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2008/06/30

横浜ドヤ街事情。

Yokohama_kotobuki01横浜の石川町駅は、「寿町」の名で知られる、ドヤ街に近い。よーするに、むかしむかしの言い方では「木賃宿」であり、むかしむかしならフツウに庶民が利用するヤドであり、のちとくに昭和になってから「簡易宿泊所」として「下層労働者」とみなされる庶民が利用するところとなった。

大阪の釜崎、東京の山谷、横浜の寿町といえば、ある種の紳士淑女な「市民」のみなさんが、「都会の恥部」として無いことにしたがる、庶民の町だな。

そういうわけで横浜といえば、不動産屋のような市政を象徴する「みなと未来」などが注目されているけど、なかなかどうして、寿町周辺の商店街といい角打ちやモツ料理、大衆演劇など、猥雑な庶民の暮らしは健在のようであった。

こちらの未来を育てたほうが、よいようにおもうね。ぐふふふ、オシャレなギャラリーだのカフェだのが目につく、お行儀のよい町なんて、ツマラナイ。だいたいファンキーじゃないし。

Yokohama_kotobuki04なにしろ、ここでは、川の上にだってラブホがある。「舟の休憩所」。舟が休憩するところかとおもったら、そうではない、ニンゲン様が舟のなかで休憩というか楽しいスポーツをするのだな。この、ふところの深さ。うーむ、しかし、何人かの女に画像を見せながら入ってみようよと誘ったら、やはり拒否が圧倒的に多く(おれを拒否したのか、この舟を拒否したのかさだかではないが)、「いいわよ」といった女もいるけど、ちょっとここに入ってイタスには、そのう、愛人の許可も必要だし、しかも愛人とは連絡が困難であるからいつ連絡とれるかわからない、しばらく考えたい。ようするに、さすがのおれも、この舟を利用するについては、びびっている。

このあたりに来たのは、20年ぶりぐらいなので、ずいぶん変わっているようにおもえた。木造のドヤが、わずかになり、10階建てぐらいのマンションのような建物がふえ(画像一番上、見えている建物のほとんどは、簡易宿泊所)、なかには、看板に「簡易宿泊所」とあるが、現代的なホテルかマンションのようなものもある。これで、一日700円から1000円であがるならよいのだが、そうはいかないのが、ツライだろう。むかしのように400円ぐらいで泊まれる簡易宿泊所は、ほとんど姿を消した。

Yokohama_kotobuki02おおっ、するってえと、そのうち、このあたりにもギャラリーやカフェができたりするのだろうか。立ち飲みにいたような、土方ルックのオニイサンたちが、そういうギャラリーやカフェに入って、アートはね、オシャレなんかじゃなくて、もっと汗が飛び散る筋肉もりもりなんだぜ、おれの二の腕の刺青を見てくんねえ、やっぱ銀杏BOYZには伊勢崎町ブルースをパンクにやってもらいたいねぇ、なんていいながら、グビッとカプチーノのホッピー割りを飲む、なんていう妄想を、このホテルという簡易宿泊所を見ながら、妄想したのだった。

時間帯のせいなのか、あいている食堂は少なかった。
Yokohama_kotobuki03

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鎌倉の「長兵衛」、閉店。

Kamakura_tyoubei昨夜、牧野伊三夫さんと、1軒目の赤ちょうちんから2軒目のバーへ行く途中、「長兵衛」の前を通った。店先が真っ暗。おれはそのまま気にせず通りすぎようとすると、牧野さんが足をとめ、「あれっ、もしかして閉店ですかね」という。

よく見ると、蛍光灯のカーバーがはずれていたり、確かに、休みで暗いのとは様子がちがう。ガス栓にはタグがぶらさがっている。それをひっくり返して見たり、2人で「閉店かなあ」と話していると、通りかかった、パジャマ姿の婆さんが、「長兵衛さんは、五月いっぱいで閉めましたよ、ここはビルになるんです」という。

その蔦のからまる古いたたずまいを眺め、牧野さん、しばし声もない。そして「長兵衛がなくなることはないとおもっていたけど、長兵衛でもなくなるんだなあ」と。

ここを有名にした文士たちも、ほとんど亡くなった。

みんないつかいなくなる。わかっているさ、しらねえよ。

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横浜、葉山、逗子、鎌倉、酒浸り。

06yokohama_1横浜で飲んで逗子の中原さんちに泊まって飲むという予定を組んでいた最中に、葉山のギャラリーhaco5周年記念特別企画「牧野君とハイボール 里香ちゃんのカクテル」の案内が牧野さんから届く。ならば、それも加えようということになる。

おととーい、28日土曜日、横浜は石川町駅で15時30分、待ち合わせ。中原さんのほかに、ポン酒好き飲みっぷりのいい学習院お嬢様、初対面の元UPU京都ふとん屋若旦那さん。1軒目、角打ち、冷えた生ビールうめえ。2軒目モツ屋、ホッピーのあとポン酒。レバ刺し、ユッケ、なんでもうめえ。安い、1人2000円で、もうできあがったよ~。横浜橋商店街をうろうろ。黄金町から京急、新逗子。逗子駅まで歩きタクシー。hacoに到着。宴たけなわ。

大竹さん、岳ちゃん、瀬尾さん、木村さん、肉姫さん、同僚の関西からかけつけた初対面永田さん、えーと、ほかに…ま、とにかく、みんなもうかなり元気よくなっている。もちろん、蝶ネクタイをしめた牧野さんは、急ごしらえのバーカウンターで、ハイボールつくっている。

06yokohama_3そして、ひさしぶりの、カンさん。つまり、hacoは、カンさんのギャラリーですね。2階には酒場部で描いた牧野さんの絵が展示してあって、見る。週一の連載で取材も含め大変だったようだが、無事に最終回をむかえ、終了。

もちろん飲む。ああ、もうヨツパライだよ。で、大竹さん、瀬尾さんも一緒に中原さんちへ、全員で6人か。着くと、出迎えたのが、なんと夜叉姫さん。えっ、このひとが中原さんの奥さんなの?ってのは、ちがいましたね。

とにかく、飲んだ。もうよく覚えていないよ。大竹さんと瀬尾さんと学習院お嬢様は帰ったのだな。夜叉姫さんもか。目が覚めたら中原さんちだった。ふとん屋若旦那さんもいた。そーして、中原さんが腕をふるって魚をさばき、11時半ごろから、また飲み始めた。ビールのちポン酒。ふとん屋若旦那さん、用があって先に帰る。

おれは、この前の日曜に続き、新宿ゴールデン街のMバーで須田さんの飲み会があるから、帰りにそこに寄って、また一杯やるつもりだった。

中原さんは用があって横浜まで行くというので、15時半ごろだったかな、一緒に出る。それまで飲んでいたから、2人ともヨツパライ。須田さんの飲み会は19時半からで、ちょっと時間があるから、ひさしぶりに鎌倉でも散歩するかあと、逗子駅から一駅の鎌倉で、中原さんと別れ降りる。ウロウロして、ひさしぶりに八幡宮へとかやっているうちに、そうだ海へ行こうと思い立つ。若宮大路を海岸へむかって歩く。

この世は、一寸先、一秒先に、なにがあるかわからない。
ゆくへも知れぬ恋の道かな、ではなくて、ゆくへも知れぬおれの道かな。だ。

若宮大路を海岸へむかってフラフラ歩いていると、目の前に牧野さんがいるではないか。
あれっ、どうしたんですか。と、2人で言い合う。それからだ。

牧野さんはクルマで昨夜の撤収をした帰りで、本屋へ行って古墳部の旅の宿を決めるための本を物色するという。じゃあ一緒に行きましょう。本は立ち読みで、だいたいの情報は得られた。

本屋から出て、2人で見つめあう。このまま、わかれるのか、いいのか。と、お互いに黙って見つめあう。目が何かを語っている。

「エンドウさん、新宿へは何時までに行くのですか」「うーん、7時半から始まるんだけど」「じゃあ飲む時間ありませんね」「いや、いいよ、新宿のほうは先週も行っているから、今日は行かなくても」「ちょっとイッパイやりたいですね」「でも、牧野さんクルマでしょ」「置きに行ってきますから」「でも、ほら、めったに家にいないのだから、たまには家族水入らずのほうがよいでしょ」「そういえば、そうですね、でもちょっとだけ飲みたいですね、うちに行きますか」「うーん、せっかくだから飲みたいけど、でも、たまにはご家族といてあげたほうがいいんじゃないですか」「そうですね」「うーん、どうしたらいいのだ」……と、2人は堂々めぐりの話をくりかえす。ということは、ようするに、もう、2人とも飲むつもりなのだ。そして、そうなったのだった。

牧野さんはクルマ置きに帰り、19時に、牧野さんオススメの赤ちょうちんで待ち合わせることになった。にしても、まだ17時半で、1時間半ばかり時間があるから、おれは海岸まで歩き、荒れ模様の海でサーファーがへたなサーフィンをやるのを飽きずに眺め、のち待ち合わせの飲み屋へ行ったのだった。この飲み屋、よかった。

2人だけで飲むのは、今年に入って初めてだから、ぐふふふふ、がはははは、話がはずみ、飲むピッチも早い、早すぎるぞ牧野さん。それに、おれと牧野さんが、「ちょっとイッパイ」で終わるわけがなく。牧野さんはヤッパリ「ちょっといいバーがありますから、もう一軒行きましょう」と言うし、おれは飲み疲れだから早く帰るといいながら、牧野さんにしたがう。

そのバーが、またよかった。戦後日本における、アメリカ式カクテルの草分けの1人といわれる76歳のバーテンダー。とても76歳には見えない、おれは、おれより3つぐらい上かなとおもったぐらい。しかも、このひとが、マジシャンの団体の理事をやっているほどの手品師で、牧野さんがお願いすると手品を見せてくれた。その鮮やかなこと。と、楽しんでいるうちに、もう電車がなくなるよ~。

22時45分ごろ、バーを出る。駅に着く。切符を買っていると、先に改札口へ行った牧野さんが、「急いで、電車がくるよ」と叫ぶ。走る。電車に乗って、牧野さんは一駅だから、その間に携帯で電車があるかどうか調べてくれる。23時7分大船発の東海道線で帰れることがわかる。

ま、そうして午前1時ごろ、無事に帰りついたのだった。

とりあえず、こんなところで。中原さん、ありがとうございました。牧野さんも、立ち続けで、しかも自分では飲まずに、数百杯のトリハイをつくって、そしてきのうはおれの相手もしてくれて、ありがとうございました。

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2008/06/27

『手みやげを買いに』『兵庫のおじさん語録』

Book_tokyotemiyage京阪神エルマガジン社 ミーツリージョナル別冊 東京編『手みやげを買いに』と、須田泰成さんのシゴトで「兵庫のおじさん著」の『兵庫のおじさん語録』(講談社)をいただいている。ざっと読んだが、呑むほうが大事で忙しく、紹介を書いていられないので、とりあえず画像だけ。

東京みやげについては、以前に散歩の達人ムックから『東京手みやげ案内』が出ている。とかく比較される『散歩の達人』と『ミーツリージョナル』だが、この際、ほかの出版社へうつったT野編集の『東京手みやげ案内』と肉姫編集の『手みやげを買いに』を比較してみようかとおもっているのだが…。

ま、書店で手にとってご覧ください。

レバ刺し色の兵庫のおじさんの語録は、レバ刺しの味覚がする。か? レバ刺しくう前に、この本を読め。
Book_ojisangoroku

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過去の生活をネタにする難しさ。

食については、誰でも語ることができる。とりわけ、高級なものではない、庶民の生活であれば、なおのことだ。そして、自分も「庶民」だから、なんでもわかっているつもりになりやすい。たくさん本を読んで、あそこにこんなことが書いてある、ここにこんなことが書いてあると知っていれば、さらにである。

だけど、ごく基本的な部分の知識や情報、あるいは感覚が欠落していることが少なくない。たとえば、きのう話していて気がついたのだが、むかし(よく話題になる昭和30年代とか1960年代あたりだとして)の値段の「高い」「安い」についてだ。

そもそも「高い」「安い」の基準が難しい。いちばん多い比較の例が、平均給料と値段を比較する例だ。これだと、イチオウいまとむかしを比べる基準にはなるが、だけど、それで当時の生活の実感が理解できるかというと、そうは簡単ではない。

ま、とにかく、むかしの食べ物は、いまとくらべたら、たいがい高かったのだ。「くっていく」のが、言葉どおり大変だった。にもかかわらず、むかしは食べ物は安く、そのへんの畑に行けば黙ってとってくってよいほど、いくらでもあって、くうだけなら困らなかったかのような話しが、「むかしはよかったね」周辺でまことしやかに伝えられている。とんでもねえよ。

笑っちゃうのは、戦後だってヤミでなんでも安く手に入って、カレー粉だって誰でも安く手に入ったし…なんて話しが、まことしやかにされている。とんでもねえよ。

だいたい、ちかごろ「ヤミ市」などを楽しそうにネタにするが、そもそも統制経済だったからヤミが存在したのであり、ヤミで流通するものは、「高い」か「粗悪」に決まっている。そんなことは、チョイと頭を働かせてみればわかりそうなものだ。そして「ヤミ」というが、それは法律違反ということであって、「お上」に対しては「ヤミ」かも知れないが、生活の実態としてはヤミでもなんでもなく、たいがいのひとが利用するところで、だから「ヤミ」を利用しないマジメな裁判官が死んじゃったりして話題になったのではないか。ウチの押入れには、ヤミの食品が積んであったし、上越線の客の大半はヤミ屋かヤミ品を持っていた。それを「ヤミ」にしたのは統制経済なのだ。

だけど、なんだか近頃の昔語りというのは、ま、道楽の趣味なんだろうけど、そういう生活の実態や実感がぬきになってしまうのだな。でも、そういうことを、知識のありそうな人たちが、中央である東京を舞台にしゃべったり書いたりすると、あたかもそれが事実として、むかしは貧しかったけど、食うだけは困らなかったし、ヤミ市なんていう楽しいところもあって、庶民の生活は貧しかったけど楽しかった、なーんてことになってしまうのだ。

そりゃまあ、ヤミ市の写真など見れば、みな嬉々として、スイトンのどんぶりなんぞを持って食べているわけだけど、飢えがあるからこそ、ヤミ市で高いカネを払ってスイトンを食べるときのよろこびはひとしをのわけだ。煮込みだって、しかり。それにラーメンだってそうだが、むかしのラーメンは、じつに「粗悪」なものだった。

「高い」「粗悪」がアタリマエであり、だからこそ人びとは「進歩」や「向上」を願って、「がんばった」。身を粉にして働かざるをえなかった。そういうところにあった食生活の実態が、経済感覚や生活感覚のない脳天気なコンニチの道楽や趣味のオシャベリで、ゆがめられる。

それから、たとえば、缶詰のような加工食品でも、メーカーが定める全国一律の「定価」が「常識」になったのは、平均的にみれば1970年代を通してだ。だからこそ、それに従った「品質の基準」や表示がモンダイになった。また、だからこそ、かつては、デパートは定価どおりで高いけど品質はアンシンできると評判を得ていた。

マーケティングとスーパーがフツウになるまでは、食品の流通は複雑で、末端の店と客もふくめ、ほとんどの取り引きは「相対」で決まった。高いもの粗悪なものを買わされるかどうかは、その場の「勝負」だった。

ご近所で、みな顔見知りだから悪いものは売らなかった、なんてのはウソだよ。そうではなく、腐りかけたものでも、コレ痛んでいるから安くしておくよと値段を「相対」で決めて売買されていた。あの店は、店頭に腐りかけているものを置いて売っていると、非難されることはなかった。ま、いまでも、おれがときどき前を通る八百屋では、腐りかけのものも売っていて、ちゃんと買っていくひともいるが。そういうことなのだ。

現在はモノが豊かになってココロが失われた、むかしはモノがなかったけどココロは豊かだった、なんていう言い草は、現在の脳天気なアタマが考え出したことで、モノ不足を舞台に「高い」「粗悪」の「食品ブローカー」の暗躍はすごかったのであり、その残滓がいまでも、ジケンがあると「ヤミ」から浮上する。

あえていえば、むかしは「高い」「粗悪」がフツウである環境の中で、それぞれに対応する「知恵」があったということになるだろう。それはココロのモンダイなんぞではなく、モノ不足のなかでの厳しい生活の知恵だ。

いま脳天気な頭に欠けているのは、それであり、なんでもかんでも国やメーカーが安全や値段を決めてくるものだと頼った頭で、過去の生活をふりかえったところで、ボケがひどくなるだけだろう。

食品業者には社会的責任が問われるが、オシャベリには社会的責任は問われない。言論は自由であり、受け取る側の責任だからな。それならば、新聞や出版の再販制度をやめるべきだろう。

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2008/06/26

やや疲労で、2時間インタビュー。

新聞社の記者からインタビューを受けるため、14時に日比谷のプレスセンタービル。

少しは準備をしていこうと思っていたが、やや疲れ気味で、肉体がグズグズグズ。十分な準備もないまま、ま、頭の中を吐き出せばよいかと、だけど、どうせならと、雨は降っていたが、はやめに出て、有楽町周辺をウロウロウロ。

ほぼ一面を使う記事なので、2時間ちょっと、質問されるままに話す。が、そもそもボケがまわって、むかしのことは、なかなか思い出せないうえに、バイオリズムがよくないのか、酒がはいっていないためか、スムースに口は動くのだが、ピンのあった言葉が即座に浮かばない。ま、なんとか、おわる。

最後に写真撮影の日の打ち合わせになって、カレンダーを見て、おどろく。もう6月がおわりだ、半年すぎたのだ。いつのまに? なんだか、つるべ落ちなんてもんじゃない月日の過ぎ方だ、立ち木が崩れ落ちるような、ドドドドドという音を聞いた感じ。ああ、こんなふうに今年の半年はおわり、おれの人生も立ち木が崩れるようにおわるのだろう。夢も幻も見るまもなく、崩れおちるのだ。がははははは。とか、おもいながら、おれの写真を新宿の思い出横丁の入り口で撮影することになり、その日をお互いに都合のよい日とやっていたら、7月の第二週のことになってしまった。ぐはははは、そのように、また月日が崩れてゆくのだ。崩壊崩壊、また崩壊。

と、崩壊感覚のまま、こんどは西新橋のへんをウロウロウロ。当然、目にとまった飲み屋に入って、生ビール!に決まってらあ。

はあ、なんだか、疲れた。
そういう日もある。
が、いろんなことが、同時並行ドサクサゴチャゴチャ的にすすんでいて、オモシロイ。いろいろなコンタクトがつながりだして、来月は、またおもしろい展開が生まれそうだ。それは、飲まなくてはナラナイ機会が増えるということでもあるのだが。あな、うれしや、おそろしや。
ま、とにかく、今夜は、あまり酒も飲まずに、ゆっくりするとしよう。


京阪神エルマガジン社の肉姫様から、ミーツリージョナル別冊 東京編『手みやげを買いに』が届いていたり、講談社からは須田泰成さんのシゴト『兵庫のおじさん語録』が届いたり、いろいろ紹介したいのだけど、きょは、やめ。

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きょうは、小諸の揚羽屋のオヤジの命日。

揚羽屋のオヤジ、田村秀樹さんは、2005年6月26日、永眠。

http://homepage2.nifty.com/entetsu/agehaya.htm

はて、ことしは、いつ揚羽屋へ行けるだろうか。

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中野で決算新規まさかの偶然。やや酩酊。

きのうのこと。いろいろあったが、とにかく、中野駅18時半。WGの飲ミーティング、決算を見る日。どうせなら、来月早々にオープンの、旅人のためのインフォメーションカフェやどやの現場が見られる日にということで、この日になった。

ピンクゾーンの裏通りのおんぼろビルだろうと思っていたら、そうではない。中野駅南口から五差路に出る手前の大通りに面した、大きなビルだった。その二階。しかも思っていたより、厨房も含め広い。すでに客用のインターネットもつかえるようになっていて、うーむ、これはおもしろくなりそうだ。中野に引っ越したい。

まもなく2時。眠いから簡単に書いておこう。

近くの駒忠へ。さっそく乾杯して決算書を見る。トータルには問題ないが、成長している最中なので、課題はなくはない。そのへんの話をまりりんに聞いていると、まりりんの先に見えている勘定カウンターに立った男の客2人のうちの1人が見たことある顔。だけど、彼は仙台にいるはずだ。似ているだけの人違いかと考えていると、まりりんの話に身が入らない。むこうは勘定して出るところだ、気になるので立って行き声をかける。おおっ、相手も、おどろく。まさか、なんで、こんなところで。何年ぶりだ、10年はたっていないか。

でも、こっちは大事な話しがあるから一緒に飲めない。またの機会ということで。

トシさんが帰る時間になって帰り。まりりんが、おれに渡す屋久島みやげを取りに帰るというので、アボチョイで待つことにして、ボスと先にそこへ。まりりんが持ってきた土産、たっぷり。焼酎の三岳、黒こうじ屋久の島、とこぶし、なんとかという柑のジュース。23時半ごろ、その土産を担いで、お先に失礼する。

ま、これからの展開についても話したのだが。この、ヒナから成鳥になる前までのあいだの運びが、けっこう経営的には難しいんだよな。ひきしめて、これからも「屋台経営精神」でいこう。

ま、とにかく、念願の第一歩、インフォメーションカフェの開業にこぎつけた、めでたし。

とりあえず、無事に帰り着きました。とさ。

勝つ前に負けない、ヤミ市屋台かつぎや的スモールビジネスの精神。

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2008/06/25

『city&life』美味しいまちづくり、岩手県一関、青森県八戸。

City_life_1すでに何度か書いたし、先日は地震があったので心配で書いたが、岩手県一関、青森県八戸を取材して執筆した『city&life』誌ができあがった。

一関市の世嬉の一酒造さんは、幸いなことに、食器が壊れるなども含め、ほとんど被害がなかったそうで、よかった。右の画像、表紙は世嬉の一酒造の地ビール工場。ここの蔵元レストランでは、うまい清酒「世嬉の一」と地ビールが飲めるのだ。

『city&life』no.88(都市研究誌 季刊)――第一住宅建設協会
「都市と暮らしを考える」をテーマに、都市の諸相に迫る。都市計画から社会政策まで、都市に関わる問題、課題を独自の視点から掘り下げる。

……という雑誌だ。

企画委員 日端康雄(慶應義塾大学名誉教授)、陣内秀信(法政大学教授)、林泰義(特定非営利活動法人玉川まちづくりハウス運営委員)、小谷部育子(日本女子大学教授)、太田仁(当協会理事長)、佐藤真(株式会社アルシーヴ社)

編集・発行 財団法人 第一住宅建設協会
http://group.dai-ichi-life.co.jp/d-housing/

編集協力 株式会社アルシーヴ社

デザイン・レイアウト 生沼伸子

City_life_2A4サイズ本文40ページで、毎号全特集。今号のテーマは「美味しいまちづくり」。
コンテンツはシンプルで。
鼎談 ガストロノミーが町を魅力的にする 松永安光×陣内秀信×島村菜津
ケーススタディ 「食」が主役の元気な町
静岡県富士宮市 「ヤキソバの町」から「食の町」へ。市民発の活動が、町を動かす
青森県八戸市 「B級ご当地グルメ」でまちづくり
岩手県一関市 「建物を活かし地産を活かす「食」のまちづくり
愛媛県今治市 畑から食卓へ。顔の見える関係が育む、美味しい「食育先進都市」

おれは、編集の斉藤夕子さん、カメラマンの新井卓さんと、一関市は世嬉の一酒造などを、八戸市は「B-1グランプリ」を主催する愛Bリーグ事務局長・今野晴夫さん、八戸せんべい汁研究所事務局長・木村聡さんなどを取材して書いた。

『city&life』では、前にも一度、2005年76号特集「路地・横丁空間からの都市再生」のときに仕事をさせてもらった。

編集協力のアルシーヴ社は、←左サイドバーにリンクがある。そこを見てもらってもわかるが、じつは、おれは監査役に名を連ねている。が、それなりの料金で高度な編集制作をする高度にプロフェッショナルな会社ゆえ、おれはたまにしか仕事をさせてもらってない。元気のよい気鋭のデキル連中がいるから、いいのだ。おれが関わったのでは、ほかに、ザ大衆食に紹介の『談別冊 shikohin world 酒』がある(クリック地獄)。

とりあえず、紹介まで。よろしく~。
へんな褒め方だが、斉藤嬢の編集後記がとてもよかった。編集後記で印象が変わるものだと、感心した。
取材でお世話になったみなさま、ありがとうございました。


当ブログ関連

2008/04/14
一ノ関、八戸、盛岡、朝市から夜中泥酔まで。
2008/04/15
そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか。
2008/04/17
あれこれ、また岩手県一ノ関。
2008/04/22
八戸の片町朝市は、小粒だけど、素晴らしかった。追記。

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2008/06/24

土本典昭さん死去

79歳だったのか。
もっと年上だったような気がしたが。


「水俣一揆」ドキュメンタリー作家、土本典昭さん死去
http://www.asahi.com/obituaries/update/0624/TKY200806240191.html

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「カール・マルクスは正しかった」、そして大衆食堂のオヤジは正しい。

Book_funky03『ファンキービジネス』約420ページを読み終えた。激しくボッキ刺激的だった。ボッキしても誰にも相手にされない老人には、毒なぐらい刺激的だった。グッとにぎりしめて最後まで読んだ。はじけとんだ。

手にして、おわり果てるまで「あとがき」があるのに気がつかなかった。「あとがき」を読んで、笑った。

「本書との出会いは、二〇〇〇年の四月、イギリスの書店チェーン、ウォーター・ストーンのロンドン・ピカデリー店でだった。二人のハゲ男が頭突きを入れあい火花を散らすカヴァー写真に『ファンキービジネス』の文字。「これはバカっぽい!」。本書を手にしてレジに向かいながら私は、新手のお笑い本との出会いに、ほくそ笑んだ。「ふふふ・・・」」

と、訳者でありコメディ・ライターあんどプロデューサーの須田泰成さんは書いている。

でも、この本は、経営学の専門家より、須田さんのようなひとに発見され翻訳され、シアワセだったとおもう。モンティ・パイソンと一脈通じるところがある。というより、モンティ・パイソンはファンキー・ビジネスの先駆者だったのかも知れない。

さらに須田さんは書く。

「 ぁっ!間違えた!お笑いの本じゃない! 買ったばかりの本の著者略歴を見た私は叫んでしまった。コメディアンのダブルアクトだと思い込んでいた二人の著者が、現役の経済学者コンビだったからだ。おまけに版元はロンドンのファイナンシャル・タイムズ社。お堅いビジネス書だったのか? じゃ返本だ! が、しかし、さらに頁をめくってみると、次のようなフレーズが目玉に飛び込んできた。「カール・マルクスは正しかった」。ん?!」

「キー・コンセプトは、しかし、この「カール・マルクスは正しかった」という、一見するとブラック・ジョークめいた一文に凝縮されていたのだった。」

たしかに、そのとおりなのだ。

で、著者の「オレたち」は、「現在、我々が経験している革命は、マルクスが想像したよりもずっとスケールの大きいものだ」「路上のバリケードや催涙ガスの煙は見えないかもしれないが、すべての人間の心のなかで確実に進行しているのだ。もう後戻りはできない」、だから「そう、我々に必要なのは、ファンキービジネスなのだ」と主張する。

もう一人の訳者、中山ゆーじんさんは「あとがき」で書く。「そして一気に読んだ。確かにぶっ飛んでいる。妄想や思いつきとしか思えないことも書かれている。だが、読後の感想を叫ばずにはいられなかった。「この本はなんて刺激的なんだぁ~!」

まったくだぁあああああ~

「著者二人の出で立ちも異様だが、素性も異常だ。連中は何とスウェーデンの名門大学ストックホルム大学で教鞭を執っているのだ。エリートじゃん! 文化人じゃん! きっと堅気の人たちだ。そんな連中だったら、我々は気後れして、とても『ファンキービジネス』を翻訳する気がしない。ところが、である。連中はパンキッシュである。自分たちの講義や講演を「ギグ」と呼んでいる」

「連中の「フィールドワーク」は、本文中に書いてある通り、著名な経済学者からヘルズ・エンジェルスにまで至っている。二人はそうしたリサーチの中で今のファンキーな世界、そしてそれから派生する二一世紀のファンキーな世界を垣間見ているのだ。だからこそ、この本は目からウロコが落ちるような、ビジネス界に生き残るためのヒントを与え、しかもトリッキー」

「オレたち」は、「カール・マルクスは正しかった」のように、ギャグともジョークともつかぬ言い回しを、ふんだんに使い、非ファンキーな世界をあばき、ファンキーな世界をつきける。

Book_funky04「もしも、未来を知りたいと思うなら、他の本をあたったほうがいい。こいつは未来について語る本ではない。この本は、オレたちが今この瞬間に住んでいるファンキーな世界について書かれたものなのだ。つまり、オレたちは、すでに未来に足を踏み入れているのだ」

「オレたちの生きているこの時代の世界に広がった市場経済は、良し悪しでも善悪の問題でもないのだ。ただそのようなものとして存在しているだけである。市場経済の生む資本主義はマシーンなのだ。ただしそのマシーンにはタマシイなんてものはない。オレたちはただ、これからもそいつとうまくやっていかなければならない」

「組織の経営とは、湯水のように金を使いスター・プレイヤーをかき集めて優勝を狙うのではなく、普通の人々の才能をうまくマネジメントしながら組織の活力を高め、スゴイことを成し遂げるクリエィテイブな技術である」

おお、これは「ありふれたものをおいしく」にも通じるぞ。

たとえば、わめぞ。たとえば、やどや。たとえば、もちろん須田さんの会社やら……小さなファンキーグループは、けっこうある。もっと増えるだろう。

「ファンキーのリーダーは、秩序の発生源と同じくらいカオスの創造者である」

鶯谷、新宿歌舞伎町を世界の中心に! 東京オリンピックより「東京エロリンピック」を!


現実をみたら、とてもじゃないが、やさしくなんかしてらんない。だから、現実をみないで、やさしくあろうとする。でなければ、現実をまえに「サツイ」や「ニクシミ」あるいは「ナゲキ」「グチ」だ。

だけど、「オレたち」はいう、「現実から目をそらすのは止めよう」そして「やさしく」と。いま、イチバン難しいのは、たぶんこのことだろう。「オレたち」こそ、ほんとに、やさしい、愛に満ちている。いま、パンクやファンキーに、ほんとのやさしさや愛がやどっている。

「そして大衆食堂のオヤジは正しい」というところに話しがつながるはずだったが、長くなったのでやめる。勝手に想像してくれ。もしかすると、明日、書くかもしれないが。

「兵庫のおじさん 愛のブランデー日記 」では、2008年 06月 16日「大量殺人事件を防ぐには大衆食堂。増やさなアカン。」と言っている。「厚労省とか廃止して大衆食堂省を作る。大臣には、エンテツはんになってもらう。」…クリック地獄
おれは、愛とブランデーがあればいい。

Book_funky05_2一番下の画像は第5章の扉だけど、最初「ファックユー」とカンチガイしてしまった。それでも不思議はなかった、扉をあけてすぐは、……

ショッピングとファック。
ショッピングとファックしか、もはや残されていない。

……で、始まるのだ。

どんな小さな人生にも関係する21世紀のビジネス書だ。「ビジネス書」という概念自体が20世紀的でありファンキーではなく、破壊されなくてはならないが。

もう「右」「左」「大」「小」の時代は、とっくに終わっているのだ。。

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2008/06/23

アタマはファンキー、「ファンキービジネス」。

Book_funky01とにかく『ファンキービジネス』を読んでいるのだ。おもしろくてやめられない、とまらない。いやはや、須田さんは、こんなおもしろいビジネス書を訳していながら、いままで知らん顔しているなんて。これは、モンティ・パイソンや、今週中に発売の「兵庫のおじさん」(講談社)と一緒に売らなきゃあ。

こんな言葉が扉にあった、……「オレたちはトラブルの震源地、パンクの扇動者だ!」ザ・プロディジー

死ぬ前に、殺す前に、絶望の中で、読もう。

こんなことを書いている。

「混沌とした時代の中で負けずに戦う」

「混沌とした時代が、またやってきた。問題は、不確実なものに対してうまく対応する能力を人類があまり身につけていないということだ。変化は不可避的に社会不安を招いてしまうのだ。」

そして、「このような状況に直面した時のありがちなリアクションは、責任の伴う自由があふれかえる混沌に対する恐怖から、自由を急激にへらしてしまうことだ。二〇世紀における数々のファシスト・ムーブメントは、経済的な混乱と不確実さに支配された時代に現われた。人々は、不確実さから救ってくれる指導者に熱狂し、指導者に自由を捧げてしまった。」と指摘する。

あるいは、「フレンドリーで協力的な」言葉や仲間を求める。そう、2008/06/22「おれは「俺」でゆく。」に書いたような、モンダイがおきないような「お行儀のよい」言葉や関係を求める動きだ。

「が」と、著者たちはいう。

「が、オレたちは、そのような予定調和的な確実さは、いまや複雑さに取って替わらなければならないと確信している。時代の流れを考えると、オレたちは、複雑なことに対する免疫をつけておかなければならない。複雑さを排除しようとしない方がよい。複雑なことは恐ろしい、しかし魅力的だ。オレたちには、それに直面する勇気が必要なのだ。」

「その姿勢こそがオレたちの精神の危機を守るかもしれない。結論を言えば、あなたが不確実なものに立ち向かうなら、人生は少なからず良く見えるだろう。反対に、確実なものに思いを寄せることは、いまや何のメリットもないし、気の滅入ることだ。あなたを取り巻くすべてが流動的で不確実な状態ならば、たった一つ確実なものといえば、個人しかないのだ。自分自身がハッキリしたビジョンを持っていなければならないのだ。」

と、ここでおれは、「気どるな、力強くめしをくえ!」と合いの手をいれ、「ありふれたものをおいしくたべよう!」と言いたい。

「バラバラに引き裂かれた社会」

「ハッキリとは意識できないかもしれないが、オレたちの社会はバラバラに引き裂かれている。いや、むしろ世界は粉々に破壊されていると言う方が正しい。こういう事実は、一般的には、悪いことだと見なされてしまう。目をつぶって見ないようにする人たちも多い。が、世界の破壊を願うオレたちのようなグループもいる。なぜオレたちは、世界の破壊を願うのだろうか? 答えは簡単だ。なぜならオレたちは、どこを切っても同じ顔が現われる金太郎飴のように個性がなくチープな「商品」にはなりたくないからだ。」

こんな言葉が扉にあった、……「建設のための破壊」毛沢東

Book_funky02といっても、毛沢東のようにやるわけじゃない。創造的な「ファンキーカンパニー」をつくるのだ。「オレ会社」をつくるのだ。だれでも、シャチョーになれる。「法人化せよ!」ということなのだ。「ファンキーカンパニー」をつくって「ファンキービジネス」をやろう、ということなのだな。

で、「ファンキーカンパニー」「ファンキービジネス」とはなんぞや、ということなのだが。
ま、きょうは、このぐらいのコーフンにしておく。
画像上は、表紙を開いて撮影した。下は、第6章フィーリングファンキーの扉。

こうしちゃいられない。

お行儀よくやってんじぇねえよ。

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オレのビジネス、「ファンキービジネス」。

まもなく午前2時半だから、きのうのことだけど。いやさ、その前の夜も、酔っ払って、雨に濡れて帰ってきて、またもや雨に濡れて帰ったヨツパライ一人という有様だったのだが。

しかーし、ぜんぶ書くのはメンドウだから簡単にすると、ようするに、池袋と新宿で用をたして、トウゼン一杯はいって、最後にゴールデン街のMバーへ行ったわけだ。着いたら20時半ぐらいだったかね。Mバーは、日曜日でも営業しているのだけど、今夜は(正確には昨夜だが)須田さんの、ゆる~い貸切なのさ。

で、ここで大変なことがあった。もう、きょうはサイコー。

あっ、そりゃまあ大変といえば、チャーミングな乙女もいて、チャーミングだったけど、彼女には恋する男がいて、そのう、そうなんだケドケドということで、ま、おれには関係ないわけ。

おれは、カウンターの奥の酒瓶がならぶ棚の上段の、須田さんの作品群のなかにある、「ファンキービジネス」という文字が気になっていた。前から気になっていたけど、そうそう、そういえば、Mバーで須田さんと顔を合わせるのは、開店のとき以来なんだね。

そこで、須田さんに、アレはなに?DVDなの?と聞くと、いや私が翻訳した本ですという。棚からとってもらってパラパラ見ると、もしかするとのもしかなのだ。須田さんは、まだ何冊かあるからあげるという。うれしい。で、遠慮なく、もらってきた。

11時すぎにMバーを出た。電車のなかで、その本を見る。おおっ、まさに、これだ。北浦和に着く、とりあえず、もうちょっと見たいから、チェーン中華に入って、ビールとレバニラ炒めを頼んで読む。おおっ、これだよ。

本のタイトル=『ファンキービジネス』、著者=ヨーナス・リッデルストラレ+シェル・ノードストレム、スウェーデン人だ、訳は須田泰成と中山ゆーじん。発行、博報堂、2001年。

サブタイトルに、「ヒジョーシキ人間にカイシャを開放せよ」とある。

この本、博報堂が発行するぐらいのビジネス書なのだけど、主語が2人の著者の「オレたち」なのだ。日本語への序文は、このように書き出す。

「『ファンキービジネス』は人類のためのハウツー本だ。エグゼクティブ向けの経営ハウツー本は山ほどあるが、オレたちとしてはごくフツーの人たち向けのハウツー本を書いてみようと思ったわけだ」

そして、こんな見出しがならぶ。

「ファンキービジネスは、オレたちにパワーを与える」
「ファンキーな未来へ」

そして、こんなふうに書く。

「現在、価値観は地理的な束縛から解き放たれつつある。価値観の体系は、かつて地理的条件による制約を受けたローカルなものだった」
「今やオレたちは、異なる文化や価値観を信奉しながら、神を信じるかもしれない」
「何が正しくて何が間違っているのか? 何が善で何が悪なのか?という問いについてのお手軽な答えはない。問いかけは依然として残るものの、答えは、さらにぼんやりとしたままだ」

「人生の規制の緩和 あなたは自由から逃れることができない」
そうなのだ、おれたちは、自由とビジネスから逃れることができない。だから、だったら、なのだ。

これほど、一冊のビジネス書にコーフンしたのは、ドラッカーの『断絶の時代』いらいだ。

かつてスウェーデンの会社のPRのプランを請け負ったことがある。この会社、いまでは大きくなって、技術系のあいだでは知られ会社だが、当時は小さく予算規模も小さくて困った。でも、とても魅力ある会社で、その会社の仕事を通して、スウェーデンや北欧は、フランスやドイツ、そしてアメリカとはちがう経営の風土や哲学があると思った。

北欧に詳しいわけではないが、スウェーデンの「自由」はフランスの「自由」とはちがうかんじであった。

そういうことはいいや。きょねん秋ぐらいから考え、あれこれプランして動いてきた、その根本に関わることが、ここに書かれているようだ。もちろん、パラパラ見ただけで、チョイとおれの考えとはちがうな、というところもあるのだが、カンジンなのは「オレ」であり「ファンキー」ってことなのだ。

うーむ、コーフンして、何を書いているかわからん。

ああ、こんなにも胸の動悸が。

やどやプロジェクト、ロクデナシ計画一味、そのほか、おれとビジネスのひとたちで、この本読んでないひと、ほとんどだと思うけど、読もう。そりゃぁぁぁ、オレたち、ファンキービジネスだ。

ああ、「オレたち」。彼女とおれは、なーんてことじゃねえんだな。いや、それもいいし、うまくいけばよいだろう。がんばれよ~フジコさん。なにをがんばるのか。とにかく、「オレたち」、やろうじゃないか。地理的常識をこえて。自由に、ファンキーに。

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2008/06/22

おれは「俺」でゆく。

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近頃のアートフルなオシャレは、飼いなされてしまったかのような「お行儀のよさ」が目にあまる。ときには息苦しい。

あえて無頼ぶるというのもオカシイが、そんなにお行儀のよいことで、これからやっていけるのかとおもう。もっと髪をふりみだして歌うような生き方でありたいねとおもう。もっと肉体の底から発するような声をだしたいとおもうね。

ところが、どんどん「お行儀のよい」街が、はびこっているようなかんじがする。なんだかとても「お行儀が悪い」のがいけないかのような、そういう「圧力」や「統制」をかんじる街。紳士淑女でなければいけないかのような街。

そしておれは、「俺」という言葉さえも自由につかえない、明るい美しい「お行儀のよい」環境のなかで、声をのんでたたずむしかない。

おお、健全な。新宿の歌舞伎町ですら、そんなぐあいになりつつある。

どこもかしこもアートフルなオシャレなカフェのようになっていく。おげっ、かんべんしてよ、中国の人民解放軍やナチ親衛隊の制服のようじゃないかとおもう。その制服は、オシャレな自由なファッションであるかのようだけど、こっちいわせれば、みなおなじファッション情報誌からぬけだしたような有様だよ。なぜか、「お行儀のよい」「おだやかな」話し方から音楽、微笑まで一緒。おげっ、気持悪い。

そうなのだ、ファシズムとは、心地よくやってくるものなのだ。シアワセな陶酔こそ、ファシズムなのだ。

ああ、おれのような「お行儀の悪い」男の居場所が少なくなる。「キモい」なんて言葉で「弾圧」されるのだ。

数日前に、こんなニュースがあった。

yahoo!ニュース

常用漢字に追加188候補=「俺」は結論先送り-文化審
6月16日18時30分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080616-00000111-jij-soci

 常用漢字表の見直し作業を行っている文化審議会のワーキンググループ(WG)は16日午後、追加候補として188字を漢字小委員会に提示した。小委はこのうち、常用漢字にふさわしいか意見が分かれていた「俺(おれ)」の扱いを議論したが、結論は先送りされた。
 「俺」については、委員から「使用頻度が高く、常用漢字にすべきだ」「子供に使わせたくない言葉。あえて加える必要があるのか」と賛否両論が出た。
 ほかに候補となったのは「藤」「誰」などよく使われる漢字。単体で使われないものの、熟語での使用頻度が高い挨拶(あいさつ)の「挨」「拶」、椅子(いす)の「椅」も盛り込まれた。
 主に固有名詞で使われる漢字は選ばれなかったが、例外として、県名に登場する「岡」「阪」など11の表外字は候補に入った。 


……おれは、「俺」が「子供に使わせたくない言葉」というのにおどろいた。文化審議会が、そんな選択をするなんて、偉そうな。文化は国民の生活のなかにあるのであって、文化審議会のアタマのなかにあるんじゃない。

おれは、ガキのころから、「俺」で育っている。「私」はよそゆきであり、「僕」は、小学校の作文の時間に男子は「僕」、女子は「私」と書きなさいと教えられたものだ。

おれにとっては、「俺」こそ、もっとも自分の誠実な姿であり言葉なのだ。

そうなのだ、いま「お行儀のよい」オシャレに飼いならされて、よろこんでそれが迎えいれられ、お行儀よくおさまっている流れのとき、誠実な「俺」が真綿にくるまれて殺されようとしている。ブフッ、おれのパンキッシュな精子をぶっかけてやりてえよ。そして、髪をふりみだし生きるのだ。

と、思うのだが、それはとても大変なことだ。孤独で孤独で、おれは、ウツになりそうだ。へたりそうだ。……ぐふふふふふ。


ぼうずコンニャクのお魚三昧日記
2008年06月09日
ナガウバガイでぶっかけ飯

 遠藤哲夫さんの本に『ぶっかけめしの快楽』というのがあるが、まさにぶっかけ飯を食うと独特の爽快感に襲われる。
 もしくは「飯を食ったぞ」という満足感に満たされると言ってもいい。
 ちなみに深川飯というのがあるが、これももともとは貝の産地であった深川あたりで「有り余る貝でみそ汁を作り飯にぶっかけた」というのが発祥である。
 すなわち「ぶっかけ汁」は二枚貝で作るのが王道なのだ。

……ぶっかけめしを「お行儀悪い」とした「歴史」は、このような「爽快感」や「満足感」を奪ってきた。だけど、このクソッタレな浮世を生き抜く、おれたちに必要なのは、「お行儀のよさ」ではない。このような、日々の「爽快感」や「満足感」こそ、必要なのだ。

おれは「俺」のぶっかけめしを食おう。ぼうずコンニャクさん、また一杯やりましょう。

古書現世店番日記を見たら、2008-06-21「週末。」に、「池袋特集の「散歩の達人」をコンビニで買う。編集部の平岩さんが「旅の手帖」に異動になってしまい、松本英子さんの「プロジェクト松」が最終回。なんてこったい!」とあった。 

H岩さんとは、何年前か、彼女が「散歩の達人」に異動してきたばかりのころ、中野高円寺特集で、そのへんを食べ歩いたのが最初だ。M本さんは、10年ちょっと前、おれが散達の仕事をするようになったころには、すでにレギューラーを持っていた。遠太で飲んだなあ、「芸大コンプレックス」の話がおもしろかった。いつのまにかH岩さんもM本さんも「古株」になってしまった。異動や連載の終わりも仕方ないのかもしれないが、「お行儀悪ぶり」をいかんなく発揮していた2人が揃って、この時期に散達から姿を消すのはサミシイ。

みんないなくなっても、おれは「俺」のぶっかけめしを食おう。
おれは行儀悪いんだよ。文句あるか。
けっ。

(追記。散達のH岩+M本コンビの画像を掲載した。これは2005年3月号。ちょうど、M本さんの「芸大コンプレックス」の一端がうかがえる場面。おれが見たかぎり、このコンビの最高傑作は、比較的新しい、成城が舞台のやつだが、いま探しても、その号が見つからない。このキャラ、「兵庫のおじさん」の須田さんなら、なにか黒笑的生かしがあるかも。)

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2008/06/21

高度経済成長のハレの味か? ビフテキ。

きょねん4月発売の『QJ クイックジャパン』vol.71の「永久保存版 高橋留美子」に「高橋留美子の好きなもの」っていうぺーじがあって、「好きな食べ物は?」つう質問に、「ステーキ」と答えている。

そのコメントに「やっぱりいくつになってもハレの日の食べ物ですね。そういう世代なんだと思う」とあって、おれは、いろいろ考えてしまった。

ぴょ、およ、へろ、あれっ……いくつものことが頭に浮かぶが、「そういう世代なんだと思う」ってところが、イチバン気になる。そういう世代なのか。そうかも知れない。

とにかく、高橋留美子さんは、1957年新潟市生まれ。実家は古町の病院(産婦人科?)。いまでは衰退の色濃い商店街だが、当時の古町は、東京でいえば、有楽町・銀座・・人形町・日本橋といったところだろうか。都心の、おぼっちゃま、おじょうちゃま地帯だ。おれは高校生の1960年ごろ、よく故郷の田舎町から3時間ほど列車に乗って、新潟市の親戚の家へ行って泊まり、一人で古町ブラし、映画をみたり食事をしたり遊んだりした。映画は「風と共に去りぬ」など洋画をよく見たが、なんといっても、夢も希望もない「墓にツバをかけろ」だな。音楽の「褐色のブルース」もよかった。

『大衆食堂の研究』にも書いたが、1960年代、ステーキを食べるとなると、大衆食堂で食べるひとが少なからずいたはずだ。メニューには、「ビーフステーキ」や「ビフテキ」とあった。

ザ大衆食のサイトの、北区十条の「てんしょう(天将)」(クリック地獄)では「ビーフステーキがある大衆食堂」と紹介しているし、そこにも書いたように、渋谷区笹塚の「常盤食堂」(クリック地獄)では、1960年代中ごろのままの行灯のメニューのビフテキの上に、ガムテームが貼ってある。

北九州市の『雲のうえ』5号の食堂特集では、八幡西区黒崎のエビス屋昼夜食堂のメニューに「ステーキ」を見つけ、「ズラズラズラと並ぶ壁のメニューに「ステーキ」を見つけたときは、静かに感動した。北九州出身の作家・松本清張も『紐』の中で活写している。かつて1950年代60年代、ステーキは大衆食堂の花形だった」…ウンヌンかんぬん書いた。

Suteiki_syougetu『雲のうえ』5号には、残念ながら事情があって登場しないが、やはり八幡西区の新日鉄八幡製作所の玄関口ともいうべき八幡駅から少々の「松月食堂」にも「ビフテキ」1000円があって、これを牧野伊三夫さんが注文し、一口たべさせてもらった。肉を焼いたあとの肉汁で、刻んだ野菜をいためてソースをつくってかけてあった。ソースの味に、「北九州」を感じた。

いまでは、高橋留美子さんのように「ステーキ」といえば、ビーフのステーキに決まっているが、かつては「ポークステーキ」「ポークソティー」があったゆえの「ビーフステーキ」や「ビフテキ」だったという見方もできるだろう。文句なく、最高級のハレだった。中流意識を持つ前の大衆、労働者のハレだった。

それと、おなじハレでも、高橋留美子さんの「世代」では、ハレの意味合いがちがうような気がする。「ハレとケ」というが、その気分や実態は、かなり変化しているように思う。

Kikakyusyu_syougetuま、それだけじゃなく、いろいろ気になったので、忘れないうちに、とりとめなく、書いておく。みなさんの「ステーキ体験」や「ステーキ観」も気になるところだ。「ビフテキと日本人」という本ができそうだ。

ビフテキ、ちかごろ食べてないなあ。

画像は、きょねんの7月21日、松月食堂。ビフテキには、すでにナイフが入っていたが、紙ナプキンにくるんだナイフとホークが添えられていた。気分は、ハレ。

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おれだけ割りくっている不幸せ、食と農と脳。

テレビがなかったら、インターネットがなかったら、携帯電話がなかったら、メールがなかったら、そうは思わなかったかもしれない、「おれだけ割りくっている不幸せ」。

たしか「東京プリン」だったかな、携帯電話を買ったけど鳴らない、田舎へ帰ろうかな~という歌。あれは何年前のことだったか忘れたが。携帯電話が新しい寂しさや孤独を運んできた。田舎へ帰ったところで、それがついてまわる。

なんだか、「おれだけ割りくっている不幸せ」を感じる情報システム。だけど、「夢と希望」も与えてくれる、といわれる情報システム。新しい出会いをもたらすが、かつてないわかれと不幸をもたらすかもしれない情報システム。

クルマは、たしかに新しい交通事故の疫病神になったが、たくさんのひとが利用している。ドライブで恋が芽生え、カーセックスという新しいチャンスも生んだ。クルマがあれば、カノジョができて、結婚できるかもしれない。

「おれだけ割りくっている不幸せ」に、おれはココロのナイフを研いだ。幸せそうなあいつらは、おまえはそういう根性だから女にもてないし、ウダツがあがらないんだよというだろう。

「格差社会」って、なんじゃらほい。よくわからない言葉だが、格差があるのはアタリマエだよ。それを論じる必要はないだろ。あってはいけないなんてことになったら、「おれだけ割りくっている不幸せ」は、もっと増えるだろう。格差はあるんだよ、それで十分。

格差はなくせないから、それが束縛になるようなことを、なるべく減らすのだ。チャンスは平等というのもオカシイが、ようするに判断材料だけは、望めば平等に手に入る、判断は束縛しないで自由。どうも、いまの「格差社会」モンダイってのは、そこんとこがどうもオカシイ。なんてのかな、管理された格差というか、管理された自由というか。

「おれだけ割りくっている不幸せ」からぬけだすには、カノジョができればよいのか。そんなものはいなくてもよいかもしれない、たいしたモンダイではないかもしれない。友達だって、いらないかもしれない。女を追いかけるより孤独のほうがよいかもしれない。どんな方法があるのか、それについて、どれだけ自由に考えられるか。夏になっても、海やカレーライスに背をむけられる勇気をもとう。レンアイなんか、くそくらえだよ。と、結婚3回の男はいい。

「格差をなくせ」という無理な注文をつけることは、そりゃまあカッコイイかもしれないが、現実的でない主張というのは、モンダイの先延ばしであり、モンダイを解決する意思がない表明みたいなものだ。かくて、格差モンダイは解決しないで、格差評論家のセンセイがメディアをにぎわし儲かるだけなのだ。そりゃそうだ、格差評論家のセンセイは格差がなくなったらメシのネタに困る。ま、すぐ、あざとく別のネタをつくるだろうが。

なーんてことは、どーでもよいのだ。
どーでもよくないのは、これだ。

たとえば、きょうのasahi.comの、この記事だ。
http://www.asahi.com/business/update/0620/TKY200806200293.html

千葉県知事、農水相に減反見直し要請 目標達成難しく2008年6月20日22時4分


 千葉県の堂本暁子知事が20日、若林農林水産相を訪ね、千葉県に課された08年産米の生産調整(減反)を見直すよう求めた。目標を達成できそうにない現状を踏まえた「白旗」だ。千葉県は減反目標の達成へ最重要県と見られてきた。他県の取り組みに影響しそうだ。

 08年産については、コメの需要に基づいて全国で154万ヘクタールの作付けが適正とされ、10万ヘクタールの削減が掲げられた。千葉県の削減義務は1万3千ヘクタールで、都道府県別では福島県(1万3900ヘクタール)に次いで2番目。東京など大消費地に近いため、生産調整に参加せず直売する農家も多く、動向が注目されていた。

 堂本氏は農水相との会談後、「千葉の土壌は転作しにくく、目標達成は難しい。抜本的な見直しが必要だ」と記者団に語った。若林農水相からは「全国で痛みをわかちあっている。わかってほしい」と話があったという。

 農水省幹部は「まじめに取り組んでいる県から不満が出る恐れがある」と話す。北陸のある県の担当者は「現場の農家は不公平に思うだろう。転作が難しいのはどの県もいっしょ」と漏らしている。

 昨年は過剰作付けで米価が下落し、07年度(補正分を含む)と08年度予定分で2千億円近い税金がコメ対策に投入される事態になった。08年産の生産調整について、農水省は7月上旬にも中間報告する予定だが、「達成は厳しい」という。(小山田研慈)


堂本知事に対して、「「白旗」だ」と書く。いやはや。

「全国で痛みをわかちあっている。わかってほしい」と若林農林水産相。いやはや。こんな泣き落としのような政策なのか。

「農水省幹部は「まじめに取り組んでいる県から不満が出る恐れがある」と話す」……オイオイ、千葉の農家はまじめじゃないのか。そうか、千葉県というとハマコーを思い出すが。ま、千葉県の役人がまじめじゃないということなのだろうけど、「生産調整に参加せず直売する農家も多く」なのだからね。どうして、こういう農家を自立性と自律性のある農家として評価できないのか。

「北陸のある県の担当者は「現場の農家は不公平に思うだろう。転作が難しいのはどの県もいっしょ」と漏らしている」どうして、こういう声を取り上げるわけ。そういう県に右へならえしなくてはならないってこと? 難しいなら難しいとハッキリいってはいけないのか。どうやら「まじめ」というのは、国の言いなりになる県のことらしい。

「昨年は過剰作付けで米価が下落し、07年度(補正分を含む)と08年度予定分で2千億円近い税金がコメ対策に投入される事態になった」……この書き方は、最近の「コメ不足」モンダイを避けて、あたかも農水省のとおりにやらないと、ムダな税金がつかわれるかのような。ま、そこは、たしかにモンダイがないわけじゃないが、ようするに、作付けを含め経営判断を農家の判断にまかせるべきということじゃないと、展望は開けないってのは、もう何度も書いてきた。判断は自由であるべきだ。

判断を間違えば貧乏もあるさということでよいのじゃないかね。経営というのは、どんな経営も、そうやっているんだ。それが、「大人の経営」ってもんでしょ。それに、判断する自由を束縛しちゃ、人間の可能性は発揮されない。結果的にカネがかかることになってしまう。


あっ、おれ、もちろん、酔ってますだ。まもなく、午前2時だあああああああ~

関連
2008/05/31
食や農や食料自給率や食育とか語るなら「今日の一貫」さんを読んでおきたい。

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2008/06/20

不確かな感覚の存在、それとも不確かな存在の感覚。

Ninohe_tengusyouyu古墳部の旅では、土器をつくったりなどの「実習」があるのだが、「今回は縄文料理の実習が行われる予定」だと、いまや売れっ子の古墳部の料理の先生からメールがあった。だけど、売れっ子ゆえか、仕事の都合で古墳部の旅には参加できないから、おれに調理部長を…とのこと。もちろんレシピは料理の先生がつくる。どうやら、「縄文のハンバーグ(つくね)」などを予定しているらしい。おれが調理部長なら「縄文つまみ」にしてくんねえかなあと返事してやった。

どんぐりの粉をつかうというが、どんぐりの粉は話ではよく聞くがつかったことないし、どうするのだろう手に入るのかと思ってWeb検索で調べたら、韓国では常用らしく、それが日本でも手に入ることがわかった。

ガキのころドングリを生でかじって、その生っぽいエグサというか、すぐ吐き出したが、あんなものは粉にしたところでくえたものではない。もちろん縄文人もアクぬきをやっていた。

どんぐりの粉でつくった炭化した「クッキー状」のものは、あちこちの縄文遺跡で発見されていて、古墳部の旅でも実物を見たが、「縄文ハンバーグ」つまり肉をまぜたものについては、その科学的な分析法に疑いがあって、まだ確たる根拠はないといわれている。ま、でも、縄文のそれとおなじものでなくても、つくってみると、土器のばあいもそうだが、なにかしら体験的な発見はある。

いまのニンゲンのことでもわからないことが多いというのに4000年や6000年も前のニンゲンのことなんか、わかりっこねえよ。と、あきらめてしまうのは、早すぎる。4000年や6000年も前のニンゲンのことを想像することで、いまのわからねえニンゲンどもを想像する力がつくかもしれない。そもそも、わからないことがあるから、知りたいと思うし、わからないことがあってもいいのだな。

縄文人の味覚なんか、わからねえよ。だいたい、とにかく塩だって、どんな味だったか。わからねえよ。縄文人のレンアイなんて、どうだったのかねえ。もっと、わからねえよ。オレ、うめえ木の実がとれるところしってんだ、なんて、女を誘い出して、せまっちゃうのだろうか。このへんは、ステージや道具立てはちがっても、いまとあまり変わらないかもしれんな。けっ。

いまのことになるが、悩ましいのは、「甘口」「辛口」の関係だ。直接的には、醤油と砂糖の関係、そこにダシがからむと、こりゃもうややこしくて大変だ。とくに、醤油は、かなりちがう。いや、ちがっていたというべきか。

画像は、岩手県二戸で入った「金次屋」という蕎麦屋(この蕎麦屋のことは、そのうちザ大衆食に掲載の予定)にあった「テング醤油」。これはビンだけで中身はちがうかもしれない。調べたけど醸造元の、二戸の天狗山醸造がみつからない。ここで食べたラーメンは、スープが「甘口」だった。たぶん醤油そのものが、「甘口」のようにおもわれた。

となると、うるさいひとは「薄口」なのではないかといわれるかもしれないが、「甘口」だ。薄くても甘いし、濃くても甘い。そういう甘さ。

青森県の八戸でも、日本海側の鯵ヶ沢でも、いったいに料理の味付けが「甘口」だった。ときには砂糖の甘さのこともあったが、醤油が甘いのではないかと思われることもあった。それは、それぞれの土地の特徴が、まだあるということでよいと思うが。

そのことではない。このまあ醤油ってのがわからんもので、とくに飲食店などでは「業務用」をつかっている。それが、たいがいは安く仕上げるための「合成品」であることがめずらしくない。ことわっておくが、いま「合成品」という言葉をつかったが正式な呼び方ではないし、「合成品」を非難し差別しようというものではない。とにかく、いかに安い材料と工程で、遜色のない味にするか、工夫されたもので、そのへんは技術力として評価されるべきだろう。それは「第三のビール」にしてもおなじ。

モンダイは、なんだろうねえ。ここでトツジョおわるのだが、ま、ニンゲンの味覚って、かなりアヤシイってこと。そういう自分をわかっていたいってこと。だから、悩むし、悩ましいってこと。悩むこたあねえってこと。くそったれ。

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2008/06/19

八戸のサメを思い出し、うーむ、古墳部の旅なのだ。

Hatinohe_minatoasaiti_same24時をまわってしまった。飲んだが「酔いどれ」というほどではない。

もうきのうになったエントリーの、「[書評]のメルマガ」のクリック地獄のリンクをまちがえていたから、クリックしても地獄に落ちなかったはずだ。なおしたのでクリック地獄してみてください。

その『文藝春秋デラックス 美味探求 世界の味 日本の味』1976年2月号には、当時『食は広州に在り』でウハウハ売出し中の邱永漢さんが、「「山珍海味」の技と心 中国料理神髄」という文を寄稿している。そこに「「フカのヒレ」は、最近はアフリカやオーストラリアからも送られて来ますが。日本では八戸あたりへ行くと、干しているのをよく見かけます」とあって、そういえば八戸の朝市ではサメが安く売っていたと思い出した。

画像を探すとあった。このツラ、くうかくわれるか。

4月13日に八戸漁港の朝市で撮影。たしか50センチぐらいだったと思うが、これで一尾200円。その前日の片町朝市では、もっとこぶりなのが、一山数尾250円ぐらいで売っていた記憶がある。きっと30年前とくらべたら漁獲は減っているのだろうけど。ほかの魚と比べたら二束三文の値段。このツラで。

それにしても、邱永漢さんは、あのころの八戸に行っているのだな。

数日前に、次回の古墳部の旅の知らせが部長のスソアキコさんから届いていた。前回は、すぐに参加の返事をして、年末のこともあって、あとでどうしても日程調整がつかずキャンセルした。なので、今回は、ちゃんと日程調整をしてから、参加の連絡をした。7月上旬、2泊3日、糸魚川のヒスイ峡を訪ねる旅だ。

これで大丈夫と思っていたら、新しい原稿依頼が。短期連載コラム10回分をまとめて7月中旬まで。かなり自由に書ける。うーむ、これは、やりたい。やるか、やれるか、やれるだろう。やることにする。7月上旬は忙しくなりそうだから、今月中にタップリ飲んでおこう。

でも、いつだって飲んでいるが。けっきょく忙しくても飲むのだ。好きだからね。

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2008/06/17

男は便所で泣く。[書評]のメルマガ は『文藝春秋デラックス』1976年2月号。

なんだか、きょうはグッタリ疲れている。もしかすると、一昨日の疲れが出たのか。にもかかわらず、やや炎天下という感じの外を歩くことをし、おわってのち蕎麦屋で天ざるを食べながらビールを飲んだ。ビールのうまかったこと。

きのう、[書評]のメルマガ が発行になっていた。今回は、『文藝春秋デラックス 美味探求 世界の味 日本の味』1976年2月号を取り上げた。前回は落としてしまったから、チト締切日に急いで書いて、終わり方がハンパのような気がしたが、読み返してみたら、やはりハンパだった。でも、こういう終わり方も悪くはないな…クリック地獄

過去の掲載文は、こちらから…クリック地獄


中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見た。

2008.06.17 Tuesday
真夜中のラッキョづくり。

に、このようにあった。


腰も背中も痛くなり休憩を取る。エンテツさんのブログを覘く。
 https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/
 2008/06/16
 鬼子母神わめぞ駒込大観音水族館劇場のち池袋わめぞ。夢のあとか
 夢のはじまりか、いやさ泥酔よ。

 だれも見ている人はいないが、トイレに入って泣く。フクロウの鳴声が聞こえる。


そういえば、男は、ひとに涙を見せないため、便所で泣くものなのだと思い出した。おれとかの年代は、ガキのころ、そのように育てられた。「だれも見ている人はいないが」と書かれているところをみると、中原さんの年代でも、そうだったのだろうか。涙が出そうになると便所に駆け込む純情な少年の習性。

むかしの便所で泣いていると、汲み取り式だから便壷にたまった小便などのアンモニアの臭気らしいのが立ちのぼり、鼻と目をつき、ますます涙がとまらないのだった。

それにしても、中原さんは、きのうのおれの文を読んで涙をさそわれたのだろうか。だとしたら、そこに書いた千代次さんとの話の成果といえるかもしれない。つまり、思い入れや感情移入を、かなり抑えながら、サラッと書いたほうが、「伝わる」ことがあるということ。しばらく、そのことは考えてみよう。それから、つぎに続くかのような、ハンパな終わり方をする書き方についても。

でも、ラッキョのにおいも、涙腺を刺激するような気がする。

疲れすぎたので、これまで。酒を飲んで元気をつけよう。

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2008/06/16

鬼子母神わめぞ駒込大観音水族館劇場のち池袋わめぞ。夢のあとか夢のはじまりか、いやさ泥酔よ。

Kisibojinきのうは、散歩とビール日和だった。午後。池袋駅から歩き、鬼子母神のわめぞ外市へ。鬼子母神がこんなに混雑したのは初めて見た。地下鉄、雑司が谷駅開業の威力か。

境内の入り口に「文壇高円寺」の荻原魚雷さんひさしぶり、案内されて、わめぞ古本市のコーナー。おおっ、すごい賑わい。武藤良子さん、退屈男さん、旅猫雑貨店金子さん、研ぎ師男と輪王古物女(研ぎ師は包丁をたくさん研いで疲れ切っていた様子)、ホヤホヤの往来座瀬戸さん、えーと、ま、とにかくわめぞのみなさん。

まずはビールだよ、武藤画伯が自ら買いに行ってくれるという、いやあ、画伯をお使い立てして悪いねえ。ついでにみなさんに激励缶ビールをふるまうハメに。画伯は、男のサイフをゆるめるスナックのオンナになれる。激励のココロあらばカネで示さなくては、わめぞは納得しないらしい。武藤さん「エンテツさんは、カネかオンナかといわれたらどちらとります?」おれ「もちろん、オンナ」武藤「わめぞは貧乏人ばかりだから、みんなカネです」。どんどん古本が売れているのに、おれが買いたい本は一冊もない。おれがオカシイのか、まわりがオカシイのか。たぶん、まわりの連中がオカシイのだろうと思いながら、貧乏なわめぞのために一冊だけ買う。

古本市は朝の9時に始まって16時におわる。おれは18時から、中原蒼二さんに誘われて水族館劇場の総打上げに出るのだ。わめぞの打上げは19時からだから、帰りにチョイと顔を出すことにしていったん別れる。時間があるから駒込大観音まで歩くことにする。武藤さんと金子さんの意見では、少し遠まわりになるけど不忍通りを行くのがわかりやすい。教えられたように境内を出て東京音大の手前の路地を道なりに歩く。途中の、まさに1960年代的商店街に旅猫雑貨店がある。護国寺のところで不忍通りに。とにかく歩く。半分ぐらいの17時ごろ、腹がすく。ラーメン食べたいが、飲食店がない。マックがあったので、なんでもいいや入る。

また歩く。ひたすら歩く。駒込のときわ食堂は営業していた、動坂食堂は休み。ようやっと千駄木、古書ほうろうの前。見ると、宮地さんとミカコさんがいる、あいさつ。お2人もあとで来るという。団子坂についたら、もう18時だ。このあいだ差し入れに酒を買った酒屋で買おうと思っていたのに、休み。はて、どうするか、手ぶらで行くのもなんだなと思うが開いている店がない。時間もないから、そのまま、駒込大観音へ。

Suizokukan_7門のところに立つと、あのテント劇場は、9割ぐらいは解体がすんで、境内の全貌が姿をあらわしていた。あらためて、3階はあったであろう、テント劇場の高く大きかったことがわかる。まもなく、ここで名物ほうずき市が開かれ、本格的な夏をむかえるのだ。中原さんは、水道のところで、包丁を持って魚をさばいていた。

光源寺の住職の音頭で乾杯。役者さんは素顔にもどっている。そのまま、わかるひともいれば、わからないひともいる。中原さんの司会で、それぞれテキトウにスピーチ。劇団員は、それぞれ仕事を持っていて、休んで4月からの合宿に参加しここに来ていたのだから、終わるとまたもとの職場にもどる。そういう生活と人生もあるのだなあ。ヒトデ型とはちがうクラゲ型か。

キリハを演じた主演女優格の千代次さんと話をしているうちに、彼女の話から、「表現」と「伝える」「伝わる」関係のムズカシサというか、悩ましいところを考えさせられる。思い入れは大事だし、思い入れがなくてはよい表現はできないが、それと、「伝える」「伝わる」ということは、またちがう。思い入れてなおかつ「伝わる」「伝える」表現のむずかしさよ。てな。清酒を何杯も飲むが、アンガイ酔わない。

Suizokukan_8終了予定の時刻21時半少し前に、中原さんが締めの挨拶。脈拍高く声つまる。片付けに。まだ劇団員や濃い人たちが残って飲む。おれは退出し、池袋わめぞ打上げの酒場へ。着いてみると、ちょうど店からみな出て来たところ。追い出されてオワリだという。朝早くからだったから、疲れて眠いひともいるという。んじゃ、ま、行けるひとで、近い清龍へ。古書現世の向井透史さん、武藤さん、NEGIさん、リコシェさん、退屈男さんウイズ鉄わらじさん。だったかな。ビールだけ飲んでいたように思うが、酔いが急にまわる。23時半ごろまで。

たくさん歩いて、たくさんの人に会って、たくさん飲んだ。

来年も、きっと観たい水族館劇場。


2008/06/07
うそとまことを行ったり来たり。再び水族館劇場。
2008/05/24
水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。


来月も外市があります、わめぞ。

わめぞblog…クリック地獄


そうそう、思い出した、追記。このあいだ武藤さんは個展で大阪へ行ったのだけど、酒場に入ったら、隣におれのようなニオイがする男が2人いたので、「もしかしてエンテツご存知か…」と声をかけたら、「師匠です」と返事があって、おどろいたという。そんなニオイを感じて声をかけてしまう武藤さんもオカシイが、その男たちは酒場部の鴨井岳さんと牧野伊三夫さんだったのだ。なんという偶然。こんど一緒に飲みましょう。

でも、なんだね、数年前、おれが大阪の夜を1人ウロウロしたあげく路地の奥で初めて入った飲み屋に、ナンダロウアヤシゲさんと前田チンくんがいたという、すごい偶然もあるのだから、浮世はわからんものだ。

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2008/06/14

地震、盛岡「てくり」池袋「鬼子母神」わめぞ古本市。厠。

Itinoseki_sekinoiti_dozouきょうの「岩手・宮城内陸地震地震」。震源に近い一関には、4月に取材で行った。世嬉の一酒造の蔵造りのレストランや地ビール工場、みな大正から昭和初期の酒蔵を利用している。建物は大丈夫だとしても、食器類や瓶詰めされた酒類など被害は小さくはないだろう。

先週の金曜日、立ち話でナンダロウさんに「15日、木村さんが盛岡で古本市やるの行きます?」といわれた。そういえば木村嬢が週の半ばから盛岡へ行くといっていたが、それかと思いながら、「えっそうなの、行きたいなあ」といった。古本市は、たいして興味ないが、いまごろの盛岡は、よいにちがいないし、雑誌「てくり」の人たちにも会ってみたい、かなり行く気になった。いろいろあって断念。

盛岡と震源地は距離があるから心配はないだろうし、電話も混むだろと思って、電話はしない。きっと、盛岡のサキさんは忙しいことになっているにちがいない。仙台のナベさんも、心配ないだろう。

「わめぞ」古書現世のセドローくんのはてなを見たら、すぐさま木村嬢に電話して、古本市の開催を確認している。さすがだ。盛岡「てくり」の古本市は、きょうあす。

そのセドローくんのきょうのはてなは、2008-06-14「明日はメトロにのって鬼子母神へ」と、「東京メトロ副都心線雑司ヶ谷駅開業記念祝賀会協賛イベント〈わめぞ〉の鬼子母神古本まつり」の告知。

なにやら、そういうことで、わめぞも鬼子母神も好きだから、あすは行くとしよう。鬼子母神の空気を吸ったことがないひとは、この機会にぜひ。

2006/11/07「池袋辺境徘徊のち西川口いづみや」に書いたが、鬼子母神門前の江戸期の茶屋跡は、10数年前、発掘のときに見た。

わずか1~2メートルの地下に江戸期が埋まっていることも不思議だった。江戸期のトックリ、青絵の皿などが、すばらしかった。発掘されたのをみて、どんな女や客が、これを手にしたのか想像するのは楽しかった。国立博物館なんぞで見るのとちがって、生活の生々しさを感じた。江戸期のニンゲンが、すぐそこで呼吸をしているような。でも、イチバン感動したのは、厠のあとだった。

そこは、いま小さな公園になって、便所がある。ひとは無にかえるが、飲食の道具と便所は残る。くうことウンコすることは続く。どこまでも続くよ、飲食と排泄。ひとはめしをくいクソをしながら、天災人災理不尽不条理を生き抜いて無にかえる。そんなことは知ってるよ、そんなことは知らねえよ。

ああ、酔った。ちかごろ、酒に弱くなったか。それとも、単なる飲みすぎか。世嬉の一酒造の、いちばん古い蔵の画像を掲載しておこう。正面。大正年間の建築で、土蔵造りとしては東北一の大きさだとか。

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2008/06/13

自殺でも他殺でもない忙殺あんど神経衰弱に一服やキモめしキモ酒。

きのう、雨天決行で朝から出かけるつもりだった。でも、寒いうえに雨足がけっこう強い。早朝の各駅で行くつもりをやめ、時間を遅らせ昼過ぎの新幹線にすることにした。すると、フツウの会社の始業時早々に一本の電話。アソビ酒飲むに行くつもりが、とんでもない忙しさに巻き込まれる。きょう、昼過ぎ、やっと一段落。

しかしねえ、ほんと自殺でも他殺でもない忙殺ってのがある。朝7時から夜22時23時までの勤務がフツウの会社員、エライ! か? エライというかなんというか。みな神経衰弱気味だ。「おまえら神経衰弱気味だぞ」というと、「なにそれ、神経衰弱をやっているヒマもありません」だと。「神経衰弱」といえば、ゲームだとおもっていやがる。そういえば、近頃は、なんでも「ストレス」だの「ウツ」だのになって、「神経衰弱」って言葉をあまりつかわないな。

むかしは、疲れてイライラしたり、精神的にマイッタ状態で神経過敏だったりすると、「神経衰弱気味」といったものだ。略して「神経」といったり。カリカリした言葉を浴びたときは、「おまえ神経衰弱じゃねえの」と言い返したり。

ためしに、ブログ検索してみたら、「神経衰弱」って言葉はけっこう使われているけど、ほとんどゲームのそれを意味して使っている。が、なかに、なんと、「ケラリーノ・サンドロヴィッチblog 「日々是嫌日」」の2008年06月10日「報告。」に、「とりあえず、撮影は快調、それ以外の雑務で弱冠神経衰弱気味ではあるが、なんとか元気です」と、タダシイ神経衰弱が登場していた。

そうなのだ、雑務が多いとイライラする。ときには、なんで、おれがこんなことをしなくてはならないのだ、チクチョウ本社のやつらラクしやがって、とか。長時間勤務も、上役や総務のアンシンのための雑務が多いと、ますます神経衰弱度が高まる。「ぶ、ぶっ、ころしてやりてえ」とか口ずさみながら。って、こういうときは「口ずさみながら」とはいわないのだが。なんだか、本社のいらない人材が余計なことするためにふえる雑務、しかもそいつのための給料を提供するシゴトは、余計に神経をイライラさせる。だよな。怨嗟エンサ、エンサコイサッサ、口に出したら首がとばないまでも、左遷が待っている。小さな権力でも、ないとカナシイ。

そういう気分のとき、チョイと一服なんてのは、高まるサツイをおさめるのにいいものかもしれない。が、いまや、それすらも肩身の狭いおもいだ。事務所禁煙にして、会社の清掃費が節約なって、総務の手柄。んじゃあ、酒をのんで気分転換と、23時過ぎに酒場へ繰り出し、やきとり!からあげ!とか、ちょっと気にしてサラダなんか食べたりするが、そのあとラーメンくって寝る。すると、てめえの腹はメタボだといわれる。どうやっても立つ瀬はない。

ひとを殺す神経はない、じゃあ自殺するか。どのみち世間じゃ、ヨワイおまえが悪いというだろう。

パンパカパーン、厚生労働省発表。

厚生労働省が4日に公表した人口動態統計(概数)によると、2007年の自殺者は3万777人で、2年ぶりに3万人を超えた。前年より856人増えた。

 年代別では、50代後半が3802人で最多。次いで60代前半が2893人だった。全体の死因別では、がん、心疾患、脳血管疾患が1-3位だったが、20代と30代で自殺がトップを占めた。

2008/06/04 17:21 共同通信
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008060401000624.html


過労が原因でうつ病などの精神疾患にかかり自殺した(未遂を含む)として、2007年度に労災認定された人が前年度を15人上回る81人と、2年連続で過去最悪だったことが23日、厚生労働省のまとめで分かった。過労自殺を含む精神疾患全体の認定者は3割増。労災の申請は4年間で倍増、過労による脳・心臓疾患の申請者数を初めて上回り、2、30代の若手社員を中心に心の病が職場に広がっている実態が浮かんだ。

2008/05/23 19:56 共同通信
http://www.47news.jp/CN/200805/CN2008052301000554.html


と、ここで、トツジョ、おわる。まだシゴトが片づいていない。すべてのシワヨセを受けてたつ外注。みよ、この無神経。

メールやファックスいただいて、急ぎでない方に、まだ返事してないのがありますが、あしからず。カリカリしないで。順次。

キモめしキモ酒で、気にしない力=貧乏力をつけよう。
とことん、上役に責任転嫁しよう。みな「上」が悪い。小さな権力もないのに自分の「責任」を考えるな。上役を楽させてはならない。
ぐははははは。←神経な笑い。

あっ、おれの仕事、切らないでね、お願い「上役」、おれ神経衰弱なんですよ。
ま、みなさま、あまりカリカリしないで。


(追記)広辞苑5版によると「神経衰弱」とは

神経症の一亜型。神経が過敏となり、思考障害・集中困難があっていらいらし、仕事の能率が上がらず、疲労・脱力感・不眠・頭痛・肩こり・眼精疲労などを訴えるが、他覚的所見に乏しい。

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2008/06/12

暑さにやられる前に飲む酒、とくにビールはうまい。

「エンテツさんと銀杏BOYS(BOYZのマチガイ)の話がしたい」という編集者、あらわれる。おおっ、おれは銀杏BOYS(BOYZのマチガイ)の話ができるほど、音楽も銀杏についても詳しくはなく、むしろこちらが聞きたいぐらいだ。でも、音楽も文学も絵でも写真でも料理でも、なんでも、「感じ方」ということがあるから、それは量や詳しさのモンダイではないからな。ま、おれは、銀杏BOYS(BOYZのマチガイ)のことなんか、このブログに書いたていどなんで、話をしてもそれ以上はカラのケツなんだけど。でも楽しそうだから、よろしく~。

そうそう、倉橋ヨエコが活動休止だそうで、ザンネンと思うおれは、ようするに「やさぐれパンク」のような感じが、好きなのだろうか? わからんな。ま、なんにつけても「気どるな力強く」の「貧乏力」ですよ。

きのうの「めしと刃物」に関係する話。たまたま、新幹線の某駅に着いて、便所でショウベンしようと入ったら、おなじ列車で着いたらしい若い男が2人、ショウベンしながら「東京怨嗟」をやっていた。ちょっと難儀な気分が漂っていた。アキバのニュースを見ながら、それを思い出したというわけだ。憧憬と怨嗟は、紙一重というか表裏というか。憧憬が手に入らないと怨嗟に変わったり。憧憬を手に入れたら、怨嗟なんか、くだらねえ被害者根性という感じで、なかなかそのギャップを埋めるのはムズカシイようでもある。

なんとなく「東京ライフ謳歌マガジン」「よい生活楽しみマガジン」のようなもので、自分が殺人者にならない生活、隣人や同僚を殺人者にしない生活、てなことを「殺人現場」で考える、としたらどうなるかと思ったりした。

アキバ事件の、いろいろな反応を詳しく知っているわけじゃないが、自分はゼッタイ殺人をおかすような人間じゃないとか、自分の周囲にはおかしなやつはいない、自分のまわりはいいひとばかり、という感じの発言がおおいような気がした。あとは天下国家論のようなデカイ話。でも、自分でやれることじゃないと、他人事のオシャベリで終わってしまうんだよな。へたすると、他人の不幸せで自分の幸せを感じる、てなことになったり。自分なりに考えられること、できること。おれは、そこから、というだけで、あんまり「正しい評論」をしたいとは思わない。

ま、とにかく、飲みすぎて。いつも飲みすぎているけど、飲みすぎて文が浮かばないこともある。
なので、これにて失礼。

というような、メールのやりとりなどがあったりで、オワリ。赤ワイン、ビール、焼酎を飲みました。ありがとう。ヨツパライ深夜便でした。

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2008/06/10

めしと刃物。

プリンターを使おうとしたらインクが切れていた。ファックスを使おうとしたら、調子が悪くうまく送信できない。忙しいときにかぎって、こうだ。ま、あたふたしながらも、きのうきょう、校正を片づけ原稿を書き、酒も飲んだ。

バッグダッドでは一般人を巻き込む戦闘と無差別テロが続いていた。首都という「中央」の宿命か。とかく権力機関の中枢施設より人が集まるところで惨劇はおきる。「ひとは石垣、ひとは外堀」というような「軍略」があるとすれば、そこへ向かう殺戮もある。

先週か先々週か、ある地方で東京に対する怨嗟の声を聞いた。地方で、東京という「中央」に対する怨嗟の声を聞くのは、めずらしいことではないが、なんだか「不穏な世情」を感じ、たまたまメールをした誰かに、そんなことを書いた。

東京(=中央)の連中には逆らえない。東京の連中は、こっちに犠牲を押し付けてうまいことやりやがって。東京(東京駅といったのかもしれない)に○○ダンを仕掛けてやりてえよ。若いサラリーマンらしい男の立ち話だった。東京にはない、きれいな空の下で、その空を覆うようなドロドロを感じた。

アキハバラ。仕事をしながらWebのニュースを見たとき、見出しに「派遣社員」という文字が出た。その瞬間、なぜかおれは、川俣軍司を思い出した。そして、よく新聞の活字に「ダメ」で「凶悪」な人間に貼るラベルのように、「臨時」や「作業員」あるいは「労務者」あるいは「土工」が使われた時代が、あの古き良き昭和にあったことを思い出した。おれは、20歳前半に「土方」「臨時」と呼ばれる仕事をした。「仕事は?」と聞かれると、躊躇なく「土方」「臨時」です、とこたえた。このあいだ、ある若い女と酒飲んで歩きながら、「仕事は?」と聞いたら、一瞬のとまどいのあと(恥ずかしそうに)「派遣です」とこたえた。

鮮明に覚えていると思っていたが、川俣軍司のときも、その手の見出しが躍ったような気がして、思い出そうとするが思い出せない。

「江東区森下二丁目」というタイトルで小沢信男さんは書いている。「一九八一年六月十七日の白昼、この歩道が血で染まった。幼稚園帰りの母子ら四人が刺し殺され、病院帰りの老女二人が負傷した。忽然生じた通り魔殺人事件。犯人は血まみれの包丁をかざして、これも通りすがりの主婦一人を人質に、中華料理店万来にたてこもり、包囲する警官隊と七時間余り対峙したのだ」

川俣軍司は、すし職人で、東京のグルメのあいだで有名な高橋(たかばし)のドゼウ〔伊勢喜〕の近く、あのへんは以前はドヤ街だったのだが、そこの「ベッド・ハウス一泊六〇〇円を川俣はその朝払って戸外へ出た。公衆電話で一〇円使って銀座のすし屋に就職の可否をたずねて断られた。残金一八五円。そのまま凶行に走ったのだ」

都営地下鉄線森下駅そばの交差点近く、やはりグルメのあいだで有名な馬肉料理の〔みの家〕の前に、川俣がたてこもった〔万来〕はあった。

「その万来に入ってみる。パイプ脚のテーブルが六脚、片側が狭い畳敷きの、どの町にもある安直本位の食堂だ。中華そば二八〇円、かつ丼四八〇円、スブタ八〇〇円が当店最高のお値段」

川俣軍司は、すし職人で覚醒剤中毒だった。

記憶では、当時は、それでもなおかつ、その事件の「社会的」背景を考えるような、報道をしていたように思う。今回は、なんだか「社会問題」とりわけ「派遣制度の問題」にしたくないような、報道の姿勢を感じる。ようするに、個人、アイツが悪いのよ。

それもいいだろう。だけど、コンニチの「社会」と「個人」は、どんな事情があったにせよ、それほど無関係ではない。なるほど包丁を持って台所に立つのはワタクシだ。しかし、社会的関係で入手できる材料がなくては、あるいはライフラインがなくては、一つとして料理をつくることはできない。その材料やライフラインを得るためには、働いてカネを得なくてはならない。水道電気を止められ、餓死したひともいるではないか。めしをくう(生きる)とは、そういうことなのだ。そういう面を、最初から無視してかかる姿勢は、バランスを欠いているし、なんらかのコンニチの「中央」?の意図を感じる。

それほど簡単に結論が出せることじゃないから、アレコレ考えようというのに、あらかじめ、ある方向についてはフタをする、ある結論に導こうとする。おかしい。もちろん、いきなり、「格差問題」ってのも、バランスを欠いている。

ともあれ、おれの関心は、たとえば『東京人』や『散歩の達人』といった雑誌が、こういう事件を、どう扱うかみたいと思っている。扱わない可能性は大きいが、それは片手落ちというものだろう。

こういう事件のときは、とかく「事件」を論じる、そして簡単に「戦後民主教育」に責任転嫁したりするが、デハ自分が明日から、どうすべきかと考えたときに、おれは、自分が『東京人』や『散歩の達人』のような雑誌で、この事件を扱うとしたらどうするかを考え、そのことを日々に生かしたいと思う。もちろん、その雑誌は、『クウネル』でも『天然生活』あるいは『暮らしの手帖』でもよいのであるが。それが、こういう事件が起きにくい社会に近づくために、自分が考え、できることかなと思う。それが、自分としてできる、死者への弔いだと思う。

いま引用した小沢信男さんの掌編は、『いま・むかし 東京逍遥』(晶文社、1983年)に収録された、「東京散歩三話」のなかの「江東区森下二丁目」だ。なんといえばよいのか、専門的な表現は知らないが、文学的直感なり小説的手法で、現実に迫った、すばらしい作品。

もしあの時代がよかったとしたら、こういうタイトルで、こういうことを書ける場所(メディア)があったことであり、また書ける作家がいたことだと思った。(小沢さんはご健在で、そして、まだ無差別殺人は起きているのだけど。)

いまどきの「東京逍遥」や「東京散歩」のたぐいの脳天気を思い起こしてみよう。そういう東京の驕りと、地方の怨嗟のギャップが気になる。

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2008/06/09

深夜のコメント「生活優先主義」。

目が覚めて、酔って書いた記憶のあるコメントが気になる。自分のブログならよいが、ひとさまのブログへのコメントだ、おかしなことを書いて、「酔ってました」ではすまされない。で、気になってみたら、例によって、正気のときよりマットウな書き方をしていて、アンシンした。

いまこのブログのトラックバックは、スパンが多いので、受け付けてチェックしてから公開するようにしている。毎日ではなく、ときどきチェックしている。で、深夜に見たら、→右サイドバーに公開したように、「書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う (月刊「記録」編集部) 」というトラックバックがあった。

これは、月刊「記録」という、とてもマジメという以上にキマジメな雑誌の編集部のブログだ。知人の塩山芳明さんがイッチョカミして連載を持っている。

その雑誌が送られてきたとき、このブログに書いた。

2006/10/03「ヒマとカネのあるひとは塩山芳明と南陀楼綾繁のケツをねらえ」

そこに、「きのうだったかな?漫画屋総指揮の塩山芳明さんから、「記録」が送られてきた。ウワサでは聞いていたが初見の月刊誌、わずか16ページで定価480円のブルジョワ誌。」と書いている。それに対するトラックバックなのだ。

先方さんは、こんなぐあいに書いておられる。


2008年6月 7日 (土)
書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う

…とひととおり心の中で罵倒したあと、16ページ中綴じ480円の月刊誌を出している私たちが言えた立場ではないことに気づく。一部では「ブルジョワ誌」とか言われてるし。ホントごめんなさい。
(以下、略)


このブログのタイトルは「月刊「記録」編集部」で、サブの説明に、こうある。「現代社会をナナメ斬り。社会の矛盾を死角から日々つつきます。強気の編集長と弱腰の編集部員に乞うご期待。」

おもわず「強気の編集長と弱腰の編集部員に」笑った。ホント「弱腰」のようだ。でも、これからは、「弱腰」は大切だと思う。なんについても、「強気」は、かっこうよいかも知れないけど、それだけでは解決にならないどころか傷口をひろげかねない。「強気」だの「辛口」だのは、高度成長期からバブル期のもので、まだあのころの「中流幻想」にとらわれている姿ともいえる。かといって「弱腰」ならよいというわけじゃないが、「強気」がかっこよく思われて幅をきかしている中では、「弱腰」も大切だということだ。

ま、とにかく、酔っ払いのおれのコメントを、ここに転載しておく。


どーも、トラックバックいただきました、「ブルジョワ誌」発言のエンテツです。

いまや、出版するのも本や雑誌買うのも、余裕のあるひとのことですねと思うことしばしば。でも、まあ、がんばってください。

「ロスジェネ」なんて言葉、アサヒが言い出してから、とくにくだらなくなりましたね。ま、日本のマスコミなんか、ひとさまのフンドシで相撲とっているようなものだから、本質なんかどうだっていいのでしょう。

『記録』も、やや「政治主義」が見られますね。これからは右や左や真ん中の政治だの党派ではなく、「生活優先主義」じゃないといかんかなと、ワタクシは思っています。

アナタノ生活ヲ大切ニ。酔ってますが正気です。ご活躍を。

投稿 エンテツ | 2008年6月 9日 (月) 01時40分


「生活優先主義」という言い方は、イマイチ現実こなれしてないように思うが、「政治優先主義」と「消費主義」に対するアンチ概念でもある。

ついでに。「ロストジェネレーション」について、2008/01/24「年賀状統計、ロストジェネレーション。」に、こう書いている。「で、そうそうタイトルの「ロストジェネレーション」だ。「ロストジェネレーション」といえば、ヘミングウェイやフィッツジェラルドだと思っていたら、昨年あたりから? アホな朝日新聞あたりが言いだしっぺなのか、いまの日本の20歳代中ごろから30歳代中ごろを、そうよぶらしい。じつにエンテリマスコミのインチキくさいもので、とても正気の沙汰とは思えないけど、」

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2008/06/08

むかしを振り返ってばかりの走馬灯の日もある。

きのうは、そうだった。思い出ばかり。

渋谷では、井の頭線わき恋文横丁側の路地からスタート。入ろうと思っていた店は開いていなかったから、テキトウに「オープン」な飲み屋に入り生ビールぐびぐび。飲みながらあたりの景色を見ても、ほとんど建てかわっているが、60年代の渋谷といえば、西村のパーラーなんぞで、うふふのなんやらかんやら始まり、70年代80年代を思い出し、んじゃ、ついでに歩いてみようと、恋文横丁から百軒店、東急本店前の江原恵さんと「しる一」をやったビルの横から宇田川町あたりをウロウロ。

60年代は、あまり渋谷では飲んでない。後半にときどき行った店が「玉久」ぐらいか。70年代は、センター街のバー「門」に、よく行った。こちらは、たいがい男たちと。それからパルコができてスペイン坂なんていうことになってしまった、その坂の下にあったバー、こちらはたいがい女がいるとき。建てかえてコジャレタ店になり、ガキどもがウジャウジャいるバーになってからは行かなくなって名前忘れたが、そこもよく行った。どちらも建てかわって、むかしの面影はない。ま、それではと、よく夜明けを迎えた桜ヶ丘まで歩くと、原宿と方角ちがいなので、ハチ公前の交差点からガードをくぐり明治通り、東急イン側を原宿方面へ向かう。

見つかりにくいバー祖父たちの看板がある。地下におり暗いドアーを開けると、開いたから中に入る。おおっ、もう70年代のまんまだよの薄暗い空間に、客は一人もいない。開店しているというので、長い渋い木のカウンターに座る。目の前には、古びたレコードジャケットがズラッとならんで、たしか70年代には、そのジャケットも新品同様の輝きだったと思うが、いまやカウンターや店の雰囲気にあった、渋い寂れぐあい。

びんビールからハーパーロックに飲みつないでいるあいだに、おねえさんがレコードをかける。ややカントリー調のロック、がんがん。ああ、もう、まいっちまうな。この店でのことが、つぎつぎ思い出される。まさに、走馬灯のよう。

原宿へ向かう途中も、わき道に入ったり。このあたりは、1980年代に千駄ヶ谷に住んでいたころ、よく歩いた。原宿は、かわったようで変わらない。もともとブランドショップな街なのだ。前を歩く若い女が、サンダルの調子が悪いらしく、屈んで直す、そのたびにパンツが見えるので気になる。追い越そうと思ったけど、そうもぜず何度か見てしまったが、とくにどうってことなく。神宮前交差点、キティランドの隣のシェーキーズ。ここは、たしか1号店で、できたばかりのころよく来た。最初のころは、木造の二階建ての二階で、階段をギシギシいわせてあがった記憶がある。勤め帰りらしいスーツの上着を手に持った若い男と女。女が「放尿したい」という。男が「そんな言い方するのか」女「あら知らないの、そうよ」。いまどきの原宿の女は、そうなのか。でも、いいなあ「放尿したい」、こんど使おう。でもジジイが言ったのではだめかも。

原宿ラフォーレミュージアム。着いたら階段に列ができていて、こんなに集まるイベントなのかと、おどろく。若いクリエイターたちの群れ、という感じ。入場券を整理券にかえ、列に並ぶ。会場は2百数十名といったところか、満杯。まなべさんに聞いて、そこで、コンペなのだとわかる。右サイドバー→前のエントリーのコメントにも書いたが、「若いころのCMづくりを思い出して、なんか燃えたり、いろいろ考えることが多かったり、トシを感じたり」した。

たしか、もう80年になろうという70年代だったか。よくコンペに参加した。クライアントが主催のコンペはもちろん、コンクールイベントも毎年参加した。コンペは参加しだすと、あの血の騒ぎがクセになる。うふふふ、けっこう勝率もよかったし、一時は、あけてもくれてもコンペだったね。その業界では最高権威のコンクールイベントで、おなじ年に特別賞5部門だったか、そのうち、たしか2つ、10位以内入賞1つとって一気に名をあげたこともあるね。広告PRなので、受賞そのものはクライアントだけど、名前は印刷されたりで知られるから。そのうちの一作品は、渋谷にあるクライアントの博物館で見ることができる。ま、業界内イベントだから、たいした自慢にはならないが、やっている本人にしてみれば、コンペは緊張するし楽しいし、通ればうれしい。受賞しなくても、やはり腕試しにはなるし、得がたいベンキョウになる。

ああ、あのころは、よく「勝負師」のようにやったもんだ。なんてのかな、コネとかは使わずに真正面から勝負してやろうってな、生意気もあって。だけど、けっこう体力も知力もいるから、若いときじゃないと、コンペを多くこなすことはできないね。ま、とにかく、20歳代が圧倒的に多いクリエイターたちの熱気のなかで、またまた走馬灯がグルグルまわった。

で、新宿ゴールデン街Mバーでは、隣の男が、といってもほかの客は帰って彼とおれだけになったのだが。彼は30歳チョイ前、初めてMバーに入ったということだが、新潟市の出身なのだ。で、いきなり新潟の繁華街(だった)古町の話になった。おれが知っている古町は、おれが高校生の1960年ごろ、いちばん華やかなりしころ。彼の高校は、その古町のすぐ近くで、だけどすでに衰退の色濃いころ。そして、話は、60年代70年代80年代の新宿のことになった。

フラッと一人で、ゴールデン街の初めての店に入る男だから、という言い方は偏見があるかも知れないが、それなりに初めて同士でも気持よく話しができる。サラリマーンで転勤生活の経験もあり、おれもアチコチうろうろしたから、その先々のむかしといまや、Mバーの美女の故郷の話もまざって、各県の「美女度」に話しがとんだり。だけど、とくに自分が生まれていないか子どものころの、70年代80年代というのは興味があるのだという。

なぜか、まったく知らないが残滓が、ところどころに見られる60年代や70年代が、かなり魅力的におもえるらしい。ナルホドと思いながら、聞かれるままに、ゴールデン街や歌舞伎町の60年代70年代80年代を話しているうちに、こっちの頭の中は、すっかりその時代になってしまった。またもや、走馬灯が、まわるまわる回転木馬。そしてチョイと一杯のつもりが、ビールのちバーボンロックを2杯もやってしまって、23時半になってしまったのだ。おれが若ければ、その男を連れまわし新宿の飲み屋で朝を迎えるところだった。

ゴールデン街の花園側の入り口で、いつもの婆さんが、そっとささやくようなやさしげな、つくり声で、客を引いていた。カップルの男がジロジロ見ると、態度が変わり「なにジロジロ見てんだよ、見世物じゃねえよ」と、悪態ついた。カップルはギョッとした感じで足早になる。ま、これが、つまりその、60年代であり70年代80年代90年代であり、そしてイマなのですね。

そんな日もある。

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渋谷、原宿ラフォーレ、新宿ゴールデン街Mバー。

もうきのうのことになった。目的地は、原宿ラフォーレ。天気よかったので、ついでに渋谷へ。2軒で呑み。バー祖父たちが健在でうれしかった。おれが1970年台80年代に呑んだ渋谷のバーで、そのまま残っているのは、もはやここだけだろう。

歩いて、19時45分ごろ、原宿ラフォーレミュージアム。

きのうのエントリーに「オオクラさん+まなべさんの新しい仕事。えーと、どこのだったかな、日清?だったかな、とにかくコマーシャル作品が、きょうラフォーレミュージアム原宿で行われる「Biz-R」のイベントで公開される。次世代を担う新進気鋭の監督のショートフィルムが終結するそうだ。」と書いたが、酔っていたときの話がもとのせいか、これは、混乱している。

かといって、会場でもらった資料の文章も、わかりにくい。「Biz-R」のイベントというのは、ようするに「アジア最大級の短編映画祭SSFF & ASIA 2008と、映像クリエイター支援のための会員制コンテンツバンク"Biz-R"が夢のコラボレーション! 新進気鋭のBiz-R登録クリエイターが創作した、まさにショートフィルムの進化系ともいえるストーリーWEBCF(Commercial Film)を一挙特集!!テーマは何と、"SSFF & ASIA"!!……」と長々続く説明は、要領の悪いことこのうえない。

ようするに、SSFFつまりカタカナにすれば、ショートショートフィルムフェエスティバルのアジア大会つうのがある。それとコラボして、「Biz-R」が会員クリエイターによる"SSFF & ASIA"をコマーシャルする作品のコンテストをやる。ということなんだよ。

CGアニメーション部門と実写部門にわけて、ここがまたよくわからんのだが、単なるエントリーなのか、事前に何か審査があって選ばれたのか、前者5作品、後者4作品のコンペジションというわけだ。

そのCGアニメーション部門に、わがオオクラテツヒロ監督+まなべゆきこ脚本の作品が、登場したのだよ。

で、実写部門の審査員の一人が、日清カップヌードルやサントリー伊右衛門シリーズなどのCMで有名な「カリスマCMディレクター」中島信也さんである。そのへんの話しが、おれの頭の中でこんがらがっていたのだな。

とにかく、それで、CGアニメーション部門の審査員は、「「秘密結社 鷹の爪」の生みの親」フロッグマンさんと街田しおんさん。そして、実写部門は中島信也さんと松下奈緒さんなんだ。

1作品3分のしばり。部門ごとに最優秀賞1作、会場の観客が選ぶ観客賞1作。わがオオクラテツヒロ監督+まなべゆきこ脚本の作品は、残念ながらハズレ。うーむ、おれの印象としては、技術的にはかなりのレベルだったと思うが、テーマである"SSFF & ASIA"をコマーシャルする訴求力が弱かったのではないかと思われる。もっと表現的に、"SSFF & ASIA"を強く出したら、受賞まちがいなかったのではないか。

しかし、このコンペ、みな若いクリエイターなのに、すごい。刺激的だった。実写部門の小野寺昭憲さん(1980年生まれ)なんぞは、けっこうヘビィな作品だったが、「しゃんしゃんしゃんで終わるものにしたくなかった」なんていった。中島信也さんも評していたが、そういうセリフは、よく年寄りからは聞くけど、こういう若い人がいうってのは……おどろきだった。

そして、22時ごろ終り。お2人と挨拶して。帰り、新宿ゴールデン街のMバーで飲んで、23時半すぎまで。北浦和に着いてから、あいていた中華屋で生ビール。ビールがうまい日で、ぜんぶで何杯のんだか。ああ、帰ってきたら今夜も午前1時半。

なぜか、いま午前2時半すぎ。疲れた。

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2008/06/07

うそとまことを行ったり来たり。再び水族館劇場。

Suizokukan_5きのう。またもや、水族館劇場公演「Noir永遠の夜の彼方に」を観にいった。天気がよかったので早めに出て、生ビールを一杯やって会場の駒込大観音へ。開演一時間前の6時ごろ着く。

門のところで、先夜遅くまで自宅にお邪魔して飲み食い楽しんだ東池袋の研ぎ猫さんが研ぎをやっている。境内に入ると、舞台になるレトロな銀杏堂写眞館のそばで一箱古本市を開催の、古書ほうろうのミカコさんがいる。公演にあわせて「水族かんのん楽市」をやっているのだ。生ビールもありますよといわれ、また一杯飲む。きのうまで雨だったが、晴れて蒸し暑いぐらいで、明るいうちに野外で飲む生ビールはうまい。南陀楼綾繁さんもあらわれ、生ビールを飲み、公演が始まる前には、一箱古本市の片付けなどをやっていた。

19時ごろ、銀杏堂写眞館の舞台から始まる。いきなり、前回初日に観たときとちがう導入。中に入ってからの舞台も、けっこう書き換えられていた。構成もセリフも変わっているところがある。銀杏堂写眞館のところにあった鏡の役割、物語の入れ子構造というか表裏というか、それぞれ鮮明になり、うそとまことを行ったり来たりの物語の構造が、より一層わかりやすくなっていた。

役者は、すっかり余裕という感じで、せりふを忘れても動じず、それすらも芝居にしてしまう。てきとうにギャグもとばし、楽しんでやっている。それが芝居全体のふくらみというか厚みをつくってるようだった。じゅうぶん楽しめた。

詳しくは、すでに書いている。
2008/05/24「水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。」
この公演は、いま最終週で、きょう、あす、あさって9日でおわる。お見逃しなきよう。


Suizokukan_6終わって、その場の打ち上げに参加し、中原蒼二さんたちと飲む。脚本の桃山邑さんを紹介される。中原さんの話によると、やはりかつてのアングラのイメージ、どろんどろん情念の表出や絶叫などを期待するひとがいるのだそうだ。おれは、そういうのは、あまり好みでないので、この感じがよい。とか。

CG分野のプロデュースとグラフィックデザイナーで、目下メキメキ売り出している、オオクラテツヒロさん。シナリオライターのまなべゆきこさん、あんどハーフレンドでクラシックバレリーナあんどフランス革命ベルばら時代オタク?フリーライターの松尾智子さん。一緒に飲む。まなべさんと松尾さんは、OL時代からの飲み友で、かなりの酒豪かつ松尾さんの飲むピッチはかなり早い。

きょうは、酒の話はやめて、かれらの仕事のことにしよう。

オオクラさん+まなべさんの新しい仕事。えーと、どこのだったかな、日清?だったかな、とにかくコマーシャル作品が、きょうラフォーレミュージアム原宿で行われる「Biz-R」のイベントで公開される。次世代を担う新進気鋭の監督のショートフィルムが終結するそうだ。19時50分から21時40分まで。1000円。今夜、会いましょう。

まなべさんのご主人、熊沢尚人監督の作品、いま30代40代のオンナたちが狂喜する若い男の裸もタップリ楽しめる映画、「ダイブ」が6月14日からロードショー。これ、角川文庫創刊60周年記念作品第一弾だそうだ。

松尾さんの連載「ベルばらkids」は、まだ見てないから、見てから紹介する。

けっきょく23時半ごろまで飲んでオシャベリ。この時間に帰ると、京浜東北線はラッシュなみの混雑で疲れる。酔いも深まり、帰り着き倒れるように寝てしまった。

ま、人生は、「うそとまことを行ったり来たり」というか、うそとまことのあいだにあるというか。料理や味覚も、そういうものだということですなあ。

いじょ。

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2008/06/06

「荒っぽい料理」の楽しさ。

Yakisoba_hatinohe『汁かけめし快食學』に中島梓さんの「あらっぽいおひる」を引用している。「汁かけ飯というのはやっぱり味噌汁ぶっかけご飯にとどめをさすわけですが、そういう「あらっぽいおひる」とかって、しばらく食べてないもんな」…と、このあと続くのだが。

やきそば、なかでも、大きな鉄板の上で一度に大量につくるやきそばを見ていると、これは「荒っぽい料理」だなあと思う。「繊細」を「上」とする価値観からすると、「荒っぽい」なんていう形容は、マイナス評価を意味するかもしれないが、それは「偏見」というものだ。

荒っぽさには荒っぽさのよさがあるし、見かけは荒っぽくても、じつに細かな心配りをしているのがフツウだ。むしろ、荒っぽさと繊細の紙一重のあたりを行ったり来たりしながら作っているのではないかと思う。

とかく「どちらがよいか好きか」と二者択一にわけて、一方がよくて片方がわるいという荒っぽい評価をくだすが、料理をみていると、そんなことは観念のアヤマチだと思う。

とはいえ、荒っぽいことを荒っぽくやるひとはいる。すると、やはりチョイと出来がイマイチだなと思うことがある。そんなときほど、荒っぽさと繊細のあたりを行ったり来たりしながらが、意味があるように思う。

画像のおばさんは、見ているだけでも楽しかった。大きな荒っぽい動きのなかで、コテと菜箸のさばきが細やかというか、そしてときたまする火加減のための身体の動きなどが、そのう、ま、とにかく見ていて楽しかった。ご本人も、とても楽しそうにやっていた。早朝の寝不足と二日酔い、それに少し食べたあとだったので、食べなかったが、うまそうだった。

蕎麦打ちなどは、どうだ! という感じでご本人が役者かなんかになったようなつもりのパフォーマンスを展開することがあるから、こちらも付き合って鑑賞してやるが、やきそばのばあいは、あまり注視したことがなかった。これからは気をつけよう。

4月13日、八戸漁港の朝市で。

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ブログという不完全なワタクシと文章のさらし。

何かを書いて人に見てもらうのは、自分の恥をさらす行為だ。だから、それなりのカクゴがいる。

その覚悟のためには、印刷媒体のばあいは、自分は「残る」印刷物にものを書くのであるという、意識過剰が働く。という見方が成り立つのではないかと思う。とはいえ、恥をかかないですむには、それなりの「立派な」文章を書かなければならない、そして書いて印刷された結果、おれは印刷物に載るような「立派な」文章を書ける人間であるという、これまた意識過剰を持つ。これだけでも、ダブル意識過剰だ。

一方、その恥をよく知り、その恥を越えられない人は、なかなか人の目にさらされるような文章を発表しないし、できない。「恥」の意識過剰が邪魔をするのだ。恥をかきたくないという気どりもあるかもしれない。

どちらにせよ、書いたものを発表する、そのことで「注目」される自分を過剰に意識している。
そういうことになった、日本のブンガク的土壌については、この際モンダイにしないにしよう。

でも、一つだけいえば、そのブンガク的土壌がもとにある、印刷された文章というのは、かなりタイトな条件によって、成り立ってきた、というか、権威を維持してきた。「編集」なんてのは、そのために機能してきたようなものだ。それが、つまりは、「新聞を中心とした活字媒体をきちんと読む習慣の重要性」なんていう、チャンチャラおかしいことを、新聞社が自ら述べる事態につながっていると思う。これほどの恥さらしはないと思うが、自らの意識過剰のなかで酔ってしまっているようだ。いまのおれが酒に酔っている以上に酔っている。酒代を払わずに酔えるなんてウラヤマシイ。そして「本を読む重要性」を説く出版社や編集者なども、同じウンコのなかのウジ虫なのだ。ある種の「ブンガク利権」「出版利権」の姿ともいえる。たいがいの利権というのは、参入の条件を難しくし、掌握することで成り立つ。

ところが、ブログというのは、文章を用いるが、たいがい編集者はいない。自分の自由である。自由に、自分の恥をさらせる。つまり、自由に不完全なワタクシと文章を発表できるのだ。だから、そんな恥はさらしたくないと、なかなかブログを書かないひともいるかも知れない。なにしろ、ブログは、それ自体としては「新聞を中心とした活字媒体をきちんと読む習慣の重要性」を主張できるような権威はない。いやあ、ワタクシの書くものなんか、そんなこといえるスジアイのものじゃないですよ、という感じのところで書いているひとも少なからずいるだろう。

ま、ひとのことはいいや、おれは、「ブログという不完全なワタクシと文章のさらし」こそ楽しいと思っている。ブログに移行したころは、よく文章の最後に「どうでもよいことだけど」をつけていたし、そういうふうに読んでもらいたいと書いたりした。ようするに思いつきアソビだ。かしこまることはない。カタク考えることはない。お手軽お気軽。

重要性なんかないのだ。どうでもいいことを書いている。だけど重要であり、どうでもよくない関係。いまは、そういう表現が必要な時代のような気がする。あの「新聞を中心とした活字媒体をきちんと読む習慣の重要性」を主張する権威主義的な文章の世間から脱却し、「生きる真実」に近づくためにも。

ある種のタイトな条件にもとづく完全なカタチと内容を持った、なにか一つの著作物や、一人の著作物や、一つ学会の、印刷された文章では世界を捉えきれなくなった。そういうものが不要というつもりはないが、新聞だって「新聞を中心とした活字媒体をきちんと読む習慣の重要性」なんていえる時代ではないはずだ。

むしろ、不完全のまま接しあい、不完全であるがゆえに、誤解やら摩擦やら紆余曲折があり、あるいは新鮮な視線や、腐ったココロもあり、不気味な言動もあり、みなが自分は正しいと思って書くのかも知れないが不完全で、その不完全を寄り集めてみると、なにかオモシロイことが見えてくる。そちらのほうに「正しい」ことがありそうな感じ。そもそも生活や街というのは、そういうふうに成り立っていると思うのだが、そういうものにイチバン近いのがブログだと思ってきた。

いま「思ってきた」と書いたが、不満があるのだ。もっと、ポッと思いついたときに思いついたことを、この不完全な自分のままに一行からでもよい書きたいという気持がある。いま、こんなことを書くと、アイツはどう反応するかなと気になったら、その一行をスグ書けるとか。そういうふうが、より不完全なワタクシと文章のさらしになってオモシロイかなと思っている。そして、これもまた「気にならない力=貧乏力」をつけるためになるかもしれない。

そういうことが可能らしいと思えるものを見つけたのだが、まだ仕組み全体がおれのアタマでは把握できない。
こういうの。
http://twitter.com/klov

午前1時半ごろ。もちろん酔ってます。どうでもよいことを書きました。

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2008/06/05

守秘義務。

呑みのとき、「文献調査」という肩書の人とアレコレ話した。マンガやアニメやテレビ番組などの制作のために、作者や制作者が必要とする文献調査などをやる仕事だ。そのとき、守秘義務のことになり、最近は、あらゆるところで契約が厳しくなっているのを感じた。

で、先日書いた「ロクデナシ作戦野狐編」にからむ契約書が送られてきて、見たら「守秘義務」の項目があって、じつに細かい。そのうえ違反した場合の金銭にまでふれている。ま、たしかに、違反したばあいの罰則がなければ、意味はないのだけど。かつては「信義」の確認みたいなもので、どちらも守秘義務違反なんかしたら損するからありえませんよネという感じの暗黙の了解を前提としていた。だいたい、契約書だって、いい加減だったのだ。

しかし、厳密になるのはいいが、クライアント側の義務や責任はアイマイだ。日本の契約は全般的にそういう傾向があるように思う。「弱い立場」の方が不利だ。対等でない。万一、クライアント側の責任で情報がもれても、おれの責任になっちまう可能性だってある。厳密にやるなら、厳密に対等にしてほしいね。そもそもだよ、クライアント側がキチンと計画通りにやらなかったときのおれの損害は、どうしてくれるんだ。と、ゴマメの歯軋りでした。

深夜に酔っ払って、うっかりここに書いたら大変なことになるから、気をつけよ。もちろん、「ロクデナシ作戦野狐編」は、おれの勝手な呼称です。守秘義務違反にあたりません。しかし、2008/03/12「義理人情とイイカゲンがよいのに、仔細になる契約」にも書いたが、なんでも契約書だけ厚くなって、弁護士事務所が儲けるだけじゃないか。もっと、簡潔明瞭で、わかりやすい日本語を書け。

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ババをひいたとき。

ブログや情報誌を見て、アンシンの飲食店を選ぼうとするのは、なぜか。

ハズレの店に入ってしまうババをひきたくないから、ということがあるようだ。ようするに「失敗」をしたくない。失敗がいやだからとか、めんどうだからと、恋愛や結婚にも積極的になれない男もいる(女にもいるかもしれないが直接は知らない)。

しかし、ビジネスの世間では、よく「失敗を恐れるな」といわれる。ま、たいがい言っている本人は安全なところにいて、誰かをけしかけているのだが、飲食店選びごときで失敗を恐れる大勢に、「失敗を恐れるな」なんていう煽りが通用するはずもなく、いまや日本経済全体が退嬰と閉塞のなかで自壊しそうだ。「失敗を恐れるな」と言っている本人が、まずやってみせればよい。そんなことあり得ないから出世できたのであるが。

外食本などには、よく飲食店の外観から、よい店かどうかを判断する「方法」が書いてある。ほとんどアテにならない。

消去法で、「なるほど」と思ったことがある。2006/04/26「横須賀風呂会泥酔鎌倉泊熱海よれよれ中野の夜」
の、横須賀でのことだ。このときは、銭湯を出て、早く呑みたい一心なのに、なかなかみなが気に入る酒場がみつからず、ウロウロ探し歩いた。ときには、戸をあけて中に入ったのに、一行の一人がダメ出しをするから、ゴメンナサイまでした。

そのとき、瀬尾さんが、「出入り口の周辺に材料を置いているところは絶対イヤ」といった。厨房の出入り口や店の出入り口の外に、とくに仕入れの野菜などが積んである店だ。それは「食べ物を粗末に扱っている」ことなのだそうだ、だからイヤだと。料理研究家らしい一言だと思った。そういうのは消去法としては成り立つだろうと思った。ただ、そういう店を除外したところで、ほかにたくさん残る、アンシンの店を選ぶ基準としては、万全ではない。

そもそも、ゆきあたりばったりで、アンシンの店を選ぶ基準などないから、ブログや情報誌が重宝がられるのだろう。

すると、いつまでたっても、「ババをひいたとき」どうするかということに考えがおよばないし、対応が身につかない。貧乏人のくせに、けっこう選んでいる。これでは「気にならない力=貧乏力」はつかない。

まず「ババをひいたとき」どうするかだ。って、そんなマニュアルなんかありゃしないが。競馬で10レース全部すったときを想像してあきらめるってのは、現実的じゃない。

でも、あきらめてはいけない。「気にならない力」だ。料理がヘタだっていいじゃないか。性格の悪い女とだって楽しめる方法はある。いや、例が悪いか。「美人」じゃない女とだって楽しめる方法はある。いや、これじゃ、ますます例が悪いか。不機嫌な女とだって楽しめる方法はある。不機嫌で料理がへたな女とだって楽しめる方法がある。ちがうな。性格が悪く料理がへたで女だと思ったのに、じつは男だったというばあいでも楽しめる方法はある。うーむ、どうも例が悪いなあ。頭脳が貧困なので、よい例が思い浮かばない。

ちょっと考えておこう。とにかく、「気にならない力」「楽しむ力」があれば、「失敗」なんてことはない。

そもそも自分で地元で探すというプロセスからして楽しい。それでも、どうにもこうにもマズイものを食わされたとか、不愉快な目にあったときに、どうすると楽しめるか。

まず、念のために勘定をすませる。それからトイレに入る。ウンコをする。ウンコがすんだら紙でケツをふく。ふいた紙は、便器に落さないで……、ま、これぐらいで、きょうはやめておこう。東陽片岡さんの漫画には、気にいらん大家の家を出て行くとき、キレイに畳を掃除した上にウンコをしていくというのがあった。漫画だけどね。

生きるも死ぬも冗談なら、飲食も冗談なのだ。ニンゲンのやること言うこと、みんな冗談なのだ。気にすることはない。ところが、とかく客のほうが気をつかいすぎるというか気にしすぎる。もっと出たとこ勝負をズウズウしく楽しんだほうがよい。

気などつかわず、あるいは気をつかったフリして、いろいろチョッカイだしてみたり。相手が不機嫌だったら、なお不機嫌を演出したり。くえないほどヒドイ料理には、店のあらゆる調味料をかけたり。

ただし、いつでも逃げ出せるように。
こんな記事があった。

悪質客引き減ったが… 閑古鳥なぜ鳴くの 郡山
6月3日14時29分配信 河北新報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080603-00000015-khk-l07

 中心部繁華街での悪質な客引き「カラス族」を一掃しようと、福島県郡山市が客引き勧誘防止条例を4月1日に施行して2カ月が経過した。客引きは施行前の1割以下に激減するなど大きな成果を収めている。一方、客引きが姿を消すと同時に客足も落ち、「街がさみしくなった」と感じている関係者も少なくない。厳しい規制を敷いた条例が折からの飲食街不況に追い打ちを掛けた可能性も指摘され、関係者は頭を悩ませている。(郡山支局・石川威一郎)

笑った。まだけっこう出たとこ勝負の男たちが、こういうところにいるのだな。歓楽街の「悪質客引き」は、たいがい、カネになりそうにない男には無害だ。おれの体験では、札幌すすき野や歌舞伎町や池袋北口あたりの客引きは「地元の情報源」だ。といっても、彼らの店に引かれるのではない。ま、たとえば「あまり手持ちがないのだが、2000円ぐらいでうまく呑める大衆酒場がこのへんにないかね」とか聞く。 そのように「利用」しているひとは、けっこういる。だから客引きがいなくなれば、余計、閑古鳥が鳴く。そうそう、焼肉屋を聞くなら、彼らがイチバンよいと思う。ま、そういうこともあるということ。そもそも客引きだって「街の賑わい」だ。「悪質」だから一網打尽にすればよいなんて短絡しすぎ。

ついでに、左サイドバーのリンク「旅人文化ブログなんでも版」では、最近のエントリー「旅の準備を任せきりで。。」で、まりりんさんが、こんなことを書いている。

「とにかくそこに行ってから宿でも何でも探して決めるっていうスタンス」「地元の宿の人に紹介してもらったほうが面白い人が見つかるだろうとか、そういうことって旅人としては普通の感覚ですが、文字などの情報を頼りに旅行をすることが当たり前のようになっている雰囲気の現代では、実は少しだけ違う部分なのかなとちょっと思いました」「でもそうは言っても、失敗する可能性だっていくらでもあるから、友人と一緒という場合にはちょっとだけ緊張しますね。本当なら失敗って言っても旅なんだから失敗も何もないんだと思うのですが」

この最後、「本当なら失敗って言っても旅なんだから失敗も何もないんだと思うのですが」。これは旅の例だが、外食も一つの旅と考えれば、あてはまる。

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宵に酔い、酔い深く「酔っぱらいは何ひとつ学ばない」。

先日も書いたが、ちかごろアルコールへの依存が深まった感じがする。でも、これは「アル中」であっても、アルコール依存症ではないかも知れない。

おれは、アル中とアルコール依存症は同じものかと思っていたが、チョット前に一緒に呑んだひとが、ちがうというのだ。アル中は、呑みだすととまらないでトコトン呑むだけ、アルコールがないならないですまされる。自分がそうだ。というのだ。断固、自信を持って言われたので、そうかな、と思ってしまったが、どうなのだろか。

とにかく、いまのおれは、いくらでも呑める。自分でも、びっくりするぐらいだ。気がつくと、ボトル一本があいていて、えっ、もうそんなに呑んだの、もっと呑めるなあ、という感じなのだ。あるひとは季節のせいだろうという。そうだろうか? オンナのせいだと思うといったら、鼻で笑われた。ぐふふふ。

ひろい東京なのに、思いがけず知った顔を見かけることもある。まさか? 酔っているせいかと思ったが、たしかにそうだったと思う。見たくないものをみることもある。

きょねんのいまごろはどんなことを書いていたか、バックナンバーを見たら、2007/06/04「酔っぱらいは何ひとつ学ばない」なんてのを書いている。なにも変わっていない。ことしは? よくわからんが状況は似ている。そして酔っている。なにも変わってない。

2007/06/05「北京オリンピックまで」、やどやの決算。モンダイは北京オリンピックまでということだった。北京オリンピックが終わったら、そこに動いていたカネは、どうなるか。そんなことは、小さなモンダイになった。いや、そうでもないか。とにかく、ビジネスは、なんでもチャンスにしてしまえば、モンダイがモンダイではなくなる。マスコミなんぞはひとの不幸の傷口をひろげてまでビジネスにしている。今年は、もう決算報告書はあがって、順調とのことだが、まだ見てない。決算の呑みーてぃんぐは、新しい展開の舞台が見られる月末にしたからだ。大いに進展ありといったところか。

あまりよくないこともある。
いいこともある。

午前3時半。また朝がくる。また呑むだろう。きょねんもそうだった。
ひさしぶりに、酔いどれ深夜便でした。

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2008/06/04

貧乏力の続き、そして旅人文化とやどや。水族館劇場、最終週。

Sinryokuきのうの「貧乏力」、宮沢章夫さんからの引用は、おれが都合のよいところを都合のよいように引用している。まだ、あるのだ。正確には、きのう引用したところは、「貧乏力」という短いエッセイのおわりのほうで、その前がある。

宮沢さんは「劇作家」「演出家」でもあるから、演劇をやる若い人たちとの付き合いがある。「演劇をやる若い者の大半がそうであるように、彼らはひどく貧乏だ」と書いている。その彼らをみて「こうして考えてみると、「貧乏力」とはつまり、「気にならない力」のことではないだろうか」と考える。そのあとを紹介しよう。……………………

 おそらく、彼らは、そのこと自体、気にしていないので、自分が「貧乏」などとは考えたこともない。ただ単に、「いま、金がない」だけのことだ。そして、「気にならない力」は、様々なことを無視し、見落とし、忘れるがゆえに、「力」となる。考えてもみたまえ。「無視することのできない人」がどれだけ苦労が多いか。「見落とすことのできない人」が、いかにつまらないものを数多く見てしまうか。「忘れられない人」は、いつまでもそのことを気にして不幸である。
 「気にならない力=貧乏力」はすごい。なにしろ、なにも気にしないのだ。

………といったぐあいに、宮沢さんのお得意芸にみえる、諧謔的な話の転がしが、まだ続く。「道に落ちたものを平気で食べる」「他人が使ったティッシュが乾けば、再利用する」「ものを大事にするのである」「使えるものは使う。なにも気にすることはない」

いまなら、このあたりで、最近「洞爺サミット」の提灯持ちで来日したらしい、「もったいない」のノーベル賞受賞者や「船場吉兆」を思い浮かべる。あれも「貧乏力」か? と。

しかし、宮沢さんの話は一転する。「もちろん「貧しさ」といっても「昭和三十年代的な」と呼ばれる、あのノスタルジーで語られるものとは、ここにあるのはどうも異なるように思えてならない」と書き、きのう引用したような、「八〇年代的な嘘をひきはがす」「気にならない力=貧乏力」に結ぶ。

「「昭和三十年代的な」と呼ばれる、あのノスタルジーで語られる」古き良き「貧乏」などは、「八〇年代的な嘘」のタワゴトの延長にすぎない。記憶の商品化と消費。三丁目の夕日あたりで、カネと時間を感涙に変えてオワリ。そんなことは貧乏力がなくてもできる。いまどきの「昭和三十年代的な」貧乏話や闇市の話などは、たいがいそういうもので、そこには安直で横着な消費的流行はあっても、「貧乏力」などない。

では、こういう「八〇年代的な嘘をひきはがす」「気にならない力=貧乏力」は、どこにあるか。これが、今日のメインなのだ。

たとえば、左サイドバーのリンク「旅人文化ブログなんでも版」や「YADOYA Guesthouse」(そのトップページのメニューにある「YADOYA Blog」をごらんいただくとよいかも知れない)にあるといいたい。

というのも、「旅人文化ブログなんでも版」は、この6月で2周年だそうだ。冗談本気で始めた「旅人文化振興会」と「やどや」は、今月末から来月早々に、念願の新しい展開を始める。貧乏人が貧乏人のための食堂を始めるように始まったそれは、消費主義的旅行、つまり旅行はカネを出して旅行社から買うもの、高いカネを出すほどリッチな良い旅ができるという「八〇年代的な嘘をひきはがす」事業ともいえる。

「気にならない力=貧乏力」とは、とりわけ八〇年代以後の消費社会がもたらした消費的環境や条件が気にならないのであって、じつに、気になることはたくさんあるし、無視できないこと、見落とすことができないこともたくさんある。それと日々むかいあっている、30歳そこそこの「やどやの女将」は大変である。そもそも、相手は日本人ではない。高いカネを頂戴して、おなじサービスを提供するシステムでもない。しかも経営的には、日本の環境は、こういう貧乏所帯のベンチャーには、まったく不向きだ。

その苦労話とも笑い話ともつかないものは、どっさりあるが、やはり「気にならない力」も必要であるかもしれない。とにかく、コミュニケーションでも、粘り強い。そうか「粘り強さ」といえば、やはり貧乏力か。気にしながらも、「気にしない力」「気にならない力」もつけてバランスをとっていくことなのかもしれない。なのに「気にする力」をつけるようなことばかり喧伝される。気にするな、力強くめしを食おう。

ここで、きょうのところは、トツゼンおわる。

きのう、貧乏力ということで、注目の料理がある「平民新聞」さんを紹介したが、もうひとつある。どちらにも、「貧乏力」なんていう紹介は失礼かもしれないが。ま、気にならない力で、笑って、ご勘弁を。

神田森莉さんの「ハムブログ」…クリック地獄

ところで、「ひどく貧乏」な人たちが、なぜこうも演劇に惹かれ続けるのか。

2008/05/24
「水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。」
に紹介した芝居は、今日から日曜日まで5夜連続の最終週になる。おれは、もう一度観るつもりだ、あのパンキッシュな崩壊を。みなさんも、ぜひ、ご覧ください。
前売りは会場から近い「古書ほうろう」でも扱っています…クリック地獄

画像は、ふろく。川の名前、忘れた。四万ダムの少し手前。春の風は冷たくすぎ、新緑の季節は消え、梅雨が……。

芝居でいえば舞台から俳優の姿がトツゼンみえなくなった状態、映画ならば「終り」の文字が出ないでストップモーションのままという状態は、やはり気にはなるが。ま。

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2008/06/03

気にするな!力強くめしをくえ…料理的世界貧乏力革命のススメ。

おれは無神経で繊細に欠けると、よくいわれる。うふふふふふ、それで、ずいぶんひとを怒らせてきた。しかし、おれからいわせれば、その基準というのは、まったくアイマイで、チト世間の大勢はナーバスでデリケートすぎるかんじがするので、一歩もひかず反省もないまま、コンニチにいたる。無神経で繊細に欠ける本は売れず、離反するひとも少なくなく、老人のかたくなさも強まり、さらに孤独を深めている。

そもそも「気どるな、力強くめしをくえ。」なのだ。これは、「ザ大衆食」のサイトのトップに掲げているが、もとは『大衆食堂の研究』(三一書房、1995年)の腰巻に、おれが書いたキャッチ・コピーだ。このコピーは、96年1月『ダ・ヴィンチ』2月号の「今月の腰巻き大賞」で、仲畑貴志さんの「仲畑賞」を受賞した。賞の名前を忘れたが年間のものでも、「次点」だか「補欠」ぐらいだった。選評に「ぼくのような古い世代を納得させるだけの力がある」とあった。仲畑さんは、たしか、おれより少し年上だったと思う。

そのボディ・コピーの出だしは、こうだ。

「小市民化した東京大衆をののしり、オシャレとウンチクとモノグサにまみれた食生活をたたく。「グルメ本」にはない下品さ、支離滅裂・荒唐無稽………」

「小市民化した東京大衆をののし」っている。小市民化した東京大衆とは、「豊かだと喧伝され、誰もが中流だと口にしたあの時代の嘘」に、だまされたか、のったひとたちのことだ。

「あの時代の嘘」とは、『大衆食堂の研究』が発行された1995年でも、梅雨空のように色濃く世間をおおいつくし、コンニチまで衰えを知らないかにみえた、「八〇年代的な嘘」だ。その嘘と、小市民化した東京大衆と、ナーバスでデリケートすぎるひとたちは、深い関係にある。

いかがわしいたたずまいの大衆食堂や大衆酒場に1人で入れなくなってしまった、ナーバスでデリケートすぎるひとたちは、そんな自分が「正しい」と思っている。いかがわしいたたずまいの大衆食堂や大衆酒場のほうが、無神経で繊細に欠けると思っている。それは、「八〇年代的な嘘」に、深く蝕まれた姿でもあった。

おっと、なにを書いているか、わからなくなりそうだぞ。大らかにやろう、そして、いま、とくに原油の高騰などもあって、「八〇年代的な嘘」がひっぺがされようとしているとき、「気どるな」から一歩つっこんで、「気にするな!力強くめしをくえ」と叫んでみたくなるのだ。

気にするな!

やっと、この話に入れる。最近、Webのどこかのページで見たし、本屋の雑誌の立ち読みでもパラパラ見たのだが。よーするに、職場での会話の際のタブーだ。禁断語とか、そういう話。セクハラとかパワハラとかじゃなくて。読むと、そんなことまで気にしなきゃならん職場なんて、気にするほうがオカシイだろうとおもうものが少なくない。

何かいわれて、気にするひとたちに対して、そんなことをいわれても気にするな、という話はない。まず、こういうふうに問いただしてみましょ、とか、こう言ってみましょ、とかの話もマッタクなくて、とにかく、「禁断語」をつかったやつが一方的に悪い、だからそういう言葉や言い方をしてはならない、という「指導」なのだ。

すると、あとは、とてもお行儀のよい、なめらかな、オリコウな会話が残るという寸法だ。とてもナーバスでデリケートな美しい職場の会話が出現するのである。でも、どこか、短絡しているのだなあ。そして「人間味」に欠ける。

言い方が悪かったら、その場で、すぐ反論するなり、問いただしてこそ、コミュニケーションや人間関係や信頼関係が成り立っていくものだと思っていたが。

だいたいね、毛唐(米中のことね)の、大きな身体で欲も強いやつらと交渉できないよ、それじゃ。それが、いまのニッポンの姿でしょ。

その一方で、「しネ」とか「こロす」とかレベルのことばが日常的に、近い関係や親しい関係の会話で使われたりしている。このあいだも「しネ」といわれて自殺してしまった、高校生?だったか、いた。

なんか、オカシイ。おれは、無神経で繊細に欠けるかもしれないが、「しネ」とか「こロす」とかは、口にしたことはない。「バカ」だって気にしながらいう。「クソッタレ」なら堂々という。ひとが悲しんでいたり喜んでいたりするときに、水を差すような不謹慎は、けっこう得意だ。

ナーバスでデリケートすぎる状態というのは、緊張関係がめいっぱいで、すぐ「イエスか」「ノーか」「いいか」「わるいか」の短絡した結論に陥りやすい。ヒステリックな反応になりやすい。

その状態は、食品の賞味期限や消費期限の時間単位の管理にまで、およんでいる。その成分やら栄養価や生理に関する知識は、「医者並」で、しかも消費にその知識を使うことはできるが生活に使うことはできない。もうここまでくると、その実態そのものが、コメディだ。

そういう、なんだかとてもナーバスでデリケートな状態を、普遍的に「正しい」とするような嘘、それは、1980年代の消費主義の台頭からこちらのことだとおもう。ある種の「モノあまり」や「豊かさ」という嘘の結果なのだ。

で、宮沢章夫さんの『茫然とする技術』(ちくま文庫)に収録されている「貧乏力」だ。

宮沢さんは、路上の「八〇年代には見られなかった光景」に、「「気にならない」、あるいは、「気にしない」ことによって主張する」「貧乏力」が働いているのを発見する。

その「「気にならない力=貧乏力」が、八〇年代的な嘘をひきはがす」「豊かだと喧伝され、誰もが中流だと口にしたあの時代の嘘だ」と書く。

そして、「表面的ななめらかさを笑うかのように」「なにも気にしない力が、町の風景を変える」と書く。

「経済的な破綻をニュースが声高に伝える。すべてが閉じられてゆく気配も感じる。だが、気にすることはない。気にしてもしょうがない。このままどこまでも落ちてゆけばいい。この国を救うのは、「気にならない力=貧乏力」である」

この文章の初出は、『広告批評』98年1月号だ。いまは、もっと事態が進んでいる。

おれは、「国を救う」ことには、まったく興味がないが、「気にならない力=貧乏力」だけは、あるようにおもう。無神経で繊細に欠けると、よくいわれる、それだ。

いちおう自己弁護すれば、ようするに八〇年代的な嘘を信じていないだけで、そこそこナイーブでありデリケートである。だけど、八〇年代的な嘘を信じているひとに比べたら、とてもおよばない。おれは「表面的ななめらかさを笑うかのように」存在したいのだ。

これから、ますます、このような「気にならない力=貧乏力」が、ものをいうだろう。

貧乏力といえば、このひとと料理をはずせないだろう。以前にも、紹介したことがある。

平民金子さんの「平民新聞」……クリック地獄

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2008/06/02

ミーツは熱くメタボを笑い、ハテどの酒を呑みに行くか。

先日、木村嬢に『ミーツ・リージョナル』7月号をもらった。木村衣有子さんは、「大阪のぞき」という連載をしている。この雑誌は大阪発行だけど、いま日本の商業誌でイチバン熱いおもしろい雑誌のようにおもう。熱いおもしろさがビンビン伝わってくる。自由闊達、痛快無比…って、ザ大衆食の編集方針だが、そういう感じ。ついでに、ザ大衆食のトップページはマイナーチェンジを続けているから、たまには見てちょうだい。

とりすましたところがない。東京の、そういうところを笑いとばしているようでもある。今号では、『クウネル』をイタズラするような「ku:nom」の書き文字を、ペタペタあちこちに使って、ニタニタだ。編集前書きにあたる「Edi Front」は、グルメブログやカタログ情報を鵜呑みにする横着をガツンとぶっとばし、「僕には、旨い不味い☆いくつなどとマチャアキしているヒマはないんである。」と。

これは、いわゆる「大阪の反骨」といった上っ面のものではなく、『ミーツ・リージョナル』を貫く「街的」魂の表出なのだな。そもそも「大阪の反骨」だの「コテコテの大阪」なんてのは、多分に東京的な偏った見方だし、「街的」魂は、そんなレベルのことではない。

と、ここでおれが「街的」について語るより、右サイドバー→のトラックバック、「「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん (140B劇場-浅草・岸和田往復書簡) 」「エンテツさんの「街的」 (編集集団140Bブログ)」を見てもらったほうがよい。

「エンテツさんの「街的」 (編集集団140Bブログ)」は、前ミーツ編集長で現在もミーツに「江弘毅の街語り」を連載している、そして『「街的」ということ―お好み焼き屋は街の学校だ』(講談社現代新書)の著者で、「街的」の震源地、いや教祖様、いや「街的」なひと、江弘毅さんそのひとからのトラックバックだ。

それでまあ、『ミーツ・リージョナル』8月号の予告広告だ。「こんな時代にあえて飲む! 街の酒、ゴーズオン。」のキャッチコピーに、見よ、このボディーコピー。無頼、不謹慎、自由奔放…に健康を笑いとばす。

春の健康診断、結果はいかがでしたか?
肉を食らい、麺を啜り、
北新地や福島や神戸で飲んだくれ…、
ここのところミーツは、
かつての健康宣言を恥ずかしながら撤回し、
不健康ながらも大変楽しく
飲んで食べて過ごしています。
(略)
腹周りを測られメタボメタボと呪文を唱えられる
こんな時代になんですが、
あえてバンバン飲んでいこうじゃありませんか。
その方がストレスも溜まらないし
幸せですよ、きっと。
じゃ、また来月。
それまで、ちょっと飲みに行ってきます。

……てなぐあいなのだ。

ちょうど、さいたま市から「特定健康診査のお知らせ」なるものが届いた。もう10数年やってない健康診断の知らせだ。今年の知らせには、メタボのレベル分けの説明がウダウダある。「情報提供」だの「動機づけ支援」だの「積極的支援」だの。腹囲が男のばあい85センチ以上、またはBMI25以上に、血清脂質、血圧、血糖が、どうのこうのと。

うるさいんだよ。

検査の数字や、判断基準を示すのはよいとして、太ろうがやせようが、いつ死のうが、肉体と生命は個人のものだ、おれの肉体はおれのものだ、そこを強制的におかすような管理が許されてよいのか。「憲法違反」じゃないのか、ねえ護憲のみなさん、これは肉体と生活に関する思想信条への国家干渉でもありましょう。背番号制で、このおれの肉体、いのちまで管理されてしまう。このろくでもない国に。

そう思っているところに、ミーツの広告は、じつに愉快痛快だった。

そうだ、呑もう。きのうだって、死ぬほど呑んでいるが。

もろもろ酒の誘いも多い。いや、呑み会というより、いま時期的に新酒などが出揃い、もろもろ宣伝イベントが活発で、有料無料、大小さまざまな試飲イベントの案内が届いている。うーむ、どれも行きたい、行って、毎日グテングテンになってやりたい。もっと、もっと、もっと…朗報もいくつかあるが、めぐみが去ったら酒を呑もう。酒がめぐみをもたらすだろう、ぐびぐびぐびっ。

なんか、文章がアブナイ感じなので、トツゼンですが、このへんでやめます。

そうそう、追記。このミーツには、おれが1960年代なかごろ一年間住んでいた阿倍野区東天下茶屋駅近くの、おれがよくめしくったりブラブラした商店街がのっていて、記憶にある店は一つもなかったけど、激しく懐かしかった。

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