オシャベリな食の「船場吉兆」と台所に立つ「つまみ」。
「船場吉兆が廃業」のニュースが流れている。この際、こういう「船場吉兆」を君臨させてきたことを考えてみるのも、悪くないだろう。
いくつかあげられるが、もっとも広い裾野にあって、多くのひとが関わっているにちがいないことがあると思う。つまり、飲食店というステージでの飲食や料理についてオシャベリしていれば、あたかも飲食や料理について語っているかのごとき風潮を、この際モンダイにしてみよう。
この風潮は、日々の家庭の生活の料理は「女のこと」にして、プロや飲食店の料理に趣味や興味や関心を発揮してきた、日本の男の「伝統」が根にあると思うが、とにかく、飲食店をステージにした飲食や料理については熱心にオシャベリするひとが、では、おなじように自分や普通のウチの、日々の台所にある食や料理について、どのていど語っているか、チョイとまわりの、とくに男たちを見回してほしい。
たとえば、本や雑誌を思い起こしてみよう。なぜか、たいがい、男が多い、男の著者が多いねえ。A級B級C級D級、級外、下町系場末系下品系変態系、その分類いかんに関わらず、男は、熱心に飲食店の食や料理を語るわりには、家庭の台所の日々のそれについて、さほどの熱意を持って語らない。あるいは、本を出しているていど以上の「有名人」が語る食や料理は話題にするが、無名の人たちの日々の台所は話題にしない。
おかしい、これはナゼだろうか。いったい、それでは、食や料理の、何に関心や興味があるのだ。何度も、いろいろ表現を変えて、このブログでも書いてきたが「本末転倒」だろうと思う。
今回のジケンで、もっともやっかいなのは、「船場吉兆」は高級料亭だから、「おれたち庶民」には関係ないもんねという「庶民の味方派」「下層の味方派」の、飲食店の飲食や料理のオシャベリの存在だ。だけど、「船場吉兆」を君臨させてきたことの底辺には、なるほどカネがなくて、たまたま「船場吉兆」に出入りできない星の下にあるかも知れないが、経済的レベルのちがいだけで、おなじような趣味的というか非日常的非生活的というか、関心や興味のオシャベリをしている例は、かなりある。
飲食店の飲食や料理に偏向して、ありがたがったり、おもしろがっていることには相違はない。そのことが、「庶民の味方派」「下層の味方派」であるがゆえに、自覚されてないから、かえって始末が悪いともいえる。
おれは、そういうことを感じている。ようするに、「船場吉兆」を君臨させてきたことの根には、家庭の日常の料理、日々自分が台所に立つことを考えない、オシャベリ(能書きたれ)な飲食や料理の存在がある。それを「文化」と称して。
そんなオシャベリをしているヒマがあったら、瀬尾幸子さんのつまみ本を手に、台所に立とう。
きょう、どうやら今日発売らしい、『サンデー毎日』が届いた。2008/05/23「瀬尾幸子『おつまみ横丁』は絶好調。」に書いた内容が記事になっている。
立ち読みでも、ご覧あれ。「本誌晩酌記者が選ぶ「おつまみ本」決定戦」P30、31の見開き。瀬尾さんの『おつまみ横丁』(池田書店)が、ドーンと写真で。記事中には、『簡単! 旨いつまみ』(学研)のことも。おれの話も、2か所で出ているけど、最初が「フリーライター」なのに、あとのほうは「フリージャーナリスト」という肩書になっている。見開きページで、これは、ちょっと困った校正ミスだね。
それはともかく、『おつまみ横丁』は「昨年の9月に刊行以来、15万5000部ベストセラーなのだ」そうだ。
ま、きょうは、忙しいので、こんなところで。
あなたは、どうしてますか。
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