いつでもどこでも飲みたい酒。けっこう好きな罪悪感。
『ミーツ・リージョナル』を郵送でいただいた。肉姫様や木村衣有子さんの心遣いだろうか。ありがとうございます。
今回の特集は、表紙に大きな活字で「今飲みたい、街の酒。」
「動いている酒事情を全力でレポート!」
「いよいよ、日本酒の時代。
ビオワイン、浸透中。
キリッとシェリーは夏の酒。
ゆる酒、マッコリ、夏カクテル、
おバカ酒、家酒とアテ…and more!」
と、ミーツらしい踊る言葉が、踊る。
で、まあ、木村さんの連載「大阪のぞき」を見た。第四回 純喫茶アメリカン。
おお、なんだか、出だしが、木村さんらしい文章の調子、いいねえ。こうなんだよね。
「第一印象は、きらきらしていた。意気揚々と出かけたい、ハレの日の喫茶店だと思った。」
こういう、なんてのかな、ナタで竹を割るような文章、というか、いいんだなあ。おれは好きだけど、そのう、おれがほめると、たいがい迷惑になるから、これぐらいにしておこう。
にしても、ほめたあとに書くのだが、「いかにも正統派」「いかにも純喫茶らしい正統派」という表現があって、なにからなにまで「正しい純喫茶」にこだわっている「正統派の純喫茶」ということなんだろうけど、この短い文章のなかで、こうした似たような表現が重なると、なんてのかな、チョイと引っかかった。
で、が、しかーし、そしてまたほめあげるのだが、木村さんは、2008/06/27「『手みやげを買いに』『兵庫のおじさん語録』」に画像だけ載せた、京阪神エルマガジン社 ミーツリージョナル別冊 東京編『手みやげを買いに』に、「木村衣有子のひとり土産〈塩もの篇〉」「木村衣有子のひとり土産〈粉もの篇〉」を書いている。
その〈粉もの篇〉に、こういう表現がある。
「お店のパンフレットをみると、国産小麦粉、有精卵、オーガニックシュガーなどを使っているとある。私はそういうことに過度にこだわりたがる質でもないが、食べ終えた後に一片も罪悪感を残さない甘さなのは、たしかに材料のおかげなのだと思う。」
この「食べ終えた後に一片も罪悪感も残さない甘さなのは、たしかに材料のおかげなのだと思う」という表現にシビレた。「食べた立場」で書くなら、こういう表現の工夫が必要だよなあと思った。お店が、いい材料を使っていると説明するのはアタリマエで、その受け売りじゃ、「食べた立場」にならんわけだからな。だけど、受け売りが多いのだ。
ま、おれのようなものが人様の文章表現について、アレコレ書くと「おまえには、そういうことを書く資格がない」テナことをいうひとがいるらしいのだが、文章も料理も、「資格」で批評するわけじゃねえからね。
読んだり食べたりすれば、そこに自ずと批評が発生するのが自然だ。それを、誰々という権威がいったことだから正しい、マスコミに登場するような高度に能力があるひとがいったことだから正しい、そういうひとじゃないと批評の資格がないかのような考えこそ、オカシイのだ。
そりゃそうと、先日、酒を飲みながら、この「一片も罪悪感を残さない」というところを思い出した。そして、おれは、「罪悪感を残さない」より、「罪悪感とすごす」「罪悪感とつきあう」ことが、けっこう好きだと気がついた。どうりで、安いマズイが好きなわけだ。難しい人間も嫌いじゃない。
その酒のことについては、いまは、とにかく忙しいので書かないが、つまりは、そういうことまで考えさせる力が、この木村さんの表現にはあるということだな。
ま、「文章力」といってもイロイロだが、おれは罪悪感を残す文章力をめざすとしよう。ぐふふふふふ、罪悪感のない人生なんかツマラナイ。
しかし、罪悪感を感じるほどの二日酔いはないな。まだまだ飲み方が足りのないのか。
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コメント
たいへんな肉体労働なのに、カネは入らず出るだけ。
投稿: エンテツ | 2008/07/07 16:41
だって、先生様は遊び歩いて呑むのが労働だから。
投稿: 吸う | 2008/07/07 13:39
労働者諸君を尻目に優雅に遊び歩いていましたが、なんの罪悪感も感じなかった。飲み足りなかったからだろうか。
帰ったら大荷物が待っていた。
投稿: エンテツ | 2008/07/07 12:07
労働者諸君を尻目にお天道様が出ている内から呑むことの罪悪感はたまらねえな〜
罪悪感は何よりの肴ですな。
投稿: 吸う | 2008/07/02 13:04