横浜慕情。
午前1時過ぎ。そんなに酔ってないと思うが、今夜のヨツパライ深夜便は、きのうの「横浜ドヤ街事情」の続きのようなもの。
チョイと疲れているかんじなので、画像をメインに簡単に記憶を残しておく。
画像、上から。木造2階建てのドヤは、まだところどころ残っている。「美奈登荘」は、きっと「港荘」に情緒を加えたのだろう。港湾労働者を優しくあたたかく迎えようという姿勢かもしれない。木造2階建てに似合う名前だ。
山谷にも「埼玉屋」という名前の食堂や旅館があった。いまでもあるとおもう。そこと関係あるのかどうかしらないが、ここも「埼玉屋」。「埼玉」というと「ダサイ」ということになったが、それは中流意識「市民」が陥った錯角で、つまりは気どらない庶民的な気安さであるのだ。ま、お高くとまって、ダサイと言いたいやつにはいわせておけばよい、つまらん幻想のコンプレックスに思い悩むより、堂々と「ダサイ」看板を掲げて矜持を持って生きることこそカンジンだろう。どこもかしこも東京とおなじオシャレやセンスになる必要はないのさ。おれは埼玉に住んで10年ちょっとだけど、埼玉には埼玉のマッタリしたよさがある。「埼玉屋ぁ~」、って花火でもあげてほしい。
横浜橋商店街は、料理研究家の瀬尾幸子さんが、会うたびにカンドー的に絶賛していたところ。今回、初めて行ったが、なるほど、絶賛に値する。商店街の規模もそうだが、魚屋や八百屋の充実は、東京では見られない。しかも、その一角には、大衆演劇の三吉演芸場があって、近くの本屋の店頭には、『演劇グラフ』の表紙がぶらさがっている。かといって、浅草のような歓楽街とはちがう。生活の場のなかの大衆演劇なのだな。
この商店街は、古くもなく新しくもなく、人びとの生活の歴史と普遍をつないでいるようだった。
北九州の市場を思い出した。こういう市場の近くに住んだら、どんなにシアワセかとおもうが、人生はままならない。かといって、自分のウチの近くにつくるといっても、そうは簡単につくれない。だから、簡単に捨てたり壊したりしてはならないのだな。そして、古いのがイイか新しいのがイイかではなく、つなげて更新していくことを心がけることだろう。生活とは、そういうものなのだ。今日は昨日を更新しながら生きるのであり、今月は先月の更新であり、今年は去年の更新なのだ。
また角打ちやモツ肉を楽しみながら、歩いてみたい。
古墳部の旅の詳細な計画がファックスで送られてきた。楽しみだ。
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