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2008/08/09

新潟日報コラム「甘口辛口」。

Nippo_column前に告知した、新潟日報の短期連載コラムが4日から始まっている。きのう6日までの3回分の掲載紙が届いた。これはいわゆる「生活面」に載っている。おれがいつも書いていることは、ほとんど「生活」のことなので、おれには生活面がふさわしいようだが、他紙も含め生活面に登場するのは初めてだ。

ときたま書いているように、そもそも、新聞の一面が、近頃では「総合」といいながら実質あいかわらず「政治」が偉そうな顔をしている。その日本の活字文化の事大主義な伝統こそおかしいのだが、ここでそんなこと書いてもムナシイだけだ。

名前を思い出せないし、それぐらい忘れられてしまったようだが。おれは反対の食育基本法の成立に尽力した、有名な女の「食ジャーナリスト」?らしきひとは、そういうマスコミの体質を問題にし、それこそが食育を必要とする事態をつくっているのであり、もっと新聞一面で食を生活として扱うべきだと、欧米の例をあげて主張していたこともあったと思うが、いまではそういう声も聞こえてこない。あいかわらず、食の主な舞台は、脳天気男たち(近頃は能天気女もする)の道楽談義か、しかめっつらの利権政治でしかないのだ。

いわゆる「芸術」や「文化」系で、議員や大臣になったひとに記憶があるだろうか。日本では、タレントをのぞけば、活字や文章をあやつって名をあげたものたちだ。新聞を頂点とする活字文化とは、そういうものである。読書階級であるエンテリ中間層が「生活感」を失うのは、トウゼンなのかもしれない。「生きる」こと「生活」は、一貫して軽く扱われてきた。「政治」「経済」「社会」あるいは「文化」や「学芸」などから一段と低いヒエラルキー構造の下層の「生活面」で、細々と呼吸している。

そりゃそうと、この連載は、10回だけで、金土日と新聞休刊日を除くということだから、来週も掲載になるはずだ。

1回「「おふくろの味」の謎」2回「生活のなかの料理」3回「家庭料理こそが食の原点」。4回以後、自分でも覚えてない。


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2008/07/25
文章のオベンキョウをしてみるかと思うこともある。北九州から電話。

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