アタマはファンキー、「ファンキービジネス」。
とにかく『ファンキービジネス』を読んでいるのだ。おもしろくてやめられない、とまらない。いやはや、須田さんは、こんなおもしろいビジネス書を訳していながら、いままで知らん顔しているなんて。これは、モンティ・パイソンや、今週中に発売の「兵庫のおじさん」(講談社)と一緒に売らなきゃあ。
こんな言葉が扉にあった、……「オレたちはトラブルの震源地、パンクの扇動者だ!」ザ・プロディジー
死ぬ前に、殺す前に、絶望の中で、読もう。
こんなことを書いている。
「混沌とした時代の中で負けずに戦う」
「混沌とした時代が、またやってきた。問題は、不確実なものに対してうまく対応する能力を人類があまり身につけていないということだ。変化は不可避的に社会不安を招いてしまうのだ。」
そして、「このような状況に直面した時のありがちなリアクションは、責任の伴う自由があふれかえる混沌に対する恐怖から、自由を急激にへらしてしまうことだ。二〇世紀における数々のファシスト・ムーブメントは、経済的な混乱と不確実さに支配された時代に現われた。人々は、不確実さから救ってくれる指導者に熱狂し、指導者に自由を捧げてしまった。」と指摘する。
あるいは、「フレンドリーで協力的な」言葉や仲間を求める。そう、2008/06/22「おれは「俺」でゆく。」に書いたような、モンダイがおきないような「お行儀のよい」言葉や関係を求める動きだ。
「が」と、著者たちはいう。
「が、オレたちは、そのような予定調和的な確実さは、いまや複雑さに取って替わらなければならないと確信している。時代の流れを考えると、オレたちは、複雑なことに対する免疫をつけておかなければならない。複雑さを排除しようとしない方がよい。複雑なことは恐ろしい、しかし魅力的だ。オレたちには、それに直面する勇気が必要なのだ。」
「その姿勢こそがオレたちの精神の危機を守るかもしれない。結論を言えば、あなたが不確実なものに立ち向かうなら、人生は少なからず良く見えるだろう。反対に、確実なものに思いを寄せることは、いまや何のメリットもないし、気の滅入ることだ。あなたを取り巻くすべてが流動的で不確実な状態ならば、たった一つ確実なものといえば、個人しかないのだ。自分自身がハッキリしたビジョンを持っていなければならないのだ。」
と、ここでおれは、「気どるな、力強くめしをくえ!」と合いの手をいれ、「ありふれたものをおいしくたべよう!」と言いたい。
「バラバラに引き裂かれた社会」
「ハッキリとは意識できないかもしれないが、オレたちの社会はバラバラに引き裂かれている。いや、むしろ世界は粉々に破壊されていると言う方が正しい。こういう事実は、一般的には、悪いことだと見なされてしまう。目をつぶって見ないようにする人たちも多い。が、世界の破壊を願うオレたちのようなグループもいる。なぜオレたちは、世界の破壊を願うのだろうか? 答えは簡単だ。なぜならオレたちは、どこを切っても同じ顔が現われる金太郎飴のように個性がなくチープな「商品」にはなりたくないからだ。」
こんな言葉が扉にあった、……「建設のための破壊」毛沢東
といっても、毛沢東のようにやるわけじゃない。創造的な「ファンキーカンパニー」をつくるのだ。「オレ会社」をつくるのだ。だれでも、シャチョーになれる。「法人化せよ!」ということなのだ。「ファンキーカンパニー」をつくって「ファンキービジネス」をやろう、ということなのだな。
で、「ファンキーカンパニー」「ファンキービジネス」とはなんぞや、ということなのだが。
ま、きょうは、このぐらいのコーフンにしておく。
画像上は、表紙を開いて撮影した。下は、第6章フィーリングファンキーの扉。
こうしちゃいられない。
お行儀よくやってんじぇねえよ。
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