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2008/09/27

玉城素さん、9月14日に亡くなっていた。

訃報ニュースを見逃していたらしい、知らなかった。
玉城さんには、お世話になったし、よく2人で飲んだ。何回、新宿でトコトン飲んだことか。飲んで、酔っ払った玉城さんのめんどうをみたことも、けっこうある。

シラフのときも、ヨッパライのときについても、エピソードの多い人だった。それに、朴元韓国大統領に招待されたり、じつにいろいろな顔を持っていて、ナニモノなのか、正体がわからんところもあって、それでますます「怪人物」におもわれたり、ウワサの多いひとだった。ま、ニンゲン、正体なんて、どうでもいいのだ。おれにとっては、おもしろい飲兵衛で、けっこうアブナイシゴトでも、おもしろがってのってきてくれる、いい飲兵衛だった。

何年前だったかな喉頭あたりのガンがみつかり、手術した。仕事にもどって、そのころ電話で話したのが最後だな。その後も、あいかわらず元気にやっているようだったが。

82歳。
悪いやつほど長生きするということだとしても、このトシでは、どちらなのか。
そのへんも玉城さんらしい死に時だったか。
はて、天国へ行ったのか、地獄へ行ったのか。
ご冥福をお祈りいたします。

玉城さんのことは、一度、玉城さんと出会ったころのことも、2005/11/20「「粘膜」の再発見」に書いている。…クリック地獄

それから、おれが初めてチゲ鍋を食べたときのことを2006/10/03「キムチ鍋・チゲ」に書いている。新宿西口の小さな朝鮮料理屋だったのだが「そこへ初めて連れて行ってくれたのは、パク大統領に招待されたことがある半島情報通で知られる某氏だった。それから一緒に、いつも飲んだくれては、何度も行った。そういや、思い出したついでに書いておこう、あのころ某氏とは、新宿東口の百果園の数軒先あたりにあった「麦」という、ばあさんがやっているうらぶれたバーにもよく行ったな。…」この「某氏」は玉城さんのことだ…クリック地獄

彼は、TBSブリタニカの編集長もやっていたことがあって、一時、おれの上司に着任し、おれに編集を仕込もうとしていたのだが、そんなものになる気がないおれに手を焼き、「きみは編集者やライターには向いてない」と、うれしい引導を渡してくれたひとでもある。そして、彼を取締役から解任したのは、おれだった。だけど、そのあとおれと彼は組んで「大仕事」をした。おたがい、あまり世間的な「常識」に拘らない、楽しいつきあいと仕事ができた。

玉城さんについては、まだ書いてないことが、タップリある。新宿二丁目の飲み屋での乱闘とか。おれとアナーキストとして著名な玉川信明さんを引き合わせたのも玉城さんだし。そういえば、玉川さんも、もう鬼籍のひとだな。あのころの彼らは、いまのおれより若かったのだなあ。ま、、なんでも、思想的・政治的・道徳的にしかみれない短絡頑迷な連中が多いなかでは、あまり書かないほうが無難だな。

みんな死んでいく。めしくってセックスして、そのあいだに、そのために、いろいろなことをやって、いいことも悪いこともやって、んで、死ぬのだ。ごくろうさん。

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