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2008/10/07

なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

Asahigura_sijyouおれも、この件については、かなりしつこい。また書く。何度でも書く、トコトン書く。それに、たぶん、前に書いていることを知らないひともいるだろう。

狭い部屋に、たいした本もないのに見つからなかった、というか、見つける気がなかった、このアサヒグラフが出てきた。

『アサヒグラフ』1999年2月26日号における、「四條司家」特集のことについては、まだブログが始まる前の「発作なメシゴト日記」の2003/01/31「四條流」で、「一昨日の「アサヒグラフ」のことだが記憶で書いていたので、現物を探して見つけた。詳しく紹介しよう」と書いている。当時は、テキストのみのレンタル日記だったので、画像の掲載はない。

おまけに一日に千字までの制限があったから、何日にもわたって書き、さらに「四條流」と「日本料理」と称するものに深く関係する、700年代後半ごろの平安朝の朝廷を舞台にした「内膳司」という、いわば「料理支配」のような部署のボスをめぐる高橋氏と安曇氏の権力抗争まで書いた。それは「料理」とは、まったく関係ない争いだったが、勝ったものたちの系譜が「日本料理」の「伝統」を称するようになった。権威主義的権力主義的な格好をし、刀のように庖丁をふりまわす根っこには、そういう料理の内実がともなわない争いの歴史も関係しているようにおもう。この「伝統」には、料理は生活という考えはない。

それらのエントリーは、ザ大衆食「日本料理のおべんきょう 日本料理の謎」に、リンクをまとめてある。…クリック地獄
また、「発作のメシゴト日記」は→右サイドバーのカテゴリーに、まとめてある。

いつのまにか、カンジンなアサヒグラフ本誌の姿が見つからなくなったのだが、引っ越し荷物の整理中に無事に発見された。表紙の画像だけ掲載しておく。どーです、これですよ「日本料理」ちゅうのは。コスプレですな。ここに「日本料理道庖丁道の精華」と称する奇怪な「日本料理」の正体が姿を見せている。まさに「私語り」「自分語り」の歴史だ。だけど、もちろん、崇め奉り、ひれふす人たちもいるらしい。そこは、ま、人間社会のオモシロイところだ。おれは、そういう歴史が、日本の食文化や料理文化の歴史をゆがめ、汁かけめしやカレーライスの歴史をゆがめていると確信しているし根拠もあるから、ゾウにトゲていどかも知れないが、トコトンやるのだ。

この記事ついては、発売当時、興味ある書き込みをしている掲示板があった。備忘のため、ここに関係する部分だけを転載させてもらう。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/keijiban102.htm

………………………………………………

[45] 四条家発見! 琵琶 さん 1999年02月20日(土) 23時11分

昨日、図書館の雑誌コーナーに、『アサヒグラフ』二月二十六日号が
置いてあるのをみたのですが、その特集が、二条のお母さんの家、
四条家についてでした。
贅沢な魚介類などを素材に使った料理は、お昼時には目の毒(?)でした。
最近このホームページを拝見したりなどして気づいたことは、歴史上の人物の
母方の家のことについては、案外文献などで記されることは少ないんじゃ
ないかな、ということです。
もちろん、生母が誰か自体わかってない人人もいるのでしょうけど、
一人の人物を、母方から見ると、また新発見があったりして、
結構面白いなと・・・(^^)。

[46] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 00時22分

四条家と料理の四条流については、去年ちょっと調べようとしたんですが、 きちんとした文献がなくて、何だか中途半端に終わってしまいました。
アサヒグラフ、さっそく見てみます。

[47] 小太郎 さん 1999年02月21日(日) 21時49分

『アサヒグラフ』、買ってみました。
う~む、表紙にでかでかと「四條司家 日本料理道 包丁道の精華」。
すごいです。
「四條司家41代当主」四條隆彦氏の写真、ちょっとこわいです。

以前、少し調べたときは、四條家は明治に入ってから相伝の文書を譲渡 して料理の世界から離れ、文書を譲り受けた側が四條司家を名乗っているといった話を何かで読んだ覚えがあります。(ウロ覚えですが。)
それで、何で四條家の人が四條司家の当主なんだろうと思ったのですが、 隆彦氏が書かれた文章の中に、「四條家の人間が包丁儀式を執り行うこ とが跡絶えていたのを私が再興した」とあるので、また関係ができたと いうことなのでしょうか。よくわかりませんが。

[50] 琵琶 さん 1999年02月24日(水) 06時11分

私も『アサヒグラフ』買ったんですけど、「一月の祝い膳」の「一の膳」の
汁(練りふぐと芥子柚子の入ったもの)を見て、「!」。
素材は違うんですが、丸餅と「頭芋」の入った白味噌仕立ての、京都方面の
お雑煮そっくりで(^^)、これがルーツなのかなー、としみじみしてしまいました。

[51] 小太郎 さん 1999年02月24日(水) 12時45分

そうですか、あれが京都の「お雑煮」のイメージなんですね。全国各地の お雑煮比べみたいなのはテレビや雑誌でよくやりますから、一応そういう 知識はあったのですが、改めて言われてみると、ちょっとびっくりです。

ところで私は「アサヒグラフ」の記事は相当しつこく読んでいるのですが、 隆彦氏の父や祖父に爵位が書かれていないのをちょっと変に思いました。
四条家には幕末に「七卿落」のひとりである四条隆謌(たかうた)という 人が出て、戊申の役で相当に活躍し、その功によって侯爵を授けられてい るので、普通だったら侯爵家であることを書くはずなんですね。
で、怪しいと思って調べたら、角田文衛氏の『平家後抄』に、「隆謌は 後妻・春子の産んだ九男の隆愛(たかちか)を偏愛し、これに侯爵家を嗣 がしめた。そして長男で、『戊申の役』に軍功のあった隆平(たかとし) に別家(分家ではない)を樹てしめ、将来に禍根を遺した。隆平は、奈良 県令、元老院議官などを歴任し、その功によって、明治三十一年、男爵を 授けられた。」とありました。
「四条司家第41代当主」隆彦氏は、この隆平の曾孫にあたるので、 「公侯伯子男」の一番下の男爵家だから、かっこ悪くて書かなかったのか な、という感じがします。
それにしても鎌倉時代に後深草院二条の祖父の隆親がやったのと同じよう なことを明治になってもやっているんですね。面白いです。

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いじょ。

また、おれの「発作なメシゴト日記」での、これに関する話は、2002/12/13「日本料理は敗北した」か? から始まっている。それだけ、以下にそっくり、転載する。

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「日本料理は敗北した」と江原恵さんは、その著書『庖丁文化論』で述べた。1974年のことである。「外からは、西洋料理や中華料理のチャレンジに負け、内にあっては、味覚のシュンを失うという決定的な事実がそれを証明している」

当時、日本料理に対し疑問と危機感を抱いて江原さんと会ったおれは、たしかにそうだ、と思った。でも、まだ、カレーライスがあるラーメンがあるカツ丼があるサバ味噌煮定食だってあるじゃないか、とも思った。

つづいて江原さんは書く。「それでは、日本料理の未来史はどうあるべきか。……結論的にひとことでいうなら、特殊な料理屋料理(とその料理人)を権威の頂点とするピラミッド型の価値体系を御破算にすることである。家庭料理を料理屋料理に隷属させる食事文化の形態をうちこわして、根本的に作り変えることである。……料理屋料理を、家庭料理の根本に還すことである。その方向以外に、日本料理を敗北から救うてだてはないだろう」

チト納得できないところもあるのだが、ま、おおむね了であり、つぎの提言には、文句なしに賛成だった。

「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題をとりあげてもいいのではないかと提言したい。」

あれから30年たとうとしている。すでにカレーライスまでがラーメンまでが、「通人ごっこ」の、いまふうには「グルメごっこ」ということになるだろうがその、餌食になってしまった。

「グルメ」とは、食や料理を「まじめ」に考えないひとのことだったのか?

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