« 新潟日報コラム「甘口辛口」。 | トップページ | お盆働き。太田尻家で酔いよい。 »

2008/08/10

大阪、天王寺、阿倍野。

Oosaka_abeno_meijiya_26日、西区南堀江の食堂の取材は、店が昼めしどきでたてこんできた12時過ぎに終えた。大阪らしい居酒屋、昼酒のめる居酒屋はたくさんあるけど、いまのうちにここは行っておきたいという居酒屋へ案内してもらった。そこは天王寺駅のすぐそば、いま再開発真っ最中の阿倍野。

天王寺駅から南に下る、阿倍野筋商店街の西側は、まさに爆撃をくらってガレキの更地と化し、アーケードの屋根はめくれ放題、仮設の建物で営業する店が並ぶなかに、まっとうな店が一軒だけ残っている。

むかしから有名店であり、いまやますます名を高めているという「明治屋」。開店が何時だったかな、13時少し前に着いたときには、まだ暖簾が出ていなかった。ワレワレ、つまり藤本さんと川隅さんとおれは、まだ健全な姿を保つ阿倍野筋商店街の東側の歩道に建つ、むかしのまんまの、喫茶「田園」に入った。1960年代、飯田橋にあった「田園」、新宿にもあった、渋谷にもあった、あの「田園」とおなじ。まったりとした空気が漂うところ。悠然とタバコをくゆらす男たち。サンドイッチを注文した客がいた。そういえばむかし、ミックスサンドやタマゴサンドを食べたと思い出す。

Oosaka_abeno_meijiya4そろそろ行くかと「田園」を出ると、すじ向かいの「明治屋」は暖簾を下げていた。入ると、むかしの木造のまま。冷房がなくても森閑と涼しそうだが、現実はクソ暑く冷房は効いている。撮影の許しを得て、シャッターを切る。まわりで再開発していることも、何十年という時のへだたりも、まったく感じさせない空間。

最初はビール。のち、ポン酒。純米酒銘柄も揃えているが、地元の伝統に敬意を表して、安い剣菱を選ぶ。暑い夏でも燗酒を飲むのが日本酒好き、なんていう「通」がいるようだが、そんな「教条通」のいうことなんざ、こちとらはなからバカにしている。自分の調子、そのときの飲みたいように、また酒のクセも考え、自由に選べるのが、ポン酒のよさだ。きょうは、冷やで。

出てきました。うーむ、このガラスのトックリが、いいねえ。見るだけでヨダレが出る。お猪口も、灰皿まで、みな一味ちがう。水ナスは、塩が効きすぎという感じだったが、これさえあれば酒が何杯でも飲めるという味で、酒との相性がピッタリだった。うめえ、うめえ、お酒、もう一本ね。

Oosaka_abeno_meijiya3

ところで、この天王寺駅前から出る、正式名称「阪堺電軌上町線」だが、おれは1965年の秋から翌年の夏まで、大阪に長期出張、仕事で滞在したとき、この沿線、始発の天王寺駅前から3つ目の、東天下茶屋に住んでいたのだ。

いまでもそうだが、当時から、そのあたりは、大阪の圏外といってもよいほど、大阪のキタやミナミの都心とはまったくちがう、「下町」というより「場末」といったほうがよい地域だ。そのおかげかどうか開発とは縁がなく、いまでも当時のままの、一部路面を走るチンチン電車が走っている。そして、東天下茶屋をひきあげて以来、その電車に乗って、そこを訪れたのだった。

その話は、また後日。

Oosaka_abeno左の画像。天王寺、近鉄前交差点の歩道橋から撮影。まっすぐ南にのびる阿倍野筋。画像の右、つまり阿倍野筋の西側は、再開発の真っ最中。左端に、ほんのわずか近鉄デパートが写っている。この建物は当時とおなじだが、やがて建て替えられ、ナントカ一の高さになるというウワサもある。

かつて、このチンチン電車を利用するだけじゃなく、この筋を東天下茶屋まで、何度も歩いた。そして、この再開発地域の、さらに西側から、おれが撮影している位置の右方向が、西成。おれの後ろをふりかえれば、天王寺公園や通天閣が見える。ここから西成をぬけ通天閣や日本橋を通り、難波まで、あるいはその逆コースを、やはり何度も歩いた。西成は、東京の山谷より荒野な景色が、渺渺と広がるところに見えた。

しかし、大阪は、いまさら東京のバブルのまねのようなことをして、どこへ行こうというのだろうか。かつて、御堂筋や中之島や堂島の、モダンの先進を切った誇りは、どこへ行ったのだろうか。

おれが初めて大阪に着いて、まもないころ。冷たい秋風が吹くなかで、淀屋橋のあたりから歩き堂島川を渡りながら、そこここを指差し、大阪人の知見や先見とハイカラを誇らしそうに語った、大阪人のジイサンがいたのだが。


きょうは、こんなところで。
着々とすすむ。

| |

« 新潟日報コラム「甘口辛口」。 | トップページ | お盆働き。太田尻家で酔いよい。 »

コメント

おお、あおやまさま。お久しぶりです。

ご挨拶できなくて、残念でした。

みなさんとお話している最中に、帰って来られた女性がひとり。チラッと見て、なんだか気になる。あとで、もしかするとあおやまさんではないかと思ったのですが、あとの祭り。

以前の食堂特集のときには、あおやまさんが副編で、いい原稿を書いておられたので、今回のわたしは、チトやりにくい。

なんとか書上げましたが。はたして?
また、お会いできるのを楽しみにしています。

投稿: エンテツ | 2008/08/11 13:18

ご無沙汰しております。
元ミーツのあおやまです。

先だって、140Bにお越しいただいていたというのに、
ご挨拶できず…残念無念です(泣)。

というのも、実は、ちょこっとだけ
お見かけしていたのです。

私が会社に戻るとお客様。
珍しく藤本くん。
それとどなかたいらっしゃるなあ、
えらい感じのいい方やなあ…と思って
お帰りになられた後
「あれは?」
「エンテツさん来てくれはったんやで」
って、ショック過ぎました。

中華食堂の折原稿にいただいたお言葉の
御礼も言いたかったなあ、なんて。


でも、またいつかお会いできるでしょうし
楽しみにしております。

ミーツの原稿も、
楽しみに拝読させていただきます!

投稿: あおやま | 2008/08/11 10:43

この記事へのコメントは終了しました。

« 新潟日報コラム「甘口辛口」。 | トップページ | お盆働き。太田尻家で酔いよい。 »