カネを使いながら疲弊するのか。
「まちづくり」「まちおこし」…あまり好きな言葉ではない。でも、ニンゲン、好きなことだけで生きているわけじゃない。あまり好きではないシゴトをしてカネを稼がざるをえないように、あまり好きでないライター稼業でカネを得なくてはならないように、そのことを考えざるをえない。とくに、そういうことに真剣に取り組んでいる知人もいることだし。
「まちづくり」「まちおこし」という言葉が使われる舞台は、考えてみると、けっこう経済が疲弊している地方が多いようだ。たとえば、東京のばあい、たしか北区のように「まちづくり公社」なる活動をしているのは全区の半分以下だし、さまざまな地域活動などで「まちづくり」「まちおこし」といった言葉が使われる例は、少ない。
身近なところで「わめぞ」にしてもそうだ。すでに「谷根千」という地域ブランド市場が確立しているところでの「一箱古本市」でも、もちろんそうだ。「わめぞ」や「一箱古本市」を、地方の疲弊しつつある町でやれば、まちがいなく「まちづくり」「まちおこし」ということになるだろう。
そこんとこ、なぜかなあ、と考えると、そもそも東京、その都心には、ひとは集まるのである。そりゃ、集める仕掛けが必要にはちがいないが、魚がたくさんいる釣堀にエサをまくようなものであり、ま、もともとたくさんいる魚の奪い合いだ。そういうところでは、「まちづくり」「まちおこし」という言葉は、あまり使われないですむだろう。それに、その言葉は、なんだか田舎クサイ。
と考えると、ようするに、「まちづくり」「まちおこし」という言葉で語らなくてはならない状態というのは、かなり地域が疲弊しているか、展望のない状態のようだ。ひとがいない、どんどん減っているのだ。昼間まちを歩いても、がらんどうだ。
もし、「わめぞ」や「一箱古本市」が、「まちづくり」「まちおこし」に有効であるなら、そういう地域でも可能であるはずだ。しかし、いまや東京での「成功」は、かならずしも疲弊した地方のモデルにならない。それほどギャップが大きくなってしまった。もはや、おなじ日本とは思えない。
地方をウロウロしたあとは、そういうことを強く感じる。ひとがいない、カネがない疲弊、そこからどう脱却するか、そういうところで「まちづくり」「まちおこし」という言葉が使われる。
話は、そのことじゃない、「まちづくり」「まちおこし」に真剣な知人が少なからずいる。ちょうど6月ぐらいに、そういう「民間」の活動に対して、国や地方公共団体からの予算配分が決まって動きだしている。「食」がらみも、少なくない。いま「まちづくり」「まちおこし」に、「食」は必須の項目なのだ。とくに、年寄りが多くなっていく地域で、若いものがいないとできない産業をおこすより、「食で観光」というセンはかなり有効になっている。
そういうことを、その地域にいないで、しかも東京ではない、こうして埼玉から見ていると、おかしなことに気づく。というのも、、「まちづくり」「まちおこし」のたいがいは、国内市場それも東京のような大都市のひとが標的なのだ。それは、トウゼンといえる。そこにしかひともカネもないからだ。
だけど、全国の都道府県レベルから市町村レベルの自治体までが、おなじ標的でやっているということは、ようするに共食い、そしてすぐ潰しあいになる。こうして、税金が投入されながら、共食い市場が広がっている。ちょっと、コワイ状況だ。しかもトウゼン、大都市の連中は、そんなことは無関心であり、むしろ地方から「お客様」「先生」とおだてられ、東京で何かやって地方からひとを集めたぐらいで、いい気になっている。
ま、とはいえ、その東京だって、たいがいは共食いで生きているから楽ではないのだが。
話は、そのことじゃない。もっと、国境や業界を意識しない、ファンキーなビジネスを展開したいということだ。もちろん、すでにやっているところもあるけど、もっともっと、だ。そうでないと、共食いで、予算を使いながら疲弊が残る悪循環が続く。それはもう、ながいあいだ「閉塞の時代」として続いているのだけど、共食いからの脱却へむかうプロジェクトは少なすぎるし、東京のような有利なところのひとほど、もっとそれを追求するべきじゃあないかと、思うわけだ。
みながレトロとしてふりかえる時代とくらべたら、たとえば80年代初頭とくらべても、都内の駅や役所の各種案内には、日本語のほかに英語とハングルと中国語が、アタリマエになった。
ときどきこのブログで話題にしている「やどや」。左←サイドバーにある、「YADOYA Guesthouse」「旅人文化ブログなんでも版」の主体は、WGという小さな会社だ、コアメンバーはおれを含めても4人。でも、やれることはあるし、ここは世界中から、ひとを集めている。あるいは、ドジをやって儲けをだしていないが、海外にモノを売ることもしている。海外旅行が簡単になった、輸入モノがあふれている、ということは、こちらからむこうへモノを売ることも、むこうからひとを呼び込むことも、20年前とくらべても容易になっているということなのだ。
もちろん吹けばとぶような零細のプロジェクトだけど、いまやっていることが、少しでも閉塞からの脱却へ、少しでも国境や業界を超える方向へと、思い切って打ち込んでやることがカンジンなのだ。
カネを使いながら疲弊する国内共食い市場だけでは、カナシイ。いまや、駅や役所の各種案内ですら、日本語のほかに英語とハングルと中国語が、アタリマエになっているのだ。
と、こうして、書くことで、うふふふふふ、いま考えているプランを、一歩すすめる決意を固めるのだった。
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