タイトあんどルーズな、「お盆」のころ。
たいがい自分の発した言葉で自分が窮地に追い込まれる。
「××日が締め切りですが、大丈夫ですか?」と聞かれたら、「大丈夫、だいじょうぶ、おれは締め切りを守らなかったことはありません」と、惰性でこたえてきた。
そもそも、おれのような低層の文筆労働者というのは、ほかの労働者となんらかわることなく、一定時間にこなす作業量で収入は決まるのであり、一定時間にこなす作業で、ある一定の質を維持することは、これまたほかの労働とかわることなくアタリマエでなくてはならない。
現代の情報社会あるいは知識集約産業においては、「書く」や「表現」というシゴトは、少し前までの工業社会や農業社会あるいは設備や労働力集約産業の時代において「書く」や「表現」というシゴトと、大きくちがう。
ま、あいかわらず、むかしの「銀座で飲む文士」や「銀座で飲む画家」のような、前時代的な憧憬や幻想を持っているひとは少なくないようだけど、それはソ連の崩壊を知らないで現実社会を考えているようなものだ。現実は、旋盤工のように、書き、旋盤工のように、一定の質のものを一定時間に生まなくてはならない。それがコンニチの情報社会における「書く」や「表現」なのだ。
「書く」や「表現」に関わるひとたちが、そのへんの町の労働者とちがい、なにか特別なシゴトについているかのように自己の判断を誤るのは、そのシゴトの「場」である「メディア」の持つ権力性や権威性による。
そして、権力欲や権威欲、あるいは自意識過剰や自己顕示欲の強いひとほど、そのように判断を誤りやすい。冷凍コロッケのパッケージのコピーを書いたりデザインをするひとより、新聞や雑誌に書いたりデザインをするひとのほうが「上」であり、文化的芸術的なシゴトをしているのであり、エライのだ。
と、そのようなことはけっして口には出さずに、いえいえワタシのやっていることなんぞはとケンソンしながら、冷凍コロッケのパッケージなんか残らないけど、新聞や雑誌は残るもんね、といった「優劣観」をヒソかにもっていて、自分のやっている「表現」は、そのへんのものとはちがうと思っていたりする。トウゼン、そういう「表現」のシゴトをしているワタシも、そのへんの連中とはちがうのである、と。そういう実態は、けっこうあるのですね。有名なメディアに関係していればいるほど、ひとからはチヤホヤされるし、自分をカンチガイしやすい。「人物」の本性があらわれて、オモシロイわけですよ。「上から目線」の書き物の多いこと。
えっ、と、なにを書こうというのか。
そうそう、先日あたりから、「ウチは10日から1週間夏休みになります」「あっ、そうですか、どうぞどうぞ」といった会話がふえた。「どうぞ、どうぞ」もなにもない、おれが決めるのではなく、むこうが休むのだ。「通告」である。
おなじような話しを聞くうちに、「勝手にしやがれ」という気分になる。そして、おれの前に残っているのは、タイトなスケジュールの、文筆労働なのである。それはもう、自分でも望んで受けていることなので、とっても、うれしい。
しかし、これは、いかにもタイトである。発注サイドが無理を承知で頼んでいるものもあるから、「とってもタイトだけど、やってもらえますか」といわれると、受注労働者というのはシゴトを断ってはいけないという「信念」もあって、また例の「大丈夫、だいじょうぶ、おれは締め切りを守らなかったことはありません」とこたえている、おれがいるのだ。
これを何ヵ所かに対してやっていると、どうなのかなあと思わなくはないが、べつに後悔はしていない。やりたいシゴトなのだ。半年に一度ぐらいのデイトができるかもしれないチャンスを逃すかもしれないが、下層の労働者は自由レンアイも自由にならないのかもしれない。
あ~、なにを書くのか、わからなくなった。
とにかく、スケジュールはタイトでも、ココロはルーズにデレデレ飲みながらエイヤっどっこらしょと、なんとかなるものである。か。
おととい大阪からメールがあって、きのうそのメールの主と電話で話した。話しているうちに、アチラも割りと穏やかな「標準語」ベースで話しているから、ベタな大阪弁ではないのだけど、イントネーションがやはりアチラ風なのだ。で、話しているうちに、なんとなくおれのイントネーションが、それにひきずられる。かつて一年近く大阪でシゴトをしていたから、まるで縁がないわけじゃないにしろ、数十年も前のことだし、どうも大阪のイントネーションはクセモノである。
大阪のイントネーションは、ひとをひきずりこむ力があるのではないか。きのう書いたWTOといい、交渉力のない日本の官僚や政治家は、大阪弁でやるとよいかもしれない。大阪弁を官僚と政治家の「標準語」にするのだ。そこんとこを「兵庫のおじさん」に考えてもらいたい。と思ったのだが、官僚と政治家が、大阪弁を覚えたら、ますます国民をだますのが上手になるのかもしれない、なにしろ彼らは国民をだますことしか考えていないのだから、とも思った。
ああ、きょうは昼間から、なにを書いているのか。
そうなのだ、ウチに酒がないのが、モンダイなのだ。今朝は、一滴も飲んでない。おかしいはずだ。
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