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2008/10/29

大衆食研究「カップ麺の主食」。

前と前の前のエントリー、アンビテンデンツ問題の続きを書くつもりだったが、ネタ元の「中央公論」1987年10月号「新・都鄙問答のすすめ」野田正彰が、行方不明になってしまった。これは、その数ページだけを切り取ってホッチキスでとめた薄いものだから、どこかにまぎれやすく、しばらく行方不明だったものが、今回の引っ越しの整理で見つかり、そして今日まだ続いている資料の整理のなかで、どこかに入り込んだものらしい。あるいは、捨てられてしまったか、すぐに見えるところにはない。

探しているうちに、そのかわりといってはなんだが、まったく忘れていた、見ても、こんなことを書いていたのかとおもうようなものが出てきた。長くなるので詳しいことは省略するが、1993年11月に俺がワープロで作成しコピーして配っていたものらしい。俺の連絡先が知り合いの某出版社の某編集者気付になっている。

おどろいたことに、そのタイトルが「大衆食研究」なのだ。俺は、「大衆食」という言葉を、そのように使い出したのは、『大衆食堂の研究』の刊行にあたって、それまでの「大衆食堂で会おう会」を「大衆食の会」にしたときだと思い込んでいた。どこかでもそのように書いたか話したかしたとおもうが、もっと前から、こんなぐあいに使っていたのだなあ。

とにかく、その中から、自分でオモシロイとおもった短い文章を以下に転載する。似たような話を何かに書いたような気もするのだが、タイトルは「カップ麺の主食」。

 A子は、手取り十数万円の給料で都心のJR目黒駅近くのマンションに住んでいた。家賃は八万円。彼女は、テレビドラマでみたようなマンションに住みたくて上京し、中小企業に就職したのだ。だからそのマンションのために、すべてをガマンした。おかげで、カップ麺について詳しくなった。昼食と夕食の「主食」はカップ麺だった。発売された、ほとんどのカップ麺を食べたという。しかし、ついにそんな生活に見切りをつけ、「都落ち」して安い家賃のところへ越した。二十歳そこそこで、肌がガサガサになっていた。
 おなじ会社のB子は、三十歳になろとしていた。ずっと家賃四万円台の、古いモルタルアパート住まいだった。それで、給料は増えているのに、以前ほど貯金ができなくなっていた。年々、男に誘われる回数が減っている証拠だった。若いころは、いまでもそうだが彼女は美人のほうだったし、毎日のように男たちから食事の誘いをうけた。昼食も夕食も。男が払ってくれた分を、彼女は貯金した。ほかの「主食」はカップ麺だった。
 これも大衆食なのだろうか。

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2008/10/28

シンドイしんどい「ゲーム感覚」のグルメとアンビテンデンツ。

きのうのつづき。

「ゲーム感覚のグルメ」なる表現がマスコミで使われたのは、いつごろだったか。とにかくラーメンやカレーライスといった「B級グルメ」が騒々しい90年代後半以降のことだったとおもう。

この「ゲーム感覚」って言葉の意味なり意図は、かならずしも明快ではなかった気がするが、流行のパソコンゲームをやるような感覚がイメージされていたようではある。

それは、野田正彰さんが「新・都鄙問答のすすめ」で書いていることにちかい、っていうか、こういうことだろうとおもう。

そこでは「ゲームの勝利の快感に条件づけられ、快感を味わうために常に競争に没頭するようになる」

勝利するとは限らないが、勝利の快感に条件づけられた脳糞は競争に没頭し、競争そのものに快感するようになる。飲食店に「勝負」をしに行き「何軒くいたおした」といったことを口にする、「至高」「究極」といった高水準の得点を快感する。グルメ同士の競争、「勝負」。『美味しんぼ』などは、そういう先陣をきっていたのだが、「カレー勝負」だの「ナントカ勝負」だの、ゲーム感覚モロだしストリップではなかったか。

そんなゲーム感覚のグルメ脳になった背景は、意外に、野田さんが指摘する戦後の日本社会と密接だ。たしかにラーメンやカレーの食べ歩き、その他の単品グルメ、立ち飲みや居酒屋飲み歩きツアーにしても、やけに日本的な現象のようだ。

「新・都鄙問答のすすめ」では、日本の近代化は、コンプレックスを熱源としていたが、「敗戦によって決定的に打ちのめされ、次には生き残ることが精一杯の社会状況になった」と。「しかし朝鮮戦争の特需を契機に、死活の意識はなくなり、追いつき追いこせという経済戦争の社会に変った」

「そこではコンプレックスのような熱源によって動くのではなく、ゲームの勝利の快感に条件づけられ、快感を味わうために常に競争に没頭するようになる」

と、「アンビテンデンツを落差のエネルギーとして動く社会」を解剖してみせてくれる。野田さんは食やグルメには触れてないのだが、「グルメ現象」や「B級グルメ現象」に、そっくりあてはまりそうだ。そもそも、「グルメ」なるものが社会現象になるのは、この「新・都鄙問答のすすめ」の3年ほど前からである。

「こうしてモデルとすべき社会を喪って、アンビテンデンツをエネルギーとする複雑な状況に私たちは投げ込まれている」

「複雑な状況」は「迷走」といってよいだろう。消費の迷走、生活の喪失。これほど、ラーメンやカレーやおでんや、イタリアン、さぬきうどん、スィーツ、あるいは立ち飲みや居酒屋や、そのほか細分化された仔細な「至高」「究極」は話題になるのに、モデルとすべき食については、「うまいもの好き」に没頭な人たち、あるいはなにやら食の「研究家」や「評論家」という人たちの口から、話題になる注目に値する提唱はない。

メディアを見ると「うまいもの好き」であふれているようだが、そこからはモデルとすべき食は見えてこない。そして、一方で、食の不安や安全がいわれ、栄養と健康に偏向した食育基本法なんてものが生まれ、官製の現実的ではないモデルが押し付けられる状況だ。

「今、東京は、社会の変化を経済の視点からのみ語るエコノミストの花盛りである。彼らの論評には、どんな人生を生きようとするのか、どんな社会を作ろうとするのか、問いかけがない」と野田さんは指摘しているが、食の分野にもあてはまる。

残念ながら、食の分野では、この「エコノミスト」に匹敵するような人物すらいない。ただただ東京を日本を世界を食べ歩いたというだけの「ゲーム感覚」グルメが「ライター」や「研究家」や「評論家」の肩書だったりするが、せいぜい「消費のリーダー」、ようするにグルメや栄養や健康に偏向した食の語りばかりで、「彼らの論評には、どんな人生を生きようとするのか、どんな社会を作ろうとするのか、問いかけがない」

拙著『汁かけめし快食學』や『大衆食堂の研究』などは、そういう問いかけをしているが、いま「食」に関心がある人たちにとっては余計なことらしい。

一方で食は、日々大騒ぎの大きな「社会問題」になっているのにねえ、出口は見えない。快食快便というわけにいかず、迷走便秘の日々だ。ビチビチビチ糞すら出ない。ブリッ。

いったい未来への想像へ結びつかない「食べる」という行為は、なんなんだろうか。まさに、消費、なのだ。ひたすら、追い立てられるように、消費する。そして脳糞は能書きとデータでぶくぶく膨らむ。

野田さんは、そんなアンバイの東京や大都市に対して「地方は大都市に何を呈示できるか」を語っているけど、きょうは、ここまで。

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2008/10/27

いつまで続く「アンビテンデンツ」。

1987年、バブルの真っ最中、野田正彰さんは、中央公論10月号に「新・都鄙問答のすすめ」を寄稿している。じつは、これ、おれの「ネタ論」なのだ。ネタばらしをしておこう。「グルメ批判」も「食育批判」も、あるいは「旅人文化」やら「まちづくり」なるものに首を突っ込むのも、あるいは「東京荒野論」の、根っこは、この「アンビテンデンツ」モンダイなのだ。

リード文には、こうある。

「アンビテンデンツ――自らは本当には望まない生き方を、洗練し、効率よく人々に提供する矛盾した感情傾向。これをエネルギーとして動く社会をつくり上げてきた私たちは今これに頼らない別の生き方を、地方の視点で考えてみよう」

この一文に劇的刺激を受けた俺は、なんでも体験にもとづいて考える「流儀」にしたがい、ついに熊本の奥地まで行ってしまうことになるのだが、それはともかく、アンビテンデンツについて、野田さんは具体例をあげる。

たとえば「金融に携わる人は、情報によって金が飛びかい、生産と遊離した金融が膨大な利益を生むことにおぞましい思いを抱いている。抱きながら、報酬やゲームの魅力に惹かれて仕事を続ける。サービス業に係わる人も同じである。こんなに遠くに出かけ、こんなホテルに泊り、食事をし、これほどまでに専門化されたサービスを受けて、客は本当に幸せなのか。ひとり安らぎを感じ、情の通った対人関係をもち、自然と調和した時間にひたるのに比べ、豊かになっているのかどうか疑問をもっている」

「産業化されたサービスに応じて、人の生活や遊びがあるようである。もはや、生活や遊びを手伝うサービスではなくなっている」

「挙げていけばきりがない。結局、物もサービスも過剰な社会は、働く人々にアンビテンデンツを強いている」「自らは本当に望まない生き方を、より洗練し、効率を上げて人々に提供する。過剰な流通、情報、サービス業に携わることによって、人は自分の時間を失い、そこから得た経済報酬を、かつて望んだ自分らしい生活の充実にあてるよりも、すでにサービス産業によってセットにされた消費生活のいくつかを選びとるために使うにすぎない。このような生活を心の底では否定しつつ、なお一層社会的に押し進めるために働き続ける。いつの間に、これほどアンビテンデンツを落差のエネルギーとして動く社会になってしまったのだろうか」

いまや、「趣味」といふものまで、細分化され、ここに組み込まれてしまった。食べ歩き飲み歩きのグルメな食など、この坩堝にあって、過剰な情報にふりまわされながら、なんともあわただしい。そして、なんでも過剰のようでいて、なにか大切なことが欠落というか不足している。ふだんの食生活は不安と混沌、ごくアタリマエの生活のためのカンジンなことが欠けている。

テナところで、きょうは、オシマイ。

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2008/10/26

さすがに疲れた。

きょうは朝おきたにはおきたがグッタリしている。きのうの飲みは、17時に大宮いづみや第二支店で始まった。まだ引っ越し疲れがナントナク残っているうえに前夜の太田尻家飲みもあって、ウチを出るときから肉体がデレッとしていた。

ま、飲めば元気になるさ。ってことで、とにかく飲む。そもそも顔ぶれが、コン、タノ、シノという野暮な男たちだから、飲むしかない。中生二杯飲んで、チュウハイ、それからホッピーだったとおもうが、しだいに元気を通り越してボーッとしてしまい、ホッピーの中3杯目で、そのホッピーが、ふだんは飲まない黒と気がつく始末。

最初は山の話、山岳部とワンゲル部はどこがちがうか、山岳部ってふだんは何をやっていたのかどんなトレーニングをしていたのか、山岳競技ってどうやってやるのかとか、そんな話から始まったとおもうが、あとはあまり覚えていない。むかしの山岳部って、体育会系のなかでも最右翼の体育会系という結論だったな。ま、確かに俺は肉体派単純バカで、文化的知能派とはいえんな。アナログ人間なんじゃなくて、体育会系バカなのですよ、デジタル小リコウな紳士にはなれんのですね。それでばかにされ嫌われるなら仕方ないわけで。文句あるか!てなもんだ。

とにかく、かなり酔ったようだが、時間的にはまだ8時すぎぐらいで、んじゃ、北浦和の志げるへ行こうということになる。1階は混んでいて、2階。何を食べたか飲んだか覚えていない。とにかく、誰かがオッパイ炒めを頼んだけど売り切れだったな。何かの朝鮮漬け、これが汗が噴出すほど辛くて一瞬酔いがさめたのか、覚えている。誰かが俺の愛人と結婚する話をしていたような気がするが、事態をよく把握できてない。北浦和駅のホームで、彼らは上り電車に乗ってバイバイしたのは覚えている。そんなところか。どうせどうでもよい話をして騒いでいただけだろう。

そうそう、2007/12/07「頭は冷めているが、腹は煮えくりかえっている。」に書いた新宿駅のベルクだが、来年3月に退去の最後通告みたいなものがJR大家側から届いた、JR大家側は、どうしても退去させたいのだな、という話をしていた。

シノさんに、漫画『駅前の歩き方』をもらった。そうそう、この野暮な男のなかに、開成高校出のエリートがいるということがわかったのだった。だからって、どうってことないけど。そうそう、元相撲部もいたのがわかった。考えてみると、俺は、あまり、ひとの過去には興味ないから、けっこう一緒に飲んでいるのに、そういう過去の話を聞いたことがなかった。

こうやって書いていると少しずつ思い出しそうだが、思い出したところで、どうでもよいことばかりだろう。アイヌやサンカや近代国家とは、といった高度にややこしい話もしていたな。どうでもよいことだ。

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2008/10/25

きのうの続き。銭湯は大衆酒場にしてほしい。

Kyoudou_sento02引っ越してから、都心へ行くのは初めてだ。以前の最寄駅は京浜東北線の北浦和駅で、電車の本数が多かったが、こんどは、ローカルな宇都宮線の東大宮駅で、時間帯によっては、1時間に4、5本になってしまう。イチオウ電車の時間を確かめて出かけた方がよい。駅までの徒歩は前より短くなったし、電車に乗ってしまえば停車駅は少ないから、都心までの時間はかわらない。新宿まで約1時間。電車賃が、380円から570円に。

小田急線に乗換え、経堂の太田尻民芸展の会場へ。古い木造の二階建て民家だった。近頃のギャラリーというと、外観からコジャレたカワイイ汚い欲望のオーラに満ちているが、ここはそうではない。古い木造の造りが、そのままむき出し。あまり手を加えない最低限リノベーションといったところか。

一階は会場の一間だけ。10畳ちょいの広さで、前は飲食店だったらしく、奥にその残骸が残っている。倉庫か車庫のようなガランとした空間の真ん中に、夜店や朝市の感じで、板を置き、敷物をかぶせ、その上に太田尻智子さんの作品が置いたり、天井からつるしてある。時流のカワイイ薄汚い知性とは対極の独特の個性。照明を薄暗くすれば、お化け屋敷になりかねない。

3、4歳の子どもが、やや興奮気味によろこんでいる。ガキだからカワイイの好きというのは誤解で、成長するにしたがい子供心はカワイイものという誤解を身につけるのだろう。いつまでも、ありのままにむかう子供心を持っているならば、とくにカワイイの好きに偏執することなく、太田尻作品のようなものに興味を持つはずだ。ということは、カワイイの好きは大人になった証拠か?大人の薄汚れた素晴らしい知性を持つほど、カワイイのが好きになる。そういうことかもな、とか、酒を飲み作品をみながら考える。

ザキノ夫妻の家は出来上がり9月の末に引っ越したばかり、会場の近くだとか。俺のほうは家を建てる話もなかったころから進んでいて、もしかするとこっちが早く引っ越しになるんじゃないかとおもっていたが。ザキノ夫妻は、西荻のアケタで、不破大輔さんのベースソロを聴いたとかで、今度一緒に行くことにする。

須田さんの事務所は下北沢への移転が終わり、1か月ぐらいのうちに飲食営業のスペースも始まるとか。またアレコレ新しいプランが期待できそうだ。

Kyoudou_sento01

20時に会場は閉めバー大田尻家へ移動。すずらん通り、経堂駅と大田尻家のあいだにあった、銭湯「塩原湯」に閉店の貼り紙。見ると「八十年に渡り営業を続けてまいりましたが、重油の高値、家屋の老朽化などの影響もあり、このたび六月三十日をもって廃業することになりました」とある。

このあいだ、わめぞ月の湯古本市のとき、洗い場に座布団を置き、酒などを飲むことをしたのだけど、岡崎武志さんと飲みながら、銭湯の廃業のあとは、こんなぐあいに洗い場や脱衣所に座布団を置いて酒場にして欲しいねと話していた。浴槽の上に板を張れば、高座になって、寄席にもなると岡崎さん。いいリノベーションなのにと思い出す。

「リノベーション」というと大げさに考えすぎる面もあって、それはカネがかかりすぎることにもなる。利用の仕方のソフトを優先しながら、ということが必要かな。

大田尻家での宴会のたいがいは、すでに書いた。なんだか話は銀杏BOYZとパンクのことになり、太田尻民芸展の会場の二階をデザイン事務所にしているアレックスさんがパンク好きだったりで、あれこれ盛り上がり、いつものことながら、これからというところで、帰らなくてはならない時間に。

まちがえて北浦和へ行かないようにとキンチョーしていた。帰り着いて、ユラユラしながら、前のエントリーをアップ、ばたんと寝る。

楽しいねえ、太田尻家。二年前に結婚して千葉のほうへ引っ越したひとも来たり、いい人間のつながりができている。

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太田尻民芸展。

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大田尻家のツマ、大田尻智子さんの「太田尻民芸展」は、きょう、オープン。いやあははは、いいですねえ。この入り口のウインドウの作品は、2時間もたたないうちに売れました。これは、たしか、あと1か月のうちぐらいに、下北沢にオープンのバー?だかなにかに飾られるのですよね、たしか。これ、前のガラスがないと転がってしまうだなあ。唇のカタチと色がイヤラシクよい。ほんとうは、ケツ=尻も、いいんだけど、うまく撮れなかったから略。

俺だって、カネさえあったら買いたいものが、ほかにも、あった。いやはははは、楽しかった。満足。

飲み会も楽しかった。久しぶりに会った人たち。顔は覚えているけど名前が思い出せないひともいた。また名前を聞いたけど、もう忘れてしまった人もいる。

飲んだ酒。ビール各種、ポン酒各種、あのうまい焼酎なんだっけ、シャンパンも飲んだな。

思いがけなく銀杏BOYZの話で盛り上がったのには、オドロキ。いるんだなあ。パンクあんどファンクにやろうぜい。って、飲むだけか。いいじゃないか。

そして、ダ埼玉の空の下まで帰る電車がなくなるので、10時45分に大田尻家を出たのだった。外まで見送ってくれた、ワカちゃん、おぼえているよ~。最後にビールのロング缶を途中で飲めとくれたのは、えーと、銀杏やパンクの話をした名前ド忘れ、思い出せない。ま、いっか、ありがとう、そのまま飲まずに無事に持ち帰った。最終電車だったよん。みんな、また会おう。

ぐへへへ、1時過ぎ。ねむい。

太田尻家民芸展。世田谷区経堂で。
2008/10/11
経堂の大田尻家の太田尻智子さんの個展。
Ootajiri_mingei2


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2008/10/23

四月と十月展とスソアキコ帽子展とか。

グズグズ雨の一日だったが、突発性きもいメールがあったりして気分は上々だった。なにがどこがキモイのか、ある最近の小説か写真に関係していそうなのだが、どちらも「見過ぎ」といわれるほど見てないので、あとでいろいろ考えても、けっきょくわからずじまい。だからキモイのかも知れないが、キモイは奥が深くてオモシロイ。たまーに、そういう突発性メールがくるのが、またオモシロイ。ある種、感覚や思考の飛躍か。

感覚や思考の飛躍、といえば、食欲と性欲の秋にならぶ、ゲージツの秋。ってことで、案内をもらいながら、引っ越し騒ぎで紹介できなかった、縁が深いみなさんの展覧会が二つ。

第4回 四月と十月展
出品者 稲村さおり 宇田敦子 大熊健郎 川原真由美 鈴木安一郎 瀬沼俊隆 田口順二 牧野伊三夫 若菜晃子
10月27日げつようび~11月17日げつようび
会場 食堂アンチヘブリンガン
営業時間11:45~14:00 18:00~22:30 土日休み
東京都千代田区猿楽町2-7-11 ハマダビルヂング
電話 03-5280-6678
*「会場が食堂であるため飲食代がかかります。おいしいです!」とのこと。

「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」での「四月と十月」の展覧会、というタイトル。「美術+雑貨×古本」なんて、ふふん、いまどきの乙女チックなカワイイ消費の時流に納まりすぎって感じで、ふふん、と思わなくはないが、だとすると、出品者の顔ぶれからは、チト想像つきがたく、うーむ、どんなアンバイになるのか、ナニワトモアレ興味津々。それに、なにわともあれ、食堂アンチヘブリンガンへは一度は行ってみたいと思っていたので、この際、ちょうどよい。必ずや、参上。

そういえば、年2回刊行の『画家のノート 四月と十月』は、来年10周年だそうだ。今年の10月号は、この展覧会のオープンの日27日に発行と聞いている。この号から、俺のキモイ連載「理解フノー」が始まる。たぶん会場にあると思うので、手にとってご覧ください。

それから、四月と十月古墳部長にして帽子デザイナーのスソアキコさんの展覧会もあるのだ。
スソアキコ『Head ornament』
10月27日げつようび~11月5日すいようび
11:00~20:00 最終日は19:30
会場 スパイラルマーケット
東京都港区南青山5-6-23 スパイラル2F
電話 03-3498-5792

帽子展というのは、以前にスソさんの帽子展に行って、初めて体験したが、とても楽しい。今回も、たぶんそうだと思うが、被ってみられるのだ。それが、スソさんのデザインは、見たときは、え~っ、こんなんを被るのか!と言いたくなるようなものだが、これが、被ってみると意外に格好がついて、しかも気分が変わる。ほんと。スソさんが言っていたが、外で被らなくても、ウチの中で被っているだけでも気分が変ってよいのだな。魔法の帽子。できたら、ボケない帽子をつくって欲しい。ハゲやインポにならない帽子とかも。酒がいくらでも飲めるという帽子も欲しい。古墳部としては、スソさんの帽子を被ると縄文時代へ行けるってのもいいか。スソさんの楽しい帽子を被りに、必ずや、参上しまする。

もう一つ、スソさんは、すでに始まっているが、10月31日まで、博多で帽子展をやっている。
「スソアキコの帽険5 孵化する頭」
10月1日~10月31日きんようび
11:00~19:00 水曜定休日
会場 TIME & STYLE WESTEND
福岡県福岡市中央区大名1-6-21
電話 092-733-3911

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ヴィジュアルな表現に長いヘタクソな文章。

雑誌のあいつぐ「休刊」の一方で、Webを利用したプロモーションが盛んだ。出版社もWebサイトを開設し、コミュニケーションツールとして大いに利用しながら、雑誌などで目減りした広告費も稼ごうということらしい。そこでは、雑誌づくりとおなじように、飲食系の話題が必需品のようにある。ま、誰でも関心があることだから組しやすいのだな。

って、前置きが長くなったが、ようするに、そういうWebサイトは、けっこうヴィジュアルな表現を追求しているツモリらしいのだが、簡単に言ってしまえば、写真の使い方がお粗末。ヘタクソな長い文章に、この写真の使い方はねえだろうと言いたくなるようなものがある。もっと写真を中心にして文章の短い方が、「うまそう」で「楽しそう」なのにと思ったりする。

雑誌などで活躍してきたプロのカメラマンが写真を撮影していても、写真が可愛そうなぐらい見栄えのしないデザイン、しかもヘタクソな文章がえらそうにしている。そうだ、文章がよいならまだ救われるが、ヘタクソな文章がえらそうにしているのがモンダイなのだ。

俺がヘタクソな文章を話題にするなんて、目クソ鼻クソを笑うような話かも知れないが、ホント、ひどいのがあるよ。だいたい、飲食系の文章というのは、ただでさえ「自分語り」「私語り」の自慢話が少なくない。対象に迫ってない。書いている本人が、いい気になっている。そういう自己陶酔のようなヘタクソな文章が長々とあるなかに、シッカリ対象に迫ったツボを押さえた写真が小さく使われている。ま、大きければよいということではないが、画像のデジタル処理のモンダイもあるのか、せっかくの写真が台無しという感じ。これじゃ、ド素人のブログと、たいして変らない。やっぱり、いいビジュアルに、いい文章となると雑誌なのだろうか。

もっと写真と文章のバランスを考えたアートディレクションをしてほしいよ。

しかし、飲食系の文章を書くひとってのは、どうしてこうも自分が「うまいもの好き」の「酒好き」の「街歩きの達人」の「もの知り」「好人物」「いい趣味人間」であることを吹聴したがるのだろうか。そんなことは他人の評価にまかせることで、自分は真摯に対象に迫ればよいのだと思うが。そうでもないのかな。と、売れないライター稼業の俺は考えたのだった。

とりあえず、今夜というか、昨夜話題になったことを、忘れないうちに書きましたです。

ああ、もう朝の4時だよ。

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2008/10/22

やさしい、ていねい、洒脱もいいが、乱暴にも馴染んでほしい。

基本的に俺は育ちが悪い。むかしは、「百姓の次男坊の家系」といえば、それだけで貧しく育ちが悪いことを意味していたが、俺はまさにそれだ。

で、よーするに行儀も悪ければ、口も悪い。と、開き直っている。「やさしさ」なんてのは臆病のあらわれで、「ていねい」なんてひとの顔色をうかがっているだけ、なんて思っている。そもそも俺は心理カウンセラーなんかじゃねえんだから、イチイチ相手のココロの様子など気にしちゃいられない、とも思う。

てなことで、なんかあると、スグ思ったことを、まんま口に出してしまう。いや、まんまぐらいならよいのだが、イザとなると、なにしろ「奥ゆかしさ」や、サッと切り上げる「洒脱」なんざ知らないから、トコトン言ってしまう。そのうえ、これは育ちの悪さに関係なく、育ちの悪さを起因とする飛躍的ねじくれ性格なのか、辛らつすぎるクセがあるらしく、ミモフタモなくなるぐらい言ってしまう。

一方、自分はガキのころから、いろいろ言われて育っているから、悪口だろうがなんだろうが、何をどんなふうにいわれても平気だ。これぐらいなんだい、という思いがある。荒っぽいコミュニケーション人生ですね。

そのように無反省にコンニチまできた。すると、なんだか、いまどきは、やさしすぎるし、ていねいすぎやしまいかと思うことが、たびたびだ。そして、ちょっとのことで、ひとの言ったことを気にする。なんとも気詰まりだ。

若いヤンキーみたいな男が、仕事の最中に、ちょっと荒っぽい言い方をしたぐらいで、なんだその言い方は年配者に対する態度か、テナことになる。幸か不幸か、俺のまわりには、俺という年配者に対して口の効きかたも知らない若いやつらがいるせいか、なにもそんなことで目くじら立てることはねえだろうと思うようなことまで、イチイチ気にしている。

ま、いいや、もう書くのがめんどうだ、タイトルにあるように、荒っぽい会話に馴染むということがあってもよいんじゃないかと思う。心理カウンセラーと心理病者の会話みたいなのがフツウじゃ、かないません。なんか、「心地よいファシズム」に飼いならされた、ちょっとのミスやアヤマチもゆるさない「世相」を感じるのだ。

荒っぽい会話を楽しもう。そうだ、こんど、荒っぽい会話な飲み会というのをやるか。

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2008/10/21

引っ越し日和。

引っ越を 何度やっても 地球のうえ

081021

虚実皮膜の間 みなジョーク

これが終 の棲家になるのかな 空のした


さいたま市浦和区から見沼区に引っ越しました。

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2008/10/20

どうなる東京、どうする東京。なるようにしかならんだろう。

もう書きあきたので最近は書いてないが「東京荒野論」そして、もう東京はモデルにならない、モデルにするのはやめたほうがよいという話だが、雑誌『談』編集長によるBlog2008年10月11日「東京が大荷物になる時代が、もうそこまで来ている。」、2008年10月14日「大増税か福祉の切り捨てか。労働人口減少が、究極の選択を迫る?!」、2008年10月15日「人間は単なる量か。人口論という陥穽。」は、おもしろい。笑えるほど深刻でおもしろい。

だいたい、これほど一極集中化した、しかも消費だけの大都市が、大荷物ガンにならないわけないんだが。とにかく、そこにも書いてあるように、「少なくとも、大規模再開発は即刻中止する必要がある。ストックを活かしたリノベーション型の都市更新以外には選択肢はないといってよい」ってのは確かだとおもう。ついでに、先のないグルメばか騒ぎもやめたほうがよい。

が、しかし、いまや東京は、消費の能力だけは立派でありオシャベリに時間をつぶすのは得意だが、みずから変わることはイチバン苦手のものたちが「主流」をなしているのだ。なるようにしかならんだろう。

もう一つ、東京は「首都圏」を持っている。つまり周辺を呑み込み「東京化」することで、まだまだ「東京荒野」は生き延びる余地がある。みずから変わるのがイチバン苦手のものたちは、メディアをにぎり大中小さまざまな権力と権威を持って、まちがいなくそこへ向かう。かくて都心を含め大規模再開発は続く。東京の「侵略」は続くだろう。なるようにしかならないのだな。

東京のマネはしないほうがよい。千葉も埼玉も、ださくていいじゃないか。東京にあこがれ東京にないよいものを捨てることはないのだ。
もちろん、この場合の「東京」とは、消費文化の見本市あるいは殿堂、近代に本郷周辺から始まった山の手「中流風」文化のことだ。

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またまた大宮いづみやで飲んだくれ。

きのう。吸うさんが大宮のほうまで用があって来るから、いづみやで飲もうということになった。18時、いづみやの本店。生ビールを飲み始めたところで、吸うさんあらわれる。3月ごろ以来らしい。とりとめなく、おだをあげる。1年に1回ぐらい、笛太鼓の音がする祭りがあるのはいいことだ。という結論。上中里駅そばの、俺がお気に入りの神社は、平塚神社。生ビールのちポン酒燗、梅割り。

飲んだくれていても引っ越しができる体制にあるので、飲んだくれているが、やはり荷物かたづけの少しはやっているわけで、疲労が蓄積している感じがあり、めずらしく閉店の22時まで飲む元気がなく、酔いがまわり、21時半ごろ切り上げ、帰るとそのまま服も着替えずに寝てしまった。

ここに10年住んで、引っ越しするのだが、10年が早く過ぎた感じはない。ま、のろのろでもないが、「はやい」という感慨はない。年取ると時の過ぎるのを早く感じるといわれるが、そういわれるとそうかも知れないと思うこともあるが、たとえば、好きな女がいて、なかなか会えないといった、待ち遠しいことがあると、時の過ぎるのは遅く感じるものではないだろうか。それは生きがいにもなりよろこばしいことだろうが、そうではなく、生きているのがめんどうになったりすると、一日は長いし一年も長く感じるのかも知れない、これはあまりよろこばしいことではないだろうな。どのみち時空間なんてのは人間が考え出したものだから、いいかげんなのだ。人生なんて、ラララララ~なのさ。

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2008/10/19

「生活目線」の可能性。生活の中の日常性と非日常性。

ときどき考えていることではあるけど、最近の二つの記事から、このタイトルを思いついた。めでたいことに、全国紙を頂点とする活字文化は、難しい局面にあるらしい。難しいというか、転換点にあるというか、どうでもよいが、遠く大昔の貴族社会あたりから続いていたらしい「生活遊離」の活字文化の栄華が、やっと、平穏ではなくなった。といえるのだろうか。

かつて経済学者?の竹内宏さんが、「経済は生きている。街角から考える発想を」てなことを何かに書いていた。そのテの主張はたくさんあったのだけど、たいがいのニンゲンは「自分にあった=努力しないですむ楽な」選択をしたのち、自分の正しさの根拠をかき集めて主張するわけで、「街角派」の旗をふって「まち歩き」をしても、頭の中は「生活遊離」の活字文化のままの目線で眺め書くということはめずらしくなかった。つまりは、「書斎」をかついで街角に出ただけなのだ。それは、ある種の文化的な「上から目線」といえないことはない。困ったことにご本人は、街を歩いたり大衆酒場や食堂などに入れば、「庶民文化派」のツモリだったりするのだが、それこそ「生活遊離」の特徴といえそうだ。

こういう傾向は、もちろん、食の分野で最も顕著で、ほぼ趣味道楽のような「文学目線」の食談義が、まだ依然としてまかり通っている。そこでは、なぜか、文学的によいことオモシロイことが、食的にもよいということになってきたのだなあ。そして、そういうことが、もはや衰退しつつある中で、まだ、とくに「生活目線」より「政治目線」「文学目線」「趣味道楽目線」などが得意で楽な男たちにとっては「価値ある」状態は続いている。まだまだ続く。

だけど、マスコミかミニコミかに関係なく、これからは「生活目線」をモンダイにしなくてはならなくなるだろう。ミニコミだから「正しい」なんてこともなくなる。てか、もう、そんな一時代前の「マス」「ミニ」の尺度は通用しない。

それはまた、これまでの「生活」のとらえかたで「生活目線」を語るのがよいことなのかにも関係する。ってことで、タイトルの「生活の中の日常性と非日常性」になったのだが、いま書いていられない。

とりあえず、ちょっと興味がある、この二つの記事の一部をメモしておく。


yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081018-00000010-maip-soci
女性誌 サバイバルあの手この手 王道は「読者目線」
10月18日12時54分配信 毎日新聞

一方で、部数を急増させている女性誌もある。キャバクラ嬢を対象にした「小悪魔ageha」(インフォレスト)は「06年の創刊時5万部だった部数は、今35万部」(中條寿子編集長)という。

 はやりの化粧法や髪形を紹介するだけではなく、100人以上の読者モデル「age嬢」が登場して「毎日タクシーを降りて店に入るときが憂うつ」などと本音を語る。

 中條編集長は「世の中、芦屋に生まれて母親からブランドバッグのバーキンをもらうような子ばかりじゃない。自分の力で生きようとする女の子のために作っている」と話す。編集部員には「上から目線」で取材しないことを厳しく課している。読者との距離感を作らないためだ。

 雑誌危機の時代を生き残る秘けつは、当たり前のことではあるが、「読者目線」(久保研究員)に尽きるのかもしれない。


名古屋タイムス
http://www.meitai.net/archives/20081016/2008101610.html
高校生の時、取材受け「勲章もらった気分」に 
林香里・東大大学院情報学環准教授

社会の規範や思想が変わる中でどのようなジャーナリズムが考えられるかがわたしの大きな研究テーマです。外国人が入国し、女性問題も時代とともに変化。新聞研究者は絶滅危惧(きぐ)種ですが、ジャーナリズムの果たす役割は今後も重要でしょう。
 ジャーナリズムは地域の情報を大事にするとこからは始まると思う。政治権力、首相の話ばかりがジャーナリズムではなく、生活の窓口として地域情報を伝える媒体を地域の人は大事に支えるべきです。生活を大切にすることとジャーナリズムに興味を持つことは同じだと思います。情報はただだと思いがちですが言論、文化を意識して支えるためにはお金はいることを意識していかないと駄目。教育、環境に対する意識のように、国民1人1人の問題でしょう。

 プロフィル 林香里(はやし・かおり)63年名古屋市生まれ。87年南山大学外国語学部卒。88―91年ロイター通信東京支局勤務。93―96年ドイツのエアランゲン・ニュールンベルク大学留学。95―97年東京大学大学院博士課程。01年同大学院から論文博士号(社会情報学)。01―04年ドイツのデュッセルドルフ大学講師などを経て04年東大社会情報研究所助教授。同年4月から現職。

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2008/10/18

カラオケぴょんぴょん見て朝帰り。

きのう。若い人妻と19時半大宮駅待ち合わせ。19時ごろ着いて、街をぶらぶらしようと東出口へむかうと、彼女も早く着いてバッタリ。そのままいづみやへ。本店と第二支店をハシゴすることにして、まずは本店。ほぼ満席。生ビールに、ポテトサラダ、ハムカツ、アジフライといった定番コース。つぎ第二支店。こちらもほぼ満席。梅割り、ポン酒冷や、黒糖焼酎と刺激的な酒痛コース。22時閉店で出され、まだ早い、もう1軒と、歓楽街のほうへ流れる。すごい人ごみ、いまやここは関東一の歓楽街か。途中で、もっともピンクなピンクの通りに入る。池袋北口や歌舞伎町から消された客引きが健在で、両脇に並んで、にぎやか。男1人なら通りぬけるのが難しそうなほど。と、そのあいだに、なんだかよさげな居酒屋が、なんだかよさげ。ここにしようと入ってみる。これが、よかった。

またビールを頼む。俺が便所に入っているあいだに、彼女はカウンターに座っていた若い男の客にアプローチ。ほんと、若い男が好きだなあ。しかし、なんだね、あちらは刺身の盛り合わせなど俺たちより高い肴をとっているのに、栃尾の油揚げの焼いたのをふた切ればかりあげて、話しかけるきっかけにしたのだそうだ。彼女は村上春樹が好きなんだという。春樹ファンだとは知らなかった。あれこれ春樹の小説、あれはノーベル賞を貰わないほうがいいんだよ、「偉大なる大衆作家である、ってことでいい」という結論。とやっているうちに都心まで帰る電車がなくなったという。そういえば上り電車のほうが早く終わるのだ。彼女はカラオケだという。

酔っているせいか、そのカラオケがなかなか見つからない、うろうろしやっと1軒みつけるが深夜なのに大勢さん並んでいる。でも2人だけならすぐOKで、うたい放題のみ放題で部屋に。もう俺はヨレヨレ状態。飲み放題も飲めない。ソファに寝転がる。彼女は元気にうたっている。それが、なぜかソファの上で、ぴょんぴょんはねながらうたっているんだなあ。なぜ、ソファの上でぴょんぴょんはねながらうたうのか考えてみたりしたが、寝てしまう。ときどき目をあけると、まだぴょんぴょんやっている。寝込んでしまい電話で起こされたら5時15分、彼女はぴょんぴょんはねていたソファで寝転がっていた。出ないと延長をとられるという。出てみたら、酒を飲んでいたあたりとは反対の、かなり歩いたあたりだった、どうしてここまで来たのか思い出せない。大宮駅で埼京線に乗る彼女とわかれる。

帰って崩れ落ちるように寝る。昼ごろ起きる。酒痛が残る。

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2008/10/17

あいでんてぃてぃな30代の終わりのない結末。

選ぶということは捨てるということであり、捨てるということは選ぶことであり、捨てないということは選ばないことでもある。なーんて調子で、どんどん捨てまくっている。引っ越し業者に見積もりをしてもらったら、持って行くものより捨てるものが多く量もあり、捨てるためのトラックのほうが大きく料金もかかることになった。とにかく、本や資料も捨てまくっている。そしてまた、「発掘品」だ。おーあいでんてぃてぃな30代を振り返る数少ない生き残り資料。

30歳になったばかりの1973年後半に江原恵さんと出会い、その著書『庖丁文化論』を読んだりして、ますます「日本料理とは何か」と考え深げにしていたころ、同時に「アイデンティティって何さ」状態にあった。いわゆる「CI(コーポレート・アイデンティティ)」なるものに、プランナー稼業として取り組むことになったからだ。

2003/02/20「漢字とひらがなとカタカナ」に少し書いたが、71年に『DECOMAS(デコマス)―経営戦略としてのデザイン統合』という本がでて、この「デコマス」がのちにCIといわれるようになるのだが、その本には、「CI(コーポレート・アイデンティティ)」という言葉は、チョロとしか出てこない。でも、それが、仕事になってしまった。

いまじゃ、アイデンティティなんて言葉は、ガキでもつかっているが、当時は、まだほんの一部のビジネス界で話題になっていたていどだった。

ま、そういうわけで、日本料理モンダイとアイデンティティもんだいが、俺の肉体のなかで絡んでもつれアハンウフン状態になった。そのまま突っ込み突き進んでいるうちに30代の終わりに、ここに射精するに至った。

すでに何度か書いているが、江原生活料理研究所は、1980年10月の開設で83年まで活動した。その間、82年に「経営理念研究センター準備会」なるものをつくり、PRもかねて『企業と理念』という冊子を発行した。83年1月の創刊、季刊で、その年の12月4号で終わった。

ちょうど俺は40になったころだった。この二つのプロジェクトは、俺の役回りとしてはプロデューサー役が主で、一部プランナー業務をするという立場だった。ま、ようするにカネをにぎっていたのだ。そして、あいでんてぃてぃな俺の30代は、この二つのプロジェクトで、花火大会最後の大スターマインのように、思い切り噴火し爆発して果てた。

うまいことに、「日本料理とは何か」と「アイデンティティって何さ」は、おおいに関係がある。日本人の深い部分で、絡み合っている。俺としては、日本料理モンダイとアイデンティティもんだいについて、体験的かつ実践的に、そして理論的には少々、あるていど確信と核心になる結論というか方向性を得た。それだけを握って、それまでの仕事の舞台を捨て、すたこらさっさ不倫で貧しい新しい分野の混沌な展開を選択したのだが、そのことは、いいや。この発掘品だ。

経営理念研究センター準備会は、2008/09/27「玉城素さん、9月14日に亡くなっていた。」に書いた、玉城素さんとやった仕事だ。玉城さんは、俺のために取締役を解任されたあとだった。そして、玉城さんのおかげで、早稲田大学商学部教授の鳥羽欽一郎さんに、代表になってもらうことができた。

Siryo_rineken02鳥羽さんは、商学部長だったときに入試をめぐってだったかスキャンダルがあり、その責任をとるカタチで教授に退いていた。よく売れた『もう一つの韓国』(1976年)の著書があるなど、玉城さんとは韓国つながりが濃い、「経営史研究」の権威だった。ってことで、早大の経営史研究室の資料だけではなく、ウエイティングドクターで助手をしていた浅野俊光さんにも協力してもらえることになった。

『企業と理念』の取材や原稿作成は、ほとんど、玉城さんと浅野さんにやってもらった。おれは1号の「編集室より」を書いただけ。あとは、主にアンケート調査をまとめていた。

この経営理念研究センター準備会が受けた仕事に、都内に本社がある某私鉄大手の社是改訂コンサルティング業務があった。たしか83年の4月ごろ受注し、84年の6月に作業レベルは終わった。これはプランニングが関係する作業なので、俺はプランナーとプロジェクトの責任者という立場だった。全作業を、玉城さんと浅野さんと共にやった。ボトムアップ型の意見集約をやり、KJ法でまとめることをしたのだが、これだけ大規模なKJ法のまとめは初めてだった。

Siryo_rineken01俺は終わるころには、もうこの分野はアキタということでもないが、たいしたおもしろいチャレンジはないし説教くさい辛気くさいという感じで、チョイと別のことがやりたくなっていた。以前から仕事の付き合いがあった某大手ゼネコンから社史の編纂の話があって引き受けたが、そっくり玉城さんにわたし、玉城さんは浅野さんと作業をすすめた。

浅野さんは、30歳後半になっていたであろう、やっと念願の大学の先生に就職できたのに、数年もしないうちに病気で急逝された。1991年ごろだったと記憶している。つまり、『企業と理念』と社是改訂作業に関わった、玉城さんと浅野さんは、すでにこの世の人ではない。黙祷。

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2008/10/16

誰にも話せない、だけど、どうしても誰かに話したい。ってことがある。

Maneg_3またまた引っ越し整理の中での「発掘」。忘れていたわけではないが、どうするか決めかねて、とりあえず、そのままにしてあった。

「マージャー」のタイトルで、A4サイズ146枚、原稿用紙にしたら600数十枚の「長編」だ。これが宅急便で俺の手元に届いたのは、6年ほど前の夏だった。

ワープロの手紙がそえられていた。そこで彼は、こう書き出している。……

これは小説か?
はっきりしていることは、この作業に集中しなかったら、半年はもたなかったことだ。

……彼は自分が手塩にかけて育て大きくし、業界一にした会社を売ったあとだった。この文章は、その売買のニュースが新聞の活字になったところで終わる。

手紙では「その結果目の前で繰り広げられることは、熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているようなものだ」と書いている。この比喩は、文学的にはどうかなと思うが、彼は、その苦しみのなかで、「発狂」しそうな状態だった。

「「人間一生に一冊は小説が書ける」というが、そんなたわごとを引っ張り出しても慰めにならないほど、集中力が切れそうな半年だった。あと半年残されているが、どうなることやら。しかしここからはどこで切れるか自分でも予測がつかない」

「ともかくこの文章を先ずあなたに送る。これは小説か?あなたの答えを待つ以外ない」

こうして綴られた文章は、やや慟哭を感じさせる手紙とはちがって、冷静だった。もっとも、彼は、手紙からもわかることだが、冷静でいるために、これを書いたのだ。

ニッポンそしてアメリカとシンガポールや香港を舞台にした、いわゆるM&A劇の、ウラオモテ、それをめぐるニンゲンのアリサマが、彼がその業界に飛び込んでからのことも含め、書いてある。ま、事実は小説より「奇」で、その「奇」があからさまだから、これは小説とはいえない、かも知れない。

俺が、この文章を読んで、彼にいったのは、しごく簡単なことだった。たいがいのひとは、それをやらない。とくに買収された社員に「薄情」「裏切り」のレッテルをはられるのがイヤであり、「責任」という自分の面子や体面にこだわるからだ。もちろん、少しでもカネが欲しい執着もある。

彼は、おれが簡単に結論だけいったことを、すぐ理解した。そして、そのようにした。それで、全部がうまくいったかどうかはわからないが、少なくとも彼は、目の前で熱愛中の女が強姦されるのを手出しできないで見ているようなことにもならず、熱愛の関係と思っていた女が、いとも簡単に新しい男になびくようなことを見なくてすんだ。もちろん、そういうアリサマをじっと見つめるというテもあるが、彼は、それに耐えられる状態になかった。あまりにも「愛情」が深すぎたからだ。溺愛は、ともすると「執着」や「偏執」に陥りやすい。何割かを捨ててこそ、バランスが成り立つのに、それができなくなることがある。

とにかく彼は、この文章の扱いを、おれにまかせたままになっている。そのまま、どこかに出そうが、ちょっと俺が手を加えようが…。もしかしたら、インターネットに公開してもよいのかな。

それにしても、午前3時すぎだが、深夜に、こういう「手記」を見ると、宇宙の一隅でうごめくニンゲンとは、奇怪な動物だと思う。それでも、めしを食べなくてはならない。俺もな、その一人さ。

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2008/10/15

アジフライの無限的研究 その6。小説「アジフライ」でも書こうか。

引っ越し準備の肉体重労働と酒疲れが重なってか、おととい、きのうとかなりへばっていたうえ、アレコレあって、ゆっくりパソコンの前でくつろぐ?ことができなかった。が、きょうは、朝から快調だ。なにしろ、あとは引っ越しの当日まで飲んだくれていても引っ越しができる体制ができたし。

ということに関係なく、ひさしぶりに、アジフライだ。調べたら、たぶんまちがいないと思うが、前回は、2007/11/30「アジフライに関する無限的研究 その5」…クリック地獄、だった。

この間に、画像を送ってくださった方もいたのに、ほったらかし。どうもすみませんでした。

いやあ、じつは、小説「アジフライ」つうのを思い立ち、はて、夏目漱石風に書くか、それとも森鴎外風か、いやいや、やはり椎名誠風か東海林さだお風か、うーん田辺聖子風も悪くないぞ、だけど女流なら川上弘美風が意外によいかも、松本清張風もいいなあ、いやいや、やはりヘミングウェイ風か村上春樹風か、そうじゃねえな、んノノノーベル賞作家のアノ人、名前を思い出せない風か、ちがうなエロ小説家のエロ野エロ男風がよいか、あれこれ毎夜悩んで、そのわが深い悩みの深淵に沈んだこの身の可愛さに酒を飲み、夜毎アジフライが空を飛ぶ夢を見ていたのだが……。

4月1日には、イデさんから、東京にもどってきた辺境の詩人と「渋谷井頭線ガード脇赤提灯にて一献しました旨いけど1尾半割(400円位だったかな?)の鰺フライ 酎は金宮 その近くの酒場でのマカロニサラダは暗くて撮れませんでした 何れも拙行きつけ 何れまた宜しく」とのメールが、アジフライの添付画像とあった。皿が、なんだか、渋谷井頭線ガード脇赤提灯ぽい。
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8月10日には、飲み仲コンマさんから、門仲「魚三」のアジフライと、浦和「かつ広」のアジフライ。かつ広の、この手で二つに割ったような変形について、「アタシ的にはナシなんですが、弁当箱の都合で、こう切らないといけないのでしょう」とのコメント。
Ajihurai_monnakauosan
Ajihurai_urawakatuhiro

そして、きのうのエントリーに書いた、7月27日は、川崎の大衆食堂「丸大ホール」と大井競馬場のアジフライをやったのだった。
Ajihurai_marudai
Aihurai_ooikeiba

小説は、ともかくとして、アジフライと個性のモンダイは、なかなかオモシロイと気づいてはいるが、書いても一銭にもならないしノーベル賞も貰えないから書かない。

以前から気にかけてもらっている若手の女編集者から、近況うかがいと飲みの相談メールがあったので、「あいかわらず私を使おうという大胆な編集者は少なく、元気に酒ばかり飲んでいます」と返事したら、「大胆な編集者になれるよう、頑張ります」と、また返信があった。アジフライは、その言葉だけでもうれしく落雷じゃない落涙、孤独の涙の雫を酒におよがすのだった。およげ涙くん。

牧野さんから電話があった。体調を心配していたのだが、元気そうだった。12月に集英社から本が出る予定だそうだ。初めての著書だといわれ、まさか、と思ったが、意外やそうなのだ。うれしや、めでたや。もう少しハッキリしたら、このブログで紹介します。おれの連載「理解フノー」が始まる「四月と十月」10月号は、25日発行予定が遅れて27日になるとのこと。しかし、牧野さん、かなり忙しいようだ。身体、気をつけてほしい。飲みすぎるな!と、強くいえる立場じゃないしなあ。だいたい、こんど引っ越したら牧野さんとこまで乗換えなしでいける、飲もう、という話で電話を切ったのだ。そういえば、俺を連載に起用する牧野さん、かなり大胆である。

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2008/10/14

夏の思い出。馬券と乱雲。

Bakenデレデレと酒を飲みながら、引っ越しの準備がすすんでいる。きょうの「発見」は、馬券。7月27日に大井競馬場で、博打ごっこ飲みをした。そのとき、ピンときた馬券を買った。

博打とはいえない、3レースと5レースで、ケチケチ買い、単勝300円ずつ。どちらも当った、あわせて3000円ぐらいだった。競馬新聞を見て買ったのだが、3レースの「ファウンテンジョイ」は、なぜピンときたのか思い出せない。5レースの「オナチョロ」は、名前で買った。思い出して、笑った。ほらね、「オナ」「チョロ」ですよ。

おれは紳士だから、こういう下品をあからさまに書きたくないのだが、わからん方への親切のために書くと、「オナニー」「チョロ」ですよ。あとは、想像してちょうだい。それで、「チョロ」ていど、買ったのだ。

Kumo_ooikeiba_2あの日は、荒れ模様の天気だったが、けっきょく降らないで、馬場もレースも荒れなかった。だけど、雲の姿は、どんどん変って、ちょっと大都会に似つかわしく思えたところを撮影した。

雲といえば、この夏は、長野県の白馬で、好きな雲の姿を撮影できた。そもそも、たなびく層雲系より、むらむら乱雲系が好きなのだが、このときは、その乱れぐあいが、素晴らしかった。しかも、そこに、赤い花が。おおっ、これは、もう、女、ですね。しかも乱雲に似合う花。鈴木漁生さんが「青春の墓場」などの漫画にかいた、「負を背負っても、たくましく生きる人びと」

たとえ人殺しに落ちぶれても
私は同情なんかまっぴらだった

そして、気がついたら、当り馬券の換金期限の60日は、すぎているのだった。

オナチョロがうらめしや 夏の雲

Kumo_hakuba

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雲よ

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2008/10/13

旅の手帖11月号わたしのひとり旅、「ひとり旅に持って行きたい文庫本」。

10日発行の掲載誌が届いていたのだった。「散歩の達人」から「旅の手帖」に異動になったH岩さんから頼まれた簡単な文章「ひとり旅に持って行きたい文庫本」。

こういうときは、もしかすると編集者は、東海林さだおさんの本や大衆食系を期待しているのだろうかと「考慮」してみるのだが、じつは、日常的にも、そういう本はあまり読んでいない。気に入った、あるいは気になる、おなじ本を何度も読む「習性」だ。

ここ一年ばかり、「旅」というと持って歩いているのが、村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)か宮沢章夫『茫然とする技術』(筑摩文庫)か、この本、景山民夫『普通の生活』なのだ。それで最近もっとも頻度が高い『普通の生活』にした。そのワケは書いたが、それは説明しやすい、わかりやすいワケを書いたのであって、芯はほかにあるのだな。それを書くと長くなるので書かない。

俺は「旅人文化振興会発起人」という肩書を始めてつかった。

掲載者は7名ほど、H岩さん本人と、ほかに会ったことがあるひとが、チラチラ。一度だけ浅草でガツンと飲んだことがある吉田類さんは、開高健編『それでも飲まずにいられない』。「わめぞ」で大活躍の早稲田古本街「古書現世」の若旦那向井透史さんは、つげ義春『無能の人・日の戯れ』(新潮文庫)、ペンギン写真家ほかもろもろで活躍の高野ひろしさんは、小林信彦『唐獅子株式会社』(新潮文庫)。H岩さんは、村上龍『昭和歌謡大全集』。件数は少ないけど、それぞれ、なぜその本なのかのワケがオモシロイ。書店で手にとってごらんください。

前に『普通の生活』から引用している。
2008/04/09
「手づくり観光」と「B級グルメ」とまちづくり。

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新宿で肉宴、よれよれ酒疲労。

きのう。まだ前夜の酒疲れが残ったまま新宿へ。肉姫さんの誘いで「肉宴」があるのだ。途中でソルマックを飲んで行こうとおもっていたのに、ボーとして忘れ、18時半待ち合わせの老舗焼肉店に、チョイ早めに着く。サキさんあらわれ、続いて、肉姫さんと木村衣有子さん。肉姫さんと木村さんは、これから焼肉を食べるというのに、もう打ち合わせをやりながら腹に入れてきたのだとか。あな、おそろしや。前途豪飲豪食をおもわせる始まりに備え、やはりソルマックを飲んでおくべく、先に店に入ってもらい、近くの薬局へ行く。これが、よいタイミングだった。というのも、俺が薬局からもどると、もう待ち列ができ、店内は一杯。

木村さんと会いたがっていた肉好き酒好きのタケカメさんに声をかけておいたのだが、法事があって、やはり時間に間に合わず、ワレワレだけで先に食べ始める。ま、そう遅れずにタケカメさん到着。とにかく、どんどん食べ、どんどん飲む。

サキさんは、そんなに肉が好きというわけでもなく、とりわけ焼肉は、それほど好きじゃないという。そのワケを、二人で語りあう。ようするに、焼肉というのは、なんだかアワタダシイ、落ち着いて飲めない食えない。そういやそうだ。焼肉は、もしかすると「生き急ぎ」タイプの食べ物か。女たちは、そういうことは気にならないのか、シャベル口も、肉を食べる口も、酒を飲む口も休まず、がんがんやっている。

疲れているから控えめに飲もうと思っていたが、生ビール飲んだらうまく、木村さんに「エンテツさん、飲むピッチ早いね」といわれ、おおっ、俺だけ素早くジョッキの半分以上があいていると気づく始末。えーい、ままよと、生ビールのちマッコリ。

えーと、サキさんに、リンゴと「みずのこぶ塩漬」という秋田県産のめずらしい山菜をいただく。木村さんには、岩手・青森・秋田の「大人のための北東北エリアマガジン」という『rakra ラ・クラ』10月号の特集が「まちの名物食堂」だからと、いただく。先日のブログにZAZENBOYSのことが書いてあったからとCDもいただく。

どんどん食べ、もう腹はよいとなった。区役所通り入り口のアボチョイへ。いろいろなビールを飲む。なんの話をしていたか、ほとんど覚えていないが、あまり話しに参加する余地がなかったのか、しゃべる元気もなくなっていたか、けっこう黙々と飲んでいたような気がする。アルコールの靄がかかったような脳みそ、それぞれの青春それぞれの結婚それぞれの漫画や音楽? ぐちゃぐちゃ話が入り乱れるなか、タケカメさんがばかに元気だった記憶がある。ま、「精進おとし」か。帰り、靖国通りでタケカメさんはタクシーで去り、新宿駅近くで肉姫さんと別れ、サキさんと木村さんと電車、池袋の駅でサキさんと木村さんが降り、降りた木村さんにむかって投げキスをしたら、木村さんが返してくれた。なんだか小説や映画になりそうな夜だなと思った。あたりで、記憶を失う。さまざまな人生の交差を感じる飲食がある。会いと別れの飲食だな。

とにかく、疲れた。

エルマガ、今年で最後、休刊。

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2008/10/12

わめぞ月の湯古本まつりと秋田能代の喜一郎、泥酔。そして内澤旬子「おやじがき」。

きのうは、わめぞの「第2回月の湯古本まつり」だった。以前に書いているように「わめぞ」にはチョイと思い入れがあり勝手に協賛のこころ。また、春の第1回のときには、「酒とつまみ」編集発行人の大竹聡さんと、月の湯の風呂場でトークショーをやっている。メディアでの露出もふえ有名になった「わめぞ」だが、今回はどんなアンバイか気になるから、ビールを飲むだけでもよいとおもい、行った。月の湯とは、文京区目白台にある銭湯で、その脱衣場や風呂場をつかい古本市をやるのだ。

池袋から初めての地下鉄副都心線に乗り一つめ雑司が谷駅で降り10分ばかり歩く。暑くて汗ばむ陽気。会場に着き男湯のほうから入る。すぐ旅猫雑貨の金子女史、風呂場で武藤さんが酒を売っているという。古本見ないで、男湯風呂場へ。タイルの床の上に座布団を置いた「カフェ」というか「茶屋」というか。おっ、退屈男さんがいる、おっ、岡崎武志さんも、なにやら女子たちと。とにかく、のどが渇いていた。まず缶ビール、武藤女史に300円渡し受けとり、岡崎さんに挨拶し隣に座ろうとするやいなや、イキナリ岡崎さんに「すばらしい家じゃないですか」テナことをいわれる。えっ、まさかのまさか、岡崎さんがこのブログを見ていたなんて、おそれ多い。「いや、岡崎さんの書庫ほどの大きさもない家です」とかいいながら座り。その話。あの家におれがいる姿が想像つかない、もしかして外にテントを張って寝るのでは、いやあもしかすると家出離婚のウワサもあります、とかにぎやかに。初対面の女史のみなさんは、晶文社、ジュンク堂大宮店、名古屋からの本屋さんの方。全国各地から、わめぞは盛況。えーと、古書ほうろうの宮地夫妻、ふぉっくす舎のネギさん、などご挨拶。

缶ビール、もう一つあけたところで、イチオウ古本市なので、男湯と女湯の脱衣所と女風呂場に展開の古本市をみる。すぐ読まない本は買わない主義だが、知っているひとの出店もあるから敬意を表して買ってもよいかとおもい見るうちに、けっこう買ってしまった。だけど、漫画屋の塩山芳明さんの「嫌記箱」店。おれですら、これで売れそうな本をそろえたつもりだろうかと思ったほど、なにも感じない品揃え。これは売上げ最下位だろうと判じ、おっ、時計を見ると17時近い。

17時半に池袋駅で待ち合わせがあるのだ。急いでもどろうとすると、T野女史が入ってきた。顔を合わせるのは正月に飲んで以来だとおもうが、2、3日前に飲み相談のメールのやりとりをしたばかり、なので久しぶりの気もせず。一緒の友人の編集女史を紹介され、挨拶もそこそこに外へ出る。と、刃研ぎ堂さんと彼の同居女史が。女史が貴重な話をする。つまり、彼女は日光出身なのだが、給食がカーレライスのときは、いつも麦飯だったというのだ。しかも、ほかにも、そういうところがあるらしいと。麦飯カレーライス!学校給食でもあったのか、これは大事な話、よく調べる必要がある。

雑司が谷駅から池袋駅北口。17時半待ち合わせは、「おつまみ横丁」絶好調の瀬尾幸子さんとササキ女史。前日夕方、瀬尾女史から誘いの電話があった。秋田県能代の喜久水酒造の若旦那が東武デパートで試飲販売している。この若旦那が、瀬尾女史やおれと薄い縁があるだのが、その話は略。というわけで、若旦那、喜一郎さんと初対面。

Kikusuisyuzou_kiitiro喜一郎さんが、親の喜三郎さんに、タンク一つやるから自分で好きな酒をつくってみろといわれて始め、5年目で売れるものができたという、その名も「喜一郎の酒」を試飲。「喜三郎の酒」というのもあるのだ。本醸造は「三本線能代」。みな試飲。「喜一郎の酒」は、一口でいえば「やさしい」。4号瓶を一本買い求める。ほかの出店各社の酒も試飲し、話を聞く。しかし、ササキ女史は、ほんと詳しい。ほんの少しずつ飲んでいるだけだが、なんだかよい気分になる。

喜一郎さんとはあとでまた会って飲むことにして、19時ごろ、ひとまずササキ女史がおすすめの、豊島区役所そばの小料理屋へ。飲み始める前に、いつものように、大量に飲んでも具合悪くならないように、ササキ女史が持っているクスリを飲む。あな、おそろしや。

初めての酒を選びながら飲む。冷や、燗、どれも、なかなかよい。とりとめのない話。21時ごろ出て、さて喜一郎さんを待つ酒場は、どこがよいか。わかりやすいこともあり、鳥定へ。もう、あとはガンガン飲み、おしゃべり。「おつまみ横丁」の写真の鵜澤昭彦さん初対面も加わり、店じまいをして駆けつけた喜一郎さん。能代は行ったことないところだが、話を聞いているうちに行ってみたくなる。焼酎湯割りのおかわりを重ね、酔いも深まり、23時45分ごろか、お先に失礼。

Utisawa_oyajigakiきのう「わめぞ」で知った。これは、オススメだ。←左サイドバーの「アステア・エンテツ犬」を描いた、内澤旬子さんの「おやじがき」が本になり出版される。おれは以前に内澤さんが自家手製本で出したものを持っている。うーん、4、5年前か、谷根千あたりのどこかのカフェで内澤さんが個展をやったときに買ったのだ。3巻のうち1は売り切れで、2と3を買った。内澤さんの作品のなかで、おれがイチバン好きなんだな。

内澤さん、新聞見てないもので、最近まで知らなかった、朝日新聞の連載小説の挿絵を描いていて、おれの知らない世間では、「大画伯」「巨匠」といわれるひとになっているのだそうだ。ま、どうでもよい、この『おやじがき』、ホント、おれのようなカレセンになる前の、とかく加齢臭のように嫌われがちの「おやじ」たちにそそがれる内澤さんの「愛」にあふれる目線が、よい。彼女のイラストと文章なんだけど、たとえば、これはこのまま収録されるかどうか知らないが、おやじの出た腹と「ぷりぷり」のケツを描いて書いた「ぷりぷり」という題の文章は、こんなアンバイだ。

「スラックスはオフタイムおやじの必須アイテム。これねー、ずっとはき続けてほしいんです。チノパンなんぞはかないで。おばさんと違っておやじってどんなに腹が出ても不思議とケツがたれない。ぷりっぷりしてます。これを隠しちゃいけません。ミョーにえっちなところがチャームポイントです。」

周囲の冷たい眼を浴びがちなメタボ腹のおやじ、もう彼女なんかできないとあきらめているかも知れないオタク腹の青少年たちに、生きる勇気と希望をあたえるにちがいない。ほんと「おやじ愛」だよ。そして、これは、もしかすると、そんな「おやじがき」のような亭主、ナンダロウアヤシゲさんに対する内澤さんの愛なのかも知れない。

『おやじがき』(「絶滅危惧種中年男性図鑑」のサブタイトル)、イラスト・文=内澤旬子、にんげん出版から定価1300円+税で、11月下旬発売。

午後になっても、まだ酒が残っている。
なのに、あと数時間後に、また飲み始めなくてはならない。シアワセ。

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2008/10/11

経堂の大田尻家の太田尻智子さんの個展。

チト忙しい。とりあえず、このお知らせ。

思わず屁がでるほど楽しい太田尻智子さんの個展です。
Ootajiri_t

このようなメールが届きました。

今回は「太田尻民芸」と題して、日々コツコツと作った立体の展示します。
日々コツコツという感じが民芸っぽいかな?なんて思いまして、
「わたくし = 太田尻」の「民芸品?」てことはぁ→「太田尻民芸」です。

期間:10/24(金)~10/30(木)
時間:昼2時~夜8時
場所:so+ba (東京都世田谷区経堂5-29-20)

詳細はこちらへ

http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/mingei/

Google地図でのso+baの場所

クリック天国

太田尻家
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/


画像のTシャツは太田尻家で買った太田尻智子作であります。

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2008/10/09

祇園精舎の鐘の声にダンドリ手続きの響きあり。

はあ、なんてまあ、きのうから、きょう。ドタバタやっているうちに、もう21時すぎだ。

だんどりと手続きのことばかり。メールと電話と郵便局と役所と郵便局。10件以上あったイロイロのうち、飲みだんどりが3つ、仕事の話は、たった1つ! ああ、これが俺の人生なのか。飲みだんどりなんぞ、電話とメール両方だから、相手日時場所がこんがらがり、しかもだ、そのあいだに、世間には、たいしてカネもないのに株をやっているやつがいて、もう心配でシンパイで、いてもたってもいられないらしく、電話をかけてきやがる。

知らねえよ。恐慌だのなんだのというが、恐慌きたしているのはてめえの頭だろ、むかしとイマは大違いなのだ。情報システムが悪いほうに機能することもあるが、よい方にも機能するんだから、いいじゃないか、ジタバタするな。カクゴもないのに、株なんかに手をだして、俺に出資したほうが、よほど確実なのに。

とか、ま、とにかく、ごちゃごちゃあるのを片付けて、大宮駅で、乗換えのためにボンヤリしていると、どこかで、「祇園精舎の鐘の声」が。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」ってことだが、鐘の声に諸行無常の響きがあるんじゃなくて、作者は諸行無常の響きに聞こえるということなんだよな。すでに自分の頭の中にできている「諸行無常」という観念に、鐘の声をあてはめているのだ。

だいたい鐘の響きが「諸行無常」といっているはずないもん。作者がそのように聞こえた、そういう心情であるということなんだよな。ところが、こういうふうに文章になって広がると、鐘の音に、そういう意味が与えられてしまう。んで、どこかのどーってことない寺の鐘の音をきいても、ああ諸行無常だなあ、と思ってしまう。柿くえば、鐘と法隆寺を連想し、諸行無常になってしまう。

いや、これは、ダンコ、性欲の響きだ、なんていう人はいない。そのようにして、本来なんの意味もないものに意味があたえられて、しかも誰かさんの観念が民族共通の心情のように語られてしまうこともある。そういうことって、日本人の味覚の話には、すごく多い。これは、ひとつの「私語り」「自分語り」であって、あたかも対象のことを語っているようでいて、じつは自分の心情や観念を語っているのだな。

なんてことを、大宮駅のホームでは、鐘の声は聞こえず、暑くてビール飲みてえええと思いながら、考えたのだった。

9月に事務処理上必要から、住民登録を引っ越し先に移した。ところが、ちょうど国民健康保険の保険証の切り替えどきで、9月末で持っていた保険証の期限が切れた。新しい保険証は、住民登録を移した先に送られたらしいが、そこはまだ誰も住んでいない、ポストは使えない。新しい保険証は宙に浮き、役所の担当のところへもどったハズなのだ。というわけで、いま、おれは保険証がない。ところが、何かの手続きというと、身分を証明するものが必要になることがある。おれは運転免許証も持っていないから、保険証だけが、唯一なのだ。だけどね、保険証を再発行してもらうには、また、まだ誰も住んでいない家に郵送してもらうのでなければ、窓口で俺の身分を証明する、保険証を出さなくては、すぐには受けとれない。だけど、それがないから、俺は、役所の窓口へ行ったのだ。それで、役所の窓口でひともんちゃくになって、疲れて、ああ、役人のツラを見ると諸行無常を感じるのだった。いえ、役人個人が悪いわけじゃありませんね、と、書いておかないと、このブログを見ている飲み仲間の役人もいるからな。おまえも、おまえも、おまえも、おまえら地方公務員も国家公務員も、みな悪い、ペッ。

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2008/10/08

虚実皮膜の間。スナック。

Snack「スナック」といっても、「小さなスナック」という歌のような、けがれない清らかな美しいオシッコのようなカワイイ女がいるイメージのそれとはちがう、「スナック・バ-」のことだ。

100点満点の「正」だけの人たちにいわしむれば、その佇まいも、そこで働く女たちも、そこへ行く男たちも「いかがわしい」ということになるのだろうか。だけど「負」を抱えた「ニンゲンらしさの真実」は、こちらにあるように思う。とりわけ地方の町のスナックは、生々しい真実の吹き溜まりのような感じがある。

この夏、ある町へ行ったら(この画像の町ではないが)、前回行ったよりスナックが増えていた。景気がよいからではなく、景気が悪いからだという話を聞いた。「負」の行き着くところが、スナックなのだ。

「スナック」というスナック・バーは、風営法の関係で広まったように記憶している。いつごろだったか、法改正で、飲み屋の深夜営業が厳しくなった。たとえば東京都のばあい、朝までやっていた飲み屋が、24時ぐらいで閉店しなくてはいけないことになった。かなり厳しかった。それで、主たる営業が軽食の提供ということならば、深夜営業もできるという抜け道を自ら開拓した人たちがいる。「食うため」「生きるため」だ。それから、とくに、「スナック」というスナック・バーが広がったように記憶している。

単に「バー」とはいえない、「クラブ」でもなく、もちろん「レストラン」でも「スナック」でもない、そして既存の「健全」なスナックを侵食して広がり根を張った「スナック」には、「食うため」「生きるため」に人間が必要とする、あるいは逃れられない、さまざまが蓄積されているように思う。

新宿・歌舞伎町のスナックには、よく行った。スナックのねーちゃんと、閉店のあとに、ほかの店へ行ったり、焼肉屋へ行ったりした。それだけで、何もなかったけどね。

まもなく午前2時になる。ヨツパライ深夜便。
スナックのねーちゃん、どうしてるかなあ。
「食うため」「生きるため」って、美しいことじゃないか。


関連
2008/09/21
「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。

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2008/10/07

なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

Asahigura_sijyouおれも、この件については、かなりしつこい。また書く。何度でも書く、トコトン書く。それに、たぶん、前に書いていることを知らないひともいるだろう。

狭い部屋に、たいした本もないのに見つからなかった、というか、見つける気がなかった、このアサヒグラフが出てきた。

『アサヒグラフ』1999年2月26日号における、「四條司家」特集のことについては、まだブログが始まる前の「発作なメシゴト日記」の2003/01/31「四條流」で、「一昨日の「アサヒグラフ」のことだが記憶で書いていたので、現物を探して見つけた。詳しく紹介しよう」と書いている。当時は、テキストのみのレンタル日記だったので、画像の掲載はない。

おまけに一日に千字までの制限があったから、何日にもわたって書き、さらに「四條流」と「日本料理」と称するものに深く関係する、700年代後半ごろの平安朝の朝廷を舞台にした「内膳司」という、いわば「料理支配」のような部署のボスをめぐる高橋氏と安曇氏の権力抗争まで書いた。それは「料理」とは、まったく関係ない争いだったが、勝ったものたちの系譜が「日本料理」の「伝統」を称するようになった。権威主義的権力主義的な格好をし、刀のように庖丁をふりまわす根っこには、そういう料理の内実がともなわない争いの歴史も関係しているようにおもう。この「伝統」には、料理は生活という考えはない。

それらのエントリーは、ザ大衆食「日本料理のおべんきょう 日本料理の謎」に、リンクをまとめてある。…クリック地獄
また、「発作のメシゴト日記」は→右サイドバーのカテゴリーに、まとめてある。

いつのまにか、カンジンなアサヒグラフ本誌の姿が見つからなくなったのだが、引っ越し荷物の整理中に無事に発見された。表紙の画像だけ掲載しておく。どーです、これですよ「日本料理」ちゅうのは。コスプレですな。ここに「日本料理道庖丁道の精華」と称する奇怪な「日本料理」の正体が姿を見せている。まさに「私語り」「自分語り」の歴史だ。だけど、もちろん、崇め奉り、ひれふす人たちもいるらしい。そこは、ま、人間社会のオモシロイところだ。おれは、そういう歴史が、日本の食文化や料理文化の歴史をゆがめ、汁かけめしやカレーライスの歴史をゆがめていると確信しているし根拠もあるから、ゾウにトゲていどかも知れないが、トコトンやるのだ。

この記事ついては、発売当時、興味ある書き込みをしている掲示板があった。備忘のため、ここに関係する部分だけを転載させてもらう。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/keijiban102.htm

………………………………………………

[45] 四条家発見! 琵琶 さん 1999年02月20日(土) 23時11分

昨日、図書館の雑誌コーナーに、『アサヒグラフ』二月二十六日号が
置いてあるのをみたのですが、その特集が、二条のお母さんの家、
四条家についてでした。
贅沢な魚介類などを素材に使った料理は、お昼時には目の毒(?)でした。
最近このホームページを拝見したりなどして気づいたことは、歴史上の人物の
母方の家のことについては、案外文献などで記されることは少ないんじゃ
ないかな、ということです。
もちろん、生母が誰か自体わかってない人人もいるのでしょうけど、
一人の人物を、母方から見ると、また新発見があったりして、
結構面白いなと・・・(^^)。

[46] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 00時22分

四条家と料理の四条流については、去年ちょっと調べようとしたんですが、 きちんとした文献がなくて、何だか中途半端に終わってしまいました。
アサヒグラフ、さっそく見てみます。

[47] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 21時49分

『アサヒグラフ』、買ってみました。
う~む、表紙にでかでかと「四條司家 日本料理道 包丁道の精華」。
すごいです。
「四條司家41代当主」四條隆彦氏の写真、ちょっとこわいです。

以前、少し調べたときは、四條家は明治に入ってから相伝の文書を譲渡 して料理の世界から離れ、文書を譲り受けた側が四條司家を名乗っているといった話を何かで読んだ覚えがあります。(ウロ覚えですが。)
それで、何で四條家の人が四條司家の当主なんだろうと思ったのですが、 隆彦氏が書かれた文章の中に、「四條家の人間が包丁儀式を執り行うこ とが跡絶えていたのを私が再興した」とあるので、また関係ができたと いうことなのでしょうか。よくわかりませんが。

[50] 琵琶 さん 1999年02月24日(水) 06時11分

私も『アサヒグラフ』買ったんですけど、「一月の祝い膳」の「一の膳」の
汁(練りふぐと芥子柚子の入ったもの)を見て、「!」。
素材は違うんですが、丸餅と「頭芋」の入った白味噌仕立ての、京都方面の
お雑煮そっくりで(^^)、これがルーツなのかなー、としみじみしてしまいました。

[51] 小太郎 さん 1999年02月24日(水) 12時45分

そうですか、あれが京都の「お雑煮」のイメージなんですね。全国各地の お雑煮比べみたいなのはテレビや雑誌でよくやりますから、一応そういう 知識はあったのですが、改めて言われてみると、ちょっとびっくりです。

ところで私は「アサヒグラフ」の記事は相当しつこく読んでいるのですが、 隆彦氏の父や祖父に爵位が書かれていないのをちょっと変に思いました。
四条家には幕末に「七卿落」のひとりである四条隆謌(たかうた)という 人が出て、戊申の役で相当に活躍し、その功によって侯爵を授けられてい るので、普通だったら侯爵家であることを書くはずなんですね。
で、怪しいと思って調べたら、角田文衛氏の『平家後抄』に、「隆謌は 後妻・春子の産んだ九男の隆愛(たかちか)を偏愛し、これに侯爵家を嗣 がしめた。そして長男で、『戊申の役』に軍功のあった隆平(たかとし) に別家(分家ではない)を樹てしめ、将来に禍根を遺した。隆平は、奈良 県令、元老院議官などを歴任し、その功によって、明治三十一年、男爵を 授けられた。」とありました。
「四条司家第41代当主」隆彦氏は、この隆平の曾孫にあたるので、 「公侯伯子男」の一番下の男爵家だから、かっこ悪くて書かなかったのか な、という感じがします。
それにしても鎌倉時代に後深草院二条の祖父の隆親がやったのと同じよう なことを明治になってもやっているんですね。面白いです。

………………………………………………

いじょ。

また、おれの「発作なメシゴト日記」での、これに関する話は、2002/12/13「日本料理は敗北した」か? から始まっている。それだけ、以下にそっくり、転載する。

………………………………………………

「日本料理は敗北した」と江原恵さんは、その著書『庖丁文化論』で述べた。1974年のことである。「外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している」

当時、日本料理に対し疑問と危機感を抱いて江原さんと会ったおれは、たしかにそうだ、と思った。でも、まだ、カレーライスがあるラーメンがあるカツ丼があるサバ味噌煮定食だってあるじゃないか、とも思った。

つづいて江原さんは書く。「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド型の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態をうちこわして、根本的に作り変えることである。……料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう」

チト納得できないところもあるのだが、ま、おおむね了であり、つぎの提言には、文句なしに賛成だった。

「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題をとりあげてもいいのではないかと提言したい。」

あれから30年たとうとしている。すでにカレーライスまでがラーメンまでが、「通人ごっこ」の、いまふうには「グルメごっこ」ということになるだろうがその、餌食になってしまった。

「グルメ」とは、食や料理を「まじめ」に考えないひとのことだったのか?

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2008/10/06

俺にだって明日はないッス。

それでまあ、前と前のエントリーの続きのようなものなんだけど。

2008/09/30「『ミーツ・リージョナル』11月号が届く。「ザ・めし」特集の10月号は、もう「品切」。」に、「まいど、担当編集者の含蓄のある文が載る、編集前記が楽しみだ。今回は、半井裕子さんが書いている。かなり、大切なことだなあと思うところを突いている。いま、忙しいから、あらためて取り上げて考えるとしよう」と書いた、そのこと。

そこで半井さんは、特集のような「自腹レストラン」は、ハードルがあるようだけど、「けど、街の店は自動販売機やマニュアルの店とは違う生身の存在で、だから、それ相応のコミュニケーションがいる、それだけのことだ」「そ、レストランは何も難しくなんてないのですよ」という。そこがカンジンなところで、そのとおりだと思う。

だけどモンダイは、きょうの酒、じゃなくて、「それだけのこと」なんだけど、それがわかってないか、なかなかできない人たちが「ブロガー」や「食べ歩きグルメ」にはいる。

なぜかな~と考えてみると。街の店は生身の存在であるにもかかわらず、「ブロガー」や「食べ歩きグルメ」は、生身のニンゲンとして、店へ行くのではない。もちろん、全部じゃないが、そういうひとがかなりいるようだ。

「私は」立ち飲み通よ~ナントカ通よ~通よ通よ粋なのよ、「私は」有能な調査員よチェック屋よ、「私は」辛口評論グルメよ~、「私は」うまいものを知っているの詳しいのよ~、「私は」「私は」……というかんじの「私語り」や「自分語り」を持参するのだ。一時はやって、いまでもいるが、店へ「勝負」しに行くのだな。

ともすると、もっとも多いのは、こういう人たちかもしれない。つまり、テレビや本や雑誌などの有名人の発言を鵜呑みにして、店の選択から店までの行き方も料理や酒類の選択も、頭のなかはすっかり、情報でマニュアル化されて臨むひとたち。

店が生身なのに、このひとたちは生身ではなく、「達人」たちがオスススメのカラーに染まっている。その態度やココロや思考法やものいいまで、生身の店に持ち込む。だから、みな同業界人のように、おなじ感じになり、「来た瞬間分かります」ということになるのではあるまいか。『ミーツ・リージョナル』のような、いかに生身のニンゲンとして街場で楽しく生きるかといったテーマは、彼らにはない。「ブログ愛」であり「自分愛」なのだ。

であるから、店に対して構えてしまって、自然なコミュニケーションが難しくなる。前々回のエントリーで引用した座談会で、店の現場のひとが、「要は店を楽しもうというスタンスかどうか」「要はコミュニケーションなのだ」というのも、そういう背景があるからだろう。

いまや、こういうことがメディアを通して増幅されているようだ。俺はコミュニケーションがへたなのか、酒場などで、こういう人たちに話しかけられるとガマンできない、すぐ露骨に嫌な顔をするか、「俺は、そういう話をしたくてこの店に来ているわけじゃないんでね」というようなことを相手の様子をみながら、ときにはソフトに、ときにはハードにいって、すぐケリをつけてしまうが、店のひとたちは、そうはいかない。

そこへ、いくと、トツゼンだけど、東海林さだおさんは楽しくてよいね~。だいたい「私語り」「自分語り」がないもの。そして、ときには、よい店は外を見ただけでわかるなんていう「私語り」「自分語り」を皮肉る。「ドーダの人々」では、「私語り」「自分語り」の会話を、切り刻み笑いとばす。

食べ歩き以前、グルメ以前、文章以前に、ニンゲンとして大事なことがあるとおもう。「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」

だけど、こんなことをいっていると、ライター稼業は失業しちゃうな。かといって、東海林さだおさんにはなれないし。

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ケツの穴に向かって撃て。

前のエントリーの続きのような話だが。

先日、瀬尾幸子さんの『おつまみ横丁 もう一軒』を買った飲兵衛からのメールに、

> そういえば、前書きとか後書きとかがないのは、なぜかしら。

とあったので、このように返信した。

> 料理は、「書く」ものじゃなくて、「やる」ものだから、前書きとか後書きとかはいらないのです。
> そもそも、たいがいの前書きとか後書きとかは、
> 前書き=慇懃無礼な能書き
> 後書き=慇懃無礼な言い訳
> でありますからね、ようするに著者の慇懃無礼な自慢話だから、いらないのです。

「慇懃無礼な自慢話」は、「慇懃無礼な「私語り」「自分語り」」とおきかえてもよい。

お好み焼パセミヤのよっちゃんは、ブログ「Art de Faire」の9月18日「火曜日のこと」に、こんなことを書いている。


時折見かけるのですが、しかめっ面をして、お手並み拝見で
終始難しい顔をしておられる方を見ると
ちょっと損をされているよなぁと思います。

食べるのが好きで、飲むのが好きで、
人と一緒に過ごすのを楽しむことが出来るのは
ある意味、才能だと思っていて、
ありがたいことにうちの周りにはそういった能力に長けた方が多く、
こちらとしてもとても楽しい時間をご一緒させてもらっています。

いただいたご縁をしっかりと活かして、
これからもっといろんな食べる楽しみを提案して行けたらいいなぁ。

さきほどのエントリーの座談会の話といい、お店の人は、よほどのことがないかぎり、客に面と向かってはいえない。イチオウ「お客様」なんだから。それをいいことに調子にのって、食べる楽しみもしらない、したり顔のチェック屋ブロガーが、ますますはびこる。飲食の「場」が荒れる。

やりたいなら、組しやすい大衆レベルの飲食店じゃなくて、高額高級店を舞台にしてほしい。「辛口レビュー」なんてえらそうな口たたいていても、臆病の弱いものイジメみたいなものだ。だいたい「辛口」なんてのは、難しい芸で、誰でもやれるものじゃない。あらさがしをして弱味をあげつらねたぐらいじゃ、「辛口」にならないんだよ。

午前2時過ぎ。眠い。

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2008/10/05

ああ、かなしき「ブログ愛」「自分愛」。

先日9月30日にチョロっと書いた、「自腹レストラン」特集の『ミーツ・リージョナル』11月号に、「[覆面座談会]現場によるホンネトーク ホントはどーよ?レストラン」がある。司会・進行は寺下光彦さん、レストランの現場の出席者6人。5ページあって、なかなか突っ込んだトークで、おもしろい。

「ぶっちゃけ、ブロガーってどうなんすか!?」という見出し。司会「ところで、ブロガーってすぐに分かりますか?」C「来た瞬間分かります」で始まる。

C「究極のところを言えば、ブロガーはレストランを楽しみに来ていない。自分のブログラブ、ひいては自分ラブ。」
A「ブロガー同士が一緒に来てても別々やもんね。会話が噛み合ってない。」
司「コミュニケーションできない…?
D「だから…、ってことでしょ。」

こんな会話をして、一同笑う。この「…」は、想像つく。
こんな発言もある。

B「基本的に食事やワインとか店の雰囲気を楽しめないってお客さんはアウト。」
司「ブロガーだから嫌いなんじゃなく、ワインとか食事を楽しまない客が嫌い、と。」

D「ブログの匿名性は気に入らない。」
司「ブロガーは書いていることに責任取れへんわけですね。」
C「落書きやからね。」
E「店やってる人間はリスクを負ってるし、文章書く人でも記名じゃないですか。その責任を負わないところが嫌なんです。
司「逆に「アリ」なブロガーって?
A「ウチのお客さんはウチの記事を書く場合、「載せるで」って見せてくれる。」
D「それちゃう? 断りなく、隠し撮りみたいに撮っていく人おるもんねえ。」
A「美味しくなさそうな写真やったら嫌やん。見せてくれたらコメントできるし。」
C「ヘタは撮るなってこと?」
A「それを見て「料理しょぼ」と思われたらイヤ。あるブログでウチのうずらが異常に茶色で、そりゃないで、って。見る側もその記事の信憑性を疑ってほしい。」
E「そうそう。鵜呑みにしてほしくない。」

部分的に引用した。太文字は、本文中で太文字のところ。

前から大衆食堂のオヤジなどに聞いているし、先日も一年に一回ぐらいは「通う」ラーメン屋のオヤジにいわれた。ブロガーもちろん、「一見でも、なにかを見て来た客や、食べ歩きの客はすぐわかる」らしい。ま、おれだって、酒場や食堂で、そういう客に遭遇すると、話をしなくてもわかるときがある。とくに「ラーメンフリーク」と「居酒屋フリーク」は、わかりやすい。最近は、そのテの客が増えて店の雰囲気がかわってしまった酒場には行かなくなった。

たまに行く、都内のやきとり屋がある。そこはオヤジが入り口のところで、やきとりをやりながらがんばっている。そのテの客が来ると、「だめだめ」といって入れない。たしか開店が5時ごろだと思うが、50人ぐらいの客席があって、まだガラガラでおれたち男2人のほかに1人の男だけだったのに、入れないことがあった。大きなビル街が近く、焼酎を一升瓶ボトルでキープし毎日のように来る常連の多い店で、7時過ぎぐらいには一杯になる。常連のために席を確保しておくということもあるかも知れないが、ネットの掲示板を見ると、入店を断られた客は、けっこういるようだ。そういうひとが、掲示板でモンクをいったり、あるいは、笑っちゃうのは、ほかのひとにどうやったらその酒場に入れるかアドバイスを受けていることだ。

おれだって、そのオヤジに顔を覚えられているわけじゃない。ただ、そこに入るときは、チョイとした「呼吸」が必要だというのはわかっている。これは、ある種、店との無言のコミュニケーションであり、それは自分が肉体から発するオーラやエナジー、もろもろだろうと思う。そして、まさに、店のひとは、そこから「ブロガー」的「食べ歩き」的オーラやエナジーを感じ、避けることがあるのではないか。

ともあれ、この座談会で、本質を突いていて、おもしろいと思ったのは、「自分のブログラブ、ひいては自分ラブ」というところだ。これは、無名のブロガーか、有名の文章家か、に関係ないだろう。

何度もここで書いている、近代日本の背骨ともいえる、「日本的私小説的」文学(文章に書かれたものという意味で)の影響だろうとおもう。食という「気軽」な分野には、その影響はでやすく、みな気軽に書けるもんだから、たいがいのひとは書くのだけど、オヤッこのひとが食のことになるとこんなことを書くのかとおもうほど「気軽」に無責任なことを書く。その無責任は、つきつめると「私語り」「自分語り」の文学に原因がある。と、おれはみている。

ほとんどのひとは「ものを書く」とき、近代日本の文学の影響から離れては存在しない、書くことはできない。それは、いまを生きるおれたちの思考やら行動に、強い影響を及ぼす「環境」ともいえる。「日本的私小説的」文学特有の、「私語り」「自分語り」を警戒しながらでないと、「ブログ愛」「自分愛」に流れやすいのではないだろうか。

「客」の立場からすれば、店の意向をくんで書く必要はない(店の意向を気にして書く「評論家」が少なくないが)。だけど、「客」の立場は、いつも問われている。書いて、それを「露出」するとなると、広く問われることになる。客が「神様」なのは、カネを払うときだけなのだ。

とどのつまり、読まれるものを書くということは、そこに「ジャーナル」が発生する。「ジャーナル」はジャーナリストのものではなく、生きているかぎり何かを表現しているのだし、書くとなれば表現そのものだから、そこに「ジャーナル」は切り離しがたく「在る」はずのものではないか。それを見失わせる「力」が、「日本的私小説的」文学にはあって、近代日本はそれで成り立ってきた面があるようだし、その文脈にはまると、「私語り」「自分語り」の虜になるような気がする。最近おさわがせの中山ナントカという「5日大臣」の発言などにも、それは色濃くでているようにおもった。

自分が生きている風土だから、ひたすら自戒と警戒をもって接するのが第一だと、おれは自分に言い聞かせている。

グルメ以前、食べ歩き以前、文章以前、「食を楽しむ」ことについては何度も書いてきた。右欄→カテゴリーの2007/03/20「飲み人の会に登録ご希望のかた」には、「よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく」と書いているが、それは「生きる」キホンであるし、「私語り」「自分語り」の文脈から脱出の一つの方法だろうとおもっている。

マットウな食生活のためには、「私語り」「自分語り」の克服が不可欠だ。「ブログ愛」は「書物愛」や「活字愛」に置き換えられる。「愛」は、かなしい。表現以前のことだろう。


関連
2006/07/26
「そこにいる」視線と「チェック屋」の視線

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2008/10/04

夏の思い出。ニッポンのニッポン人の朝めし。

7月3日、新潟県糸魚川の民宿にて。前夜は深夜まで正体を失うほど飲んだが、8時過ぎに起きて、めし二杯に膳のもの全部きれいに食べた。下の画像。左上はレタスサラダにかける味噌ドレッシング、卵焼きの皿の真ん中の白いのはかまぼこ、このあたりから富山県にかけてはかまぼこをよく食べる、左下の煮物は竹の子と厚揚げとくるま麩、新潟県では煮物にくるま麩はスタンダード。
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ただいま午前1時半すぎ。あまり酔ってない深夜便でした。酒が足りねえぞ~。

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2008/10/03

計量は科学、人間は「虚実皮膜の間」。か。

Hon_mng01ボチボチ引っ越しのしたくをしている。持っていくものは、これでいいのか、とおもうぐらい、少ない。もともと、文字通り「裸一貫」という状態を、何回か経ているから、少ないのだが、さらにまた捨てるのだから、とにかく少ない。

そんな中で、メシのタネ本でもあったから、捨てないできた本が一冊、出てきた。自分が「プランナー」という肩書でしてきた仕事を説明するのは、難しい。転々としていたからもあるが、内容そのものが説明しにくい仕事も少なくない。この本がタネ本だったにはちがいないが、いまおれが見ても、チンプンカンプンのところがたくさんある。

『マネジメント・リサーチ ハンドブック』マネジメント・リサーチ ハンドブック編集委員会編、丸善から1967年発行。1271ページの厚い本だ。

1972年の秋、転職した会社で、上司というか先輩というかに、「はい、これを読んどいて」と渡された。Ⅰ.マネジメント・リサーチの理論と方法、Ⅱ.マネジメント・リサーチの活用、Ⅲ.マネジメント・リサーチの情報とその処理、にわかれている。わかりやすくいえば、マネジメントに関する、調査、計画、保守・管理、の理論と方法の手引き。

あとでわかったのだが、これは当時の、その分野に関する最高水準を総合したものだった。というわけで、ずいぶん長い間「ハンドブック」として役に立った。

どんなに最高水準だったかというと、たとえば、いまではメシくえばセックスするようにアタリマエになって、新聞の記事などにも、その方法を用いた結果が載るのはウンコのように日常的になっている因子分析法。その詳細な方法まで、この本にはある。ところが、これはとんでもなく複雑な大量の計算を要する方法で、当時、その作業をやれる大型のコンピューターは日本に、たしか3台ぐらいしかなかった。

おれは、そのころ、「クラス・メディアの効果測定法の研究開発」だったかな?とかいう、ややこしいプロジェクトをやらされていたが、これは因子分析法をつかうものだった。その作業は東大新聞研のコンピューターを使ったのだけど、東大新聞研のコミュニケーション論?あたりの先生たちと共同のプロジェクトだったからだ。ときどき会って打ち合わせした、いまでは教授の当時は助手の先生が、この作業がやれるコンピューターは、日本には、ここと、ナントカとナントカと、と名前をあげて教えてくれたが、忘れた。

とにかく、それで、おれはコンピューターのほうは知らないし関係なく、プリントアウトされたデータがあればよいのだけど、その量が、すごい。B4サイズぐらいの折りたたみ連続用紙だったおもう、重ねると1メートル近い高さもあって、これがズラズラズラと細かい数字。いまのように、いきなり図表化できないから、生の数字がズラズラズラ出てくるのだ。ほんと、いまじゃ考えられない。

つまり理論はあっても、実際に作業できる環境がなかった。そんなわけで、のちに、コンピューターが普及し小型化高性能化が進むほど、この本は役に立ったのだな。だから、転々としながらも、この本だけは手放さなかったのだろう。当時の本で持っているのは、この一冊だけ。

いまみても、マネジメント(会社だけではなく社会、集団も含め)に関わることは、ほとんど網羅されている。つまり、方法的には、そんなに大きな変化はない。処理能力が進化しただけなのだ。日本の「成長」も、そんなものなのだろう。

変色した付箋のところを開いてみたら、「4.行動科学的手法」の「モラール・サーベイ」の項目で、「従業員態度調査票」の質問と回答のモデルが載っていた。この本は1990年ごろからこちら使った記憶がないから、それ以前のことだろう。

こういうマネジメント・リサーチのレベルからみると、マーケティングだ編集だイベントだ「まちづくり」だ…いろいろあるけど、どれも同じ原理に基づいている。そしてそれは、かなり計数化して「科学的」に把握できる。ということになる。いまでは、ひとのココロ(心理)まで、計量して把握することが進んでいる。

だけど、その原理の実際の現場では、人間がからんだり動かしたりしていることが、かなりある。その人間てやつについては、特定な条件下でしか、管理しきれない。なので、もろもろの条件を与えて強い管理下においたり、なるべく人間が関わらない自動化を選ぶことになる。そういうときには、また、こういうマネジメント・リサーチが有効になるのだな。

ちかごろの「強い管理」では、「ボランティア」なんて方法がハヤリのようだ。モチベーション(「愛」だの「夢」だの「仲間」だのなんかは強力だ)を与えて、嬉々としてタダ働きをさせる。でも、これには、これの落とし穴がある。つまり、それでうまくいったマネジメントが喜んでいるだけで、実際にボランティアに支払いしたばあいの収支を計算した判断をしておかないと、その事業は、かりにあるていど続いても、トツゼン行き詰まることがある。モチベーションを与えられて、嬉々としてタダ働きで支えてきたひとたちは、またほかの強いモチベーションに動かされる可能性が大きいからだ。「まちづくり」のイベントなどにもあることだね。

よく「企業の寿命30年説」があるけど、営利だろうが非営利だろうが、かりに一事業が成功し30年続いても、ちかごろのファミレスの退潮ぶりもそうだが、人間の関係するモノゴトは、30年やそこらで成功不成功を判断するのがマチガイというものだ。人間は、もっと、「人間なんてラララ」と、銀杏BOYZの峯田クンはうたうけど、ラララのレレレ、なんだなあ。だから、うたや文学や絵などが必要だし、生まれるんだろう。てめえ、そんなことぐらい、わからんのか! 「人間なんてラララ」

しかし、この本を、ひさしぶりに手にして、思う。おれも、生々しいビジネスの現場から、ライターなんていう、浮ついた稼業にダラクしたものだ。

ためいきをついて、パラッとめくったページは、「統計学的手法」の「確率分析」で、まったくわからない数式が並んでいた。

Hon_mng02

このあと、おれが酒を呑む確率は、そんな数式なんかなくたって、わかる。100パーセント。

この本が捨てられる確率は……

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2008/10/02

滋賀・長浜の中島屋食堂を掲載。

すでに当ブログで、ちょこっと紹介しているが、ザ大衆食のサイトに掲載した。この店内を、ごらんあれ。
クリック地獄

今年は食堂の掲載をさぼり続けで、これでやっと二件目。たまる一方、忘れる一方の食堂紹介、年末までに馬力をかけて、掲載する、つもり、なのだが……。

このあいだ首相になったばかりのナントカという男は、経済動向が深刻さを増しているときに、一国の総理という立場も忘れたか、選挙を意識したような街頭演説まがいの、野党に喧嘩をふっかけるような「批判」を「所信表明」でやっていながら、こんどは、「衆院解散という政局より景気対策などの政策の実現を優先したい」だって。そういうふうに、なんの見識もなく、コロコロかわるから、口もまがるのだろう。崩壊の時代というのは、こういう男が首相になり、さらに混迷を深めるものだ。ま、どのみち、なにも期待はしていないが、しかし、こういう男を支えて政権に執着している連中を、よく記憶しておこう。小泉チルドレンの落日、つぎは、この連中の番だろう。

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「虚実皮膜の間」に建つ家。

Uti_0723きのうは同居のツマが建てた家の引き渡しがあって、ついていった。

いつだったか、家を建てるけど、一緒に住むなら「書斎」をつくってあげるといわれ、どうしようか考えたが、転がっていくところもないし、メンドウなので一緒に引っ越すことでお願いした。

いまのアパートは、ちょうど10年住んで、この10月は2年に1回の契約更新の時期なのだ。おなじところに10年も住んだのは、10歳ぐらいまで住んだ故郷の家いらいだろうか、2度目ぐらいだろうか。そろそろ引っ越しのタイミングではある。

「家を持たない主義」にこだわるひともいるけど、おれは、あまりそういうこだわりはない。転々とするのは好きで、そのように生きてきたけど、どうしてもそうしていたいこだわりもない。住むところや着るものがかわっても、中身はたいしてかわらないで生きている、つもりだ。ま、住むところや着るものがちがっても、ムードや雰囲気に流されない、いつだって、おれはおれなのだ、ということかな。それは、チョイとかっこうよすぎるか。「虚実皮膜の間」に生きる。

Uti_2_1それに、この家は、同居のツマが建てた家で、おれは、これまでもそうだったが、ハウスキーパーみたいなもんだ。であるから、この家を建てるにあたって、土地を買うにしても、イザというときにはニラミを効かす「夫役」がいたほうが心強いとかで、そういうときは「ついてきて」と言われ、何回か「夫役」としてついていった。それだけだった。

そういうわけで、ここに、引き渡しのすんだ家の画像を載せるのも、「載せといて」といわれたからだ。

Uti_1_3というのも、同居のツマは、(という書き方をしていると、では「同居じゃないツマがいるのか」と聞かれるが、はてね、刺身にツマが必要なように、いろいろなツマがありますな)、某住宅メーカーでインテリアの仕事をしている。人様の家のインテリアをデザインというかコーディネートというかしている。そういうことをしていると、いつかお客のためではなく、自分の好きなようにやってみたいと思うのは、しごくトウゼンだろう。「家を持ちたい」というより、自分が好きなように家を造ってみたいということなのだ。そして、できあがると、それを、とくに関係者に見てもらいたいのだな。

お客さんの仕事でも、社内コンペのようなもので、いい成績をとったり、なにかに紹介されるとうれしいらしいが、自分が好きなようにやったものではない。好きなようにやりたいために、自分は木造住宅を得意とするメーカーに勤めているのに、世間的にも評判のよい会社なのに、社内のひとに頼むのは、それなりに気をつかったりやりにくさもあるらしく、さいたま市の地元で木造が得意な設計施工会社を見つけた。ベッドとテーブルセットをのぞく家具や照明のデザインなど、もちろん壁紙から床板の選択、インテリアは好きなようにやったらしい。

なので、これは、自分の自己満足な仕事を関係者にみてもらうためなのですね。だから、チョイと宣伝ぽく書いておくとしよう。

Uti_1_1ま、なんでも表現というのは、ニンゲンの錯視や錯覚を利用するものだとおもうけど、狭い空間を広くみせる工夫、狭い空間でも落ち着いてゆったりすごせる工夫は、インテリアしだいだが、そのへんは、10数年のキャリアならではのものがあるようだ。とくに、間接照明やダウンライトをふんだんにつかっているのが、特徴的だろう。全体の明るさを一灯で左右するような光源は一つも使用してない。そして、四つの回路の切り替えで光の組み合わせと調光ができるようになっている。

画像は、新築のうえ表面に透明の塗りがあるので、白木に輝いてみえるが、実際は、ボンヤリの照明であり、白木が2,3年してアメ色にかわっていくにしたがい、さらに落ち着いた雰囲気になるだろう。こんにち「渋い」なんていわれる木造の建物も、新築当時は、白っぽかったのだ。

Uti_2_3いまでは、このように間接照明やダウンライトを使うのは「おしゃれ」ということになっているけど、80年代前半までは、陰のある薄暗い「負」のイメージで、あまり好感はもたれなかった。当時、飲食店や食べ物の販売店に、こういう照明を使おうとすると、ほとんどダメがでた。ごく一部の「高級」ムードの演出に使用されるていどだったし、デザインも稚拙だった。

そのころは、一般的には、直接照明のピッカピカの、まぶしいほど白っぽく「明るい」のが「正」とされた。そういや、糸井重里さんの「ピッカピカの一年生」がヒットしたな。宮崎美子、いい味だす俳優に成長したが、「いまのキミはピカピカに光って」と騒がれたものだ。まぶしいほどのピッカピカは、高度経済成長中流意識風「おしゃれ」だったといえるだろうか。そして、いまでも、工事の容易さもあって、直接照明が圧倒的なシェアを占めているだろう。

それに、「負」のイメージはトコトン排除し明るく見せたがる志向は、依然として根強いようだ。最近、首相になったナントカという男も、所信表明で、日本人は明るくなければならないかのようなことを言っている。「負」や「負い目」をぐっと抱えて、なおかつ明るくという「在り方」は、そこでは問われない。んで、金融経済の悪化の最中なのに、その「負」に対する策は提示されることなく、パフォーマンスのような野党批判を「所信表明」でやる。どうやら、そのように、「負」を抱えない「明るさ」でなければいけないようだ。それは、オボッチャンやバカの明るさだろう。

話がずれたか。

トツゼンだが、きょうは、ここまで。
とにかく、今月は引っ越しをしなくてはならない。本も含め、あまりモノがないうえに、家具はつくりつけになったから、ほとんど捨てることになり、運ぶものは少ない。とはいえ、メンドウなことだ。

画像いちばん上は、施工中の木造の骨組みが見えているころの7月23日のハウスキーパーの「書斎」と称する仕事場。そのつぎは、きのうの状態。カーテンなどは、これからだ。

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