虚実皮膜の間。スナック。
「スナック」といっても、「小さなスナック」という歌のような、けがれない清らかな美しいオシッコのようなカワイイ女がいるイメージのそれとはちがう、「スナック・バ-」のことだ。
100点満点の「正」だけの人たちにいわしむれば、その佇まいも、そこで働く女たちも、そこへ行く男たちも「いかがわしい」ということになるのだろうか。だけど「負」を抱えた「ニンゲンらしさの真実」は、こちらにあるように思う。とりわけ地方の町のスナックは、生々しい真実の吹き溜まりのような感じがある。
この夏、ある町へ行ったら(この画像の町ではないが)、前回行ったよりスナックが増えていた。景気がよいからではなく、景気が悪いからだという話を聞いた。「負」の行き着くところが、スナックなのだ。
「スナック」というスナック・バーは、風営法の関係で広まったように記憶している。いつごろだったか、法改正で、飲み屋の深夜営業が厳しくなった。たとえば東京都のばあい、朝までやっていた飲み屋が、24時ぐらいで閉店しなくてはいけないことになった。かなり厳しかった。それで、主たる営業が軽食の提供ということならば、深夜営業もできるという抜け道を自ら開拓した人たちがいる。「食うため」「生きるため」だ。それから、とくに、「スナック」というスナック・バーが広がったように記憶している。
単に「バー」とはいえない、「クラブ」でもなく、もちろん「レストラン」でも「スナック」でもない、そして既存の「健全」なスナックを侵食して広がり根を張った「スナック」には、「食うため」「生きるため」に人間が必要とする、あるいは逃れられない、さまざまが蓄積されているように思う。
新宿・歌舞伎町のスナックには、よく行った。スナックのねーちゃんと、閉店のあとに、ほかの店へ行ったり、焼肉屋へ行ったりした。それだけで、何もなかったけどね。
まもなく午前2時になる。ヨツパライ深夜便。
スナックのねーちゃん、どうしてるかなあ。
「食うため」「生きるため」って、美しいことじゃないか。
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2008/09/21
「負の遺産」とかいうが、それは「正の遺産」と一体なのだ。
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