このやろう、やっぱり十三だ。時代遅れの飲兵衛でいたい。
2008/08/10「大阪、天王寺、阿倍野。」に書いた阿倍野の居酒屋「明治屋」だが。そこで飲んだあと、そこへ行った話を街的さんにすると、彼は即座に「あそこはキライだ」といった。ワケをきくと、「あそこは、なんだか、文化人くさいというか、酒のみながら本を読んでいるやつがいるんだよ」
なるほど、さすが、「お好み焼き屋は街の学校だ」と書いたひとだと思った。
おれたちが入ったのは開店早々のせいか、いかにも開くのを待って入ったような飲兵衛風情がほとんどで、スポーツ紙を読んでいるひとはいたが、そんなに「文化っぽい」かんじはなかった。でもまあ、近頃の「凛とした」なんて形容が好きな連中が好みそうな雰囲気ではあった。
以前に当ブログに書いたことがあるが、おれも酒場で本を読んでいるやつがいるとむかつくほうだ。街や酒場より、本が上、という連中は、「街や酒場はぼくらの学校」と思っていない。本や、本を読むボクが、エライと思っているにちがいない。だからまわりに関係なく本を読むのだろう。これでは、街に出ても、書斎を担いで街にいるとおなじだ。
ま、それは好き好きだからよいとしよう。モンダイは、本を読んでいる連中は、自分がそのことで周りに迷惑をかけている、と思っていないのではないかと思われることだ。
静かにしていれば迷惑にならない……。それはとんでもないまちがいだと思う。酒場の雰囲気は客がつくっているのだ。本を読んでいるやつを殴りたいと思いながら飲んでいるやつがいるかもしれない。てめえの居酒屋通ぶった話や態度が気にくわないんだよと思っているひとがいるかもしれない。そういうふうに周りのひとのココロを考えてみたことがあるだろうか。
そういうことなんだな。ちかごろの、労働っぽい人間っぽい客じゃなくて、文化っぽい客は、どうもそのへんが、ひとりよがりという感じで、おれは好かん。のであります。本に書いてあることより大事なことが、酒場や街にはあるんだよなあ。うまい酒やつまみのごたくや、「凛とした」だのとわかったふうな口をたたくより、大切なことが、酒場にはあると思う。
そこへいくと、大阪の十三は、いいねえ。昼前から暖簾をさげた酒場が並び、飲兵衛たちがいるよ。
十三の「イマナカ」で、昼前から1人で立ち飲みやりながら、しみじみ大阪男の河島英五さんを思い出したよ。まったく、ちかごろの酒場や立ち飲みには、ロクデモナイ「文化っぽい」のがはびこりやがった、かなしいねえ。とな。
河島英五さんは「酒と泪と男と女」で、
飲んで飲んで 飲まれて飲んで
飲んで飲みつぶれて 眠るまで飲んで
やがて男は 静かに眠るのでしょう
……とうたった。
「時代おくれ」じゃ、
一日二杯の酒を飲み
さかなは特にこだわらず
……とうたいだし、
ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい
……とか、
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
……とうたった。
好きな誰かを思いつづける
人の心を見つめつづける
いいねえ。うふふふ、酒場のおれのことだよ。
いまの酒場には、こういう雰囲気がなくなってきたねえ。
いま、「文化っぽい」お行儀のよい、それでいて凛と饒舌な酒場のタシナミを覚えるより、こんな時代おくれの飲兵衛でいたい。
十三には、そんな飲兵衛が、昼前からゴロゴロいたよ。
河島英五さん。もっと生きてほしかった。黙祷。
とりあえず。
あとで書き足すかもしれない。
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コメント
十三で、飲もう。
飲兵衛は、十三へ。
投稿: エンテツ | 2008/08/13 01:58
ああ、そう言えば、河島英五自身は下戸だったそうっすよ
投稿: 吸う | 2008/08/13 00:46
そうだそうだ十三最高!
「イマナカ」で豚足を「チン」してもらって、手をベトベトにしながらやるコップの焼酎が旨い!!
投稿: 吸う | 2008/08/13 00:44