさしぶりに会った。Wちゃんが結婚した男とは初めて。ほか、いつもの顔ぶれや、初めてのひと。生ビールで乾杯、清酒を3種類ぐらい、焼酎、赤ワインあたりを呑んだ。

酔ってもO嬢が泊めてくれるといっていたが、愛人のために操を守らなくてはならないから、そうはいかない。23時ごろ、もうヨレヨレ泥酔状態で、太田尻家を出る。O嬢は、酔いつぶれて床に寝ていた。ウチに着いたら、午前1時近く。

今朝、ぼんやり酒が残っている。

洗濯機の底に、洗濯されヨレヨレになったポチ袋のようなものがあった。表に、「遠藤さんに返す 1000円」と女の文字。あけると1000円入っていた。きのうのことではないにちがいないが、いつ、だれから受けとったのか、なんのカネか思い出せない。文字を見ても、心当たりがない。はて。

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2008/05/03

すみれ洋裁店と松本「工芸の五月」。

Origami下諏訪の松崎緑さんの「すみれ洋裁店」から封書が届いた。あけたら、中から、小鳥の折り紙が出てきた。イイカゲンなおれは、「小鳥」とおもうだけで、鶴ではないのはわかるが(わかってアタリマエ)、なんの鳥かはわからない。以前に、ひょうたんの丸裸に宛先を書いた暑中見舞いをもらったことがあるので、なんだろうとおもって眺めたが、たんに折り紙を送ってくれたわけではないだろうとおもい、密書を調べるように、そっと広げてみた。恋文だった。ではなかった。

こういう文があった。


2008/5/8(木)から5/11(日)の
10時から17時まで

松本市はかり資料館ウラのお蔵に居ります。
(入り口もウラ手にあります)
秘密の庭を探しに
どうぞ遊びにお出かけください

すみれ洋裁店

※期間中、下諏訪のお店はお休みとさせていただきますので宜しくおねがいします。

「すみれ洋裁店」のブログは、ほぼ毎日更新される。おれが毎日見る数少ないブログの一つだ。その3月15日には「5月8日(木)から11日(日)までの移動すみれ洋裁店に向けて、しばらくブログ「すみれ手帖」での作品公開を控えさせていただきます。温存して来たる松本の工芸の五月で最新作の発表をしたいと思いますので、どうぞおたのしみに。」と書いてある。そして、「あと○日!」と書かれるようになった。なんとなく、松崎さんの気合が伝わってきた。おとといになったが、5月1日には「あと6日!」とある。松崎さんの作業は、いよいよ追い込みらしい。

いまでは松本の「工芸の五月」は、かつて「クラフトフェアまつもと」といった。けっこう有名だから、知っているひとも多いだろう。おれの知り合いにも関係しているひとが何人かいたのだが、まだ行ってみたことがない。

Simosuwa_yu先日来、知人の何人かと会うと行くといっていたので、すみれ洋裁店のことはセンデンしておいた。しかし、いつも酔っているので、日にちなどはテキトウだったようだ。連休中は、松本へ行っても、すみれ洋裁店の出品はないのだな。まちがえていた、すまん。だったら、下諏訪へ行けばいいじゃないか。

「すみれ洋裁店」は、木村衣有子さんも書いている『天然生活』の最新号にも登場しているとのこと。画像下は、すみれ洋裁店から近い古い温泉街。06年、この中の一軒に泊まった。右端「旦過の湯」は温泉銭湯、牛乳だけ買ってのんだ。ほかにも歩いていける範囲に温泉銭湯がある。おれは「菅野温泉」に3回ばかり入ったことがある。

すみれ洋裁店の「続続・すみれ日記」…クリック地獄
「工芸の五月」…クリック地獄


絶不調だった体調は回復した。用心して呑んでいなかった、というか、呑む気もしなかった酒を呑んだら、ウソみたいによくなった。やはり酒は、なによりも良薬なのだな。

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2008/05/02

『四月と十月』が届いた。まだまだ呑み方が足りないと反省する、『嗜好品文化を学ぶ人のために』。

きょうになっても、腹痛が治らない。どんな腹痛でも、正露丸を一回三粒のめば治るのが、今回は、すでに三回のんでいる。それもヒドイ痛み方だ。痛み出すと、イテテテテ、ウガガガガガ、クソウウウウウ、ラララララ、フヘフヘフヘと息も絶え絶えである。腹が痛いから腸かと思っていたが、もしかすると肝臓かもしれない。

もだえ苦しみながら、先日とある呑み屋でかわされていた会話を思い出す。店の主人の娘と、同級生と思われる、その娘に惚れて通っていると思われる近所の男の常連だ。三十歳前半ぐらいらしい。娘、「●●ちゃんのお父さん近頃見かけないけど、元気なの?」「うーん、元気だけど、もう70だからね、いつくたばってもおかしくないよ」「そうねえ、うちも68で、かなり老け込んだから、もうあっというまね」なーんて、話している。「おいおい、おれは65だぜ」といいたくなったのだが、誰からもキットそんなふうに見られているのだろうなあ、ああ、もう死ぬだけの人間としてしか見られないのだ、シクシクシク、くそうそうはいかねえぞ、立ち上がれチンポ! おれがそんな世界を変えてやる、と深酔いしたのだった。そして、チンポは立つことなく、なかなか治らない腹痛をかかえて、うつらうつらしていると、そうかやはりそうなのかとおもうのだった。

アレコレあって紹介する間も、よく読んでいる間もなかったのだが、ちょっと前に、TASCたばこ総合研究センターから、高田公理さんと嗜好品文化研究会編の『嗜好品を学ぶ人のために』(世界思想社)を贈呈いただいた。高田公理さんとはお会いしたことはないが、TASC発行の『談別冊 shikohin world 酒』の共著者という関係だからだろう。パラパラ見ていると、いろいろな著名な学者さんたちが書いているのだが、とてもオモシロイ。

「人類文明史は、すべてを「遊び」に変えてきた」「人類史が、じつは人間の営みをすべて「遊びと楽しみに変えるプロセス」であった」というわけで「嗜好品は、「遊びと楽しみの要素をはらむ飲食物」だともいえよう」。そして、現代日本の嗜好品事情は、ケータイやミネラルウォーターまで嗜好品にしてまった。

第1章「多様なる嗜好品の世界」は、ようするに古典的な嗜好品の世界だ。コーヒー、茶・紅茶、酒・アルコール飲料、たばこ、清涼飲料水、カカオ・チョコレート、菓子、香辛料、ビンロウ、コーラ、カヴァ、カート。

第2章「広がりゆく嗜好品の世界」は、このとおり、ハチミツ、砂糖、香水、お香、油脂、水、塩、音楽、ケータイ、だ。メタボの素として白眼視される、油脂は、もはや、遊びであり楽しみなのだ。塩や水やケータイまで。

第3章「嗜好品文化へのアプローチ」は、歴史学、文化人類学、経済学・経営学、法学・政治学、社会学、宗教学、文学、心理学、生理学、植物学からのアプロイーチ。

第4章「嗜好品文化研究の古典」ということで、研究のための古典的著書が紹介されている。

パラパラみていると澤田昌人さんが書いている「ハチミツ」が目にとまった。「筆者はアフリカ熱帯雨林に住むピグミーと呼ばれる人びとのハチミツ採取を観察したことがある」これが、スゴイ。

ピグミーは、峯田くんのようにパンツ一つの格好で、ミツバチの巣がある木に登り、素手でハチミツをとっちゃうのだ。登れないほど高い木だと、切り倒してしまう。とうぜん、全身をミツバチに刺されるが、そんなの平気だね。そして「採取したその場で文字通りむさぼり食う」「食べきれないものはとっておき、ふだんの食事の代わりとして、大きな食器に何杯も食べるのである」

筆者も「どんぶり大の食器にハチミツを注ぎ入れ平らげてみた。甘いのを通り越して苦みのような味を感じる。たしかに腹は満ちてくるが、しばらくすると下腹部がしくしく痛くなりうめきながら何度も下痢をしてしまった。ハチミチを大量に食べると必ずこういう目にあった」

このあとがオモシロイ。筆者は、ピグミーの人たちに尋ねた。「君たちは大丈夫なの?」

「驚いたことに「私たちも下痢をする」という返事であった」そこで筆者は、こう結ぶ。

「老若男女のすべてが、下痢をし、腹痛を抱えながら、大量のハチミツを口に流し込んでいる姿は、甘味にとらわれた人間の業の深ささえ感じさせる。甘味による恍惚感は、この程度の痛苦をものともしないようである」

ここを深酒のあとの腹痛を抱えながら読んだおれは、激しくピグミーに親しみをかんじ、かつ、このていどの腹痛でへこたれてなるものか、あすも大田尻家の運動会で泥酔するぞ、ミツバチでも女でもなんでもかかってこい、と決意を固めるのだった。いや、ミツバチも女もかかってこないから、酒に襲いかかるのだ。ああ、業の深い男である、ああ、業が深いっていいなあ。けっきょく、「文化」だなんて気どっているけど、もとをただせば「業」なのだ。「業」に、わが身をこがせ。

「業」にもえる男、牧野伊三夫さんから『四月と十月』の最新号が届いたのだけど、ここまで書いたら腹痛がヒドイので、紹介はまたにします。

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江原恵さんの「煎り酒」そして「醤油とのあいだ」。

検索で見つけ、まだよく目を通してないのでまちがっているかも知れないが、おそらく料理のプロと思われる方の、なかなかおしゃれなブログ「Art de Faire」の08年4月15日は、「醤油と煎り酒のあいだ」というタイトル。

醤油と煎り酒のあいだ
http://www.okonomi-pasania.com/blog/?p=1263

こんなふうに書き出している。

「異色の(いやある意味こちらの方が正統なのかも)痛快無比な食文化についての「汁かけめし快食學」(ちくま文庫:惜しくも絶版中)のエンテツさんこと遠藤哲夫さんのこれまた楽しいブログ「ザ大衆食つまみぐい」に再三にわたり登場する江原恵さんの「料理物語・考 江戸の味今昔」の大変示唆に富む序文のなかに「煎り酒」から「醤油」への変遷についてさらりと触れている箇所があります。」

この江原恵さんがつくる煎り酒を、おれは二回ほど食べたことがある。二回とも、鯛と平目の刺身だったと記憶するが、鯛は腸を出したあとに塩をすりこみ寝かしたのち外側の皮を軽くあぶったタタキのようなつくりのものもあったと記憶する。たしか、このタタキのようなものは、氷などがなかった江戸期には、運搬や保存と防虫や殺虫のために、そのような処理があったのではないかという話だったように思う。

その煎り酒で食べる刺身のうまさにおどろいたのだが、それは江戸期に醤油が普及する前の「伝統的」な高級料理の方法だったらしく、江原さんは、何度かその「復元」を試みていた。復元を試みることで、食べればなくなってしまってカタチを残さない料理の歴史の真実にせまろうというのだった。

つまり、「Art de Faire」さんも、「伝統的なとか昔ながらの料理といってる方々の言説もよく読むと、実際には物流網の発達と冷蔵・冷凍技術の進歩や衛生面や微生物に関する知識の獲得などをベースにした近代化の恩恵をうけて初めて可能になるものが多く、違和感を覚えます。」と書いているだのが、たとえば、いま「和食の伝統」のようにいわれている醤油と山葵で食べる刺身は、とくに庶民レベルでみれば、かなり新しいことなのだ。江原さんが何度も指摘している、「一番ダシ、二番ダシ」といったようなことも新しい、カツオ節のダシについても、そうだ。

「醤油と煎り酒のあいだ」にあるもの、そこを探ると、「伝統的なとか昔ながらの料理といってる方々の言説」のあやしさが浮かびあがる。というわけだ。

「Art de Faire」さんは、こう結ぶ。

………………………………………………………………
「風土」概念自体根本的に再検討されるべきだと思います。そもそも料理をなんらかの国籍や流派に帰属させる考え方に紛れ込むフィクションについてもっと疑問をもってもいいのではと。

食を歴史として重層的に眺める視点は大切だと思う。
………………………………………………………………

まったく、その通りだと思う。「汁かけめし快食學」を読みましょうね。

しかし、先日は、中原蒼二さんのブログで、今回は「Art de Faire」さんで、江原恵さんの著書について言及があったのは、とてもうれしい。

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2008/05/01

「ぷあん」と「阿部食堂」のち経堂4軒はしご泥酔。

Nisiogi_puanきのうは「マイコメ」の「エンテツの大衆食道」の撮影。西荻窪駅14時集合。逆井智紀さんとおれ。「ぷあん」にこんにちは。もしかすると06年11月19日以来か、ひさしぶりだ。

例によって打ち合わせ台本ナシのぶっつけ本番。「ぷあん」は「アジアのごはんとカレー」の店。これまで、ここのメニューは食べつくすほど食べているが、いつも酒のつまみに食べ、なぜかすごく酔うタイのウイスキー「メコン」を呑んでは泥酔し、まっとうにメシを食べたことがない。なので日替わり2種のカレーを食べる。カウンターから離れたテーブル席、食べながら一人でしゃべらなくてはいけないから苦労する。でも、なんとか、やれた。ここの「アジアのごはん」は、ほとんどが汁かけめしだから、そのウンチクをたれながら食べた。いつものことだが、うまい。つい、あとのことも考えずに完食してしまった。腹いっぱい。ごちそうさま。

「ぷあん」は、あっこさんに誘われ2003年の開業早々から行っている。今年で5周年。めでたし、めでたし。

Sosigaya3時ごろ終了。つぎ、祖師谷大蔵の阿部食堂。西荻窪駅で、近くで打ち合わせをしていた須田さんが合流。阿部食堂は、ぷあん開業の年に『散歩の達人』の取材で訪ねて以来。その路地も、ときどき行ったバー古代楼やスナックも、そのままある。阿部食堂のオヤジさんも美人の奥さんも、変わらず5年の歳月を感じさせない若さのままだった。

Soigaya_abesyokudo_naka腹いっぱいでメシはくえないから、豚汁を食べながらビール中びんを2本呑む。75歳の常連さんがいて、一緒にしゃべりながら撮影。大いに盛り上がる。

5時ごろ終了。打ち上げ呑みをやる予定だった蕎麦屋が休みなので、須田さんの地元、経堂へ移動。一軒目、40年ぶりに入る「鳥八」。二軒目、「きはち」。三軒目、「大田尻家」。泥酔状態。帰ろうと3人ですずらん通りを駅へ向かう。と、店のドアをあけて須田さんに声をかけるひとあり、そこでもう一軒、店名覚えてない。ここで、たしか自家製の生ハムを食べたと思うのだが、それは薄切りではなく、クサヤのようにさいたカタチで出てきて、ニンニクやトウガラシのスライスしたやつと一緒に食べる。一口食べると、身もだえするほど激しく辛くて、少し酔いが醒める。帰らなくてはならない時間になり、なんとかいうミュージシャンと話し込んでいる須田さんと逆井さんを残し、お先に失礼。経堂で電車に乗ったあたりから記憶喪失。

逆井さんから、「エンテツの大衆食道」4回分を焼いたCDを受けとる。
須田さんから、明日発売の、須田さんが監修(書いてもいる)の『笑論』(バジリコ。サブタイトルは「ニッポンお笑い進化論」)をもらう。
http://www.basilico.co.jp/book/books/9784862380913.html
5月21日(水)新宿ロフトプラスワンにて開催される(19時半から23時くらいの予定)「モンティ・パイソン・ナイト」。詳細が決まってないので、ああでもないこうでもない、やっぱりケラサンを呼ばなくてはとか話すうち、「エンテツの大衆食道」の映像がたまったら阿佐ヶ谷のロフトでやろうなんていう話にまでなる。
元CJのMさんのこんどの移籍先は吉本で、「自分の雑誌」を出す準備で忙しい、などなどアレコレの話。逆井さんが亡き池波正太郎宅を撮影したときのことは印象的。

とにかく、いま12時過ぎだが、近年まれな身もだえするほど激しい二日酔い。いったい何をどれだけ呑んだのだろう。鳥八ではホッピー、きはちでは芋焼酎をロックで、太田尻家では池田候を呑んだのをおぼえている。最後の店は、なにを呑んだか、まったく記憶がない。とりあえず、これだけ書くのがやっと。

あとで「正常化」したら書き足すかもしれない。

書き足した。けっきょく、きょうは一日中、腹が周期的に痛くなり、苦しかった。ああ。

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