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2008/05/02

『四月と十月』が届いた。まだまだ呑み方が足りないと反省する、『嗜好品文化を学ぶ人のために』。

きょうになっても、腹痛が治らない。どんな腹痛でも、正露丸を一回三粒のめば治るのが、今回は、すでに三回のんでいる。それもヒドイ痛み方だ。痛み出すと、イテテテテ、ウガガガガガ、クソウウウウウ、ラララララ、フヘフヘフヘと息も絶え絶えである。腹が痛いから腸かと思っていたが、もしかすると肝臓かもしれない。

もだえ苦しみながら、先日とある呑み屋でかわされていた会話を思い出す。店の主人の娘と、同級生と思われる、その娘に惚れて通っていると思われる近所の男の常連だ。三十歳前半ぐらいらしい。娘、「●●ちゃんのお父さん近頃見かけないけど、元気なの?」「うーん、元気だけど、もう70だからね、いつくたばってもおかしくないよ」「そうねえ、うちも68で、かなり老け込んだから、もうあっというまね」なーんて、話している。「おいおい、おれは65だぜ」といいたくなったのだが、誰からもキットそんなふうに見られているのだろうなあ、ああ、もう死ぬだけの人間としてしか見られないのだ、シクシクシク、くそうそうはいかねえぞ、立ち上がれチンポ! おれがそんな世界を変えてやる、と深酔いしたのだった。そして、チンポは立つことなく、なかなか治らない腹痛をかかえて、うつらうつらしていると、そうかやはりそうなのかとおもうのだった。

アレコレあって紹介する間も、よく読んでいる間もなかったのだが、ちょっと前に、TASCたばこ総合研究センターから、高田公理さんと嗜好品文化研究会編の『嗜好品を学ぶ人のために』(世界思想社)を贈呈いただいた。高田公理さんとはお会いしたことはないが、TASC発行の『談別冊 shikohin world 酒』の共著者という関係だからだろう。パラパラ見ていると、いろいろな著名な学者さんたちが書いているのだが、とてもオモシロイ。

「人類文明史は、すべてを「遊び」に変えてきた」「人類史が、じつは人間の営みをすべて「遊びと楽しみに変えるプロセス」であった」というわけで「嗜好品は、「遊びと楽しみの要素をはらむ飲食物」だともいえよう」。そして、現代日本の嗜好品事情は、ケータイやミネラルウォーターまで嗜好品にしてまった。

第1章「多様なる嗜好品の世界」は、ようするに古典的な嗜好品の世界だ。コーヒー、茶・紅茶、酒・アルコール飲料、たばこ、清涼飲料水、カカオ・チョコレート、菓子、香辛料、ビンロウ、コーラ、カヴァ、カート。

第2章「広がりゆく嗜好品の世界」は、このとおり、ハチミツ、砂糖、香水、お香、油脂、水、塩、音楽、ケータイ、だ。メタボの素として白眼視される、油脂は、もはや、遊びであり楽しみなのだ。塩や水やケータイまで。

第3章「嗜好品文化へのアプローチ」は、歴史学、文化人類学、経済学・経営学、法学・政治学、社会学、宗教学、文学、心理学、生理学、植物学からのアプロイーチ。

第4章「嗜好品文化研究の古典」ということで、研究のための古典的著書が紹介されている。

パラパラみていると澤田昌人さんが書いている「ハチミツ」が目にとまった。「筆者はアフリカ熱帯雨林に住むピグミーと呼ばれる人びとのハチミツ採取を観察したことがある」これが、スゴイ。

ピグミーは、峯田くんのようにパンツ一つの格好で、ミツバチの巣がある木に登り、素手でハチミツをとっちゃうのだ。登れないほど高い木だと、切り倒してしまう。とうぜん、全身をミツバチに刺されるが、そんなの平気だね。そして「採取したその場で文字通りむさぼり食う」「食べきれないものはとっておき、ふだんの食事の代わりとして、大きな食器に何杯も食べるのである」

筆者も「どんぶり大の食器にハチミツを注ぎ入れ平らげてみた。甘いのを通り越して苦みのような味を感じる。たしかに腹は満ちてくるが、しばらくすると下腹部がしくしく痛くなりうめきながら何度も下痢をしてしまった。ハチミチを大量に食べると必ずこういう目にあった」

このあとがオモシロイ。筆者は、ピグミーの人たちに尋ねた。「君たちは大丈夫なの?」

「驚いたことに「私たちも下痢をする」という返事であった」そこで筆者は、こう結ぶ。

「老若男女のすべてが、下痢をし、腹痛を抱えながら、大量のハチミツを口に流し込んでいる姿は、甘味にとらわれた人間の業の深ささえ感じさせる。甘味による恍惚感は、この程度の痛苦をものともしないようである」

ここを深酒のあとの腹痛を抱えながら読んだおれは、激しくピグミーに親しみをかんじ、かつ、このていどの腹痛でへこたれてなるものか、あすも大田尻家の運動会で泥酔するぞ、ミツバチでも女でもなんでもかかってこい、と決意を固めるのだった。いや、ミツバチも女もかかってこないから、酒に襲いかかるのだ。ああ、業の深い男である、ああ、業が深いっていいなあ。けっきょく、「文化」だなんて気どっているけど、もとをただせば「業」なのだ。「業」に、わが身をこがせ。

「業」にもえる男、牧野伊三夫さんから『四月と十月』の最新号が届いたのだけど、ここまで書いたら腹痛がヒドイので、紹介はまたにします。

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コメント

先夜は、いつものことだけど、すっかり酔ってしまいました。

おれが子供のころは、まわりにそのようにハチミツを食べるやつはいませんでした。砂糖は貴重品だったけど、リッチだったのかなあ。それとも、子供のころから辛党だったのか。

いまごろだと、よくツツジやサツキの花をひきぬいて、その根元のミツを吸ったりしましたね。

運動会、天気に迷うところがあったら電話します。

投稿: エンテツ | 2008/05/03 00:03

子供の頃、ミツバチを布で捕まえては
お尻の針を引っ張って抜き
繋がって出てくる蜜袋を食べていた事を思い出しました。
虫に対する残酷さなど
貧乏の前にはひとたまりもありませんね。

天気が思わしく有りませんが・・そのときは狭い店で
呑みましょうね、お電話ください。

投稿: 太田尻家 | 2008/05/02 21:52

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