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2008/10/16

誰にも話せない、だけど、どうしても誰かに話したい。ってことがある。

Maneg_3またまた引っ越し整理の中での「発掘」。忘れていたわけではないが、どうするか決めかねて、とりあえず、そのままにしてあった。

「マージャー」のタイトルで、A4サイズ146枚、原稿用紙にしたら600数十枚の「長編」だ。これが宅急便で俺の手元に届いたのは、6年ほど前の夏だった。

ワープロの手紙がそえられていた。そこで彼は、こう書き出している。……

これは小説か?
はっきりしていることは、この作業に集中しなかったら、半年はもたなかったことだ。

……彼は自分が手塩にかけて育て大きくし、業界一にした会社を売ったあとだった。この文章は、その売買のニュースが新聞の活字になったところで終わる。

手紙では「その結果目の前で繰り広げられることは、熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているようなものだ」と書いている。この比喩は、文学的にはどうかなと思うが、彼は、その苦しみのなかで、「発狂」しそうな状態だった。

「「人間一生に一冊は小説が書ける」というが、そんなたわごとを引っ張り出しても慰めにならないほど、集中力が切れそうな半年だった。あと半年残されているが、どうなることやら。しかしここからはどこで切れるか自分でも予測がつかない」

「ともかくこの文章を先ずあなたに送る。これは小説か?あなたの答えを待つ以外ない」

こうして綴られた文章は、やや慟哭を感じさせる手紙とはちがって、冷静だった。もっとも、彼は、手紙からもわかることだが、冷静でいるために、これを書いたのだ。

ニッポンそしてアメリカとシンガポールや香港を舞台にした、いわゆるM&A劇の、ウラオモテ、それをめぐるニンゲンのアリサマが、彼がその業界に飛び込んでからのことも含め、書いてある。ま、事実は小説より「奇」で、その「奇」があからさまだから、これは小説とはいえない、かも知れない。

俺が、この文章を読んで、彼にいったのは、しごく簡単なことだった。たいがいのひとは、それをやらない。とくに買収された社員に「薄情」「裏切り」のレッテルをはられるのがイヤであり、「責任」という自分の面子や体面にこだわるからだ。もちろん、少しでもカネが欲しい執着もある。

彼は、おれが簡単に結論だけいったことを、すぐ理解した。そして、そのようにした。それで、全部がうまくいったかどうかはわからないが、少なくとも彼は、目の前で熱愛中の女が強姦されるのを手出しできないで見ているようなことにもならず、熱愛の関係と思っていた女が、いとも簡単に新しい男になびくようなことを見なくてすんだ。もちろん、そういうアリサマをじっと見つめるというテもあるが、彼は、それに耐えられる状態になかった。あまりにも「愛情」が深すぎたからだ。溺愛は、ともすると「執着」や「偏執」に陥りやすい。何割かを捨ててこそ、バランスが成り立つのに、それができなくなることがある。

とにかく彼は、この文章の扱いを、おれにまかせたままになっている。そのまま、どこかに出そうが、ちょっと俺が手を加えようが…。もしかしたら、インターネットに公開してもよいのかな。

それにしても、午前3時すぎだが、深夜に、こういう「手記」を見ると、宇宙の一隅でうごめくニンゲンとは、奇怪な動物だと思う。それでも、めしを食べなくてはならない。俺もな、その一人さ。

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