よーするに「下々が「それぞれ自分の生活をデザインする」こと」だな。
ブログというのは、やりにくいことがある。きのうの続きを書こうと思っていて、なんとなく中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」を見たら、「2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…」に、おれが書きたいとおもっていたような結論が書いてあるのだ。やれやれ。…クリック地獄
2008.09.22 Monday 秋雨、降り続く…
『神田神保町とヘイ・オン・ワイ―古書とまちづくりの比較社会学』を読む。
「本によるまちづくり」は可能か否か、という助平ごころがあるのです。
ただし、おれはこの頃「まちづくり」とか「まちおこし」という言葉が最初に出てくると、そ
れだけで、あぁーまたかという気分になってしまう。
お上が主導する「都市計画」が惨憺たる有様なのだから、下々が「それぞれ自分の生
活をデザインする」ことを繋ぎ、集積して、それがコミュニティになり、町になるといった
ありかたを、試行錯誤してみてもいいのではないか、この頃、おれは本気でそう思って
いる。
よーするに、そういうことなのだな。そもそも「まち」は「つくる」ものじゃなくて「在る」ものなのだ。ま、つまり、もし「つくる」ことがあるとしたら、ファンキーにやれる自由、つながる自由をどれだけつくれるかであって、なにやら「芸術」だの「文化」だのに関わる人たちの美学だか価値観だか知らないが、そういうもので場所や街頭を演出することじゃないとおもうわけだ。もちろん、それはあってもよいのだけど、それが「まちづくり」なんてのはオカシイとおもう。まちは、そこに生まれたくなかったひとや、そこでそんな暮らしをしたくなかったひとも含め、「在る」ものではないか。
とくに、「芸術」や「文化」のひとたちというのは、「演出」についてはプロだから、「演出」をこえて「干渉」のようであり、うっとうしい。もっと、それぞれが自分の生活をデザインする延長に「場所」が位置づく関係をつみあげることだとおもうし、そこに芸術なり文化なりが役立つ方向があるようにおもうのだが、それだと、コンニチの「芸術」や「文化」や「伝統」の「まちづくり」にならんわけだな。
散歩ですら「試行錯誤」を避け、ガイドブック片手に「効率よく」行われようとするイジョーな時代だ。自分の「趣味」ではなく、自分の「生活」をデザインする力が基礎にならなくては、積み木崩しみたいな「まちづくり」が続くだろうとおもう。
ついでに。「神田神保町」は、「本屋」「本商売」が多いまちだったかもしれないが、「本のまち」ではなかったとおもう。「大学」あるいは「学術」のまちだったのであり、それの付属あるいは寄生として「本屋」「本商売」が生きてこられた。だから、都心から大学が去るにしたがい衰退した。本が根付いた生活があるまちではなかった。本が根付いた生活を提案する力を持ったまちでもなかった。それはまた、生活ではなく、「大学」あるいは「学術」といったものを中心になりたっていた出版文化と密接だった。一部の人たちから揶揄をこめらていわれることがあった「朝日・岩波文化」なるものとも無関係ではなかったような気もする。おれは、そうおもっている。
詳しくは知らないが、その意味では、都心を離れ高遠の地に「本の家」を始めたのは、とてもファンクでおもしろいとおもう。
一人ひとりがファンキーにやることなのだ。そして、つながることなのだ。
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