ミーツ12月号は「旨い旅」。気になる見沼区東大宮、鉄砲屋やホルモンや。
きのう、11月1日発売の「ミーツ・リージョナル」12月号を郵送で頂戴した。転居先は連絡してあったが間に合わなかったのか、旧住所からの転送だった。まだゆっくり見てないが、ようするに「旨い旅」だ。藤本男さんらZAZENBOYSならぬJ-BOYSが、東京まで遠征して食べまくっている。
木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は「カフェ ヴィーナーローゼ」。もうイチイチほめあげるのもメンドウだ。絶好調。今回は、後半「さくい」という言葉から終わりにもっていく話の転がし方に、うなった。
ってことで、話は、連載「江弘毅の街語り」だ。タイトルは「なぜ若い奴らは飲まなくなったか」。江さんは、「酒を飲むという行為」について、街的に考察を深めているのだが、最後に、こう述べている。
「酒を飲むという行為は、その行為にふさわしい「場所」が用意されているから可能なのであって、そこは立ち呑みにしろ北新地のクラブにしろそれが酒場という店である。だからその店が開いてないと、本来酒は飲めなかった。それは自分が街や店や人とつながっていることでもあって、24時間開いているスーパーやコンビニで、チューインガムや歯磨き粉を選ぶこととは別物である」
つまりは、腹が減ったらコンビニでも吉牛でもマクドでもある、着るものならユニクロがあるでよ、それで何かモンダイがある?という気分になるほど「消費」な環境に飼いならされると、酒を飲むならコンビニで買って飲めばいいじゃない、それで何かモンダイがある?という気分になりやすい。が、それは、およそ「酒を飲むという行為」とは次元がちがうのだ。ということなのだな。
ま、俺のばあい、泥酔状態の帰宅途中で、記憶がないままコンビニに立ち寄り、とにかく酒を買ってしまう。「酒」が欲しい、泥酔していても酒が欲しい。朝起きて冷蔵庫を開けると、そこに記憶のない缶ビールが燦然と輝いている。それを二日酔いの重いまぶたの眼で見たときのうれしさよ。なーんていう「アル中レベル」に近いのだが、それでもやはり「外で酒を飲むという行為」については、江さんのいうとおりだとおもう。
いま俺は、初めての土地に越してきたばかりで、周辺をブラブラするユトリもない。が、ここから駅まで10分弱のあいだ、いろいろコースを変えて歩いてみると、それなりに気になるところがある。それは「酒場」なのだ。
すこし正確に書くと、今年の春、初めて土地を見に東大宮に来た。そのとき、イチオウ、駅の、買う土地がある反対側もぶらぶらした。午後2時ごろだったとおもうが、なんと、昼間から飲める、間口一間ほどで奥に長い小さな酒場を見つけたのだ。それで俺は、ずいぶん気分がよくなった。ここは、俺が馴染みやすい街だなという「好印象」を持った。
いやさ、俺が「アル中レベル」だからのことじゃなくて、やはり大人の男が街と交わりアッハンウッフンするとなると酒場なんだよ。そこが「街の入り口」というか。新しい土地、しかもそこに家を構えて住み着くとなると、やはり自分にあった酒場があるかないかは、けっこうポイントになると、あらためておもった。昼間から飲めるイカガワシイ酒場がある!それだけでも高得点だ。俺は、まちがいなく、この街に親しめると確信するのだった。
で、いま書いている時間がないから、これだけ書くと、東大宮駅の俺が住んでいる側、西口を出てすぐそばに「鉄砲屋」という気になる酒場があるのだな。駅のホームからも見えるから、ホームに立つときは、自然に肉体がそちらのほうへ移動し、ホームから写真を撮ってしまった。昼間だから、まだ開店前。
この角のミニ猥雑な三軒連なりは、横から裏の方をみると、いわゆる仮設のようなバラックなのだ。そして鉄砲屋の外のメニューを見ると、「ホルモン系に強いぜ」という主張が、ビンビン伝わる。
で、ホルモンといえば、ウチから駅へ行く途中の国道沿いに、「ホルモンセンター」という店と「モツ焼センター」という店がある。「ホルモンセンター」は、どうやらホルモンの卸やら小売の店のようだ。「モツ焼センター」は、「ホルモンセンター」から数十メートルの筋向いにあって、店頭で焼いて売っている。間口が三間ぐらいあるだろうか、けっこう大きい。買って帰るひと、そこで食べるひと、いつもひとの姿がある。そんなぐあいに、ちょっと目に入るだけでも、俺好みの酒場がありそうな街の気配が漂っている。
てなことで、これから、ゆっくりゆっくり、江さんのいう「酒を飲むという行為」を、この街で実践していきたい。
いじょう、きょうは、決意表明で、おわり。
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