どうなる東京、どうする東京。なるようにしかならんだろう。
もう書きあきたので最近は書いてないが「東京荒野論」そして、もう東京はモデルにならない、モデルにするのはやめたほうがよいという話だが、雑誌『談』編集長によるBlogの2008年10月11日「東京が大荷物になる時代が、もうそこまで来ている。」、2008年10月14日「大増税か福祉の切り捨てか。労働人口減少が、究極の選択を迫る?!」、2008年10月15日「人間は単なる量か。人口論という陥穽。」は、おもしろい。笑えるほど深刻でおもしろい。
だいたい、これほど一極集中化した、しかも消費だけの大都市が、大荷物ガンにならないわけないんだが。とにかく、そこにも書いてあるように、「少なくとも、大規模再開発は即刻中止する必要がある。ストックを活かしたリノベーション型の都市更新以外には選択肢はないといってよい」ってのは確かだとおもう。ついでに、先のないグルメばか騒ぎもやめたほうがよい。
が、しかし、いまや東京は、消費の能力だけは立派でありオシャベリに時間をつぶすのは得意だが、みずから変わることはイチバン苦手のものたちが「主流」をなしているのだ。なるようにしかならんだろう。
もう一つ、東京は「首都圏」を持っている。つまり周辺を呑み込み「東京化」することで、まだまだ「東京荒野」は生き延びる余地がある。みずから変わるのがイチバン苦手のものたちは、メディアをにぎり大中小さまざまな権力と権威を持って、まちがいなくそこへ向かう。かくて都心を含め大規模再開発は続く。東京の「侵略」は続くだろう。なるようにしかならないのだな。
東京のマネはしないほうがよい。千葉も埼玉も、ださくていいじゃないか。東京にあこがれ東京にないよいものを捨てることはないのだ。
もちろん、この場合の「東京」とは、消費文化の見本市あるいは殿堂、近代に本郷周辺から始まった山の手「中流風」文化のことだ。
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