糸魚川。そば処泉屋から日本海の夕日。「旦那衆」について考える。
きのうのエントリーに、いのけんさんからコメントがあった。以前から、弊ブログをご覧のかたはご存知だと思うが、いのけんさんは、たしか一昨年に東京の大学を卒業したのだけど、在学中は、いわゆる「闇市」の研究をやり、吉祥寺のハモニカ横丁を卒論にまとめた。その卒論は冊子にもなり新聞各紙にも紹介された。知るひとぞ知る存在だ。
2008/06/25「『city&life』美味しいまちづくり、岩手県一関、青森県八戸。」に紹介した、2005年76号特集「路地・横丁空間からの都市再生」で一緒に仕事もした。
その彼が、新潟県の上越地方の出身と知ってはいたが、糸魚川と因縁があるところまでは知らなかった。しかも、ワレワレがウロウロした、その地域だ。なので、彼のコメントをここに転載しながら、さらに糸魚川のことを書いておこう。
いのけんさんのコメント。………………………………………
いつも楽しく拝見させていただいております。
糸魚川には祖母がいるので、よく行くのですが、
私もいいところだと思います。
蕎麦屋さんの近くの加賀の井酒造さんは、
経営者が大資本になる形で復活しております。
エンテツさん好みのお酒でしょうか??
ちなみに、この写真のお蕎麦屋さんの隣の隣が、
実家の家業を営んでいるところだったりします・・・
おれのレスポンス。………………………………………
どーも、ごぶさたしています。
糸魚川、いいところですね。うまい食べ物があるし、飲食店の平均レベルもよさそうだし。
加賀の井にも寄ってみました。大資本参加でも残ってよかったと思います。あの建物だけでも価値あるし。
加賀の井の酒は、今回も飲みましたし、何度か飲んでいますが、よい酒です。私の野蛮好みからすると、ちょっと上品にまとまりすぎですが、よい酒にはちがいありません。
そういえば蕎麦屋の隣の温泉銭湯の「滝の湯」は、もとの古い名前が「井上浴場」とありましたが、もしかしていのけんさんと関係あり?
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この蕎麦屋は、「そば処泉屋」という。きのうのエントリーの下段(下から二番目)にも、画像がある。
このあたりは、糸魚川の目抜きだが、江戸期から続く「加賀街道」でもある。「加賀の井」という酒は、かつてはたいがいの新潟県人が知っていた、新潟県で最も古い歴史を有する造り酒屋だ。350年前創業といわれる。この酒蔵の建物は、越前加賀候の本陣としても利用されるようになった。そんなことから越後の糸魚川でありながら、「加賀」の名がつく酒蔵になった。という話だ。加賀の井酒造は、一昨年あたり経営危機におちいり、大資本の傘下にはいった。
きのうのエントリーの最下段の画像の雁木だが、おれはこんなに頑丈で立派なつくりの雁木は、初めて見た。この筋向いぐらいに、やはり頑丈で立派なつくりの雁木のある加賀の井がある。その並び、すぐ隣ぐらいに、「そば処泉屋」があるのだ。
縄文遺跡見物などのあと、市内にもどったのは18時近くだったとおもう。それから、ウロウロしながら、路地の奥に、なんだかよさげな赤チョウチンを見つけたりして、この雁木の通りにたどりついた。後日、画像を掲載するかもしれないが、この雁木と家屋がつらなる風景をみれば、ちかごろハヤリのレプリカ・レトロなんぞは、似ても似つかぬニセモノだ。
とにかく、ワレワレは「加賀の井」に寄って、酒は買わなかったが古い建物を鑑賞し、そして、「そば処泉屋」の前で、これはきのうきょうの手打ち蕎麦屋とはちがう、だいいち隣には銭湯があるではないかと、わけのわからんリクツもつけ、とにかく、この蕎麦屋に入ってみたくなり入った。その前に、牧野伊三夫さんは、銭湯の男湯の入り口をあけてのぞいていた(画像の左側に、その後姿が)。コラコラ、そういうことをしているから……という声が聞こえそうだった。
この銭湯は、いまでは「滝の湯」という温泉銭湯だが、以前の名前は「井上浴場」といったらしい。その古い表示が目立たないところにあった。
ともあれ、ワレワレが「そば処泉屋」に入ったのは、18時をすぎていた。入ってから、しばらく、その店内を眺め感嘆した。牧野さんは中庭のそばの食卓に座り、なでまわし、いまにも絵を描きだしそうだった。またもや、コラコラ、そういうことをしているから……という声が聞こえてきそうだった。けっきょく、食卓ではなく、囲炉裏をかこんで座った。
古墳部の旅の特徴のひとつは、食べ物の注文に時間がかかることだ。ほとんどガイドブックのたぐいを使わないし鵜呑みにしないかわりに、その場で、しつこく質問し検討し吟味する。で、まあ、やっと決まって、頼んだ。頼んで一安心というあたりで、このあとどうするか、やはり日本海に沈む夕日が見たいということになった。新聞で日没を調べると、19時10分。あと数十分しかない。
しかし、この人たちは急ぐということを知らない。牧野さんなんぞは、「粗忽者」といってよいほどなのに、急ぐことをしない。だから、目の前で電車が出発してしまう……という声が聞こえてきそうだった。もちろん、ちょうど残り5人前分ぐらいになっていた手打ちそばを食べた。ほかに、板わさや海苔わさ、やまいも、なんといっても、おかめ抜きが、もうどうしようもなくうまく、ビールに続き、おれと牧野さんは、冷やのコップ酒を飲んだ。
そもそも、おれと牧野さんは、味覚の好みがかなりちがう。あの北九州の食堂の取材のときだって、有山達也さんに、遠藤さんと牧野さんが押す店は、まったく重なりませんねといわれたほど違って、「激論」になったぐらいだ。ま、それぐらいちがってもトウゼンなのだけど、だから、2人で一緒に「うまい」と絶賛することはめずらしい。
そして、蕎麦湯が出たころには、もう日没時間だった。おれはココロのなかであせっていたが、だれも急がないアワテナイ。が、日没は待ってくれない。トツゼン一同あわただしくなる。そのように、いつもアラシはトツゼンやってくる。牧野さんが転がったりする。大急ぎで蕎麦湯をすすりながら勘定。
泉屋のおばさんが「きのうは、よい夕日でした、きょうもよい天気だから…」といいながら、海岸への最短の道筋を教えてくれる。それすら十分に頭に入らない急ぎよう。店を出てから、またもや誰かが聞きに引き返す。アワタダシイ連中だ。すぐ隣の「滝の湯」の角から路地に入る。細い路地を駆けるようにゆく。と、すぐ海岸が見えた。いや、その前に、食堂が一軒ある。こんな路地の奥に、とてもよさげな食堂があった。「あいざわ食堂」。おれは、アワテ急いで撮影する。みなは先に行く。
ああっ、雲がある、そこに、すでに太陽はかくれている。展望台のようなところに駆け上がる。日本海に沈む夕日は見られなかったけど、うまい蕎麦を食べたあとの日没のひとときを、のんびりアレコレ会話しながら満足感たっぷりにすごした。
そして、気になっていた赤チョウチンへ行き、さらに大人の夜の街へ繰り出し、あやしく夜は更けていくのだった。
おれは、この雁木の通りで、「まちづくりにおける旦那衆の役割」というテーマを、ふと思いついた。それは、岩手県一関を取材しているときから、気になっていたことだった。もう書くのがメンドウなので、そのことは、また後日。
「あいざわ食堂」は、3日目の4日に、みなで昼食を食べようと行ったが、休みだった。ほかにも混雑している食堂があった。こんどは、滝の湯に入ったり、このあたりでゆっくりしたい。
「そば処泉屋」を検索すると、「糸魚川のお蕎麦大好きそば店主が立ち上げたお蕎麦密着型Web」があった(クリック地獄)。その写真的ブログの2008年7月3日「飛ぶ」に……
昨日の午後7時頃
夕日が観たいと湯桶もそこそこに
糸魚川レインボーブリッジ(?)に向かわれた
5人のお若いお客様方
日本海の夕日、ご覧いただけたでしょうか。
……と、ある。おれだけ60歳なかばで若くないが、ワレワレのことにちがいない。
いのけんさんの「ヤミ市横丁研究所」…クリック地獄
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コメント
いい蕎麦屋でした。
また行きたいし、となりの銭湯に入ってから、
ここでゆっくりしたいです。
立ち上げたのは、どなたか知りませんが、
ブログ書いているのは、店主さんのようですね。
投稿: エンテツ | 2009/09/03 08:47
泉屋のホームページがあるとは驚きです。
店主は完全にアナログの、単なる呑んべいだとばかり思っていましたが。息子さんか誰かが立ち上げたんですかね。
名物はとろろ蕎麦なんですね。 いつか頂いた天麩羅蕎麦も美味でしたが。
投稿: 林田 伸吾 | 2009/09/02 12:59