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2008/10/02

「虚実皮膜の間」に建つ家。

Uti_0723きのうは同居のツマが建てた家の引き渡しがあって、ついていった。

いつだったか、家を建てるけど、一緒に住むなら「書斎」をつくってあげるといわれ、どうしようか考えたが、転がっていくところもないし、メンドウなので一緒に引っ越すことでお願いした。

いまのアパートは、ちょうど10年住んで、この10月は2年に1回の契約更新の時期なのだ。おなじところに10年も住んだのは、10歳ぐらいまで住んだ故郷の家いらいだろうか、2度目ぐらいだろうか。そろそろ引っ越しのタイミングではある。

「家を持たない主義」にこだわるひともいるけど、おれは、あまりそういうこだわりはない。転々とするのは好きで、そのように生きてきたけど、どうしてもそうしていたいこだわりもない。住むところや着るものがかわっても、中身はたいしてかわらないで生きている、つもりだ。ま、住むところや着るものがちがっても、ムードや雰囲気に流されない、いつだって、おれはおれなのだ、ということかな。それは、チョイとかっこうよすぎるか。「虚実皮膜の間」に生きる。

Uti_2_1それに、この家は、同居のツマが建てた家で、おれは、これまでもそうだったが、ハウスキーパーみたいなもんだ。であるから、この家を建てるにあたって、土地を買うにしても、イザというときにはニラミを効かす「夫役」がいたほうが心強いとかで、そういうときは「ついてきて」と言われ、何回か「夫役」としてついていった。それだけだった。

そういうわけで、ここに、引き渡しのすんだ家の画像を載せるのも、「載せといて」といわれたからだ。

Uti_1_3というのも、同居のツマは、(という書き方をしていると、では「同居じゃないツマがいるのか」と聞かれるが、はてね、刺身にツマが必要なように、いろいろなツマがありますな)、某住宅メーカーでインテリアの仕事をしている。人様の家のインテリアをデザインというかコーディネートというかしている。そういうことをしていると、いつかお客のためではなく、自分の好きなようにやってみたいと思うのは、しごくトウゼンだろう。「家を持ちたい」というより、自分が好きなように家を造ってみたいということなのだ。そして、できあがると、それを、とくに関係者に見てもらいたいのだな。

お客さんの仕事でも、社内コンペのようなもので、いい成績をとったり、なにかに紹介されるとうれしいらしいが、自分が好きなようにやったものではない。好きなようにやりたいために、自分は木造住宅を得意とするメーカーに勤めているのに、世間的にも評判のよい会社なのに、社内のひとに頼むのは、それなりに気をつかったりやりにくさもあるらしく、さいたま市の地元で木造が得意な設計施工会社を見つけた。ベッドとテーブルセットをのぞく家具や照明のデザインなど、もちろん壁紙から床板の選択、インテリアは好きなようにやったらしい。

なので、これは、自分の自己満足な仕事を関係者にみてもらうためなのですね。だから、チョイと宣伝ぽく書いておくとしよう。

Uti_1_1ま、なんでも表現というのは、ニンゲンの錯視や錯覚を利用するものだとおもうけど、狭い空間を広くみせる工夫、狭い空間でも落ち着いてゆったりすごせる工夫は、インテリアしだいだが、そのへんは、10数年のキャリアならではのものがあるようだ。とくに、間接照明やダウンライトをふんだんにつかっているのが、特徴的だろう。全体の明るさを一灯で左右するような光源は一つも使用してない。そして、四つの回路の切り替えで光の組み合わせと調光ができるようになっている。

画像は、新築のうえ表面に透明の塗りがあるので、白木に輝いてみえるが、実際は、ボンヤリの照明であり、白木が2,3年してアメ色にかわっていくにしたがい、さらに落ち着いた雰囲気になるだろう。こんにち「渋い」なんていわれる木造の建物も、新築当時は、白っぽかったのだ。

Uti_2_3いまでは、このように間接照明やダウンライトを使うのは「おしゃれ」ということになっているけど、80年代前半までは、陰のある薄暗い「負」のイメージで、あまり好感はもたれなかった。当時、飲食店や食べ物の販売店に、こういう照明を使おうとすると、ほとんどダメがでた。ごく一部の「高級」ムードの演出に使用されるていどだったし、デザインも稚拙だった。

そのころは、一般的には、直接照明のピッカピカの、まぶしいほど白っぽく「明るい」のが「正」とされた。そういや、糸井重里さんの「ピッカピカの一年生」がヒットしたな。宮崎美子、いい味だす俳優に成長したが、「いまのキミはピカピカに光って」と騒がれたものだ。まぶしいほどのピッカピカは、高度経済成長中流意識風「おしゃれ」だったといえるだろうか。そして、いまでも、工事の容易さもあって、直接照明が圧倒的なシェアを占めているだろう。

それに、「負」のイメージはトコトン排除し明るく見せたがる志向は、依然として根強いようだ。最近、首相になったナントカという男も、所信表明で、日本人は明るくなければならないかのようなことを言っている。「負」や「負い目」をぐっと抱えて、なおかつ明るくという「在り方」は、そこでは問われない。んで、金融経済の悪化の最中なのに、その「負」に対する策は提示されることなく、パフォーマンスのような野党批判を「所信表明」でやる。どうやら、そのように、「負」を抱えない「明るさ」でなければいけないようだ。それは、オボッチャンやバカの明るさだろう。

話がずれたか。

トツゼンだが、きょうは、ここまで。
とにかく、今月は引っ越しをしなくてはならない。本も含め、あまりモノがないうえに、家具はつくりつけになったから、ほとんど捨てることになり、運ぶものは少ない。とはいえ、メンドウなことだ。

画像いちばん上は、施工中の木造の骨組みが見えているころの7月23日のハウスキーパーの「書斎」と称する仕事場。そのつぎは、きのうの状態。カーテンなどは、これからだ。

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