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2008/05/02

江原恵さんの「煎り酒」そして「醤油とのあいだ」。

検索で見つけ、まだよく目を通してないのでまちがっているかも知れないが、おそらく料理のプロと思われる方の、なかなかおしゃれなブログ「Art de Faire」の08年4月15日は、「醤油と煎り酒のあいだ」というタイトル。

醤油と煎り酒のあいだ
http://www.okonomi-pasania.com/blog/?p=1263

こんなふうに書き出している。

「異色の(いやある意味こちらの方が正統なのかも)痛快無比な食文化についての「汁かけめし快食學」(ちくま文庫:惜しくも絶版中)のエンテツさんこと遠藤哲夫さんのこれまた楽しいブログ「ザ大衆食つまみぐい」に再三にわたり登場する江原恵さんの「料理物語・考 江戸の味今昔」の大変示唆に富む序文のなかに「煎り酒」から「醤油」への変遷についてさらりと触れている箇所があります。」

この江原恵さんがつくる煎り酒を、おれは二回ほど食べたことがある。二回とも、鯛と平目の刺身だったと記憶するが、鯛は腸を出したあとに塩をすりこみ寝かしたのち外側の皮を軽くあぶったタタキのようなつくりのものもあったと記憶する。たしか、このタタキのようなものは、氷などがなかった江戸期には、運搬や保存と防虫や殺虫のために、そのような処理があったのではないかという話だったように思う。

その煎り酒で食べる刺身のうまさにおどろいたのだが、それは江戸期に醤油が普及する前の「伝統的」な高級料理の方法だったらしく、江原さんは、何度かその「復元」を試みていた。復元を試みることで、食べればなくなってしまってカタチを残さない料理の歴史の真実にせまろうというのだった。

つまり、「Art de Faire」さんも、「伝統的なとか昔ながらの料理といってる方々の言説もよく読むと、実際には物流網の発達と冷蔵・冷凍技術の進歩や衛生面や微生物に関する知識の獲得などをベースにした近代化の恩恵をうけて初めて可能になるものが多く、違和感を覚えます。」と書いているだのが、たとえば、いま「和食の伝統」のようにいわれている醤油と山葵で食べる刺身は、とくに庶民レベルでみれば、かなり新しいことなのだ。江原さんが何度も指摘している、「一番ダシ、二番ダシ」といったようなことも新しい、カツオ節のダシについても、そうだ。

「醤油と煎り酒のあいだ」にあるもの、そこを探ると、「伝統的なとか昔ながらの料理といってる方々の言説」のあやしさが浮かびあがる。というわけだ。

「Art de Faire」さんは、こう結ぶ。

………………………………………………………………
「風土」概念自体根本的に再検討されるべきだと思います。そもそも料理をなんらかの国籍や流派に帰属させる考え方に紛れ込むフィクションについてもっと疑問をもってもいいのではと。

食を歴史として重層的に眺める視点は大切だと思う。
………………………………………………………………

まったく、その通りだと思う。「汁かけめし快食學」を読みましょうね。

しかし、先日は、中原蒼二さんのブログで、今回は「Art de Faire」さんで、江原恵さんの著書について言及があったのは、とてもうれしい。

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コメント

zenzoさま

そうでしたか、その節は、かえってよいものをいただいてしまい、恐縮のかぎりです。

わたしなどは下世話なことで、好き勝手をいっているだけですが、やはり江原さんの著書は、時間がたっても、たつほど、貴重におもえます。

煎り酒は、じつは、わたしもあとで見よう見真似でやってみたのですが、まったくダメでした。江原さんは、かなり大量の梅干と酒をつかってましたが、ケチりましたし。

でも、当時の作り方はもちろん味覚も、なにもかも変わっていますから。

あと江原さんが作ったので記憶にあるのは、料理物語にある「垂れみそ」です。これは、江原さんは味噌から作っていましたが、それをつかったとき、あまりの濃厚さ、いまでいえばコクでしょうか、それにおどろきました。

とにかく、プロの料理人の方に、こんな話をしても釈迦に説法、ご活躍ください。ブログ、これからも楽しみに拝見させてもらいます。

投稿: エンテツ | 2008/05/03 00:18

拙いブログをとりあげていただき恐縮です。

実は、遠藤さんとは御縁がありまして、数年前に「野菜炒め」に関する小冊子をお送りいただいたものです。
能勢の日本酒「秋鹿 倉垣」も記事にしていただきましたが、
今回は、自分の未熟な文章が引用されてて驚いたとともに
うれしいというより、お恥ずかしい限りで。

食について足りない頭であれこれと考えはいててもなかなか思うような足がかりを得ることが出来ないのですが、そんなとき、江原さんの著作や、遠藤さんのブログや活動はとても参考になります。

煎り酒は、なんどかつくってみたのですが、お酒の製法や梅干しの塩加減など、江戸期に比べると、かなり変化しているものと思われますので実際にはどんな味わいだったのかがいまいちつかみきれていません。
友人の板前などに作り方を聞くと、鰹節や昆布、梅酢、みりんなどで味を調整してしまうので、当世風の味わいになってしまい、江戸期の味とはかけ離れているように思います。味覚や嗜好も変わっているでしょうし、再現することの難しさを痛切に感じます。
けど、現在の立つ位置を相対化してくれるので、過去の料理を尋ねる作業は面白いです。

これからもご教示いただけますようよろしくおねがいします。

投稿: zenzo | 2008/05/02 23:20

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