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2008/06/05

ババをひいたとき。

ブログや情報誌を見て、アンシンの飲食店を選ぼうとするのは、なぜか。

ハズレの店に入ってしまうババをひきたくないから、ということがあるようだ。ようするに「失敗」をしたくない。失敗がいやだからとか、めんどうだからと、恋愛や結婚にも積極的になれない男もいる(女にもいるかもしれないが直接は知らない)。

しかし、ビジネスの世間では、よく「失敗を恐れるな」といわれる。ま、たいがい言っている本人は安全なところにいて、誰かをけしかけているのだが、飲食店選びごときで失敗を恐れる大勢に、「失敗を恐れるな」なんていう煽りが通用するはずもなく、いまや日本経済全体が退嬰と閉塞のなかで自壊しそうだ。「失敗を恐れるな」と言っている本人が、まずやってみせればよい。そんなことあり得ないから出世できたのであるが。

外食本などには、よく飲食店の外観から、よい店かどうかを判断する「方法」が書いてある。ほとんどアテにならない。

消去法で、「なるほど」と思ったことがある。2006/04/26「横須賀風呂会泥酔鎌倉泊熱海よれよれ中野の夜」
の、横須賀でのことだ。このときは、銭湯を出て、早く呑みたい一心なのに、なかなかみなが気に入る酒場がみつからず、ウロウロ探し歩いた。ときには、戸をあけて中に入ったのに、一行の一人がダメ出しをするから、ゴメンナサイまでした。

そのとき、瀬尾さんが、「出入り口の周辺に材料を置いているところは絶対イヤ」といった。厨房の出入り口や店の出入り口の外に、とくに仕入れの野菜などが積んである店だ。それは「食べ物を粗末に扱っている」ことなのだそうだ、だからイヤだと。料理研究家らしい一言だと思った。そういうのは消去法としては成り立つだろうと思った。ただ、そういう店を除外したところで、ほかにたくさん残る、アンシンの店を選ぶ基準としては、万全ではない。

そもそも、ゆきあたりばったりで、アンシンの店を選ぶ基準などないから、ブログや情報誌が重宝がられるのだろう。

すると、いつまでたっても、「ババをひいたとき」どうするかということに考えがおよばないし、対応が身につかない。貧乏人のくせに、けっこう選んでいる。これでは「気にならない力=貧乏力」はつかない。

まず「ババをひいたとき」どうするかだ。って、そんなマニュアルなんかありゃしないが。競馬で10レース全部すったときを想像してあきらめるってのは、現実的じゃない。

でも、あきらめてはいけない。「気にならない力」だ。料理がヘタだっていいじゃないか。性格の悪い女とだって楽しめる方法はある。いや、例が悪いか。「美人」じゃない女とだって楽しめる方法はある。いや、これじゃ、ますます例が悪いか。不機嫌な女とだって楽しめる方法はある。不機嫌で料理がへたな女とだって楽しめる方法がある。ちがうな。性格が悪く料理がへたで女だと思ったのに、じつは男だったというばあいでも楽しめる方法はある。うーむ、どうも例が悪いなあ。頭脳が貧困なので、よい例が思い浮かばない。

ちょっと考えておこう。とにかく、「気にならない力」「楽しむ力」があれば、「失敗」なんてことはない。

そもそも自分で地元で探すというプロセスからして楽しい。それでも、どうにもこうにもマズイものを食わされたとか、不愉快な目にあったときに、どうすると楽しめるか。

まず、念のために勘定をすませる。それからトイレに入る。ウンコをする。ウンコがすんだら紙でケツをふく。ふいた紙は、便器に落さないで……、ま、これぐらいで、きょうはやめておこう。東陽片岡さんの漫画には、気にいらん大家の家を出て行くとき、キレイに畳を掃除した上にウンコをしていくというのがあった。漫画だけどね。

生きるも死ぬも冗談なら、飲食も冗談なのだ。ニンゲンのやること言うこと、みんな冗談なのだ。気にすることはない。ところが、とかく客のほうが気をつかいすぎるというか気にしすぎる。もっと出たとこ勝負をズウズウしく楽しんだほうがよい。

気などつかわず、あるいは気をつかったフリして、いろいろチョッカイだしてみたり。相手が不機嫌だったら、なお不機嫌を演出したり。くえないほどヒドイ料理には、店のあらゆる調味料をかけたり。

ただし、いつでも逃げ出せるように。
こんな記事があった。

悪質客引き減ったが… 閑古鳥なぜ鳴くの 郡山
6月3日14時29分配信 河北新報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080603-00000015-khk-l07

 中心部繁華街での悪質な客引き「カラス族」を一掃しようと、福島県郡山市が客引き勧誘防止条例を4月1日に施行して2カ月が経過した。客引きは施行前の1割以下に激減するなど大きな成果を収めている。一方、客引きが姿を消すと同時に客足も落ち、「街がさみしくなった」と感じている関係者も少なくない。厳しい規制を敷いた条例が折からの飲食街不況に追い打ちを掛けた可能性も指摘され、関係者は頭を悩ませている。(郡山支局・石川威一郎)

笑った。まだけっこう出たとこ勝負の男たちが、こういうところにいるのだな。歓楽街の「悪質客引き」は、たいがい、カネになりそうにない男には無害だ。おれの体験では、札幌すすき野や歌舞伎町や池袋北口あたりの客引きは「地元の情報源」だ。といっても、彼らの店に引かれるのではない。ま、たとえば「あまり手持ちがないのだが、2000円ぐらいでうまく呑める大衆酒場がこのへんにないかね」とか聞く。 そのように「利用」しているひとは、けっこういる。だから客引きがいなくなれば、余計、閑古鳥が鳴く。そうそう、焼肉屋を聞くなら、彼らがイチバンよいと思う。ま、そういうこともあるということ。そもそも客引きだって「街の賑わい」だ。「悪質」だから一網打尽にすればよいなんて短絡しすぎ。

ついでに、左サイドバーのリンク「旅人文化ブログなんでも版」では、最近のエントリー「旅の準備を任せきりで。。」で、まりりんさんが、こんなことを書いている。

「とにかくそこに行ってから宿でも何でも探して決めるっていうスタンス」「地元の宿の人に紹介してもらったほうが面白い人が見つかるだろうとか、そういうことって旅人としては普通の感覚ですが、文字などの情報を頼りに旅行をすることが当たり前のようになっている雰囲気の現代では、実は少しだけ違う部分なのかなとちょっと思いました」「でもそうは言っても、失敗する可能性だっていくらでもあるから、友人と一緒という場合にはちょっとだけ緊張しますね。本当なら失敗って言っても旅なんだから失敗も何もないんだと思うのですが」

この最後、「本当なら失敗って言っても旅なんだから失敗も何もないんだと思うのですが」。これは旅の例だが、外食も一つの旅と考えれば、あてはまる。

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