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2008/06/09

深夜のコメント「生活優先主義」。

目が覚めて、酔って書いた記憶のあるコメントが気になる。自分のブログならよいが、ひとさまのブログへのコメントだ、おかしなことを書いて、「酔ってました」ではすまされない。で、気になってみたら、例によって、正気のときよりマットウな書き方をしていて、アンシンした。

いまこのブログのトラックバックは、スパンが多いので、受け付けてチェックしてから公開するようにしている。毎日ではなく、ときどきチェックしている。で、深夜に見たら、→右サイドバーに公開したように、「書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う (月刊「記録」編集部) 」というトラックバックがあった。

これは、月刊「記録」という、とてもマジメという以上にキマジメな雑誌の編集部のブログだ。知人の塩山芳明さんがイッチョカミして連載を持っている。

その雑誌が送られてきたとき、このブログに書いた。

2006/10/03「ヒマとカネのあるひとは塩山芳明と南陀楼綾繁のケツをねらえ」

そこに、「きのうだったかな?漫画屋総指揮の塩山芳明さんから、「記録」が送られてきた。ウワサでは聞いていたが初見の月刊誌、わずか16ページで定価480円のブルジョワ誌。」と書いている。それに対するトラックバックなのだ。

先方さんは、こんなぐあいに書いておられる。


2008年6月 7日 (土)
書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う

…とひととおり心の中で罵倒したあと、16ページ中綴じ480円の月刊誌を出している私たちが言えた立場ではないことに気づく。一部では「ブルジョワ誌」とか言われてるし。ホントごめんなさい。
(以下、略)


このブログのタイトルは「月刊「記録」編集部」で、サブの説明に、こうある。「現代社会をナナメ斬り。社会の矛盾を死角から日々つつきます。強気の編集長と弱腰の編集部員に乞うご期待。」

おもわず「強気の編集長と弱腰の編集部員に」笑った。ホント「弱腰」のようだ。でも、これからは、「弱腰」は大切だと思う。なんについても、「強気」は、かっこうよいかも知れないけど、それだけでは解決にならないどころか傷口をひろげかねない。「強気」だの「辛口」だのは、高度成長期からバブル期のもので、まだあのころの「中流幻想」にとらわれている姿ともいえる。かといって「弱腰」ならよいというわけじゃないが、「強気」がかっこよく思われて幅をきかしている中では、「弱腰」も大切だということだ。

ま、とにかく、酔っ払いのおれのコメントを、ここに転載しておく。


どーも、トラックバックいただきました、「ブルジョワ誌」発言のエンテツです。

いまや、出版するのも本や雑誌買うのも、余裕のあるひとのことですねと思うことしばしば。でも、まあ、がんばってください。

「ロスジェネ」なんて言葉、アサヒが言い出してから、とくにくだらなくなりましたね。ま、日本のマスコミなんか、ひとさまのフンドシで相撲とっているようなものだから、本質なんかどうだっていいのでしょう。

『記録』も、やや「政治主義」が見られますね。これからは右や左や真ん中の政治だの党派ではなく、「生活優先主義」じゃないといかんかなと、ワタクシは思っています。

アナタノ生活ヲ大切ニ。酔ってますが正気です。ご活躍を。

投稿 エンテツ | 2008年6月 9日 (月) 01時40分


「生活優先主義」という言い方は、イマイチ現実こなれしてないように思うが、「政治優先主義」と「消費主義」に対するアンチ概念でもある。

ついでに。「ロストジェネレーション」について、2008/01/24「年賀状統計、ロストジェネレーション。」に、こう書いている。「で、そうそうタイトルの「ロストジェネレーション」だ。「ロストジェネレーション」といえば、ヘミングウェイやフィッツジェラルドだと思っていたら、昨年あたりから? アホな朝日新聞あたりが言いだしっぺなのか、いまの日本の20歳代中ごろから30歳代中ごろを、そうよぶらしい。じつにエンテリマスコミのインチキくさいもので、とても正気の沙汰とは思えないけど、」

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