エンテツと街を歩こうin北九州。アートな若戸大橋の楽しみ方…力強さのヒミツ。
戸畑駅のホームからは、街並みの中に若戸大橋が見える。やや高い位置のそこからは、見方によっては、大橋は街並みの上をまたいでいるようでもある。街並みの上をまたいでいるように見える橋というと、自動車道などの道路がフツウだとおもうが、そのほとんどどはつり橋ではない。だけど、大橋は洞海湾をまたぐつり橋であり、つり橋ならではの美しさがある。しかし、その美しい姿は、いくつかの建物にさえぎられ、部分しか見えない。そこがオモシロイとおもうのだが、全貌が見えない橋は、観光的あるいは芸術的な橋の景色としては失格なのか、写真や絵ではあまり見かけない。
一年前の8月。その日の朝、戸畑駅北側のすぐそば、駅のホームから見える「まんなおし食堂」で、5日間ほど続いた『雲のうえ』5号食堂特集の最後の取材を終えたおれは、そのままJR線で山口県下関へ向かって北九州を離れるため、戸畑駅のホームに立ち、その景色を初めて見た。ちょっと「感動した」というと大げさだが、ま、そういうことだ、胸がときめいた。
それは大橋の景観というより、大橋がある景色であり、街の中の大橋、暮らしの中の大橋なのだ。ホラこれが若戸大橋だヨというかんじの観光写真のような類いとは、かなりちがう。はるかに日常的で身近な景色といえる。何気なくそこに見える、何気ない景色。だから見過ごされやすいかもしれないが、ちょっとほかでは見られない、ここにしかない、変化に富んだオモシロイ景色のような気がした。
下関へ向かう電車の中で思い返すと、7月と8月は、若戸大橋の若松区側と戸畑区側の橋のたもとの街をウロウロ歩き回ったが、狭い路地の向こうに、あるいは静かな佇まいの神社の頭上に、また市場やラーメン屋の前から、いつも大橋の一部が見えていた。それはあるところでは、胸から腹だったり、乳首のへんだけだったり、あるところでは、脚のスネのへんだったり、そんなアンバイなのだ。
「ほお~」とか「はあ~」とか感嘆するわけでもなく、これほど「しみじみ」生活感の漂う景色の中の長大橋は、ほかにはないのではないだろうか。なんとなく、若戸大橋って、大きいけど、生活の中の橋なんだなあとおもった。そして、『雲のうえ』5号食堂特集の原稿は、この景色の中から書き始めるだろうとおもった。(実際そのとおりになった)
高い展望台のようなところからしか見られない、静的な橋の景色より、何かが呼吸しているような、この街の中の大橋、生活の中の大橋の景色に未練が残った。そして、はからずも、一年がすぎ、再び戸畑駅のホームに立った。
9月6日の市民プロデューサー講座に招かれ、前日の5日に、天気が悪かった京都を早めにたち、新幹線で小倉駅に着いたおれは、コインロッカーに荷物をあずけ、すぐさま戸畑駅へ行く電車に乗った。降りてホームに立つと、その景色があった。もちろん大橋もあった。「まんなおし食堂」も、その右隣の、「えだや食堂」もあった。
一年すぎて見かけは、なにも変ってないようだった。だけど、「えだや食堂」に寄ってみると、たしか70歳ぐらいの、身体を悪くしなければよいがと心配なほど働いていた女主人は、身体をこわし、引退して姿はなかった。でも、かわりに、以前ここで働いていたという、たくましそうなおばさんが店を守っていた。大橋が見える暮らしも、少しずつ変っているし、また変りつつたくましく続いていることをかんじた。
えだや食堂の角から北へ真っ直ぐの大通りの先には、やや見上げる位置に大橋がある。その下、大通りの突き当たりには、大橋が架かる洞海湾の渡船がある。つまり大橋は自動車専用であり、徒歩や自転車で通勤通学のひとたちのために、大橋ができてからも渡船が活躍してきた。それもあってか、周囲は工場地帯だし、大通りには飲食店が多い。
渡船場にむかう途中の左側に、「八福」というラーメン屋がある。評判の店なので、そこで食べてみたいとおもって入った。15時15分前ごろという昼時をすぎたハンパな時間帯にもかかわらず、15名ぐらいで一杯の店内は、ほぼ満席だった。相席のテーブルにすわり、チャンポンを頼む。相席の男の客は、近所の勤め人らしい。チャンポンの大盛りとにぎりめしを食べていた。このあたりの働く食堂、働く人たちの「定番」のスタイルといえるか。
相席の客が去ると、すぐ馴染みらしいおばさんが入ってすわった。彼女は、冷し中華を注文した。日焼けしてたくましい肉体の、労働者風。彼女が冷し中華を食べているころ、客の山は越え、なかで料理していた主人が出て来て、客席の食器などを片しながら、おばさんに「チャンポンはどうするの」と聞いた。おばさんは、グハハハと笑って「食べる」。どうやら、彼女は、二人前それも一つはチャンポンを食べることが多いらしい。うへへへ、こいつはまいったね。
おばさんの力強さに煽られ、キャベツがタップリ入ったチャンポンも食べ、たくましい男になった気分で八福を出た。大橋が見える。そのとき、大橋の骨太と、骨太に見える、その色が気になった。若戸大橋は、ちかごろ多い、白っぽい瀟洒なかんじすらするつり橋とは、ずいぶん趣がちがう。
まず色が赤茶色系、そうか、あれは労働者の赤銅色に日焼けした肉体の色かとおもう。その色と骨太な鉄骨は、鉄の街の象徴なのかも知れないが、洞海湾を臨んで、たくましく働き生きてきたひとたちの象徴なのかもしれない。この街の暮らしには、白っぽい瀟洒なかんじのつり橋より、この大橋の姿こそ美しい、それが日々の生きる力になる「アート」なのだろう。
何気ない生活にとけこんだ何気ない大橋の姿を、働く暮らしを支える何気なくうまく安い八福と一緒に撮影した。暮らしに生きる「実利美」の景色といえようか。八福はラーメン350円、チャンポン400円、おにぎり50円。チャンポンは細い蒸し麺の戸畑独特のチャンポンだ。
とりあえず、第一話、ここまで。
文章も、少し修正があるかもしれない。
画像は、上から順に。戸畑駅ホームから大橋のある景色。八福と大橋。キャベツがタップリの八福のチャンポン。下、八福と反対側の小道を入ると「藤の家」という古い旅館がある、その路地から見た大橋の「オッパイ」あるいは「屹立チンポ」なアート。
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