「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。
右のコメント欄に藤本男さんが書いていて、メールもいただいているが、おかげさまで『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし特集」は絶好調とのことだ。「飲みにいって快哉をあげたい」ほどらしい。おれも飲みたいよ~。大阪まで飲みに行くか。でも、まだまだ、もっともっと、多くのひとに読んでほしい「ザ・めし」なのだ。
ところで、最初の画像は北九州市の小倉駅だ。頭上のレールはモノレールだが、この位置の左手、つまり小倉駅を背にして、すぐ右手は、いわゆる歓楽街あるいはピンクゾーンといわれるところだ。それも、歌舞伎町のように何階建てものビルが並ぶところではなく、低い、それこそ昭和30年代風の小さな営業店が多い。まさに昭和の歓楽街といったほうがよいだろう。
二番目の画像が、最初の画像を撮影しているデッキの左手下、駅前大通りに面してある、その一角への一つの入り口だ。いかがわしさムンムンの雑居ビル、「大丸ビル名店街」の看板。なるほどな~、世間には、いろいろな名店があるのさ。
この1階の通路は立ち飲みが多い。撮影したのは14時ごろだけど、もちろん、飲んでいるひとがいる。たいがいは、そんなに安くはない。そんなに安くはないが、こういうところでないと落ち着いて飲めない、こういうところのほうが落ち着いて飲めるというひともいる。
入り口の中央に、「小倉駅西地区再開発準備組合事務所」という看板がある。そういうことらしい。
三番目の画像は、二番目の画像の通路をぬけて、反対側から撮影した。右手前、見よ「名画座」ここにあり。成人映画専門館であるが、ヤマザキ監督が得意とする?バラ族専門館でもある。テレビやビデオの時代に、劇場映画を愛してきたのは誰か。その先にストリップ劇場。ナマの舞台を愛してきたのは誰か。その先に「大丸ビル名店街」の裏側が見えている。ここならではの名店街であるには、ちがいない。ま、こんなアンバイの一角なのだ。
いま、「まちづくり」「再開発」というと、こういう景色は「負の遺産」として始末されるのが前提になっている。
そのことに異論を唱えるつもりはない。では、そのときの「正の遺産」とは、なんなのだということを問いたいのだ。この北九州のことではなくて、ちかごろ気になる傾向として、こういう、「一般的」に印象がよくないことにおいてわかりやすい景色を「負の遺産」として排除することで、あたかも自分たちの「芸術」や「文化」や「伝統」などの「まちづくり」が「正の遺産」を継承しているかのような主張をモンダイにしたいのだな。
おっと忙しい。続きは、あとで。
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コメント
おけいさん。
おひさしぶりです。そういえば、小倉へ行ってこられたこと、ブログで拝見していました。ま、全体は変りつつ、残そうと思って残しているわけでもなく、駅の近くに、こういう盛り場が残っていたり、旦過市場があったり、というのがフトコロの深い都会という感じでよいとおもうのだけど、まちのひとは必ずしもそうはおもってない人もトウゼンいるわけで。でも、都会なんて、どんなに着飾ったところで、ヤバイまちなわけで。とにかく、こんなんは、ワタクシにとっては、「古きよき昭和」の風景。
投稿: エンテツ | 2008/09/25 06:38
ごぶさたしております。
小倉はモノレール開通とともに劇的に変わりました。駅ビルが、ある年に帰省をしたらどでかく建っていて、うわあ、変わったねー。などと話をした記憶があります。
大丸ビル名店街や名画座近辺は、明らかに東京よりもいかついイメージで、昔から変わりません。幼心に、やっばー。と思っていましたし、先日久方ぶりに帰省した際も、相も変わらず。でした。
旦過の市場も、相も変わらず良いぐしゃぐしゃ。感でした。
投稿: おけい | 2008/09/24 14:39
そうですか、ご存知だろうと思いながら写真を掲載したのですが、やはり縁があるところだったのですね。
たぶん、その20年以上前とあまり変っていないのではないかと思われます。建物も古く傷んだ木造が多いですし。1960年代の「池袋北口」を思い出しました。
かつてはどこの歓楽街もこんな風だったとおもいますが、どことなくアンタッチャブルの雰囲気が漂っていて、立ち止まって撮影するにも、人の姿に用心しながらという感じでした。こういうのは、一般的には、「ビジネス化」以前の「古きよき時代」とは、いわないですね。
投稿: エンテツ | 2008/09/23 08:12
この映画館には行ったことがあります。浜野組ピンクの、とても古い旧作を上映していて、ポスターにはデカデカわたしの名前までクレジットされ、なんだか恥ずかしかった。それ以前に、性風俗ライターだった頃に、この周辺のピンクゾーンを取材するため歩き回ったことがありました。ほとんど取材は断られたんじゃなかったかな。都会の取材OKの店と違って、地方の危ない雰囲気が漂っていたように思います。20年以上前のことですが、この一帯の雰囲気は変わっていないようですね。
投稿: ヤマザキ | 2008/09/23 05:08